地に落ちては
何ぞ必ずしも骨肉の
地に生を受けた者は皆兄弟。つながりは血筋や家柄だけではない。
時系列的には10話から紫毒姫戦前くらいの挿入話です。全ての章を執筆し終えたらまとめて移動させるつもり。
11杯目 地に落ちては
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寒冷期も本格的に深まり、ヒンメルン山脈から吹き下ろす風もヒゲを震わせるほどに冷たい。
今年の年の暮れは雪こそ降らないけれど、晴れているぶん例年よりちょっと寒くなりそうだ。
日も天に向かう昼飯時の大都市ドンドルマ、一番地価が安い地区。
気取らない雰囲気の商店街はこの地区で最も賑わっている。
都会の露商というだけで十分目を奪われるものだが、出張販売だという出来立ての串団子、うさ団子なる菓子の魅力には勝てなかった。
大きなうさ団子片手に一匹の獣人族──小太りのアイルーがのたのたと歩く。
商店街から一歩路地裏に入ると、左からボロ屋、空き家、あばら屋、ボロ屋。ものも言わず、喧騒混じりのからっ風に耐えている。
時々焦げた廃材があるのは、かつてこの土地に古龍の襲来があったからだとか。
アイルーはとある一軒の前で歩みを止めた。
見上げると竿に干された洗濯物。
ナンテンの実と黒星の
『OPENだニャー』と落書きしてある獣人族のイラストの小さなボード。
『 狩猟と商事の《
「やっと着きましたニャ」
重たい荷物を背負い直す。中身はココット村の特産品がいっぱいに詰め込まれているのだ。
アイルー──ムニエルは大きな腹を揺すって、ドアノブに背伸びした。
「ごめんくださいニャ」
ベルナ村製の真鍮ドアベルがコロコロと鳴る。この事務所の玄関戸は雑に扱われているのか、壊れかかっていて閉めるのにコツがいる。ぎぃぎぃと不満なランポスのようにやかましく鳴いた。
ムニエルの呼びかけに、「しばし待たれよー」と間延びした声が廊下の奥から聞こえた。
ムニエルは玄関横の、銅製の名札に手を伸ばした。俗にいう“出勤ボード”である。
ボードの端には年が刻まれていて、事務所が《南天屋》のものになるより前から設置されていることが分かる。
名札は“元締め”ハルチカ、“料理長”アキツネ、“薬師”メヅキ、“護衛”シヅキ。運搬用の丸鳥ガーグァ、猟虫、それからたくさんのバイトアイルー。事務所にいるとき名札は表に、外出しているときは裏にひっくり返す仕組みだ。
見慣れない名前が二つあって、これはどうやらこの事務所の先代主。
そしてもう二枚、裏返しのままの名札がある。興味本位で表を見ても、名前の欄は黒く塗りつぶされていた。
この名札プレートはいったい何なんだろうニャ? ムニエルは一瞬疑問に思ったが、別に大切なことでもない。廊下からパタパタと近寄ってくる足音に首を巡らせた。
もちろん、自分の名札プレートをひっくり返すのを忘れずに。
ムニエルは、商事《南天屋》の古参バイトアイルーである。
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居間から出てきたのは一人の青年。曲がり角で足の小指を引っ掛け、「ワアッ」とごろごろ悶絶してムニエルのもとへ転がってくる。
足を抱えて真横になったまま、青年は四角四面な挨拶をした。
「久方ぶり、ムニエル殿」
「お久しぶりですニャ、メヅキさん」
青年はメヅキという名だ。《南天屋》メンバーの一人であり、隻眼のライトボウガン使いである。
「足、大丈夫ですかニャ?」
「別にいつものことだ。恥ずかしながら俺は、
「目がどうも悪いのだ」やや足を庇いながらおもむろに両膝をつき、メヅキは普段着の襟を正す。
「遠路はるばるご足労であった。ようこそ、ドンドルマへ」
ぺこりと頭を下げると、ムニエルに上がるよう促した。「不味い茶くらいしか出せないが」
「そんなにかしこまらなくても。ただ年末のご馳走を買いに来ただけですニャア」
誘われるまま居間に上がると、
居間は鼻にすーっと来るような、仄かな薬品臭が漂っている。
ムニエルはココット村から食材の買い付けに来ていた。年末前に、と旦那さんが休暇をくれたのだ。
家でぐうたらするのも考えたが、先月にライゼクス撃退の報酬として身の丈に合わない収入を得たので、大金を懐に抱いてノコノコとドンドルマに
「それにしてもこんなに早く到着するなんて。オイラがさすらいをしていた頃なんか、とてもじゃないけどマトモに歩ける道なんて少なかったもんですニャア。ココット村とドンドルマ間、見積もり十日はかかったニャ」
「放浪なんてしていたのか」
「タルの中に入ってあっちこっちへ料理修行……モンスターにも見つからなくって、雨風にも強くて、意外に快適ですニャよ、タル」
「家を背負って暮らすなど、ダイミョウザザミやショウグンギザミのようだなぁ」
炬燵布団に埋もれてぬくぬくしているムニエルを見て、メヅキは「アメフリコタツブリ……」と上手いことを言うように呟いた。
「ご馳走の買い付けは夕方に出てもいいですニャ? 到着してからすぐに動けるほど、元気な歳でもなくてニャア」
「構わんとも。夕刻は多少混むが、露店は客が増えるのに合わせて品揃えを充実させるからな。しばし休まれていくと良い」
「どうぞ」とメヅキは
獣人族だけの好物、マタタビを煎じた茶である。
「バイトアイルー達に大人気なのだが、俺にとっては全然美味く思えん……喫茶をやっている師匠が趣味で集めていてな」
「マタタビを茶で頂くのは、ヒトにとってはいささかコクが深すぎるかもしれませんニャア。酒にさっと香りづけをしたり、味噌や糠で浸け物にするといいかと」
「さすが料理人。アキツネが見込んだだけある……すまん、散らかっておるな。ちょっと片付けるぞ」
美味そうにマタタビ茶を啜るムニエルを横目に、メヅキは炬燵の上を占拠していた道具をざっとよけてスペースをつくる。
ものを右から左に移動させることは別に片付けではないことを、彼は恐らく理解していない。
メヅキは土産のうさ団子を無造作に口へ突っ込み、もりもりと食った。彼は甘党である。
「ギルド認定ではないから狩場では使えんが、マタタビは薬としても有用でな。体を温めたり、神経痛に効果がある。薬の材料、見てみるか?」
炬燵布団に埋もれていたムニエルは、やや高い炬燵の天板に首を伸ばす。天板の上は調合書と調合器具、マタタビをはじめとした薬草、キノコ、木の実でいっぱいだった。どうやらムニエルが訪れる直前まで調合作業をしていたらしい。
「あ、料理で使うやつもあるし、見たことないやつもある……これはトウガラシ!」
「ホットドリンクの材料だ。今の時期は日常的に使われるが、今の時期は雪山の狩猟制限かかかっているから、在庫消費は変わらない……ってお前、アイルーだからホットドリンクいらないのか」
「人間も毛むくじゃらになればいいのニャ」
「獣人族相手にトウガラシは売れないのだな……」
「なら、マタタビを売って欲しいですニャ!」
「1zの売値では大赤字なのだよ。ならばと事務所の表の花壇でマタタビを育ててみたことがあったが、道行くメラルーにことごとく盗られた」
もしマタタビで儲けようとするなら、税金を取るしかないかなとメヅキはぼやく。税金が課せられれば獣人族はみんな仕事を辞めるニャ、と意見を述べると、メヅキは不貞腐れたように閉口する。
ムニエルは次に、モンスターの角を二つ手に取った。大きいのと少し小さいのだ。「ケルビの角だニャー。これだけモンスターの素材ニャ?」
「ケルビの角はギルドが唯一認めている、モンスター素材の薬の材料だ。薬師によって考え方は異なるが、俺はなるべくモンスターの素材を薬に使いたくなくてな。一年で生え変わるケルビの角がせいぜいだ」
「結構硬いし、採集が大変ですニャよ」
「ライトボウガンの本体で殴って気絶なんて、最初はこれでいいのかと思ったわ」
「ライトボウガンは殴るものッ」とメヅキはジャブをしてみせた。
「薬の材料を産地で見るのも興味深いぞ。ほれ、お前が持っている大きいのはこの町で購入した森丘産、小さいのは先日、ポッケ村でシヅキが見繕った雪山産だ。ラベルが貼ってあるだろう」
「寒いから縮こまっちゃったニャ?」
「くははは、面白いな。そうかもしれんなぁ」
メヅキは機嫌よく大量の調合書を開くと、
「ケルビの角は秘薬の効能をより高めるのだが、いかんせん調合が難しく……俺はまだ上手く扱えん」
ムニエルも調合書を覗き込む。難しい文字と数字がいっぱいで、内容はよくわからなかった。料理のレシピならどんな内容でも読めるのに。
調合書の裏表紙に書いてある値段を見て、ムニエルは驚愕した。
「た、高いんですニャア、調合書って……。それに、持ち主が『《
不思議がるムニエルに「あぅ」と変な声を漏らして、メヅキは苦い顔で一冊の調合書を閉じた。
「……前に勤めていた商事だ。俺は《木天蓼亭》で薬学を学んだ」
拗ねたように少し肩をすくめた。「ほとんど独学みたいなものだが」
「調合書は?」
「借りパクした」
「ひどいニャ、レアアイテムの受け渡しは禁止されているニャ」
「誰にも使われずに埃をかぶっていたのだ。借りているだけだ。いつか返すぞ、いつか!」
駄々をこねて調合書⑤を大切そうに抱えるメヅキ。その値段は雑貨屋に置いてある書籍の中でもトップクラスに高額な15,000zである。
「じゃあ、メヅキさんはずっと《南天屋》にいたわけではないのニャ?」
「うーむ、なんと説明すればいいのやら」
メヅキはどこか苦そうな、でも懐かしむような目で明後日を見る。調合書⑤を握る手に、ぎゅっと力が
「……四年と少し前になるかな。前の商事を辞めて途方に暮れていた俺……俺とシヅキを、ハルチカが誘ってくれたのだ。新しく商事を建てたから、メンバーが欲しいと。お前をスカウトしたアキツネは、設立当初からのいちばん古いメンバーだ」
「オイラがアキツネさんと会うより、もうちょっと前だったんですニャね」
「俺達兄弟は当時、体を満足に動かせる状態ではなかった。
「《南天屋》同士はオトモダチだと思っていたニャよ?」
「もちろん、今はかけがえのない狩友だ。最初はもっと淡白な関係だったのだ」
メヅキは静かに調合書⑤を置いた。分厚い表紙の角を、日に焼けた指が沿う。「この街には困り果てた人など山ほどいる。どうして、俺達兄弟に声をかけて来たのだろうか」
ムニエルは調合書⑤に手を伸ばした。古い紙独特の、柔らかくて温かな匂いがした。
「それはきっと、薬が儲かるからニャ!」
「そ、そうか。儲かるからか……実際、今の《南天屋》の純収入は半分以上が俺の薬だからな。エヘン」
「儲かりすぎニャー……」
「借金持ちからここまで金を溜められるようになったとは、俺も成長し……ん? 《南天屋》ができた頃の俺、二十歳になっていなかったのか」
「今は?」
「に、二十三」
歳月人を待たず! 時の流れの早さにメヅキとムニエルは揃って震えた。示し合わせたように茶菓子のうさ団子に手を伸ばす。
「俺の話はこれでおしまい! あまり明るい話ではないしな。お前はどうして放浪してまで料理人に成ろうと?」
「それはもちろん、まだ見ぬ食材を求めて! ……今は、誰かに料理を振る舞う喜びの方が大事ですけどニャ」
「お前は優しいのだな。バッチリ模範的な
「え、次からアキツネさんを見る目が変わっちゃう……」
「黙っていればいい料理人なんだがな。アキツネは」
呆れてため息をつくメヅキに、ムニエルはうさ団子をもぐもぐやりながら尋ねた。
「じゃあ、メヅキさんはどうして薬学をやろうと思ったのですニャ?」
「もちろんお前も言った通り、あらゆる商売の中で最も儲かる商品だからだ! ……それから」
うさ団子の串の先が、「誰にも言うな」と言うようにムニエルの鼻先に突きつけられる。
この事務所は他に誰もいないのに、メヅキは真剣な顔で急に声をひそめた。
「弟の足をずっと診ていてあげたいからだ」
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ムニエルがマタタビ茶を啜って団子をかじっている間、メヅキはこつこつと薬の調合に勤しんだ。本人曰くナチュラルハイになって、作業が止まらなくなるらしい。
雑談しながら一刻は経っただろうか。不意に作業の手が「あ」と制止する。
「いかん、いくらか材料が少し足りん。商店街へ買い出しに行かねばならんな……ムニエル殿、食材の買い出しに行くか?」
「いいんですかニャ!?」
「今頃ほかの三人も商店街にいる。せっかくムニエル殿が来るというのにあいつら、迎えもせずにカワズの油を売っているとは」
カワズの油というのは、ココット村のあるアルコリス地方にはいないモンスターの素材らしい。
都会の露店巡り! まだ見ぬ食材にワクワクしているムニエルが、メヅキの提案に乗らないわけがない。
荷物袋を担いだ一人と一匹は、早くも夕飯の匂いが漂う商店街へと繰り出した。
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バイトアイルーのムニエル君に再登場して頂きました。元・タルアイルーの小太りアイルーです、
たまには大きな動きもなくダラダラ会話するだけの回もいいなぁと。いつも……いつもじゃんと言わないで。
次話も是非ご賞味ください。