ボリクスから奪ったヴェルザーの居城……その最上階の中央。竜王の間と呼ばれるその場所に、冥竜王は佇んでいた。
アトリアに出立してからまだ一日。相手もそれなりの軍勢を従えているとの報告もある。まだ帰って来ることはないだろうが、かの大魔王より遣わされたのだ。それなりの強者であろうし、少なくとも死ぬことはないだろう……帰ってきたらどう扱き使ってやろうか――とヴェルザーは考えていた。そうやって思案に耽っていた時、先日開けられた天井の穴から、
「ただいま戻りました」
――まさか昨日の今日であの軍勢を殲滅してくるとはな……しかも返り血に塗れて分かりづらいが奴は無傷。ここまでの強者とは……こいつも死神と同じ――隙を見せれば、オレを殺すべく遣わされたといったところか?
「拝命した任務を完了いたしました。証拠としてこちらを」
そういってアトリアは抱えていた首を放りだす。それはまさしく、雷竜配下の将として知られていた獣人の男のもので相違なかった。ヴェルザーはフンと鼻を鳴らし、炎の吐息を吐く。一見、ちろちろとした残り火のようなそれは、目標としていた首に到達するや否や、対象を舐め回し、焼き尽くす業火へと変じた。着火した数瞬後、その首は灰となり、形を保てなくなり崩れて消えた。
「このようなゴミは持ってこなくともよい。……貴様の事は好かんが、貴様の力だけは認めてやろう」
「お褒めの言葉、ありがたく存じます」
言葉とは裏腹に全くありがたくなさそうなアトリア。といっても最初から最後まで無表情なだけではあるが。
「そういう所が好かんといっておるのだ……だが、オレが好む好まざるなどはどうでもよい。魔界では力こそ正義。貴様が力を示したとあらば――歓迎してやろう、大魔王の使者よ」
「……はっ」
「……それでアトリアよ」
「何でしょうか」
ヴェルザーが少し愉快気に問いかける。
「――貴様、竜の騎士か?」
問いかけながらも、ヴェルザーはアトリアが竜の騎士であることを半ば確信していた。魔界にいるはずもない人間の出で立ち、首に提げていた竜の牙……そして竜の軍勢を一晩のうちに葬り去る、異常なまでの強さ。このような条件に合致する存在など、竜の騎士以外にはありえない。
竜の騎士――神々の作り出した三界の調停者。とりわけ地上支配をもくろむ野心ある魔界の王たちへの最大にして最強の障害。それが魔に堕ちて、大魔王の配下として送られてきたこと――それは、神々を心底憎んでいる冥竜王にとって、一層愉快なことだった。
「……竜の騎士とはなんでしょうか」
「…………は?」
唖然とするヴェルザー。
「何分記憶がないもので」
だが、改めてアトリアを睥睨し、何かに気付いたのか、ヴェルザーは納得のいった様子を見せた。
「なるほど、神の傀儡が不死者に成り果てるとはな……これはお笑いだな」
そういってヴェルザーは嗤う。その顔からは、笑みだけでなく、神々への深い憎しみが滲んでいるようにも見えた。
「……竜の騎士とは神々が作った究極の生物の事だ。魔族の魔力と竜の力、そして人の心を併せ持つ……最も、お前に心があるとは到底思えんがな」
皮肉げに、吐き捨てるように言い放つ。
「お前が本当に竜の騎士ならば使えるはずだ……電撃呪文をな」
電撃呪文とは選ばれし勇者にのみ使える呪文――そう人間の間では言い伝わってきた。しかし、実際には違う。神々に造られた粛清者――竜の騎士に与えられた伝説の攻撃呪文、それが電撃呪文。これを除いては使い手は神代より生きてきた雷竜にしてヴェルザーの因縁の宿敵――ボリクスの一族しか居なかった。それらが居ない今、電撃呪文を使えるというのは、竜の騎士であるとの証左に他ならないのだ。
「わかりました。――
雷鳴が轟く。魔界の空を覆う暗雲が蠢き、雷を呼ぶ。闇を切り裂き降り注いだ一条の稲妻は、天井に開いた穴を増設しながらも、冥竜王へと向かっていく。だが、
「――フンッ!」
雷光の速さにこともなげに反応して見せたヴェルザーは、右腕を振る。凝縮された暗黒闘気が込められたそれを受けた稲妻は、より強い力を受けたことで、あっさりと霧散した。
「おい……何のつもりだ」
呆れ顔で問いかけるヴェルザー。
「バーン様より、機会があれば殺すよう承っていますので」
なにも悪びれずに言い放つアトリア。普通なら即死するような呪文を向けられて、呆れるだけで済ます冥竜王も冥竜王だが、ここまで大それたことをして無表情を貫くこの男も相当なものだった。
「そんなところだろうと思ったわ……これで分かっただろう、生半可なちょっかいはやめろ、面倒くさくて敵わん。……オレの首を獲りたいならば命を捨てる覚悟で来い」
魔界の主に相応しい威厳を滲ませ告げるヴェルザー。それを受けても、未だ無表情のままだったアトリアだが、その言葉を受けて僅かに表情を歪ませる。
「フン、人形でも己の命は惜しいか?――とはいえ、己にさえ無関心な様を晒すよりかは上等か……アトリアよ、何故お前は己に自由に振舞わない?お前にはそれだけの力があり、権利があるのだぞ」
ヴェルザーにアトリアがわからないのはそこだった。この世は力こそが正義。アトリアほどの力を持つ者は、魔界においても両指で数えられるかどうか、といったほどのもの。それほどの力を持っていれば、己に忠実に生きられるだろうに。魔界の猛者たちはわかりやすい。各々が己がままに振舞っている。汚らわしい天界のゴミどもも、正義とやらに従って生きている。それに比べ大きな力を持ちながら、人形のようなありさまのアトリア。これがヴェルザーには心底理解できなかった。
「……私は全ての物事に関心がない。ただ死にたくないから、バーン様の配下になった……それだけです」
淡々と述べられた言葉に、不愉快そうな表情を見せるヴェルザー。
「つくづく理解できんな……己が無いということがここまでつまらんとはな」
そして一つ大きな溜息を吐いた後、
「……興が冷めた。次の命が下されるまで待機していろ……下がれ」
「承知しました」
退出していくアトリア、ヴェルザーはそれを見遣ってから、天井に開けられた大穴を見上げ、思案を巡らせる。
――先ほどの
偶然か、あるいは超級の強者同士として通じるものがあるのか、奇しくも冥竜王がアトリアに下した評価は、大魔王と似通ったものだった。
――奴は大魔王に忠誠を誓っている訳ではない。ならば、オレが奴に心を得させ、心からの忠誠を誓わせてやる。そのためには……やはりまずヤツに先んじて地上を掌中に収めること。
冥竜王と大魔王が交わした協定の内容。それはお互いに自分の戦略を進め、それを先に達成したほうに従う、というもの。ヴェルザーの場合、地上を手に入れることがそれにあたる。
――このオレが全てを手に入れる。遍く強者も、魔界も、地上も、天界も。――そして、神の座さえも。
ヴェルザーの目に爛々とした光が宿る。後に人間のようだとも評されるほどの強欲さ。留まる所を知らない飽くなき欲望が冥竜王の中で燃えていた。