アトリアが与えられた部屋で過ごすこと1週間。ようやくアトリアに課される任務が決まったらしく、魔族の給仕に、玉座の間に来るよう伝えられた。彼が直ぐに行くと返し、絢爛とした廊下を通り抜け、玉座の間へと続く扉を開くと、
「来たか」
そこにいたのは2人。玉座に座すバーンとその傍に控える影――ミストバーン。アトリアは跪き、頭を垂れる。
「ただいま参りました、バーン様」
「うむ……聞いているだろうが、おまえにやってもらう仕事が決まった…………おまえには、冥竜ヴェルザーの元に客将として赴いてもらう」
冥竜王ヴェルザー――最後の純粋な知恵ある竜。そして大魔王バーンと50年ほど前に不戦協定を結んだ、魔界の最有力者のうちの一人である。そのヴェルザーの元へ行けと、バーンはワインの入った杯を口元に傾けつつ言った。
「ヴェルザーの奴には死神を送ってもらった借りがあるからな……返してやらねばなるまい」
バーンは愉快そうに笑みを浮かべながら続ける。
「クックック……もしヴェルザーの奴が殺せそうならば殺しても構わんぞ……といっても、奴は殺しても死なぬがな」
「仰せのままに」
「冥竜王の所在は死神に聞けばよい……準備が出来次第出発しろ――下がってよいぞ」
「御意」
アトリアが一礼し、踵を返す。彼が退室し、完全に扉が閉ざされた後、影が口を開いた。
「……奴の力を見定める、ということですか……」
「その通り……余の領土は些か平和過ぎるのでな……雷竜ボリクス配下の残党殲滅に精を出しているあやつの元であれば戦に困ることはあるまい…………ミストバーンよ、奴にシャドーはつけたな?」
「は……既に奴の影に潜ませております……」
「それでよい……さて、拾い物が吉と出るか凶と出るか……面白い」
バーンはアトリアが出て行った扉の方に目をやり、思いを馳せる。思ったよりも使えるならば生かし、使えないならば……
「奴はミストバーンの衣の下を見ているからな……奴が使えぬとわかったときは……わかっておるな?」
「……」
影は何も答えず、沈黙を保つ。しかし、強く輝いた対の眼光がその答えを雄弁に語っていた。
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「それでボクのとこに聞きにきたってわけかい?」
「そうだ……ヴェルザーの場所を教えろ」
冥竜王の場所を死神に問うアトリア。もっともその無表情と口調のせいで恐喝にしか見えないが。それを受けた死神は肩を竦め、あきれた様子で言う。
「キミねぇ……物を頼むときには相応の態度ってものがあるんじゃないのかい」
「そーだそーだ!!」
死神の物言いに使い魔であるピロロも追従する。このやりとりを繰り広げた二人と一匹――彼らが現在いる部屋の主はそのうちの誰でもない。そう、この部屋には部屋の主であるもう一人の魔族の男がいた。
――死神に鎌を首に突きつけられた状態で。
「ひっ……」
彼は左腕が無かった。全身に満遍なく裂傷があり、いかにも満身創痍といった具合だ。そしてその顔に浮かんでいるものは――恐怖。この後己に訪れるであろう確実な死へ対するものだ。そんな彼を見やって、死神は言葉を続ける。
「まァいいけどさ……ボクの仕事が終わってからでいいだろ?」
「わかった」
そうして死神は、聞いてもいないのにこの男がどうしてこんな状況に陥ってしまったのかを愉快そうに話していく。
「最初はね……どこかのはぐれ魔族に負けて、逃げ帰ってきたんだっけ?その次は、脱走兵を取り逃がしちゃったんだよねェ……最後はどうだったっけ?ピロロは覚えてる?」
「ボク知ってるよ~!黒魔晶を護送してたのにまんまと奪われちゃったんでしょ~?いーけないんだいけないんだ!」
「よく覚えてるじゃないかピロロ……まあそういうわけでね、度重なる失態に業を煮やしたバーン様がボクにこの男の粛清を命じたってワケさ」
「そうか」
興味なさげなアトリアも露知らず、キルバーンは喜悦に顔を歪ませながら、更に続ける。
「部屋に入ったとたん腕が落ちたときのあの表情……!!そしてボクが姿を現したときの恐怖に歪んだ顔……!!最後の首に鎌が振り下ろされる瞬間の絶望……ボクはそれを見るためだけに死神をやっているのさ……!!」
そして死神は鎌を振りかぶり、
「さぁ!終わりだよ……!!」
振り下ろす。男の絶望に染まった顔と胴が泣き別れになると思われた、その瞬間――男の目に意志の光が宿る。ボロボロの体を突き動かし、なけなしの気力を振り絞る。なんとか鎌を躱し、呪文を詠唱した。――狙いはアトリア。彼を行動不能にし、人質として使うことでこの場を乗り切ろうというわけだ。しかし、ここを出たとしてもこの満身創痍の身でどうするのか、大魔王を敵に回して魔界で生きていけるのか、などという思考は男の中にはない。男はただ、目の前に現れたか細い蜘蛛の糸を掴むことだけを考えていた。
「
男とアトリアの対角線上にいた死神が「おっと」と言って身をそらす。なかなかの威力をもって打ち出される吹雪がアトリアに向かって吹き付ける。責任ある仕事を持たされている以上、この男もそれなりの実力者だったようだ。……あくまでもそれなり止まりであるが。
「……
アトリアがかざした手から業火が吹き上がる。すぐにそれは球の形を成し、前方に打ち出される。射出された炎球は、呪文の格が下であるにも関わらず、悠々と吹雪を突き破り、霧散させる。
何ら翳りを見せない炎を眼前にして、男は絶望に顔を歪ませていた。一度希望を見せ、それを奪う。その落差が、男の絶望をより深いものにしていた。
それから数瞬もしないうちに、炎球が男を燃やし尽くす。男は断末魔もあげられぬまま、人の形をした炭と成り果てた。
「へぇ……」
「わぁ~!黒コゲだぁ~!」
呪文の威力を見た死神が感嘆したように呟く。それを放った本人は言葉とは裏腹にまったく申し訳無さそうに言い放つ。
「……殺してはまずかったか?」
「構わないさ……面白いモノも見せて貰ったしね……それで、ヴェルザー様の居場所だったかな?」
「ああ」
「そうだねェ……この宮を出て、北東にまっすぐ進めばいいよ……丸一日もすればあのお方の城が見えてくるハズさ」
「わかった」
「相変わらず無愛想だねェ……じゃあね後輩クン、シー・ユー・アゲイン!」
そういってキルバーンは、どうやってかは知らないが、壁に溶け込むようにして消えていった。アトリアもそちらに一瞥もせず、歩き出す。宮殿から出て、
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岩山が乱立する山群をくぐりぬけ、毒沼を飛び越え、新たな大陸へと上陸し、しばらく飛び続けた後――ついに冥竜王の居城と思わしき場所に辿り着いた。
マグマの湖に囲まれた、切り立った崖の上にある巨大な孤城。それが冥竜王がこの大陸に持つ2つの城のうちの1つだった。特筆すべきことといえば……大きい、ということ。
バーンが魔界にもつ宮殿と比べてもかなりの巨大さを誇っている。これはバーンの魔宮が劣っている、というわけではなく、冥竜王が竜族を配下に多く持つ故のことなのだろう。巨大な体躯を持っている竜族たちが利用するため、一般的なサイズをそのまま巨大化したような城になるというわけだ。
アトリアは陸地と孤城を繋ぐ大橋を睥睨しながら、城へと飛んでいく。目指すは最上階の中央、ドーム状になっている箇所。そこから感じられる巨大な力の気配からして、ここに主が居ると踏んでの事だった。
そこにいたのは、大魔王にも勝るとも劣らない覇気を漂わせる漆黒の巨竜――この竜が冥竜王ヴェルザーであるということを、アトリアは半ば確信した。
だが、こちらがヴェルザーの存在に気づいていたように、冥竜王もまたこちらの存在を感知していたようだ。闖入者に対して、ヴェルザーが落ち着き払った様子で問いかける。
「何者だ?」
「冥竜王ヴェルザーとお見受けする」
「そうだ……オレこそが冥竜王ヴェルザー。それで……オレの首でも取りに来たか?」
殺気を滲ませながら凄むヴェルザー。だが、アトリアはそれを気にも留めず、名乗りを上げる。
「オレの名はアトリア。大魔王バーン様から貴方の助けになれと仰せつかった者です」
アトリアの言を聞き、ヴェルザーが不愉快そうに呟く。
「バーンめ……死神を送ったことへのあてつけか?こんな人形みたいなヤツをよこすとは……」
ヴェルザーはフン、と鼻を鳴らすと、
「まあいい、精々使い潰してやるわ……おい、アトリアよ、お前には我が領内の敵対勢力……主にボリクスめの残党を殲滅してもらう……まずは隠れ処が判明している奴らの所へ赴け、ただし――一人でだ」
「御意」
巨竜は意地悪げに笑う。しかし、捨て駒にしてやろうという魂胆を受けてなお、男は反論を返すわけでもなく、怯えるわけでもない。欠片も動じることはなく、その瞳には虚空を映したままだった。そのまま振り返り、部屋を出て行く。
「チッ……気に食わんな……」
気に食わない。忌々しいボリクスの残党も、人形のような有様のあの男も。精々潰しあえと心の中で呟き、ヴェルザーは思考を打ち切った。
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数日後。
岩山の連なる山脈に囲まれた盆地にて、男が一人立っていた、男は20代前半の青年といった風貌で、長い黒髪を後ろにまとめ、魔族のような尖った耳が目立つ。純白のローブと軽鎧を合わせたような装備を身に纏い、腰には二刀を携えている。そして、その身からは膨大な魔力が漂っていた。
だが、この場に居るのは男――アトリアだけではなかった。男と相対するは、竜の一団だった。グレイトドラゴンに騎乗したカメレオンの獣人族の男を筆頭に、ドラゴンソルジャーが前線を張り、後方にガメゴンロードやキースドラゴンが控える、総勢400匹ほどの軍勢。
地上の小国であれば一晩で滅ぼすことすらできるであろうこの軍勢の威容を前にしても、アトリアの表情には一つの翳りもない。それを見て、獣人の男が口を開く。
「正気じゃねえよ……お前」
「…………」
押し黙っているアトリアを前に、獣人の男は信じられないといった様子で続ける。
「この隠れ処を知っているってことはおおかたヴェルザーあたりの使い走りだろうが……この戦力差で勝てるとでも思ってんのか?」
「問答は無用」
沈黙を貫いていたアトリアが口を開く。
「冥竜王の命により貴様らを討滅する。――降伏か死か選べ」
「舐めやがって……!!そんなに死にたいなら殺してやるよ……かかれ!」
この軍勢は獣人の男にとっての誇りだった。力が全てを司る魔界において、雷竜ボリクスに己の力を認められ授けられた竜の精鋭たちの一軍――これこそが自らの力の証明であり、プライドの象徴でもあった。
しかし、この男――アトリアはそれを見ても眉一つ動かさなかった。それは自らが取るに足らない存在だと思われているようで、ひどく癇に障ったのだ。
故に――男は自らの力を証明するため、攻撃命令を出した。
「グオオォォォォォ!!」
竜の雄叫びが辺りに響き、灼熱の吐息が放たれる。凡そ100に上るであろうドラゴンの吐息……それらが収束した地点――アトリアが居た場所には炎が途絶えることはなく、1分間にわたって代わる代わるに炎が吹き付けられた。自分であれば間違いなく骨も残らないであろう火炎地獄。男は勝利を確信した。
――馬鹿め。俺を舐めるような真似をしなければ、もっと楽に死ねたものを。
そう心のなかでひとりごちて、男はアトリアが居たであろう場所を見やる。煙が晴れ、男はそこに焼け跡のみがあり、何もない有様を幻視したが――
「なッ……!!」
未だにアトリアは健在だった。
――まさか……ヤツのあの態度は虚勢でも気狂いだったのでもなく……俺たちを歯牙にも掛けない力を持っているからなのか……!?
男がその思考に至ると同時、アトリアを包む光波のドームが消えていく。そしてそのアトリアの両手には――膨大な魔力が、アーチを描いて火花を散らしていた。
「……
放たれた呪文が炸裂する。弾けた爆音と閃光が、開戦の号砲となった。