春の時期の体育それだけで憂鬱になるのは俺だけだろうか。体力テストや陸上競技など、疲れるものばかりだ。忌々しい体力テストでも特に大変なのはシャトルランだ。
あのBGMを聞くだけで発作が起きる人もいるだろう。だいたいなんで125回以上もやんないと10点をもらえないのか、普通に考えて125は無理だろ。そんな事を考えているうち全体で集合がかかった。
湊のやつは明らかにダルそうな顔をして隣にちょこんと座ってくる。
「…………帰りたいわ」
「それは俺もだよ」
そこから説明がされてから先に走るグループと後に走るグループで分けることになった。
「じゃあ、次の組のやつは並べ。並び次第始めるぞ」
体育教師のバカでかい声が体育館全体に響き渡る。まあ、できるところまでは頑張るか。そう思いながら列に並ぶ。ちなみに自己記録は、104回だ。
バキボキと体と首の骨を鳴らして体を暖める。あまりやり過ぎると危ないが集中する前の俺のルーティンになっていた。
「はぁ」
そんなとき隣からやけに大きなため息が聞こえてきた。
「どうした湊そんなに大きなため息をついてると幸せが逃げてくぞ」
「見てわからない。私は運動が苦手なの。特に走ることは」
まあ、見た目からなんとなくは想像がつくけどやっぱり運動も苦手だったか。でも湊って隣に立つと案外小さいな、差がすごい。と、言っても20センチ差あるかどうかだが。
「正宗。あなた今失礼なこと考えてなかった」
「いえ、まったくこれっぽっちも考えていません」
「そう、ならいいけど」
全く勘が鋭いやつだ。いや、俺がわかりやすいのか。
「よーい、始め!」
そんなとき、遠くからそんな声が聞こえてきた。
「やばい、始まった」
「ちょっと、待ちなさい」
そう言って湊は後ろからノロノロとついてくる。遅い。まるで生まれたての小鹿のようにプルプルと足を動かしてこちら側までたどり着く。この調子なら10回も行かないのではないだろうか。
「何だ湊一人で走るのが寂しいのか」
「違うわよ。知っている人と一緒に喋りながら走ると回数が伸びるのよ」
走っている時も後ろからゼーゼーと息をしながらついてくる。顔があまりにも必死だったので少しペースを落としてやる。そして体操服の裾を掴まれた。
「おい、なんだよ」
「正宗あなた私を置いていくつもり…………あなたは助けを求めている女の子を置き去りにして先に行くのね」
こいつそこまでして俺と一緒に走りたいのか。だが俺は残酷な男新宮寺正宗だ。悪いが困っているやつをわざわざ助けるようなお人好しではない。
「しょうがないな、できるところまで一緒に走ってやるよ」
「あら、案外優しいところもあるじゃない」
だが、知人は別だ。決して湊のやつが可愛そうだとかそんな理由じゃないからな。何を考えているんだ俺は。男のツンデレなんか需要ないだろ。
そんな事を考えているうちに、10回目に差し掛かろうとしていた。
「はぁ、正宗はまだまだ余裕そうね」
「湊さすがにバテるの早すぎるだろ」
まだ10回過ぎたところだぞ。いくらなんでも体力なさすぎだろ。まだ周りの女子でも余裕があるのか楽しく喋りながら喋っている。それに比べてこいつはとっくに限界が来ているような顔をしている。
「肺活量には自身があるのだけれど…………持久力には自身はないわ」
「まあ、肺活量と持久力って似ているようで違うものだからな」
それこそ昨日湊が言ってた可愛いと好きと同じようなものか。妙に例えることはうまいな。この間も現代文はできていたから、もしかして家では読書ばかりしてるのだろうか。俺たちぼっちの趣味が読書でも何も違和感はないしな。
「…………ところで湊はなんか得意なことでもあるか?」
「何、いきなりね」
「いやだって勉強も運動も苦手だろ他に得意なことでもあるのかと思ってさ」
「まあ、あるにはあるはね」
「なにが得意なんだ、教えてくれよ」
「そうね、当ててみなさいよ」
そうきたか。湊の得意なこと大体は想像つくけどな。いつも机に向かって何かを書いているから大体は想像はできる。
「簡単だな。絵を書くことだろ」
「…………なぜ、そう思ったのかしら」
「だっていつも一人でノートになにか書いてるだろ。あれって猫の絵でも書いているのかと思ってな」
「違うわよ、だいたいあれは絵を書いているのでは無いわ」
何だ違うのか。だとしたら、いつも一人で書いているんだ。こいつが勉強しているはずもないしますます謎が思い浮かぶばかりだ。
「じゃあ、いつも一人で何を書いているんだ」
「一人は余計よ」
「何だ一人でいること気にしていたのか」
「あなただっていつもひとりじゃない」
クッ、こいつ俺の気にしていることを戸惑いもなく言いやがって。最近の休み時間は湊と話しているからぼっちではなくなってきているが、それ以外だと完全に孤立していた。もう季節的にクラスのやつと仲良くなる時期は過ぎてしまった。
経験があるやつも多いのではないだろうか。4月は向こうから話しかけてきてくれるのを期待して自分から行動しないで気がついたら周りはグループを作っていてぼっちになっていたなんてことは。
「それで結局なんなんだよ、あのノートに書いているのは」
「秘密よ」
それ以上は聞くなと言わんばかりに湊は話題を終わらせ少しペースを上げて走り出した。
そんなこんなしているうちに28回目までいった。
「はぁはぁはぁ」
「おい、湊大丈夫か。死にそうな顔してるけど」
「…………そろそろ、限界ね」
湊は汗をかきながら、疲労困憊の顔でそう言った。やけになんだかその顔が色っぽく見えた。て、何を考えているんだ俺は。あいてはあの湊だぞ。邪念を振り払うように頭を振った。
「湊、今更だが自己記録は何回なんだ」
今更すぎる質問を湊にぶつけた。
「はぁ、ほんと今更ね。確か32回よ」
「32!?それってそろそろじゃん」
「はぁはぁ、そうねだから私はそろそろ降りるわ」
湊は死にそうな顔でそう言った。こいつにここで抜けられると俺が一人で走ることになりだるいことになる。そのためにも湊のやつにはもう少し居てもらわなければ困る。
こいつをもう少し留まらせるにはどうしたらいいか考えると一つの案が頭によぎった。
「そうか残念だな。お前と話しながら走るの案外楽しかったんだけどな」
「…………ごめんなさいね…………あいにくもう肺が悲鳴をあげているのよ」
「確か女子の点数って44回で6点だよな」
「ええ…………たしか、はぁ、そのはずよ」
「あぁ~残念だ非常に残念だ」
「何が…………そんなに残念なのよ」
「湊が44回行けたら、うちの猫カフェ【猫の集いの場】の特別招待券を渡そうと思ってたのになあ」
その言葉を聞いた瞬間、湊の顔つきが変わった。きた、スーパー猫タイム(俺命名)だ。このモードに入るといつもの湊から一変してグイグイくるようになる。
「その話、本当かしら」
「あ、ああ母さんから渡したい人にあげなさいって言われてるからな」
なにげにうちの猫カフェは巷で人気があるらしく、父さんの作るランチメニューも人気ですごい人が来る。そのせいか、完全予約制になっており普通に予約を取ろうとすると一ヶ月ぐらいかかるらしい。
「正宗、今から本気を出すから話かけないで頂戴」
湊は疲労を感じさせない顔でそう言ってきた。あまりの気迫でこちらがビビる。
「お、おう。がんばれよ湊。期待しているぞ」
それからの湊はすごかった。まるで何かに取り憑かれたかのように、ただ黙々と走っている。正直言って少し怖い。そのくらいの勢いだ。
湊はそのペースを保ち続けなんとか44回までたどり着いた。
「約束…………守ってもらうわよ」
湊はそう言って列から崩れるように抜けていった。
「おう、おつかれさん」
よし気合い入れ直すか。あとは自分自身との勝負だ。
そろそろか、90回目に差し掛かったところだった。
これ以上残って目立ちたくもないしな。シャトルランあるあるだと思うが、最後まで残ると全体から頑張れなど応援が聞こえてくるだろ。しかもこの学校羽丘学園は、ここ近年共学化したばかりで男女比が恐ろしいことに1:9なのだ。
しかも女子って、あれだ。こういうときすごく声張り上げて応援してくる。目立ちたくない俺にとってはやばいことだ。
ふと横を見てみると残っているのは俺と、もうひとりの男子だけだった。すると、隣のクラスの女子がその男子の事を応援しだした。多分彼は隣のクラスなのだろう。
ここだな。今が抜けるには絶好のチャンスだ。まさに抜けようと思った瞬間のことだった。
「正宗、頑張りなさい!!」
その声が体育館に響き渡るとさっきまでうるさいくらいだった体育館がシンと静まり返った。声がする方を見てみると、湊だった。腕を組みながらこちらをすごい勢いで睨みつけていた。あいつ、あんな大きな声出せるんだな。
「まだまだこんなものじゃないでしょ…………本気を見せて頂戴」
「44回でバテかけてたやつが偉そうに言いやがって」
安い挑発だがこの時は思考が少し鈍っていたからやすやすと乗ってしまった。
湊に感化されてかうちのクラスの女子も声を上げ始めた。
「おいおい、マジかよ」
ふと、いっしょに走っているやつと目が合った。このときお互い思ったのだろうこいつには負けられないと。
「…………久しぶりだなこんな感情」
小さな声でそうつぶやくと足のギアをあげた。
137・・・・・・138 無機質な声が体育館に響くそれに負けないぐらい女子の声もすごかった。
(はぁ、はぁ、やばい・・・、死ぬ)
140 その音とともに死んだように倒れた。負けたかそんなことを思っていると、
「そこまでッ!!」
先生の声が体育館に響いた。倒れた視界に心配そうに水筒を持って湊がやってくる。
サンキュと受け取ると一気に喉に流し込む。
「正宗、大丈夫かしら?」
「はぁ、はぁ…………おう。それにしても湊お前あんな大きな声出せるんだな」
カラカラになった声で答える。
「すごいわね正宗。あそこまで行けるだなんて」
「俺は負けたのか」
小学生以来に本気を出したから負けたとなれば正直に言ってかなり悔しい。
「いえあなたが終わってから、相手も向こう側にたどり着かなかったわ。まあ、引き分けてところね」
「…………引き分けか」
「悔しそうね」
「そりゃあね、あんな舞台に立ったのは初めてだったからな。正直悔しいよ」
まあ、普段運動していない俺があそこまでいけたら上出来か。
「まあ、来年頑張りなさい」
「そうだな。来年こそは負けられないな」
そう心に固く誓った。
「それよりも、約束覚えているわよね」
「何だ覚えていたか、やっぱり嘘だ…………と言ったらどうする」
「………………………………」
絶対零度とはこの時に使うのだろう。それくらい湊の目線は冷たかった。
「…………悪い、冗談だ。放課後渡すからそれでいいか」
「ええ、放課後楽しみにしているわ」
その時見せた、湊の顔は今までで一番いい笑顔だった。