黄金芋酒で乾杯を   作:zok.

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幕間チェイサー②
15杯目 読み切り短編『 限りないご武運を 』


 

 

 

 零下の世界。

 

 

 

 寒冷期のフラヒヤは雪をまぶかに被り、つんと澄ました白銀の装いだ。

 しかし、一日のうち、色彩に染まる時間が二回だけある。 

 

 朝と夕の、一刻にも満たないほんのわずかな時間。真っ黒な影から身を浮き上がらせる前と、影に沈んでしまう前。

 フラヒヤは燃える。零下の世界のはずなのに、鉄が灼熱に焼けたような色に染まる。

 

 

 

 

 

 

 ほく、ほく、とわき上がる白い息。冷たい空気を押しのけて、空へ空へと昇ってゆく。

 朝日に照らされ、透けた色は黄金色だ。

 

 針葉樹が散在するゆるやかな斜面にただひとり、歩みを進める男がいた。

 

 

 ぎゅ、ぎゅ、と冷気を噛みしめるように新雪を踏む。

 (つる)や木の皮を編んで作ったかんじきを、グリーヴに取り付けていた。第六感を研ぎ澄ませて、雪に沈むことなく男は進む。とても歩き慣れている。

 

 やがて、男は歩みを止めた。岩と雪のひさしの下、針葉樹と並んでとてつもなく大きな氷の絶壁がたたずんでいた。

 風は無いのに、濃ゆい気配が漂っていた。白紙のような雪景色の中、張り詰めた殺気とも敵意とも、傲慢とも謙虚とも異なり、ただそこに在るという態度があった。

 

 

 男は、深く一礼。そのまま見上げる。

 

 カモフラージュ用に雪色の外套を羽織っていた。フードの下は、フルフェイスのヘルム──古びているが、この上なく上等なデザインと性能美。雄火竜リオレウスのものだ。

 

 男はずっと昔にかの竜の命を頂き、それからずっと身にまとっていた。

 メイルやアームに縫い付けられているのは、彼から切り取った甲殻や鱗。細かい傷や破損が目立つが、丁寧に扱われているそれらは今や、男の皮膚も同然だ。

 

 素材となって男を守ることは、かの竜にとって第二の生でもあった。

 

 男の身分は、ハンターである。

 

 

 

銀嶺(ギンレイ)、銀嶺」

 

 よく通る質であっただろう、声。寒風のようにかすれて乾いていた。

 ヘルムから臨む瞳は金。フラヒヤの冷たい空気を照らす朝焼けの様な金だ。洞窟の入り口から差し込む朝日に、燃えるように輝いた。

 

「おはようございます」

 

 まるで隣人へのあいさつのように、男はあえてヒトの言葉をかける。母音と子音を組み合わせて、ヒトの表現をする。

 

 そうでもしないと、男はいつかヒトの言葉を忘れてしまいそうだったから。

 そうでもしないと、男はいつか彼、彼女らの声を発してしまいそうだったから。フラヒヤのどこまでも響き渡る、高らかな金管楽器のような声を。

 

「先週と位置が変わってない……歩き回れば多少は周りの木が傷ついたり、枝が折れるはずなのに。食事は? 飲水は? 排泄は?」

 

 もちろん。ヒトの華奢な喉では、ただの(ブランゴみたいな)真似でしかないのだが。

 男は、背負っていた鞄の中からノートを取り出す。日付と時刻、天気、風。それから今しがた口にした情報を。クエスチョンマークがたくさん書きこまれた。

 

「昨晩はだいぶ雪が降ったな。繁殖期が待ち遠しいこの頃が、毎年一番積雪する」

 

 口を開閉させるたびに、ほく、ほく、とヘルムの隙間から白い息が吐き出される。ヘルムの金属部分に結露ができて、ゆっくりと白く凍り付いていく。

 普段の狩りなら白い息は目印になり、襲われる可能性がある。けれど、男は息を隠すことはしない。

 

「今年の繁殖期はどこへ行く? 南にすこし行った川沿いが、今年は豊かになりそうだ」

 

「前に訪れたのは三年前だったかな。おととい様子を見に行ったけれど、白樺(シラカバ)唐松(カラマツ)の葉が美味そうだったよ」

 

「最近、繁殖期の訪れを待ちきれない腹ぺこギアノスたちがうろついている。まったく、ギアノスというのはあわてん坊だな。毎年」

 

 男の話に、氷の絶壁は応えない。ただ、体を規則的にうごめかせていた。

 

 長い鼻で吸い込んだ空気を温める。肋骨のまわりの筋肉をゆっくりとはたらかせ、横隔膜を上げて、下げて、肺を、膨らませ、萎ませ。

 男のものよりとてつもなく大きな白い息が、その巨体から静かに産み出されていた。

 

「銀嶺。繁殖期が待ち遠しいな。俺は暗くひもじい寒冷期より、明るく豊かな繁殖期のフラヒヤが好きだ」

 

 氷の絶壁──彼女は、自らの白い息を隠そうとしない。なぜなら、このフラヒヤに彼女を狩る者はいないから。

 かの絶対王者も、超攻撃的生物も、健啖の悪魔さえも。

 そして眼前の、右手にひとつの盾を、腰にひと振りの刃を下げる小さな小さなヒトの男も。

 

「繁殖期になったら。俺はまた、山菜や薬草を採って、魚を釣って、鉱石を掘って、少しだけ山を降りて、街へ売りに出て……あなたもまた、芽吹いた植物を食べ、襲い来る竜や獣を退け、ポポの群れを守るのに忙しくなる」

 

 じっとしている彼女に手を伸ばせば、その硬い毛にすぐ触れられそうな距離だ。また、彼女も鼻を少し動かせば小さな男の頭を撫でることさえできる。

 

 なのに、彼らは決して線を越えない。

 彼らは、互いの間に存在する絶対的な境界線を知っていた。

 

「銀嶺。俺はまた来る。本当は明日来たい。でもやらなければならないことがあるし、体力だって昔みたいにあるわけじゃない」

 

「来週……吹雪いてしまえば再来週、あたりかな。もし来なかったら、俺というニンゲンはきっとこのフラヒヤのどこかでくたばっているとか、思っていてくれ」

 

 男は、冷たく凍りついていた表情筋を動かす。顔にへばりつく大きな火傷痕がひきつれ、皮膚は軋み、くしゃりと目元にしわが寄った。

 長年の心労と疲労が刻み込まれた、傷だらけの笑顔だった。

 

「俺は歳をとった。少しずつ出来ないことが増えて、ひとりでフラヒヤに暮らすのが難しくなってきた。でも、あなたはあの時から──あの時から、変わらぬ様子だ。ずっと、ずっと」

 

「銀嶺。あなたはいつまで生きるつもりだ。あなたは確かに呼吸をしていて、温かい血が通っているのに、山や森林みたいな自然そのものだと錯覚してしまう。いつも、会うたびに」

 

 男は腰のポーチから、片手大の玉を取り出す。彼女の前脚にそっと放り投げれば、着地したそれはふわりとピンク色の煙をまき散らした。

 ペイントボール。ペイントの実をネンチャク草でモンスターにくっつくように加工し、独特の臭気でモンスター位置を探れるようになるアイテムだ。

 

 しかし、彼女は巨体をゆっくり持ち上げた。白銀の毛にこびりついている雪がどかどかと落ちた。

 前脚に付着したペイントボールを、ごし、ごし、と鼻ですり落とす。ペイントの実の臭いはもみ消され、霧散してしまった。

 彼女は元の姿勢になると、また静かになる。ただ静かに呼吸を行う。

 

 やっぱりあなたは賢いな。呟いてヘルムの上から頬を掻く男のポーチには、千里眼の薬の空きビンが入っていた。この薬で、男は彼女の元へとたどり着いていた。

 

「銀嶺。あなたに再び会うために、俺は死ねない。あなたのくたばる姿を見るまで、俺はがんばって生きる」

 

「だから、あなたも生きろ。飢えたブランゴやギアノス、ティガレックスなんかに殺されるな。厳しい寒さやひもじさにくたばるな。あらゆる手段をつかって大自然に抗え、戦え」

 

 銀嶺(ギンレイ)。彼女のことを群や種としての『ガムート』ではなく、特別な固有名詞で呼んでいた。

 名前があるだけで、個の意味ができる。銀嶺(ギンレイ)の名は、男から彼女へ唯一の贈り物だった。

 

 ひとしきり歩き回って周囲の観察と記録を終え、男は鞄を背負いなおす。

 男は帰路につかねばならない。寒冷期の日はせっかちで、顔を見せる時間が短いからだ。家事労働のたぐいは日が照る間にしかできない。

 

「さようなら、銀嶺。あなたの生に、限りないご武運を」

 

 

 

 狩人と、その獲物。どちらかが、どちらかに。

 その狭間(はざま)に立つ彼と彼女は、どちらにも限りなく近くて遠い。

 

 “すなわち狩るか、狩られるか“ 。

 それ以外の答えも、この世界にはある。

 

 

 




 番外編。読了ありがとうございました! 次話も是非ご賞味下さい。
 
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