≪Observation by Asuka≫
Dimension-3の初ライブを二日後に控えたレッスンの後、Pの個室を訪ねた。いつものようにレッスンの進捗状況を伝えるためだ。
つい先日Pのプロデューサーランクが大幅に上がったことで、彼の個室は三階上に移動し、広さは2倍ほどになっていた。とはいえ相変わらず物は少なく、資料棚はほぼ空のまま。増えたものと言えば、コーヒー豆のラインナップくらい。
気持ち高級感の増したソファに座り、トレーナーの聖さんから今日初めて及第点を付けてもらったことを伝えた。
「そうかそうかそれは良かった。おつかれちゃーん!」
「あぁ、どうも……」
そこまで済めばアイドル二宮飛鳥としての一日は終わりだ。
気分を切り替えるように背もたれに体重を預けると、ギュム、と低い音が鳴った。それから一呼吸おいて、やはり耐えられなくなってボクは喚いてしまった。
「何なんだあの女は?!」
ボクは思わず頭を抱えた。
ははは、理解できないことがあると本当に人間は頭を抱えるのだな。
そんなボクの窮状にも関わらず、Pは「クハッ」と楽しそうに吹き出した。
「来たらしいなぁ、一ノ瀬ちゃん」
そう。来た。本番二日前にして、一ノ瀬志希は初めてレッスンに来た。
レッスンの終了時刻が迫り、そろそろクールダウンを始めようかというときに、一ノ瀬志希はやってきた。というよりかは連行されてきた。彼女のプロデューサーの脇に抱えられながら。
その後、志希はあからさまに不承不承といった感じで準備運動をはじめたのだが、聖さんのデモンストレーションを一度見ただけで、ほとんど完璧に歌もダンスもこなせるようになっていた。少なくともボクにはそう見えた。
『本番では合わせてあげるから心配しなくていーよ。えーっと…… に、にの……なんだっけ? まぁ、いいや♪』
志希がレッスンルームを出る前に、ボクに言ったことが耳にこびり付いている。
ボクのここ十日あまりの努力を、一ノ瀬志希は10分で越えてしまったわけだ。
何日か前に志希に一泡吹かせてやろうなんて考えていたことが、これ以上ないくらいの黒歴史に感じていた。悔しさと恥ずかしさで身悶えしてしまう。
「なんであんなことができるんだ!? アレは本当に人間か!?」
「一ノ瀬ちゃんはなぁ~、ギフテッドだしなぁ~」
Pの声音はボクをバカにするでもなく憐れむでもない、ただの事実を述べているだけといった風だ。
何かを考えるように視線を上に逸らしながら腕組みして、手の中ではサイコロを弄っている。それはこれまでも何度か見たことのある仕草。考え事をするときのPの癖なのかもしれない。いや、サイコロと呼んで良いのかは微妙か。指先で摘まめる大きさの立方体であることは確かだけど、どの面にも目は振られていないのだ。その代わりに面毎に色が違っているから、一応はサイコロとして使うこともできそうではある。
「ふむ……」
Pはその変なサイコロを胸のポケットに仕舞ってから立ち上がった。
「飛鳥もコーヒー飲むか?」
「え……? あぁ、頼もうか」
そして壁際の戸棚へ向かい、コーヒー用具を取り出していく。
ゴポゴポゴポ
しばらくすると、静かな部屋に電気ケトルの中の水の沸騰する音がし始めた。
出来た熱湯をPは銀色のポットに移し替え、流れるような手つきでドリッパーに注いでいく。濃厚なコーヒーの香り部屋に広がり、肺にまで達すると、昂っていた気分がリラックスしていくのを感じた。
「砂糖とコーヒーフレッシュはいるか?」
こちらに背を向けたままPが聞いてくる。彼がコーヒーを入れてくれるときにはお決まりの質問だ。たぶんもう十回以上あったと思うが、Pは相変わらず聞いてくる。
「砂糖だけもらおう」
ボクはお決まりの答えを返した。
Pが戻ってきて、お互いのマグカップとスティックシュガーをローテーブルに置く。
「さぁ召し上がれい!」
「ありがとう、頂くよ」
コーヒーのポテンシャルを引き出し尽くしたような豊かな香りが鼻腔をくすぐる。砂糖でまろやかになったコーヒーの苦味が、疲れた身体に沁み込んでいくようだ。やはりPはコーヒーを淹れるのが巧い。
「飛鳥と一ノ瀬ちゃんとでは、そもそもキャリアが違うしなぁ」
ブラックのまま一口飲んだPがそう切り出した。
「彼女は彼女で、アイドルになりたての頃は大変だったらしい。主に体力不足で」
「あぁ……ふぅん」
たしか飛び級でアメリカに行って研究していたのだったか。ステレオタイプかもしれないが、研究者と体力不足は親和性のあるイメージだ。
「まぁ、体力がついてきてからは、社内でも話題になるくらいの上達速度だったんだけどな」
「………だろうね」
「でもやっぱり、今日飛鳥が見たみたいに、10分で一曲をマスターするなんて芸当はできなかった。今それができるのはこれまで色んな曲を歌って、色んなダンスを覚えてきた蓄積があるからだ」
「ふむ……?」
「色んなステップや振り付けを身につければ身につけるほど、コツは掴みやすくなる。それに、今回の曲はダンスの動きは大きいが、実は難易度は低めの振り付けで構成されている」
「うん……そうらしいね」
それはたぶん経験の浅いボクへの配慮なのだろう。今はそのお情けを甘んじて受けるしかない。
「そういう事情もあって、この曲でなら一ノ瀬ちゃんと近いことができるアイドルも何人かいるさ。あとはもう曲の流れや歌詞を覚えるだけ。たしかに一回聞いて覚えられるのはナカナカのもんだと思うが、飛鳥だって仮歌渡した一時間後にはほとんど覚えてただろ? ま、誤差だな」
「そう、だろうか……」
「飛鳥にはまだ基礎力が欠けてるからなぁ。経験豊富な天才を見たら、魔法か何かを使ったように見えるのも当然だ。まっ、基礎よりも実戦を優先して最前線にぶち込んでるのは俺なんだけどなっ! いやー、わりーわりー!」
Pが大げさに頭を掻いておどけて見せる。茶番だ……。だけど、地底に引きこもりたくなるくらいの劣等感と耐え難い焦燥感は霧散していた。
「………ふっ。まったくだよ」
この男は相変わらずボクをノせるのが巧い。他人にモチベーションを左右されるなんてすごく癪なことだが、それが理解っていても何故か嫌な気分にはならない。彼の独特な雰囲気のせいだろうか。
「自分より秀でているところのある人間を前にしたとき、対抗心を燃やすのは悪いことじゃない」
「………」
「だけど、二宮飛鳥は歌手でもダンサーでも女優でもなく、アイドルだからな。曲を早くマスターするなんてことは、そもそも全然重要じゃない」
「で、でも……っ」
「もちろん、覚えが早いに越したことはない。その方が仕事の幅は広がるからな。それに当然、下手なパフォーマンスでも構わないというわけでもない。だが、やはりぃぃ……」
そこまで言ったPは意味ありげな微笑を浮かべた後、マグカップをあおりコーヒーを飲み干した。それから少し前かがみになって両膝に両肘をつき、口元を隠しながらボクを見つめ直す。そして、低く落ち着いた声で言葉を続けた。
「………そういう次元のことじゃないんだよ、アイドルに求められているのはな……っ!」
「……!」
くそう。結構カッコいいじゃないか。
「少なくとも一ノ瀬ちゃんは、その辺りのことをちゃんとわかっているだろう」
「っ……」
「なぁ。飛鳥はアイドルになって、何がやりたい?」
「それは……」
それはアイドルになって間もない頃に聞かれたことだった。でもそのときには曖昧にしか答えられなかった。
「いや、待て。アイドルに求められることと、ボクのやりたいことは分けて考えるべきじゃないか? アイドルとは偶像……他者に求められる姿を提示してやる存在だろう? だからこそ、この二か月だってキミの言う通り振る舞ってきたんじゃないか」
まぁ、Pの言う通りにしてきた理由の大半は、何を言ってどう振る舞えばいいか理解らなかったからではあるけれど。幸いなことに“ミステリアスな中学生アイドル”という世間のイメージには今のところ不満はない。そしてこういうイメージを作り上げていくことこそが“アイドル”を“プロデュース”することだと理解し始めていた。
「これまではチャンスをものにするために、どうしても俺の言う通りに動いてもらわなくちゃならなかった。ンだが、その時期はもう終わりらしいな。この話題について触れざるを得なくなっている、ということ自体がその証拠だ」
「……理解らない。キミが何を言おうとしているのか」
「さあ、始めようじゃないか」
「いや、だから何を……?」
「そんなの決まってるだろ――」
Pがまた体勢を変える。前のめりだったのが背筋を伸ばし、セカイを抱擁しようとするように胸の前で腕を開いて……
「――ASUKA The Idol ……その Second Stage をさっ!!」
「っ!」
出た…! 約ひと月ぶりだ。
く、くそう。この男は……!
「他者に求められる姿を演じてやる……それも良いだろう。ああ、良いだろうともさ! それは確かにプロだし、卒なくやれば一流と言ってもいい。しかし。だが、しかし! “超”一流ゥ、では……ぬぁい!」
「ちょ、超一流の、アイドル……だと……!?」
「超一流のアイドルとはっ! ソイツにしかない輝きでぇ! 世界を! あ、この世界をぉ! 遍くぅ! 照らすぅ! 存在であるぅゥゥ!!」
「っ!!」
「予想の通り期待に応えてくれるのが一流ならば! 予想を裏切り! 期待を超えるのが! 超!一!流!! 初めて会ったときから分かっているんだぜぇ~~? お前はファンの期待に応えるだけで良しとするような、そんな生ヌルイ奴なんかじゃないってな!!」
「くっ………くぅ~~っ!」
理解っている。これは発破をかけられているんだ。それに気付いていながら、Pの思惑通りに焚き付けられてしまうことに反発を感じないわけではない。でも事実、胸に何か熱いものが灯り始めていた。そしてそれが、どうしようもないくらいに燃え上がっていく。
「………フッ……ククク……ハハッ! 当然じゃないか……。上があるなら…一流の、上が、あるなら…目指すに決まっているよ。伊達に飛ぶ鳥の名を持っていないんでね!」
「はい、頂きましたぁーー!!」
「ぷっ……フフ……」
「じゃあじゃあぁ~、二宮さんちの飛鳥ちゃんはぁ~、どんな超一流のアイドル目指すぅ~? どんな光を放ちゃう~?」
「……流石にちょっとウザいな」
「えっ、ひどくない?」
「フフッ!」
コーヒーを一口含み、優しいほろ苦さと一緒に雑念を飲み下す。
脚を組み替えて、天井を仰ぎ、目を閉じる。
頭の中は驚くほどフラットだ。
そこに自然と浮かび上がってきたフレーズを掬い上げる。
「ボクは此処にいる」
清々しくて、溌溂として、瑞々しい。とても懐かしい、そんな感情が胸に去来していた。
ガラクタの寄せ集めを宝物のように抱えて、そこら中を駆け回って……。今思えば荒唐無稽な時期だった。あの頃は日常と非日常の狭間がボクの遊び場で、自分を壮大な物語に登場する主人公だと信じていた。でもそれはもう遠い過去のことで――いや、違う。昔あった万能感は忘れてしまって久しいけれど、たぶんボクの本質はあの頃から何も変わっていない。
Pがボクをスカウトしたときの誘い文句である“非日常”というワードに無性に惹かれたのは、そういうことなのだろう。
セカイへのアプローチの仕方が変わっていただけなのだ。それが中二病という形態をとっているのは、我ながら業が深いというか……捻くれていると思わなくはないけどね。
ボクの声は届いているのか?
あの頃から連綿と続いている、セカイへの訴え。ボクの特別は何だと問われれば、これを無視することは不可能だ。
そして、それをアイドルとして追求していくことは、悪くないと感じた。
目を開いてPを見ると、彼は不敵な笑みを浮かべていた。それは悪の首領のような邪悪さがあって、実に頼もしい。
「どうやら、
「お陰様でね。それでボクが目指すアイドルだけど――」
「いや、待て。今はいい」
「えっ?」
イメージの共有をしようとしたボクを、何故か彼は制止した。
「それは二日後のステージで見せてほしい。飛鳥が選択する、混じりっ気のないアイドル像そのものを見たいんだ。もちろん、俺のヘルプが必要なことなら言ってくれていいけどな」
「それは、まぁ、必要ないといえばないけど……。いいのかい? どうなっても知らないよ?」
「アイドルのやらかしに商業的価値を付加することが、プロデューサーの仕事なんだぜ?」
「……失敗するかも」
「アイドルに失敗はない。仮に失敗と呼ぶべきモノがあるとしたら、それは諦めたときだけだ」
Pは本気だ。彼の笑っていない瞳がそれを物語っている。
「……いいだろう。やってやる。ボクを焚き付けたこと、後悔しないでくれよ?」
「くはっ! 俺を後悔させるほどのことをやれたら大したもんだ! くくっ! そうだ。別にそれを狙ってくれてもいいぜ? 俺ならそれすらもプラスに変えてやるけどな!」
「減らず口を! ……フン。 まぁ、今回のところは精々真面目に取り組むさ。ボクにとって大切なことだからね」
「ソイツぁ残念だ!」
Pはケラケラと笑いながら彼とボクのマグカップをシンクに運び、手早く洗った。それから「よし、晩メシ食いに行こう」と、PCをシャットダウンした。
「えっ、連れて行ってくれるのかい? って、ずいぶん急だな…」
「もしかして神崎ちゃんと予定あった?」
Pはあっけらかんと言う。蘭子を知っているらしい。いや、それよりも。
「何故ボクと蘭子が知り合いであることを知っているんだ?」
「あぁ最近、神崎P……神崎ちゃんのプロデューサーとよく飲みに行ってるんだよ」
初耳だが?
聞いてみると、三月末に中途採用で入社してきた神崎Pに社屋の案内をしてあげたのがPで、それが縁でよく情報交換をしているらしい。
そういえば蘭子が、あの人は24歳だと言っていたっけ。Pは25歳と聞いているから、歳が近い分、話も合うのだろう。いや、別にボクには関係ないことだけれども。
そうか。初めて会ったとき、彼女がボクのデビューライブの真相を知っている風だったのは、Pから顛末を聞いていたからなのかもしれない。
「アイツ、神崎ちゃんが飛鳥のことばかり話してくるって悲しんでたぞ」
「……へぇ。キミは蘭子のプロデューサーと随分と親しいみたいだねぇ?」
蘭子と会っていると、いつもどこからともなく現れて邪魔をしてくるあの性悪女を、ボクはもう敵と認識している。その敵をPが気安く
「そうかな? まぁ、飲みに誘えば大体来てくれるし、親しいっちゃ親しいか」
「へぇ~……。へぇ~~~………!」
なんというか、こう……色々、聞くべき、だと、思う。
「幸い、この後の予定はないからね。いいよ、行こうか、晩御飯。ボクからも是非お願いしたいね」
「よっしゃ。じゃあ、どこ行くかなー。何か食べたいものあるか?」
「こういう答えが望まれないのを百も承知で、敢えて言うけれど。食べるものは何でもいいよ。希望があるとすれば、騒がしくないところ、かな。ゆっくりと話ができるところが良い」
「ん~~、オッケー」
Pに連れて行かれたのは、ボクの希望通り落ち着いた雰囲気の店だった。ダイニングカフェというものらしい。薄暗くて隠れ家のような内装と、趣向の凝らされた料理は悪くなかった。
食事をしながら、蘭子のプロデューサーのことを聞き出してやるつもりだった。しかし何を勘違いしたのか、Pがやたらと面倒くさい絡み方をしてきたので、彼女に関する話は早々に打ち切らざるを得なかった。
別にあの女とPの関係を聞きたかったわけじゃないんだ。蘭子とボクの間に入ってこようとする、あの女に対抗するための情報を仕入れたかっただけだというのに。
まったくもって面倒くさい!