こちらの更新をお楽しみしてくださった方々には申し訳ありませんが、そちらの方も色々と手を加えましたのでまたお楽しみいただければ幸いです。
以下に、更新のために改訂版の第二話を投下しておきます。
与えられた私室で過ごし一週間が経ったころ、ようやくお呼びがかかったらしい。
「アトリア様、バーン様がお呼びです」
「すぐに行く」
魔族の給仕の言葉にそう返し、速やかに仕度をして部屋を出る。
長い廊下を通り抜け、玉座の間へと続く扉を開くと、
「来たか」
「…………」
「ただいま参りました、バーン様」
そこにいたのは二人。大魔王とその影の主従だ。とりあえず、跪き一礼しようとしたところ、大魔王の言葉に遮られた。
バーンはチェス盤が置かれたテーブルの対面に座り、こちらに手招きをしている。
「そう畏まらなくともよい……元より心からの忠誠など期待しておらぬ。――今のおまえにはな。
それより、こっちへ来て座れ……一局どうだ?」
「お恥ずかしながら……チェスのルールが分かりません。何分記憶がないもので」
「構わぬ。……ミストバーン、出してやれ」
「……は」
そういって影――ミストバーンは、懐の暗闇から、一枚の羊皮紙をテーブルに置く。その紙には、チェスのルールが詳細に書いてあった。
それにしても、あの闇の衣には何でも入っているのだろうか。それとも、主の無茶振りに応えるため、いろいろと無理して持ち歩いているのだろうか。
「分かりました……未熟ながら、お相手
まあそれはそれとして、チェスのやり方は大体把握した。
幸い、どう戦えばよいのかだけは、この頭に叩き込まれている。それに則れば、多少は打てるだろう。
「フフ……では、始めるか。先手は頂こう」
大魔王との対局が始まる。その最初の一手は、己の考えるこの戦いでの定石から、到底かけ離れたものだった。
「では……ここに」
中央で前線を務める
「ほう……今しがたルールを知った男の打ち筋とは到底思えんな、んん?」
それは自分でも感じていた。駒を打つ度に湧き出てくる可笑しな感覚。チェスをどう打つべきか、体だけが分かっていると言うべきだろうか。
例によって、その記憶は全く思い出せないが。
――『くっそー!勝てねぇ!アトリア、お前チェス強すぎだろ!』
「……お褒めに預かり光栄です」
「そなたの打ち筋には、無駄が無い……実に効率的だ。そして同時に、機械的でもある」
バーンもそれに呼応して、己の駒を前に進める。最後の総力戦だ。
――『おそらく……普通の人間よりずっと効率的に打っているんじゃろう。その場その場での最適解を機械的に算出しているんじゃろうな』
「さて……そなたを何故呼んだのかと言うと、もちろんチェスを打つためだけではない。……そなたにやってもらう仕事が決まった」
駒を前に進めることで、固められていた陣形に隙ができる。その隙間へと
「そなたには、冥竜王ヴェルザーの元へ客将として赴いてもらうことにした」
だが、攻めて来るのは相手とて同じこと。こちらのポーンを切り伏せて、
「奴には死神を送ってもらった借りがあるからな……交換というわけだ」
ここまでナイトに切り込まれるのはあまりよろしくない。すかさず他の駒で仕留めるが、バーンも同じことを考えていたようだ。
これで、ビショップとナイトを交換したような形になる。
「何故ですか?わざわざ……同じようにしてやる義理があるようには思えませんが」
いまいちわからなかった。戦力をくれたのだから、そのまま儲け物として貰っておけばいいだろう。
わざわざ返す必要があるとは思えない、非合理的だ。
――『なるほどね……だから―――だけがたまに勝てるわけだ。俺らの中では勝率最下位ダントツなのに』
「クックック……まだそなたにはわからんか。アトリアよ――そなたには『遊び』が足りておらん」
――『あいつの打ち方滅茶苦茶だからなぁ。それが逆に判断を乱す要因になるってことか』
――『ちょっとぉ!?聞こえてるんですけど!???』
更に盤面はエスカレートし、どちらの
どちらが一手先に王に辿り着くかの勝負。これまでの読みの深さが物を言う盤面。
「ともかく、これは命令だ――そうそう、奴が殺せそうなら殺しても構わんぞ……といっても、奴は殺しても死なぬがな」
読み通りに行けば、このまま
「わかりました。その任務――謹んで、拝命致します」
いや――待てよ。
「…………!」
「やっと気付いたか」
バーンが最初に打った意図不明の初手。完全に計算の外にあったそれが、自らの詰みへの道の途中に立ち塞がっていた。
計算が、崩れる。
「それ――チェックメイトだ」
気付けば、自陣は総崩れ。敵の思うがままに蹂躙され、敢え無く詰みとなった。
「全て……計算していたのですか?」
「違うな……余は最初の一手を、何も考えず無作為に打った」
「……は?」
そんなことをして何の意味がある?
「闘い……特に互角以上の者とのそれが、一から十まで計算通りに行くことはない。互いに最善手を打ち続ければ、ただ強いほうが勝つのみだ……だが、現実としてそうはなっていない。何故か分かるか?」
「相手の読みを乱せる者が勝利すると……そういうことですか?」
「そうだな……近いと言えるだろう。そしてその想定外を生み出せるのが――不合理や無作為、偶然と言われるものだ」
話の要領が掴めてきた。
「余は最初の一手を打った後、その手が活きるようにさりげなく盤面の流れを誘導した。このように、それらの不確定要素を上手く操り、利用し、制すること……それが戦の要訣なのだ」
「つまり……その不合理や無作為のことを、『遊び』と呼ぶと?」
遊びというのは楽しむものだ。そういった、感情に端を発するもの――それがオレには欠けているということだろうか。
「いかにも。……そなたにはそれを奴の下で学んでもらう。……そうだな、学ぶと言うのなら形から入るのも一興か……アトリアよ、試しに笑ってみよ」
無理やりにでも顔を歪ませ、笑顔の形を作る。
「ククク……目が笑っておらんぞ。とはいえ無表情よりかはいくらか上等か……表情くらいは取り繕うようにしておけ。……さて、話は終わりだ。準備が出来次第ここを発て。冥竜王の所在は死神に聞けばよい」
「仰せのままに」
大魔王の元に仕えること一週間。たった一週間で命じられたのは、冥竜王の下への出向だった。
アトリアが退室し、完全に扉が閉ざされた後、影が口を開いた。
「……奴の力を見定める、ということですか……」
「その通り……余の領土は些か平和過ぎるのでな……雷竜ボリクス配下の残党殲滅に精を出しているあやつの元であれば戦に困ることはあるまい…………ミストバーンよ、奴にシャドーはつけたな?」
「は……既に奴の影に潜ませております……」
「それでよい……さて、拾い物が吉と出るか凶と出るか……面白いな」
――余は奴より強欲な者を魔界では知らぬ。恐らく奴はアトリアを欲しがるようになるだろうが……それもまた良し。奴があいつに心を取り戻させようとする試みも、いい刺激になるやもしれん。
バーンはアトリアが出て行った扉の方に目をやり、思いを馳せる。思ったよりも使えるならば生かし、使えないならば……
「奴はおまえの衣の下を見ているからな……奴が使えぬとわかったときは……わかっておるな?」
「……」
影は何も答えず、沈黙を保つ。しかし、強く輝いた対の眼光がその答えを雄弁に語っていた。
――――――――――
男は物憂げな表情を浮かべ、自室への道を歩んでいた。その不規則な歩調は、そのまま男の心情を表しているようにも思える。
では、何故男は憂鬱に浸っているのだろうか。
――危険なブツだとはいえ、護送するだけの簡単な任務のはずだったのに……!まずいまずいまずい、これで三度目の失態だ、バーン様に何と言われるか……!!
そう、彼は任務中に失態を犯してしまったのだ。それも黒魔晶――黒の核晶の原材料である――の護送中に、それを何者かに奪われるという、特級の失態を。
どうしよう……素直に認めるか、言い訳を考えるか……いっそのこと逃げてしまおうか……
そんなことを考えながら、自室のドアを開き、中へと入る。
すると、脈絡もなくぼとりと何かが地面に落ちた音がした。その音の源に目を向けてみると、そこに落ちていたのは自らの左腕――そう、いつの間にか自分の腕が切断されていたのだ。
「……え?」
一拍遅れて事の次第を把握した男が取った行動は、痛みを堪えられず叫ぶことだった。
その悲鳴に合わせ、何処からともなく笛の音が鳴り響く。最も、常人には聞くことのできない音だが。
「ぎゃあああああああああ!」
「いい声で鳴くじゃないか。普段のお仕事もその調子で頑張ってくれれば、ボクが動くこともなかったのにね?」
その言葉と共に壁からぬるりと現れたのは、いつもの黒い装束を纏った死神――キルバーンだ。
――死神……!
それを見て、男は自らの運命を悟る。死神が自らの下へ現れるということは、大魔王に自らが穀潰しであると宣言されたようなもの。事実上の死刑宣告といってもいい。
「くそ……!」
「あれ?健気だねぇ……もしかして、向かってくるつもりかい?」
笛の音が強まる。
男は未だ諦めてはいなかった。キルバーンを倒し、ここを去るという唯一の生存への活路を勝ち取るため、立ち上がり、向かっていく――が。
「うあああ……!?」
すぐに転けた。無論彼が躓いたとかそういうものではない。生者には聴くことのできない死神の音色が、彼の身体の自由を奪っていた。
「ウフフフッ……!さしずめ、これはキミへと手向ける葬送曲、ってところかな……?」
前後も、左右も分からない。正しく身体を動かすことが出来ないし、そもそも今見ている世界が正常かも分からない。
もがいてはその度に、不可視の刃に身体を切り裂かれていく。やけくそで放った魔法も、あらぬ方向へと飛んで行き、壁に焦げ痕を作るだけの結果に終わった。
その様を例えるならば、蜘蛛の巣に囚われた哀れな獲物、といったところか。
「あーあ、ボクは何もしてないのになぁ……キミの絶望する顔にも飽きたし、そろそろ終わらせてあげようかな……ピロロはどう思う?」
そういってキルバーンは、己の背後へ語りかける。そうすると、死神の肩の後ろからひょっこりと、使い魔である一つ目ピエロ――ピロロが出てきた。
「なっさけないヤツだなぁ~!さっさと殺しちゃおうよ!」
「そうだねピロロ……そうしようか……!」
ようやっと死神が動き出し、男の首に鎌を当てる。それを一思いに引こうとしたその時――
「キルバーン、いるか?」
ドアが開く。そこから入ってきた男――アトリアは、歪な笑みをその顔に貼り付けていた。
死神の笛の音は鳴り止み、不可視の刃は知らぬ間に主の所へ帰還する。もう必要ではないし、味方を巻き込まないためだ。
「あぁ、後輩クンか……ってなんだいその顔、無表情よりそっちのが怖いよ」
「ヘンなの~!」
「表情くらい取り繕えとバーン様に言われた。……それより、冥竜王の居場所を教えてくれ」
記憶が無いからなのか、元からなのかは分からないが、アトリアにはこういった天然じみた所が少しあった。
「そういうことじゃないと思うんだけどなぁ……まぁ、いいよ。ボクの仕事が終わるまで待ってくれるかな」
「構わん」
そういうと、キルバーンは男の首元に鎌を掛け直す。手玉に取った命を弄ぶ様に、愉悦に満ちた表情でこの男がどうしてこんな状況に陥ってしまったのかを愉快そうに話していく。
「最初はね……どこかのはぐれ魔族に負けて、逃げ帰ってきたんだっけ?その次は、脱走兵を取り逃がしちゃったんだよねェ……最後はどうだったっけ?ピロロは覚えてる?」
「ボク知ってるよ~!黒魔晶を護送してたのにまんまと奪われちゃったんでしょ~?いーけないんだいけないんだ!」
「よく覚えてるじゃないかピロロ……まあそういうわけでね、度重なる失態に業を煮やしたバーン様がボクにこの男の粛清を命じたってワケさ」
「……そうか」
興味なさげなアトリアを余所に、キルバーンは仕事を終わらせようと、その手に持った死神のごとき大鎌を振りかぶり、
「キミは最後まで役立たずだったけど……この瞬間だけはボクの役に立てるってワケだね――さぁ!その絶望に染まった顔を見せておくれよ……!!」
振り下ろす。男の絶望に染まった顔と胴が泣き別れになると思われた、その瞬間――男の目に意志の光が宿る。
ボロボロの体を突き動かし、なけなしの気力を振り絞る。なんとか鎌を躱し、呪文を詠唱した。
――狙いはアトリア。彼を行動不能にし、人質として使うことでこの場を乗り切ろうというわけだ。
しかし、ここを出たとしてもこの満身創痍の身でどうするのか、大魔王を敵に回して魔界で生きていけるのか、などという思考は男の中にはない。男はただ、目の前に現れたか細い蜘蛛の糸を掴むことだけを考えていた。
「
男とアトリアの対角線上にいた死神が「おっと」と言って身をそらす。なかなかの威力をもって打ち出される吹雪がアトリアに向かって吹き付ける。責任ある仕事を持たされている以上、この男もそれなりの実力者だったようだ。……あくまでもそれなり止まりであるが。
「……
アトリアの翳した手から猛火が吹き上がり、球の形を成す。前方に射出されたそれは、呪文の格が下であるにも関わらず、悠々と吹雪を突き破り、霧散させた。
男は恐怖した。何ら陰りを見せない炎と、揺らめくその炎の向こうに写るアトリアの空虚な笑顔に。
「あっ……」
一度は見えた希望が、眼前で燃え尽きていく。奪われた希望による落差が、男の絶望をより深いものにしていた。
それから数瞬もしないうちに、炎球が男を燃やし尽くす。男は断末魔もあげられぬまま、絶望を浮かべた顔のまま、人の形をした炭へと成り果てた。
「へぇ……」
「わぁ~!黒コゲだぁ~!」
呪文の威力を見た死神が感嘆したように呟く。それを放った本人は、申し訳なさを取り繕った表情で言い放つ。
「……オレが殺してよかったものなのか?」
「構わないさ……面白いモノも見せて貰ったしね。……それで、ヴェルザー様の居場所だったかな?」
「ああ」
「そうだねェ……この宮を出て、北東にまっすぐ進めばいいよ……丸一日もすればあのお方の城が見えてくるハズさ」
「わかった……感謝する」
「ウフフッ……後輩クン、キミ意外と死神の才能あるんじゃない?それじゃあね――シー・ユー・アゲイン!」
そういってキルバーンは、どうやってかは知らないが、壁に溶け込むようにして消えていった。
アトリアも、凶行が行われた部屋から出て歩き出す。宮殿から出て、
――――――――――
――ああ、退屈だ。
今日も今日とて、居城の最奥にてただ座す日々が続く。
戦そのものが無いわけではない。あいつの残党がこの大陸全体に散らばり、騒ぎを起こしているが……雑魚どもでは相手にならないだろう。
行ってただ叩き潰しましたというだけでは、それはもう戦いとは呼べないし、退屈を煽るだけだ。
「む……?」
何かが近づいてくるのを感じる。力の気配……一端の強者のもの。誰だ?
その気配はちょうどこの部屋――竜王の間の真上へと辿り着いた。
ごとり、という音がしてそこに目を向けると、円形にくり抜かれた天井の石材がある。
そこから一拍遅れて、何者かが天蓋に空いた穴から、ふわりと降り立った。
誰からの刺客だろうか。大魔王?天界?それとも――?
とはいえ、いきなり襲い掛かったのでは、雰囲気も糞もない。久方ぶりの戦いだ、楽しまなくては――
「何者だ?」
「冥竜王ヴェルザーとお見受けしますが」
「その通り――オレこそが冥竜王ヴェルザー。……オレの首でも取りに来たか?」
むしろそうだと言って欲しい位だ。それほどまでに、今のオレは退屈に蝕まれていた。
「いえ。……私の名はアトリア。大魔王様から、あなたのお力になれと仰せつかった者です」
そう言われて、一気に頭から戦いの熱が引いていく。
拍子抜けだ。冷えた頭で改めて見返すと、そいつは恭しく一礼してみせた。
――何だ、こいつは?
その大げさなまでの振る舞いとは反して、こいつからは何も感じられない。
こいつの行動には熱も、実感も伴っていない。言われるがままに動くだけの、生物の振りをした木偶。
その象徴である空虚な瞳は、人形の目に嵌められているような硝子玉を彷彿とさせる。
オレの最も嫌いな手合い――こいつには、『欲』がない。
「フン、そうか……では宣言通り、早速働いてもらうとしよう」
バーンの奴め……こんな奴を送りつけて何のつもりだ?死神を送ったことへのあてつけか?
「貴様には我が領内の敵対勢力……主にボリクスめの残党を殲滅してもらおうか。丁度隠れ処が判明している奴が一人いてな……貴様にはそこに行ってもらう――ただし、一人でだ」
はっきり言って無茶苦茶な命令だ。少なくとも知らぬ者に一人でやらせる類のものではない。
そいつは竜の大群を引き連れていたという報告も上がっている。一人で行かせるなど、捨て駒にするようなものだ。
「承知しました」
それでもこいつは引き受けた。戸惑いも、怯えもせず。それこそがこいつが人形である証左だった。
キルバーンの正体がばれて、嫌味で送ってきたのではないかと一瞬思ってしまうほど。
「チッ……さっさと行け」
それとも大魔王がわざわざ送ってくるくらいなのだ、何かあるのだろうか?
何れにせよ、今回の戦いが試金石となる。帰ってこなければただのゴミ、もし勝って帰ってくれば――その時はその時に考えよう。
退屈は削がれたが、その分の嫌悪が心を満たす。
気に食わない。人形のような有様の男も、忌々しいボリクスの残党どもも。
精々、潰し合うといい。