大規模な改稿を行いました。(9/16)
1 再誕
――ひどく頭痛がする。
そう思いながら目を開くと、そこに広がっているのは一面の闇。何事かと思いつつ、辺りを見渡そうとして、そこで初めて己が仰向けに横たわっていることに気がついた。
立ち上がり、自分が横たわっていた場所に目を向ける、ここは大理石で造られたバルコニーのようだ。
全く身に覚えが無い場所に放り込まれ、思わず独白が零れた。
「ここは……?」
「……魔界だ……」
ふと零した独白に、まさか返事を返すものがいようとは。そう思いながら振り返ると、そこにいたのは得体の知れない3人だった。
影が衣を纏ったような正体不明の者、死神を思わせる鎌を持った、道化師の装束を身に纏う男。
そして、その二人を左右に従えた、ただならぬ覇気を漂わせる魔族の老人。
それを見てまず感じたものは警戒。本能というべきものが、警鐘を鳴らしているのがわかる。それが意味する所は、この三人ともが、己の命を脅かすほどの強さを持っているということ。
「正確にはバーン様が魔界に持つ宮廷の3つ目、その展望室だね」
と、先ほどとは違う声色が死神の男から発せられた。
何のことだか、一体全体わからない。
「どういうことだ」
この場がなんなのか、ということだけではない。自身がこれまで何をしていたか、何処にいたのかさえも分からない。とどのつまり、分からないということしか分からない、ということだ。
「フ……気になるか?己がなぜ蘇ったのか……」
中央に控える老爺の言葉によれば、己は一度死んだらしい。
だが、それを聞いてもオレは、そうなのか、程度の感想しか浮かび上がってこなかった。他人事の感覚、というのが一番近いだろうか。
しかしなるほど、言葉の端々から、言霊の一つ一つから滲み出る力強さに、この場にいる誰よりも格の違う存在であることを感じさせられる。この老爺こそが3人の中でも頂点に位置するのだろう。
「お前は誰だ」
無作法にも問うてみれば、老人はそれに眉一つ潜めることもなく、実に堂々とした所作で己の名を告げて見せた。
この寛大さも、頂点に立つ者の器の一つなのだろうかと、ふとした考えが頭をよぎる。
「余はバーン……大魔王バーンなり」
その考えの通りに、老人――バーンは余こそが大魔王であると名乗る。大魔王が何なのかは知らないが、魔王の上――言ってみれば、全ての魔の頂点である存在と言った所だろうか。
そう思ってみてみれば確かに、この男よりも大魔王という肩書きが似合う者はいないように思える。
王としての器、その佇まいから立ち昇る魔力。どれひとつとしてこの男に比肩できる者はいない。
目覚めてから眼前の三人しか知らない自分がそう思うのも変な話だが、実際そうとしか思えないのだから仕方ない。
「細かい事は省くが……死んでいたそなたを余が蘇らせてやったのだ。そなたの力に敬意を表してな」
力――そうだ。確かに自分の頭の中には、使える呪文、修めた剣技、戦の方法、その全てがそのままそっくり保存されていた。
だがそれに反して、それらを覚えた経緯、記憶といったものが一切無い。そのことを自覚した瞬間、じくじくと頭を蝕んでいた痛みが勢いを増す。
何故――?都合の悪い記憶を消し、力だけを残した自分を戦う駒として使いたい?それをしたのは誰だ?今考えられるとしたら――やはり目の前の大魔王だろうか。
それら全ての考えを、一切合財破棄する。何もかもがどうでもよかった。
「そうか」
長々と考えを巡らせて搾り出したのは、この淡白な一言のみ。これが今の自分の率直な気持ちだった。
「貴様……!バーン様を前に、あまりにも無礼な……!」
影が動いた。鋼のごとき両指を剣のように伸ばし、こちらの鼻先へと突きつける。強く輝く対の眼光から向けられた、刺し貫くような殺気がひしひしと感じられた。
それでも尚、微塵も動かないこちらに対し、向けられる――いや、もはや叩きつけられると称しても不足ではないほどに殺気が増した。
だがそこにバーンが待ったをかけるかのように手を横に伸ばし、影の動きを制止する。
「よせ、ミストバーン。余はかの魔王を斃したこやつの力に敬意を表しているのだ……その力に免じて多少の無礼は許容してやろうではないか」
「は……!出すぎた真似でした……お許しを……!!」
「かまわん。それで……何故そなたを蘇らせたのかというと――そなたを余の配下に加えるためだ」
そんなことだろうとは思っていた。そんな乾ききった感想を余所に、バーンはバルコニーの端まで歩みを進め、口を開く。
「見てみろ、この景色を……ひたすらに不毛の大地が広がり、マグマの河が流れ、天には闇が広がるばかり……なぜこのような惨状が広がっていると思う……?そう、あらゆる生命の源である太陽が魔界には存在しないからだ」
そして、一拍おいてから、バーンは己の大望を告げた。
「太陽は素晴らしい……地上の全てを幾星霜と照らし、未だその輝きは陰りを知らぬ……!余がいかような力を用いても太陽だけは作り出すことはできん。だが……神々は魔族と竜から太陽を奪い、魔界に追いやった……!!」
そのまま、己の拳を握り締める仕草をし、続ける。
「故に余が魔界に太陽をもたらす……!!地上を脆弱な人間もろとも跡形なく消し去ることでな……!そのために力はいくらあっても困らん……特に余の後ろに控える二人や、そなたのような三界でも有数の強者となればな……」
いくら熱意をもって語り掛けられようとも、響かないものは響かない。ここまで一切表情を動かさなかった自分を見たバーンが、少し考えるそぶりをしたあと、こう言った。
「ふむ……そなたは憤りを感じんのか……?そなたを戦うだけ戦わせ、用が済めばいらぬとばかりにそなたを捨てた人間共や天界の者どもに……」
「……覚えていない。オレが今まで何をしてきたのかさえも……やったのはお前じゃないのか?」
「フフ……さてな。だが、そんなことは重要ではない。重要なのは――」
――余の下に付くか否かだ。
その言葉が放たれたと同時に空気が変わったのを感じる。
三人が放っていた強者のプレッシャーと言うべきものが、一斉に自分に向けられており、それはもはや物理的な圧力を伴っているのではないかというほど。
だが事ここに至って、オレはそれらを含む全てを、他人事のようにしか受け止められなかった。
故に、その回答は。
「悪いが――」
「――断る、と言った瞬間。どうなるかはわかっておろう?」
死――大魔王の手の内に胎動する赤き不死鳥を見て、否応無くそれを想起させられる。
だがそれでもなお、回答は変わらない。
「ことわ……ッ!」
頭痛が最高潮へと達する。脳髄を直接突き刺したような凄まじい痛みに、思わず言葉が途切れた。
それと同時に、脳裏から一つの言葉が浮上してくる。
――あなたは、生きて。
この言葉を思い出したと同時に、頭痛が消えてゆく。
目覚めてからの出来事全てに何も感じることも出来なかったというのに、この言葉だけは守らねばならないという衝動が、自らの奥底から湧き上がる。
そして――
「わかり……ました。今このときより、オレはあなたの忠実なる配下となります」
「ふむ……気が変わってくれたようで何よりだ。では……ミストバーンよ」
「……は」
「この杯を飲み干すがいい。その時に、そなたは真に余の臣下となる」
影の男が、懐の闇から、一杯の杯を取り出し手渡してきた。
底の見えない暗黒が渦巻く杯を、一息に飲み干した。
「ぐっ……がああ……!!」
体内を暗黒が駆け巡る。先程の頭痛とは趣が違う、全身が張り裂けそうな苦痛。
暗黒闘気は負の感情を原動力とするという。今頃空っぽの心の中からその感情を探そうと、必死に駆けずり回っているのだろうか。
やがて五感も暗黒に飲まれていく。何にも触れず、聞こえず、見えず、感じず。痛みだけが迸る中、意識すらも闇に落ちようとしたその時。
――光……?
視界一杯に光が輝く。
その光が晴れたとき、オレは現実へと帰還していた。
手を開いたり握ったりして、失われた五感が戻ったことを確かめる。
改めて己の内を見直してみれば、確かに暗黒闘気が宿っているという感触はある。
だが、その量はあまりにも少なく、到底あの杯に込められた量とは釣り合わぬほどだ。凡庸と言ってもいい。
当然といえば当然だろう。自らの心情に変化はないし、何かに負の感情を抱いているわけでもない。
「ふむ……なるほどな」
だが、なにやらバーンは合点がいった様子だった。気にする様子もなく、こちらに話しかけてくる。
「フフ……これでそなたは余の配下となったわけだ……歓迎するぞ」
「ウフフッ……ボクにも後輩ができたってわけだね」
「よろしくね~!!」
死神の肩の上にひょっこりと現れた使い魔――ピロロが言う。どうやらこの場にいたのは3人でなく4人だったらしい。
「そなたにやってもらう仕事は後日伝える……今日の所は下がってよいぞ。キルバーン、適当な部屋をあてがってやれ」
「了解しました……行くよ、新入りクン」
「わかった」
そういって死神に追従し、部屋を後にしようとしたそのとき、バーンが失念していたと言わんばかりに問いかけてきた。
「そういえば名を聞いていなかったな……己の名は覚えているのか?」
記憶を消した何者かも、名前くらいは遠慮してくれたのか、消えないほどに己の名が記憶に染み付いていたのか。
確かなことは、己の名であれば、確信を持って唱えられるということだ。
「アトリア……オレの名はアトリアです、大魔王バーン様」
「フフ……そうか、では今度こそ下がってよいぞ、アトリアよ」
「御意」
今度こそ終わりらしい。一礼する死神を横目に、自らも同じ所作をして、部屋を出て行った。
二人が退出して、しばらくした後。
大魔王とその影の主従は未だ部屋に留まっていた。どうやらミストバーンは男――アトリアの処遇に思うところがあるようだった。
「よろしいのですか?バーン様……」
「アトリアのことか……それがどうしたというのだ?申してみよ」
ミストバーンは己の抱いている懸念を口にする。
「恐れながらバーン様……奴には心がありません……いくら強くても感情も意志もないただの抜け殻にすぎない……そのような者はいざというときに信を置けないのではないかと」
「ふむ……ミストバーンよ、その懸念は正しい」
「では……」
「ただしそれは、やつに本当に心がないならば……の話だ」
バーンはワインの入ったグラスを口元に傾けながら愉快気に語る。
「奴が暗黒闘気のグラスを飲み干した時……奴から発せられる暗黒闘気を見ただろう」
「は……バーン様が直々に闘気を込めたにも関わらず、微弱にもほどがある闘気量……憎しみを原動力とする暗黒闘気の少なさこそが奴に心がないことの証左かと思いましたが……」
「フフフ……あれは微弱なのではない……溜め込んだ物が滲み出ているにすぎん」
そういってバーンは飲み干して空になったグラスを宙に放り出して、指を鳴らす。大魔王の魔力を受けたグラスは瞬く間に塵と化した。そうした後、バーンは説明を再開する。
「余の暗黒闘気を受け入れて生き残る方法は二つ……適応するか、別種の闘気で打ち勝つこと……もっとも後者のほうはありえぬが、適応できずとも生き残れるほど余の暗黒闘気は生半可なものではない……!!」
「つまり……奴の底には確かに憎悪が宿っている……ということですか……」
「その通り……そして余は心の底で燻っている憎しみに餌を与えた……奴が心を閉ざしているのは失われた記憶の何かが起因しているのだろうが……憎悪の炎が心を閉ざしている氷を溶かすほどに大きくなった時……面白いことになると思わんか……?」
大魔王が嗤う。ただの王ではなく大魔王。魔を統べる者に相応しい邪悪な笑みを、バーンは湛えていた。
「クックック……そういえばミストバーンよ、今日はやけに饒舌だな……?」
「それは……」
「皆まで言わずともよい、奴を好かんのだろう? それゆえに余に進言までしたわけだ」
「は……ご明察の通りです……お許しを……」
「よい。奴には精神の強さが伴っていない……そなたが嫌う手合いのひとつであろう……ましてやそれに真の姿を晒したとあってはな……」
静謐な雰囲気を漂わせる豪著な宮廷の一室。だが、それに見合わぬ亀裂や傷が部屋中に点在し、床が抉れ、中央には強大な何かが激突したと思われる衝突痕。ここで戦闘が行われた、ということは一目瞭然といえる状態であった。――それも凄まじい強者同士のものが。
「それに関しては申し開きのしようもなく……なんなりと処罰をお下しください」
「余が許すと言ったのだ、何も気にすることは無い。それに……愉快ではないか?神々の手駒、三界の調停者……元とは言え竜の騎士が我が配下に加わるとはな……!!」
バーンは展望室の端まで歩み寄り、魔界の空を見上げる。彼の瞳に映っているものは果てしなく広がる闇か、もしくは――闇を切り裂く魔界の夜明けか。それは大魔王のみぞ知る事だった。
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荘厳な空気が支配する白亜の廊下を、死神と並んで歩く。おしゃべりの絶えない道化師が、ずっとこちらに話しかけ続けていた。
適当に聞き流しつつ、ひとり思案する。
「ボクの仕事は暗殺でね……大魔王サマに仇なす者を始末するのがボクの役目なのさ」
「ああ」
何故大魔王の誘いを断れなかったのだろうか。彼の野望に共感したわけでもないし、ましてや命が惜しかったわけでもない。今でも自身を含む全てをどうでもいいとすら思っている。
「といってもこのなりを見ればすぐにわかっちゃうかな?」
「ああ」
そんな、色を無くした世界とでも表現できるその中で、あの言葉だけが色を――感情を伴っていた。
全ての物事に意欲を持てない中で、あの言葉だけは守らなければならないと思わせられた。
「……話聞いてる?」
「ああ」
「つれないねぇ……君もミストと同じクチかぁ……」
見る人によれば呪縛にも見えるかもしれないそれは、やはり失われた記憶からのものだろうか。
だが、記憶を取り戻すたび、この無味乾燥な世界に色が戻っていくというのなら――
「ああ――悪くない」
「……いきなり何言ってるのさ?」
「……すまん、聞いてなかった」
「…………」
しかしまだ、自分の立場は不安定だ。例えるなら今、胸元に揺れているペンダントのように。
今の立場を選んだ以上、己は魔界において、戦いの中に晒され続けることになるだろう。
ならばまずは、戦い抜こう。大魔王の信頼を得るために。
そしてあるいは――生きるために。