≪Observation by 蜈?ココ蠖「≫
悲鳴と絶叫で会場が埋め尽くされていく。
大気に満ち溢れる
「待て、触るなっ!」
Pが二宮飛鳥の右手を鷲掴みにして止めた。
二宮飛鳥が触れようとした先の空間には
「し、浸食が始まったわ……」
「知ってんのか、神崎P!?」
さっきPは二宮飛鳥が歪みに触れるのを止めたが、実のところそれは意味のないことだ。触ったところでどうにもならない。どうにもならないし、どうにもできない。間もなくその空間に触れることさえ出来なくなる。穴が開いたように何も無くなるのだ。しばらくすれば全ての空間は無くなり、生きとし生けるものは一切身動きが取れなくなる。つまり俎上の魚。次に歪むことになるのはその生きとし生けるものたちだ。
「セカイは崩壊する……このセカイの全ては天使に……上の次元に住まう存在に、摂取される……! あのサイコロは天使だった。ずっとこの瞬間を待っていたのよ……!」
「な、なんだと……!」
蘭子と二宮飛鳥が同時に「コラプスの夜……」と呟いた。
「何故こんな……。
自問しながら、本当は分かっていた。あの天使はルールの穴を突いたのだ。
『セカイ線を崩壊させた天使は高次存在に消滅させられる』という、天界における公然のルールがあったわけだが、セカイ線を崩壊させんとする天使はまず必然的にセカイ線に干渉を行うことになる。すると当然、その時点でセカイ線は分岐する。天使が崩壊させ摂取するのはその真新しい方のセカイ線だ。
つまり、セカイ線の崩壊の前には必ず
また、天界から見た場合、今の分岐は“非常に目立たない”ものだったように思う。天使が干渉もしていないのに独りでに分岐が起こったように見えたのではないだろうか? 無限にあるセカイ線の中で天使の干渉なく生じた分岐など、大樹に芽吹いた一枚の葉よりも遥かに些細な変化だ。いかに高次存在といえど、これから起きる無法を見落としてしまうこともあり得るのでは……?
「な、何を言っているんだキミは……!」
「神崎P……」
「………」
わからない……。すべて推測だ。高次存在が動き出すトリガーが本当は何なのかなんて、結局は高次存在以外には知りようがない。
一つ確かなのは、この天使は天界で見たときには老いていながらも強い生命力を宿していたということ。
コイツは繰り返しているのだ。ルールに穴があることを知り、高次存在に罰されることもなく、何度もこうしてセカイ線を崩壊させているのだ。そして今これからはこのセカイ線が……!
「……説明を…知っているなら説明を……!」
まだ二宮飛鳥は理解していないらしい。最後の一押しをしたのはアナタだと言うのに……いや、二宮飛鳥を責めるのはお門違いか。さっき普通のサイコロに擬態していたように、この天使がその気になれば、任意の人間に対して既定行動からの逸脱を誘発することができるだろうから。
それにそもそも、コイツをこのセカイ線に引き込んでしまったのは私だ。あぁ、そうか……。この天使が私の干渉に紛れ込んできたのも、高次存在の目を欺くための策の一つだったということか……。私はなんて迂闊なことを……!
「闇にィイイ……! ン飲まれよ~~~っ!!」
「「「!?」」」
その蘭子の大声は雄叫びと言ってもよかったかもしれない。あまりの唐突さには率直に言って心臓が止まかと思った。しかしその衝撃は私を幾分か正気に戻してくれた。
「………ぷ、プロデューサー、大丈夫……?」
「っ……!」
おそらく蘭子もまだ事態を飲み込めていない。だから蘭子が感じているのは原因の分からない圧倒的な恐怖だけのはずで……だというのに、私のことを気遣おうとしている。
何をやっているんだ私は! 私が堕天したのは蘭子を導くためだろう!! 私が狼狽えていてどうする!!
「――っ!」
「わっ!?」
思い切り自分の両頬を叩く。ピリッとした痛みと引き換えに、恐怖感をシャットアウトする。
「恥ずかしいところを見せてしまったわね……。もう大丈夫よ、蘭子」
「……うむっ! それでこそ我が導き手!」
クリアになった頭で伝えるべきことを考える。
口惜しいが認めなくてはならない。この天使に対して私が出来ることは何もない。そして、仮にこの宇宙に存在する全ての兵器を使ったとしても、掠り傷一つ付けることさえ不可能だ。相手にならない。蟻が象に勝つ事象は確率としては起こり得るが、それは少なくとも同じ次元にいるから。我々と天使とでは文字通り次元の違う生き物なのだ。
故に天使に勝てる確率はゼロ。……しかしそれは普通のセカイ線であればの話だ。
このセカイ線には蘭子がいる。二宮飛鳥がいる。 奇跡を百乗したようなこんなセカイ線、少なくとも私は見たことが無い。
二人が操る魂の力と天使の力は本質的に同じモノ。この二人であれば天使に対抗し得る。とはいえ二宮飛鳥はまだ本質を掴んでいないようだし、勝率は1%も無いだろう。しかし他の方法など思いつかない。
そんな絶望的な戦いに少女二人を送り出さなくてはならないなんて、自分の無力さが呪わしい。しかし私は更に罪を重ねる。
「薔薇の闇姫、紅蓮の暗殺者……。貴女たちの双肩……いえ、双翼に、セカイの命運が掛かっているわ」
「ほう…!」
「……っ」
二人の少女を焚き付ける。
導くだの何だのと言いながら、結局私にできるのは送り出すことだけ。であれば、たとえ僅かでも勝率を上げられるなら、いくらでも諧謔を重ねよう。それは図らずも、アイドルをステージに送り出すというプロデューサーの仕事に似ていた。
プロデューサーの手腕とは畢竟、アイドルをどれだけ良いコンディションでステージに立たせられるか、その一点に尽きるのかもしれない。ふとそんなことが頭に過った。