≪Review by 蜈?ココ蠖「≫
私が元いた空間について、蘭子に伝えようとするときにはとても苦労した。
ど う言えば伝わるだろうかとアレコレと考えて、結局は自分でも釈然としない説明しかできていない。
3+1次元しか認識できない者に、上の次元のことを正確に伝えることは原理的に不可能なのだ。
私がいたのはとても広大な空間で、そこにはとても長いワイヤーが数えきれないくらい沢山並んでいた。
一本のワイヤーに近づいて見てみると、実はそれはワイヤーではなく、とても薄い膜が無限に積み重なって形成されているものである。一円玉が千枚積み重なると百五十センチのアルミ棒になるのに似ているかもしれない。その膜の一枚に目を凝らせば、それは膜ではなく宇宙だった。無数の銀河、無数の星、無数の生命を内包する宇宙が、薄膜の中に納まっている。
膜の中で動いているものは何もない。膜はある瞬間の宇宙を切り取っているに過ぎないからだ。その一枚隣りの膜を見てみると、刹那分だけ時間が進んでいる。逆側の膜では刹那分だけ時間が戻っている。つまりワイヤーはひとつの宇宙の過去から未来への流れ、つまりセカイ線なのだ。
近くにある別のワイヤーを見てみると、それは似ているがまた別のセカイ線。そのセカイ線を過去側へ遡っていくと、ある時刻で別のセカイ線から分岐しているところが見つけられる。つまり、その分岐点で“何か”が起こった。そして、何も起きないままの宇宙と、何かが起こった宇宙とに枝分かれしたのだ。
どのセカイ線も過去へ遡っていくと、いくつかの分岐点を経て一点に収束してった。その一点、つまり始端が所謂ビッグバンと呼ばれているものだろう。
ビッグバンから僅かの間に膨大な数の分岐が生じていた。超高エネルギーによる単なる分岐か、それとも“干渉”による分岐か、それはわからない。どちらにしても、始点に近い位置での分岐は初期条件の違いのため、それぞれ全く別の宇宙に成長していく。
蘭子は、私が元いた空間のことを“天界”、そして天界からセカイ線の内側に受肉することを“堕天”と呼称した。
天界を漂っていたのは、もちろん私だけというわけではない。数えきれないほどの同類と邂逅した。
今の私が天界から堕天した者とするならば、天界を漂っていた数多の同類は“天使”と呼称するのがよいだろうか。
私が出会った天使の数は数えきれない。無量大数は軽く超えるだろう。それでもセカイ線の数に比べれば取るに足らない数だが。
いずれの天使も個性があった。礼儀正しい者、無礼な者、賑やかな者、おとなしい者、親切な者、他者に全く無関心な者、エトセトラ。そもそも形も大きさも千差万別。多様性があるという点では、人間と然したる違いはないといえる。また、発生から間もない者は空間移動を始め何もかもが下手なのは人間の赤ん坊と同じであるし、発生から悠久を経た者が快活さや好奇心を失い存在感を薄れさせていく傾向があるのも人間の老人と同じだ。
天使は人間と違い、時間とは別の次元を経て成熟していく。その次元がどのようなものなのかは、天使にとってあまりに自明で当然のことだった。しかし今となっては欠片も理解できなくなっている。ただそうであったという文字情報が残っているだけだ。