嬉しい時は大いに楽しもう。
酒をたっぷり用意して、繋がりある者たちと飲みまくるのだ。
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商事《
頼んでもないのにメヅキの師匠が株分けしたのを押し付けてきて、狩猟に出ている間は武具工房で働いている隣人が好き勝手に世話をしてくれているのだという。
そんな植木に囲まれて、桶が一つ置いてある。
中の小金魚は、《
なんとなく、売るに売れなくなったらしい。
見上げると鉢のサイズに見合わないほど背が高く育った何かの木が乱立し、ひょろひょろと頼りない木陰を作っている。やけに隣人の手入れが行き届いているのがまた不気味な雰囲気を作っている。
関わった人全員の「これ育ててみたらどうなるんだろう」というちょっとした好奇心と、大いなる怠惰が、薄暗く鬱蒼とした事務所の雰囲気作りを助長していた。
「桶の中の小金魚、ジォ・クルーク海を知らず」とメヅキが呟いた。
知らなくてもいいのですニャ、とムニエルは思った。
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「この区は地価が安いぶん治安が悪いからな、はぐれぬよう注意されよ」
メヅキはガルルガS装備の足だけを身につけていた。裾の長い外套の隙間から、黒狼鳥イャンガルルガの翼膜で編まれたズボンがちらりと見える。
曰く、ハンターの装備はその者の実力を測る目印のようなものらしい。どんな野暮用でも、外出時には装備で身繕いするのがハンターの
彼の上着の裾がひらひらとムニエルの目の前から逃げてゆく。飛びつきたくなる獣人族の性を抑えて、ムニエルはとことこ後を追った。
顔が見えなくなるくらい用心深くフードを被ったメヅキは、ときどきムニエルの方を気にして歩く早さを微妙に変える。彼は歩くのが速い。
歩調を合わせるというのは、意外と難しいことなのだ。
きっと、何事においても。
西陽に照らされる下町の混沌っぷりは、もはや暴力的だ。
この市場の行き止まりがどこなのか、具体的にどこまでを市場と指すのか、ここを行き交う人々は誰も知らない。ムニエルの少し前を歩いているメヅキも淡々としているが、たぶん知らない。
化け物のようにぬらぬら光るドス大食いマグロの
そんな商品の隙間から、メヅキへ挨拶が頻繁に飛んでくる。「ご苦労さま」「ちゃんと食べてるかい」と、労う声が多い。
メヅキはその度にぎこちなく会釈し、歩調も心なしか早くなる。まるで雨を避けるようだ。
「メヅキさんは人気者ですニャ!」
「人気というか、同情されているのだ……」
フードの下で、メヅキの目が明後日の方へ泳ぐ。ムニエルは首を傾げた。
「仲良くしないのニャ?」
「仲良くしているとも。俺はここの商人や住人にも薬を卸しているからな」
「そうじゃなくて、お喋りしたり」
「……業務外のサービスなら俺はせんぞ」
「あにゃー……」
会話していてそうは感じないが、実はシャイボーイなのだろうか。
すっかりヘソをグンニャリ曲げてしまった彼に、ムニエルはご機嫌とりで違う話題を出した。
「そ、そういえば、薬の材料って何を買うのですかニャ?」
「薬の材料か? 不死虫と、にが虫だ。それから薬用ではないが、罠や弾用に雷光虫もあれば嬉しい」
虫。ムニエルは先月、森丘で散々な目に遭ったばかりだ。
あの総毛立つ羽音、濡れているわけでもないのにてかてか光る甲殻、そしてあいつらを食うのは夜空に瞬く緑の雷光。
あれ以来、毒けむり玉の匂いを嗅ぐと泣きたくなってくる。
タルアイルーをやっていたムニエルはモンスターに耐性があるが、それとこれは別だ。彼は総毛立った。
「虫が入っている薬を飲むくらいなら、自分で体を治しますニャ……」
「“沈黙は金火竜”よ。どの薬に虫が使われているかは教えられん。薬を飲みやすくするなら、なんでもするのが薬師だ」
「まぁ、調合書を読めば材料なんて……」と言いかけて、メヅキはふと足を止めた。
行き交う人々の格好は形式張っていない。つまり、身なりがいい者はほとんどいない。そんな中、遊び人のような佇まいで店主と談笑している男がいた。着ているものも垢抜けていて、周りから少し浮いている。
彼は《南天屋》の元締めこと、ハルチカである。
ハルチカは粗末な荷車に詰まれた壺の中を覗いて何かを値踏みしていたようだ。小さな荷車から見るに、個人経営だろうか。
メヅキが声をかけると、ハルチカは「おつかれちゃーん」とご機嫌な挨拶をした。彼の紅を彫った目尻が細くなる。
「おやメヅ
「薬の材料の買い出しだ阿呆めが」メヅキは出会うや否や噛み付くようにまくし立てる。
「アキツネは食材、シヅキはモンスター素材の精算に出て、お前がムニエル殿の応対をする予定だっただろう。気がついた頃には居なくなっていたものだから、俺は心底焦ったんだぞ。俺が客の接待なぞできると思っているのか?」
「あぁ、そいつは済まなかったねェ。ところでさっき、うさ団子を買ったんだけど」
「一寸の悪気もなくへらへらしやがって。恥を知れ」
繰り出されるメヅキの鋭いジャブをぽこぽこと肩たたきのように受けるハルチカ。甘いうさ団子を避けてしょっぱいうさ団子をもりもり食っている。彼は辛党である。
「おや、ムニエルも着いてきていたのかい。ほら、うさ団子をお食べ。腹が減ってはこの戦場を歩めんのサ」
「久々に会って早々、なんだか悪いニャー」
さっき食ったばかりだが、これは美味いので別腹だ。素直に受け取ろうとして、ムニエルはハルチカの肩に虫がひっついているのに気づいてしまった。大きな羽と、緑のふわふわの体毛を持っていて、とにかく巨大だ。不気味なことこの上ない。
ムニエルは「ギャッ」と悲鳴を上げて、うさ団子を両手で剣のごとく握りながらメヅキの後ろに身を隠す。慣れているのか、そんな彼をわざとらしく見て見ぬふりをして、ハルチカはメヅキの方を向いた。
「
「む……蜜餌か。いつもどんなところで買ってくるのかと思っていたのだが」
「養蜂家の直売が、仕入れルートの一つサね」
ヴァル子、というのはハルチカの肩の羽虫、猟虫のことだ。少しも重たそうなそぶりを見せず、彼は荷車の店主──養蜂家の
壺に入った蜜餌をよぼよぼと瓶に詰めながら、「どうも世話んなってます」と爺はしわくちゃの笑顔と大声で会釈した。だいぶ耳が遠いらしい。
曰く、蜜餌はハチミツではない。
金で買えるところは限られていて、自分で狩場を駆け回って集めるか、行商や問屋といった専門家に取引を──ときに金とは異なる特別な
「寒冷きは花も咲いていないのに、蜜なんて採れるのか?」とメヅキは大声で爺に聞いた。
「採れませんとも。お客様の前で言うのも良くないですがね、寒冷期の蜜はちょいと質が落ちますわ」
養蜂家の爺は垂れた瞼をぶるぶるさせながら言った。
野花が咲かない寒冷期は、養蜂家にとって休みの時期だ。他の農作業をやって、じっと次の繁殖期を待つ。
巣箱の掃除でできる寒冷期産のハチミツは、繁殖期、温暖期産と比べて質が落ちるが、市場に出回らなくなるので価値はつく。
捨てるのではなく、多少の手間をかけても売りに出すというのがこの爺の考え方だった。
「な、なるほどニャア」とムニエルは関心する。ハチミツは甘味づけに料理で使うこともあるが、どうやって作られているかはよく知らなかったからだ。
「薬の素材の虫ッつったら、にが虫や不死虫あたりだろ? メヅキ公よ。養蜂家はその辺も詳しいはずだゼ。オヤジが蜜餌詰めるの待って、ここで買って行きな」
ハルチカは「よっこらせ」と荷車に腰掛け、ムニエルもうさ団子を齧りながら爺の作業を待つことにした。メヅキは瓶の蓋を開けてやったり、壺の口に垂れた蜜を拭いたりと不本意ながら爺の手伝いをしている。
ハルチカは何もせず、ムニエルの横でうさ団子を美味そうに食っていた。
「今年の寒冷期は、虫素材の売り上げが悪くてねエ」と、養蜂家の爺は大声で言った。真横でびくりと身を震わせるメヅキを置いて、荷車からハルチカが応える。
奇妙なことに、大声でないのに彼の声は爺の耳に届く。
「そりゃ災難だ。農業ッてのア安定しなくて大変サね」
「いやア、生産の方は通常通りです。問題は他にあって……」と、爺は語尾で唸った。
「新しい“虫商”が
「どういうことだい」
「えぇと。この時期、ドンドルマに入ってくる虫商は、たいていが養蜂家といった農家と、卸業です」
農家は自分の畑で勝手に増える虫を、ハンターやハンターズギルド、薬師が好んで買うからだ。
乾燥させれば日にちが持つ商品なので、売り物がない寒冷期の入りにまとめて売って、一年の作業の終わりとする家もある。
卸業は、そんな農家から委託された行商人だ。彼らは虫素材の他にも、様々な雑貨を運ぶ。
「狭い業界なんで、毎年売買している人とは知り合いばかりになるんです。毎年の仕事終わりには一緒に飲みに行くくらい。けど……」
養蜂家の爺は一旦言葉を区切った。
「昨日ここに到着したとき、『先月、見慣れねぇ行商が虫を運んできた』って噂を仲間から聞きやした。飛竜一頭分くらい、デカい
「ほぅ」と、ハルチカはうさ団子の串を噛んで、少し身を乗り出すと、声色が変わった。
「なーんか引っ掛かる。規模のある商隊なら、虫よりもっと儲けの出るモンを運ぶよナァ? ずいぶん物好きな商隊と見た」
「もちろん、仲間内みんながそう思いました。でも本当におっかないのが……奴らがあんまりたくさん虫素材を卸したんで、ハンターズギルドが目ェつけたんです。んで、ウチらの売り上げが落ちちまって……」
ハルチカは黙って目を細めると、うさ団子の串がぼきりと折れる。ようやく絞り出すように言った。「そいつァ災難だ。老山龍サマもびっくりだナァ」
ハルチカに促されるままメヅキに作業を放り出した爺は、うさ団子を歯のない口でしゃぶった。
「仲間は小さな農家と卸業ばかりなんで、今年の寒冷期を越えられないところも出てます。ハンターの兄ちゃん、商売に詳しいんですよね? あの商隊は相当大手と見やしたが、何かご存じないです?」
「ふぅむ」と今度はハルチカが唸った。「どこかで情報を掠ったか……オヤジには今年寒冷期越え分の蜜餌の恩がある。ちょいとこちらでも探してみようじゃねェか」
「恩もなにも。兄さんが蜜餌をたんまり買ってくれたおかげで、私らもどうにか今期の飯にありつけそうです。来年もお願いしたいですナァ」
爺は困り笑いしながら、卓上でゼニーの枚数をよぼよぼとした手つきで揃えた。十枚積んだゼニーへ、徐々に傾く陽が長い影を作る。
「もちろんだとも。寒冷期越えっては互いにしんどいし、オヤジも多少の足しになるだろうサ……今を楽しむべきよ」
「どうも、毎度あり」
爺から蜜餌の瓶がたっぷり詰まった麻袋を受け取ると、ハルチカは意地悪い顔で今度はメヅキの方を向いた。
「さて、儂の買い物はこれでおしめェだ。お前サンの買い物は?」
「あっ」と声を漏らすメヅキを彼はニタニタと笑った。
「……にが虫と不死虫、それから雷光虫、ハチミツ。揃えているぶんありったけ!」
メヅキはぶっきらぼうに注文した。「経費で落としてもらうからな、ハルチカ」
「誰が落とすかパーカ」と舌を出すハルチカの隣で、養蜂家の爺は満面の笑みで手を揉んだ。
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荷車の商品を全て買い込み、養蜂家の爺と別れた二人は、一匹にも荷物持ちをさせて夕飯どきの町を歩きだした。
「さて、ムニエルにメヅ公。謎の大規模商隊ってのを追いかけようか」
「お前一人でやれ。俺は関係な……」と言いかけて、にが虫を噛み潰したような顔をするメヅキ。「……あの爺から買い物した時点で、俺も関係あるのか」
「メヅキさん、仲良しチャンスですニャ」
「うるさいな」
「そう言うことサ。お前サン、商売するならもっと付き合いの幅を増やしとくべきヨ? それに」
時折り道ゆく知り合いに挨拶されて、ハルチカは笑顔で手を振ってみせた。メヅキは依然無愛想である。
「“逃した魚竜はデカい”……儂は、どうしてもあの商隊のケツを拭かなきゃならねェ」
そう言ってハルチカはにやりと口の端を吊り上げた。肩の猟虫、ヴァル子が「きゅうう」と鳴く。
「商隊ってのア留まることを知らねェ。一つの町で売り捌けば、すぐに仕入れて、また次の街へと旅立つのサ。さてムニエル。仕入れのほかに必ず買うものって、何かねェ?」
頭に疑問符を浮かべる彼に、ハルチカはわざとらしく「腹が減ってはァ?」と誘うように言う。
「……あ! 飯かニャ!」
「正解。商隊は出立前に大量の飯を買い込む。大規模な商隊であれば、情報だってぶくぶくに膨れて悠々と泳いでいるかもしれねェなァ。さ、食品売り巡りでもしようか」
ハルチカは得意げに笑った。
冒険の気配にタルアイルーの性をかき乱されてワクワクするムニエルの横で、メヅキは天を仰いで大きなため息をついた。
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正月から最新話の工事のため非公開にしていました。楽しみにしてくださっていたハンター様方にはご迷惑をおかけしました。
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。今年もボチボチ執筆して行きますので、どうぞお付き合い下されば幸いです。
【挿絵表示】