超次元偶像二宮飛鳥のセカイ   作:関ち出張所

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≪Observation by Asuka≫

 

 とても渋くて良い声で、目が覚めた。

 朝のラジオパーソナリティの男性の声。タイマー機能でラジオの電源が点いたのだ。それが今のボクの目覚まし代わり。

 電波の向こうの男性は、毎日全く変わらない文言で挨拶、番組名、時刻を伝えてから、軽妙な語り口で世間話を始める。

 初ライブを終えたご褒美として、Pからプレゼントされたこのラジオはすこぶる調子がいい。新品だし、多機能だし、何よりカッコいい。周波数の表示にニキシー管を採用しているなんて素敵すぎる。橙色の揺らめきを眺めていると、時間を忘れてしまいそうになる。

 

「おっと、いけない……」

 

 本当に時間を忘れるところだった。

 手早く準備を済ませて、自宅マンションを出る。

 

 道路に出てすぐ、空の青の鮮やかさが目に沁みて、変装し忘れていることに気付いた。バッグから伊達メガネと帽子を取り出して歩み始める。

 

「フフッ、慣れないものだな……」

 

 妄想の中ではともかく、自分がまさか変装が必要な人間になってしまうとは。ボクの肩書に『中学二年生』の他に『アイドル』が加わった二か月前でさえ、こんなことになるとは正直まったく思っていなかった。

 そう、まだたったの二か月しか経っていない。

 訳が理解らないほどの急激な変化。ついていくのがやっとだ。いや、果たしてついていけているのだろうか? ボクが切望していた筈の非日常に、既にどっぷり浸かっていることに気付いたのもつい先日という有様なのに。

 

『おはよう 良い朝だね これからレッスンに向かうよ』

 

 いつも通り、路線バスに乗り込んでから、Pへメッセージを送信する。

 

『おはよう。体調はどうだ?』

 

 やはりすぐに返信が来た。彼はもうお城にいるのだろう。

 

『問題ない』

『14時頃そっちに行くよ』

『承知した』

『あぁ、それと……』

 

「ふむ?」

 

『飛鳥が一ノ瀬ちゃんに対抗心燃やしてること、聖さんに伝えておいたよ\(^▽^)/ だから今日はみっちりシゴいてもらえると思う。やったね!』

 

 イラっとするのと同時に「うっ」と声が出た。

 なんて余計なことを……。

 恨み言は負けた気がするので、差し入れの品について交渉してやろう。そう思ったところでまた彼から受信する。

 

『差し入れは何が良い?』

 

 読まれていたらしい。なんだか悔しい。

 

『アイス(高いの)』

『OK』

 

「ふふっ。まぁいいか……」

 

『では、存分にカロリーを消費しておくことにするよ』

『だけど無理は禁物で。キツ過ぎるようなら我慢せず聖さんに言うように』

『あぁ、理解ってるよ』

 

 それでやり取りは終わり。降りるバス停ももうすぐだ。

 これから食らうであろうしごきを想像して一瞬怯んでしまったけれど、Pが聖さんに何か言おうが言うまいが、元から全力でやるつもりだった。なんでもお見通しのPが聖さんにそう伝えたということは、やはり実際にそうする必要があるということなのだろう。彼と見解が一致しているという点については、そんなに悪い気はしない。

 

 レッスンスタジオに到着後、更衣室でレッスン着に着替えてからレッスンルームに入る。

 聖さんは腕組をしてボクを待ち構えていた。予想通りに挑戦的な笑みを浮かべて。

 

「……おはよう、ございます」

「おはよう、二宮。プロデューサー殿から聞いたぞ。喜んで協力しよう」

「お、お手柔らかに頼むよ……」

 

 最近お世話になっている二十代半ばの女性のトレーナー、青木聖。P曰く業界ではそれなりに有名なベテランのようで、本来ならボクのような駆け出しアイドルが見てもらえるような人ではないらしい。そんな聖さんに見てもらえるのは、偏に新しいユニットの相方のお陰だった。

 

「よし、まずは準備体操からだ」

 

 レッスンルームにはボクと聖さんだけ。なのに、彼女はレッスンを始めようとしたのでボクは察し、何度目かの落胆を覚えた。

 

「一ノ瀬志希はやはり来ないか…」

「あぁ、今日は体調不良だと聞いている」

 

 聖さんが肩をすくめてため息をつく。それが十中八九、仮病だということは彼女も分かっているのだ。

 先日新たに組むことになったユニット、Dimension-3の相方である一ノ瀬志希。彼女はまだ一度もレッスンに現れていなかった。

 

「一ノ瀬のことだから最後にはなんとかなるのだろう。業腹だがな……。まぁ、二宮が心配する必要はない」

「生憎と新米アイドルなのでね。他の人の心配なんてしている余裕はないよ」

 

 彼女は超人気アイドル様だから、きっとボクのことを軽んじているんだ。ボクとのユニットも上に言われたから仕方なく組んでいるだけなのだろう。

 

「フン……」

 

 せいぜい余裕をかましておけばいいさ。あぁ、だけど、一つだけお願いがある。

 サボっている間にボクがキミを追い越してしまっても、不貞腐れてやる気をなくさないでくれよ?

 

 

 

 

 

 

≪Review by Asuka≫

 

 Pが言っていた通り、ボクのデビューライブとなった五月公演の後、ボクのアイドル活動は激変した。

 アイドルとして、ボクよりも遥か先にいる北条加蓮と藤原肇。彼女たちと並んで様々な仕事をすることになった。

 インタビューや写真撮影は勿論、テレビで歌を披露することもあったし、再びライブにも出たし、CDも出した。

 五月公演でボクが発することができたのは自分の名前だけだったが、流石にそれ以外も多少は喋るようにはなった。しかし、それは意味深なように聞こえて、実際のところは当たり障りのない内容だった。Pと一緒に考えた台本通りの台詞を言う事も多々あった。

 とはいえ、北条加蓮と藤原肇のフォローとPによる巧妙なプロデュースによって、ボクは“ミステリアスな中学生アイドル”という印象を世間に与えるに至った。そして少なくとも今のところは概ね好意的に受け入れられているらしい。

 六月に入り、北条加蓮たちとのユニットの活動が終了する頃、街を歩いているとたまに声を掛けられるようになっていた。このころから外出する際には変装するようになった。

 また、Pが勝手にボク名義のSNSアカウントを作っていたのだが、そのフォロワー数は五万人を超えていた。そんなアカウントをいきなり任されても困るので、投稿する内容は随時Pと相談することにした。

 

 ユニットの活動が終わっても、ボクの慌ただしい生活は元には戻らなかった。今度は一ノ瀬志希というアイドルとデュオユニットを組むことになった。

 一ノ瀬志希。ギフテッドの帰国子女アイドル。今最も勢いのあるアイドルの一人だし、もし仮に“今現在の最高のアイドルは誰か?”なんて議論があったとしたら、確実に彼女の名前は挙がるだろう。

 SNSの彼女のアカウントを覗いてみるとフォロワー数は五百万人だった。文字通り桁違いだ。

 そんな傑物とのユニットの話を正式に持ってくるPは流石というかやり過ぎというか……

 

 一ノ瀬志希とのユニットを実現した方法について聞くと、少しだけ納得がいった。彼女のデビューライブはボクと同じく、三万人の前だったのだという。

 もっとも、彼女の場合はギフテッドというバックボーンと実力から、正当に掴んだチャンスだった。でも彼女はそのチャンスをしっかりとモノにして、アイドルヒエラルキーを駆け上ったのだ。

 一ノ瀬志希が通った道を、今ボクも辿ろうとしている――そんなストーリーでユニットの話題性をプレゼンし、Pは見事に関係各所の説得を成功させたらしい。

 まぁおそらくPはそれ以外にも以前から、根回しや調整や、あと暗躍していたのだろうけど。

 

 一ノ瀬志希とユニットを組むことになったと知ったとき、ボクは嬉しさを感じていた。

 高い能力は元より、自由奔放な気分屋でありながら人を強烈に惹きつける彼女の魅力。それを間近で見て、彼女と関われるのが純粋に愉しみだった。

 北条加蓮や藤原肇と親しくすることができたように、一ノ瀬志希ともそうできると思っていた。

 だけど、一ノ瀬志希との初顔合わせの日、ボクの期待は失望に変わった。彼女はボクに何の興味も示さなかったのだ。

 その打ち合わせでは、ユニット名がDimension-3であることやユニットのコンセプト、これからの仕事とレッスンのスケジュールなどが知らされた。当然、新曲も貰っていて、その初お披露目は約二週間後の合同ライブということだった。

 ボクのレッスンはその日から開始された。そしてレッスンがメインという日々がまた始まった。

 一ノ瀬志希はユニット以外でも沢山の仕事を抱えているから、彼女がレッスンに割くことができる時間はボクよりもずっと少ないことは初めから理解っていた。しかし、一週間が経とうとしているのに一度もレッスンに顔を出さないというのは、明らかに聞いていたスケジュールと違った。

 一ノ瀬志希は担当のプロデューサーが出張しているのをいいことに、レッスンをサボり続けていたのだ。

 

 

 

 

 

 

≪Observation by Asuka≫

 

 聖さんの熱の入ったレッスンを一日受けるのは、やはりかなり過酷だった。

 夕方になって終わる頃には、全身の筋肉という筋肉が余すところなく疲労していた。

 だけど、悪くない気分だった。むしろ清々しささえ感じている。昨日よりも上手く出来るようになっているからかな。

 

「今日もレッスンお疲れちゃん」

「じゃあ、お先にボクは失礼するよ」

 

 Pの居室を出た後、帰路につく前に中層階にあるテラスへ行くことにした。

 そもそもが果てしなく高い社屋だから、中層階の時点でこの街のほとんどのビルよりは高く、つまりはテラスからの眺めはとても良いのだ。今日はとても綺麗な夕焼けになっている予感があって、満身創痍だけれど無性に見てみたかった。

 エレベーターで目的の階まで上がり、外に続く観音開きの扉に手を掛ける。重厚な扉を押し開けるのは疲労したボクにはいささか辛かった。

 

「くっ……!」

 

 とても紅い夕陽だった。見つめ続ければ紅い涙を流してしまいそうなほどの。

 テラスに点在する植生と石柱のコントラストは日中には爽やかで軽やかな印象を受けるのだが、今この時はすべてが紅で上塗りされ、廃墟的な雰囲気を醸し出している。精緻な彫刻の施された石造りのベンチはいずれも空席。しかし、広場中央の噴水は稼働し続けていた。

 夕陽に向かって真っ直ぐ歩いていく。ほどなくテラスを取り囲む柵に止められてしまう。ボクはどうしても欲しくなって、夕陽に向けて手を伸ばす。しかしそれは絶対に叶うことは無く、ボクが掴むことができたのは空虚だけ。

 

「いつか必ず手に入れてみせる……」

 

 安いドラマで言いそうな言葉。もちろん、意味のない言葉だ。言ってみたくなったから言っただけ。それ以上でもそれ以下でもない。

 振り返れば、紅色の濃くなった石柱たちが無言のままボクを見つめていた。

 

「ふふっ……悪くない」

 

 やはり来て良かった。もの寂しいこの光景はボクの胸に沁みる。その痛みがボクの輪郭を思い出させてくれる。心を忘れると書いて“忙しい”というフレーズが頭に過った。なるほど、昔の人は本当に巧いことを言う。

 もうしばらくこの雰囲気に浸っていたいが、流石に座りたい。となればやはり片隅のパーゴラのベンチ一択だろう。蔓が鬱蒼と絡まったその一角は、用もないのにテラスにやってくるような人種にとっては垂涎のスポットで、これまで独り占めするチャンスがなかったのだから。

 

「ん……?」

 

 パーゴラまであと数歩というところまで近づいてやっと気付いた。蔓のカーテンの向こう側に誰かいる。ボクがここに上がって来る前に、既に先客が居たようだ。

 先ほどの一人芝居が頭をよぎり、気まずさで居たたまれなくなってくる。身体的な変化としては、くそう、顔が熱くなっている。

 アチラはボクを気にしている風には見えない。本を読むでもなく、携帯を操作するでもなく、ただじっとしているように見える。いや、時折頷くように頭部の辺りが揺れている……?

 

「なんだ、寝ているのか……」

 

 それならばさっきのボクの台詞も聞かれていなかったということ。このまま静かに去れば何も問題は起きない。いや寧ろ去るべきだ。後ろ姿の輪郭からして、この人はボクの知り合いではないのだし。それにパーゴラ内のベンチは初対面の人間と過ごすには近すぎるから。

 

「………あ、あれ?」

 

 しかしボクは、また一歩、パーゴラへと近づいていた。

 何故かは理解らない。起こしてあげようだなんていう親切心ではない。

 更に一歩。

 理解らない。去る理由はあれど向かう理由は無いのに、進む脚が止まらない。

 まるでボクの何かが、そこへ引かれているかのよう。

 そして、この一歩でパーゴラの領域に踏み入り、彼女――そう、少女だった――の前に立った。

 

「っ………」

 

 思わず息を呑んだ。

 まるで絵画のようだと……このセカイで最も美しい瞬間を切り取ったようだと思った。

 その少女のツインテールに結わわれた銀色の髪は夕陽を受けて、砂金が篩われたように煌めいている。病的なほどの白い肌。閉じた瞼を飾る長い睫毛。すっと通った鼻筋。あどけなくも艶やかな唇。実物を見るのが初めてのゴシックドレスは、しかしこの少女のためにあつらわれたように一切の違和感がない。胸には見たことのない凝った装丁の大判の本を大切そうに抱き締めている。ひょっとするとお手製なのかもしれない。

 どれだけの間立ち尽くしていただろう。終わりは不意に訪れた。

 ざぁ、と一陣の風が吹いたのだ。それは彼女のスカートを揺らし、銀髪を撫で、睫毛をくすぐった。

 

「ぅにゅ…………」

 

 瞼がゆっくりと開いていく。ルビーを連想させるような深い色の瞳だった。

 

「………白銀の騎士…か?」

 

 ぼんやりとした瞳のまま少女が問いかけてくる。まだ夢の続きだと思っていたのだろう。

 いや待て、なんて言った? 白銀? 騎士? 今日ボクは珍しく白のブラウスを着ているが、それが目に入ったのか? 正直ちょっと驚いてしまって、何も反応できずにポカンとしてしまう。

 

「……………はぇ? え……えっ……!?」

 

 少女はといえば、先ほどまでの幻想的な佇まいとは打って変わり、困惑の表情を見せ始めていた。目覚めるといきなり目の前に知らない人間が居たのだから無理もないか。

 そんな彼女の表情はとても可愛らしくてもう少し見ていたいと思ったが、それは意地悪というもの。

 

「やぁ、漆黒のお姫さま。いい夢は見れたかい?」

 

 自分でも何を言っているのだろうかと思った。彼女と一緒で、ボクも夢の中にいたのだろうか? 余計困惑させるかもしれないのに。だけど、それは杞憂だったとすぐに分かった。

 

「っ!? っ! ~~~っ!!」

 

 少女は大きな目を爛々とさせて、頬に朱を浮かべて、おまけに鼻息を荒くしている。

 嬉しいことに、ボクの言葉は彼女の琴線に触れたようだ。

「んっんん!」と切り替えるような咳払いをした後、そこには微笑を湛えた姫君がいた。

 

「とても永い夢を見ていたわ。ヒュプノスに誑かされてしまったようね」

 

 ヒュプノス……眠りの神だったっけ?

 芝居がかった喋り方は、事実、芝居なのだろう。でもここでそんな風に考えるのは無粋以外何物でもない。

 少女は左手に本を抱いたまま、右手を振り上げてからスッと下ろし、掌で顔の半分を覆いながら――堂に入った動作とポージングだ――続ける。

 

「して、白銀の騎士よ。貴女は何故、此処へ?」

「ふふっ……可笑しなことを言うね。ボクを呼んだのはキミじゃないか」

「ふむ……?」

 

 雑なストーリーだと理解っている。今ここで考えているのだから仕方ない。でも楽しくて、続けたいと思ってしまう。

 

「最初は何事かと思ったけれど、ここへ来て合点した。この最期の夕焼けを一人では受止められなかったのだろう?」

 

 彼女の視線を促すように夕陽へと半身を向ける。もうその下半分はビル群に隠れていたが、赤みはさっきよりも増していた。

 

「わぁ! 綺麗……ハッ!? んんっ! そ、そうであったわ。一つの翼で…終焉を渡ることは絶対の禁忌……。故に眷属の助力が要るの」

「あい理解った。だけど、ここに至るまでのレッ……試練で身体がボロボロなんだ。少しの間、休んでもいいかな? それとも、姫の隣に腰掛けるのは無礼だろうか」

「あっ、私もレッスンで疲れちゃって! んんっ……構わぬ。地獄の業火の過酷さは我も知るところ。我が傍らで存分に英気を養うがよい」

 

 彼女の隣に腰掛けると目線の先に夕陽がくる。それをしばし二人して眺め、また幻想のストーリアを綴っていく。

 神話や空想などについて彼女はボクよりもずっと造詣が深かった。加えて、口から出るに任せたボクのストーリーとは違い、確固とした世界観を持っているのを感じた。

 寝起きの状態から本調子を取り戻したのか、彼女の語りの難解さは増してゆき、ボクはついていくのが難しくなった。

 それでも嬉々として語る彼女を見ているのは楽しかったし心地よかった。

 

「あ……」

 

 日没を迎えて、ふっと辺りが暗くなる。訪れたるは黄昏。その語源が頭に過り、()()だったことに気付く。

 見れば、彼女もちょうど気付いたようだ。ボクと同じく、大切なことを伝えようとするように、居住まいを正している。

 

「ボクは飛鳥。二宮飛鳥だ。キミの名前を教えて欲しい」

「我……私は神崎蘭子、です。飛鳥ちゃんっていうんだね」

「飛鳥、でいいよ。蘭子」

「あ……う、うん。あ、あす、か……飛鳥」

 

 ―――っ!!??

 

「飛鳥? 何事か…?」

 

 理解った。

 唐突に理解できた。直感した、というべきかもしれない。

 さっき蔓のカーテンの前で逡巡していたボクの足を進めたモノ。それが何であったのかが理解った。

 彼女がボクの名を口にしたとき、ボクの()()が震えた。それは脳と心臓の丁度中間にある()()だった。しかしそれは中間にありながら、脳との距離がゼロで、また同時に、心臓との距離もゼロだった。脳と心臓が離れている以上、この三つの条件を満足する点なんて、このセカイは存在するはずがない。小学生でも理解ることだ。でも確かにその点は存在していると、ボクの直感が告げていた。そして、理解を越えた場所にあるその()()が、蔓のカーテンの向こうに引かれていたのだ。

 肉体とも精神とも違う何か。

 

 魂だ。

 

 そう呼ぶ他ない。

 出会う前だというのにも関わらず、ボクの魂は蘭子に引かれたんだ。

 

「飛鳥…?」

「……いや、何でもないよ」

「ならば良いが……? ふむ。ではまずは我の出生の秘密から――」

 

 それからはお互いの身の上について教え合った。

 蘭子は熊本出身で、ボクと同学年だということ。ボクと同じ日にスカウトされてアイドルになったということ。蘭子はこれまでのところは基礎レッスンがメインで、仕事と呼べるようなことはまだあまりしていないということ。住まいは女子寮なのだということ――ボクはこのとき初めて女子寮にしなかったことを悔やんだ。

 蘭子の言い回しは所々難解だったけれど、なんとかこれくらいのことは理解できた。

 

 空が黒に染まり、疎らにある屋外灯だけが頼りになる頃、一つ気になっていたことに触れてみる。

 

「そういえば、その本はもしかして……」

「き、禁忌に触れようというのか…っ!?」

 

 蘭子は怯えるように本を胸に抱いた。その警戒ぶりから察するに、彼女にとってとてもデリケートな事らしい。

 

「大丈夫、無理矢理見たりしないよ。その本には蘭子の世界観が記されているんじゃないか、というのがボクの見立てなんだけど」

「う、うむ……」

「ボクも趣味で漫画を描くことがあってね。お互いのセカイを披露し合うのも一興かと思ったんだが……いや、気にしないでくれ。同じ創作者として、他人に見せたくないという気持ちも理解るから」

「ぁ……っ」

 

 本を抱く力を強めて、蘭子は何かを言おうとする。勇気を振り絞ってくれているのかな。だとしたら嬉しいな。

 でも、蘭子が次の言葉を発する前に――

 

「蘭子、何をしているの?」

 

 ――パーゴラの外から誰かに声を掛けられた。その声はまるで、月の砂が零れ落ちる音のようだった。いや、月の砂の音なんて当然聞いたことはないけれど、そんなイメージの沸くくらい、冷たくもよく通る声だった。

 

「おや? 蘭子の知り合――!?」

 

 声の方へ目をやって、言葉を失った。そこに居たのは()そのものだったからだ。

 おそらくは二十台半ばの、とにかく美しい女性が立っていた。まず目に飛び込んできたのは銀色のストレートの長髪だ。屋外灯の光を受けるまでもなく、自ら輝きを放っているような異常なまでの艶があった。次に印象的な白磁のような肌は、景色が映りそうなくらいに滑らかだし。目口鼻の造形は非の打ちどころがなく、歴史上の美女たちから拝借してきたと言われても納得できる。藍色のブラウスと黒色のタイトスカートの着こなしからは、一目でスタイルの完璧さが理解る。

 完璧なルックスだった。あまりに完璧だから、人から生まれたというよりは神に作られた人形だと言われた方がよっぽど納得がいく。

 

「あっ、晩御飯食べに行くんだった! 時間…っ!」

 

 突然現れたこの美人は蘭子の知り合いらしい。

 蘭子よりも十センチほど背が高く、髪色も同じなので、並んでいると年の離れた姉妹に見えなくはない。が、たぶん違うだろう。纏う雰囲気が違い過ぎる。

 ボクらとは別部署のモデルだろうか? アイドルの可能性もあるか。人を寄せ付けない雰囲気を纏っているけど、この美貌だし。

 

「いいのよ、蘭子。貴女がここにいることは分かっていたから」

「あぅ…ごめんなさい。お話に夢中になっちゃった…」

 

 蘭子がボクを見ると、謎の美女もボクを見た。いや、感情の見えない瞳で一瞥しただけで会釈もせずに、すぐに蘭子に視線を戻した。蘭子に注ぐ視線には優しさのようなものが見て取れる。

 

「この人は瞳を持つ者……あ、私のプロデューサーなの」

「へぇ、てっきりモデルの知り合いかと思っていたんだけどね。まさかプロ……プロデューサーだって!?」

 

 驚いた。こんなルックスの人間が裏方稼業だなんて。何かの間違い、もとい経済の損失な気がしてならない。

 

「やっぱり驚くよね。こんなに美人さんなのにね。えへへ」

 

 しげしげと彼女を見るボクを見て、蘭子が自慢げに笑う。

 

「それでね、プロデューサー。飛鳥は――」

「必要ないわ」

 

 ボクのことを紹介しようとした蘭子の言葉を、彼女はぴしゃりと遮った。そして「知っているから」と、抑揚のない声でボクの経歴を語り始めた。

 

「二宮飛鳥。静岡県出身の中学二年生。二か月前スカウトされアイドルに。その一か月後の五月公演において、北条加蓮率いるトリオユニットのメンバーの一人として鮮烈なデビューを果たす。これにより注目を集め始め、一ノ瀬志希のユニットのパートナーに抜擢されるなど、異例の速さでスターダムを駆け上がっている」

「はっ? なんで知って……?」

 

 さっきから驚いてばかりだ。たまたま会ったボクのことを、ここまで把握しているなんて…。だが、この激動の二か月が他人にも評価されているというのは悪い気はしない。と、悦に入っていたのに、「しかし――」彼女の語りはまだ終わっていなかった。

 

「――真に評価されるべきは全ての計画を立て、裏で糸を引き、成功を手繰り寄せた担当プロデューサー。彼の傑出した働きに比べれば、二宮飛鳥本人の特性など取るに足らない。ただ彼に言われるままに踊っただけの人形……傀儡でしかない」

「くっ…!」

「ちょ、ちょっとプロデューサーっ!?」

 

 言葉が出なかった。いきなり批判されるとは思っていなかったのもあるが、彼女が言ったことは、悔しいけれど認めざるを得ない事実だったからだ。

 

「つまりは凡俗。蘭子が付き合うに値する人間ではないの」

 

 蘭子のプロデューサーはボクを見る目は、路傍の石を投げやりに眺めるような、そんな無の視線だった。

 

「もーー! プロデューサー、またそれー! そういうのホント良くない!」

 

 ボクへの酷評に蘭子は頬を膨らませて抗議してくれた。

 

「蘭子…私は貴女のことを思って……」

「私の友達は私が決めるの! そういうこと言うプロデューサー、キライ!」

「なっ……!?」

 

 蘭子の拒絶の言葉に、彼女のプロデューサーは世界の終わりのような表情を浮かべた。氷のような雰囲気は何処へいってしまったのだろう?

 

「飛鳥、ごめんなさい。私のプロデューサー、たまにこうなるの……」

「あ、あぁ……ボクは気にしていな」

「ちょっと、私の許可なく蘭子と喋らないで」

「こらーー! プロデューサー! こらーー!」

「あぁ、そんな、蘭子……!」

 

 いわゆる過保護というヤツなのだろうか?

 

「本当にごめんなさい。プロデューサーにはちゃんと言っておくから」

 

 蘭子の後ろからの威圧的な視線は気にしないようにして相槌を打つ。

 それから蘭子と連絡先を交換して、テラスを去ることにした。

 蘭子とそのプロデューサーは予定通り食事へ。ボクは自宅マンションへ。

 蘭子に一緒に食事はどうかと誘われたけれど断った。決して蘭子の背後からの無言の圧力に屈したわけではない。少し一人で考え事をしたかったからだ。

 別れ際に蘭子が思い出したように振り向き、ボクに掌を向けながら言った。

 

「か、必ず…! 我らのグリモワールが相克する刻は、必ず訪れる! 待望せよ!」

 

 一見すると見事なポージングだった。でも魔導書を抱える左手がほんの少し震えていて。そのことがボクはとても嬉しかった。

 

「あぁ、楽しみにしているよ。本当に。じゃあね、蘭子」

「闇に飲まれよ!」

「ん? やみに…?」

「あっ……お疲れ様……ばいばい」

「ふふっ。そういうことか。闇に飲まれよ」

「ぁ…!! や、闇に飲まれよー! ハーッハッハッハッ」

 

 蘭子のその哄笑には聞き覚えがあった。どこで聞いたのかに思い至ったとき、彼女とはこれまでも結構ニアミスしていたのだと気が付いた。

 

 

 

 帰路の間、そして帰宅してからも、蘭子のプロデューサーの言葉のことを考えていた。

 

“ただ彼に言われるままに動いただけの人形……傀儡でしかない”

 

 理解っている。そんなことボクが一番よく理解っているさ。だから必死にもがいているんだ。でもただの中学二年生でしかないボクに一体何が……。

 思考はすぐに袋小路に突き当たる。何度目だろうか。無益だ。

 ラジオ番組を変えて気分を切り替えよう。そう思ったとき、携帯がメッセージを受信した。

 

『凱旋のとき!』

 

 蘭子だった。これは帰宅したということだろう。

 ときに普通に、ときに幻想語入り混じって。そんな蘭子とのメッセージのやり取りは良い気晴らしになってくれた。

 しばらく続けると、ボクはどうしても彼女のプロデューサーについて皮肉を言いたくなってしまった。それに対し蘭子は改めて謝ったあと、不思議なメッセージを送ってきた。

 

『我が導き手は天界より堕天せし絶対者なれば、現世の理には囚われぬ。』

 

 天界? 堕天? 絶対者? 帰国子女の才媛ということだろうか? 人間離れした美貌だし異国の血が入っていることも十分に考えられる。まぁ別にどうでもいいけど。あの人の出自になんて興味はないから。

 




蘭子の登場でようやく物語が回り始めました。

あらすじを書き直しておきました。

これからもよろしくお願いします。

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