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16杯目 バンドとハントでご依頼を ひとくち
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窓の外には鳥の――大方、この路地裏のゴミを漁る鳥なのだが――鳴き声。
本日、世間は休日なので、子供が遊んではしゃぐ声。
店が開いて品出しの物音。
それから、通る客に気だるげにかける、店番の声。
大都市ドンドルマの、地価が一番安い地区、とある
夜は
「あ゛――――外れた! 外れちまった! 行きたかったヨぅチクショー!!」
「きみが一番騒がしいんだよなぁ」
玄関の古びたドアが壊れんばかりに開け放たれると、ビリビリと部屋の空気が震える。その振動で、細かい埃があちこちから降ってきそうな。
そのあまりの音に肩を跳ねさせる、炬燵に向かっていたシヅキ。眉間にしわを寄せて、居間に声をかける。
「ちょっとうるさいんだけど。この間、そのドア壊れたの忘れた?」
「なんだいシヅキ、いたのかい。そンなこと言わずにコレを見ておくれ」
仕事場から覗けば、何やら紙をぱたぱたさせて憤慨するハルチカが。
いつもはきっちりとした商人の出で立ちだが、休日である今日はルーズな私服になっている。
彼のやかましい帰宅であったが、しかし、それはかえってシヅキが在宅の仕事を切り上げる良い口実となった。同じく私服の彼は夜鳥ホロロホルルの羽ペンを置き、伸びをしながら炬燵を抜け出す。
「『またの機会にご応募下さい』だってサ。またの機会なんていつになるか分かンねェのに、無責任な文章!」
「ご応募? 何かの懸賞?」
「“狩猟音楽祭”! 四人分まとめてぜーんぶ、掠りもしなかったヨ」
「あっ、“狩猟音楽祭”か! お土産の抽選も?」
「全部。もう全部駄目」
「くぁ~残念。また今度ちゃんとお仕事の日程調整して、応募しよ」
炬燵に置いてあった小ぶりの北風みかんを、軽く投げてよこすシヅキ。ポッケ村の教官から、新米二人を世話したお礼にと贈られてきたギフトものだ。
しかしこの北風みかんも旬の終わりを迎え、炬燵もあともう少しで押し入れに籠る時期。年度の始まり、繁殖期もとい繁忙期へのカウントダウンが始まっている。
“狩猟音楽祭”とは、世界各国を巡回する大規模楽団による音楽会のこと。
ハンター達に捧げる曲やモンスターをテーマにした曲を演奏し、ハンターだけでなくハンターズギルド職員や研究者、商人までもが魅了され、こぞって行きたがる。
あまりの人気に抽選制の音楽会なのだ。
《南天屋》の四人も御多分に漏れず応募したのだが、ご覧の結果、というわけで。
「次の講演は繁殖期の末サ。また忙しい時期じゃねェかい」
「それはちょっと厳しいな。次は応募するときに知り合いの商人の名義使えば? 数撃ちゃ戦法だ」
落ち込んでいても、ハルチカは片手で華麗に北風みかんをキャッチ。そのまま部屋の隅に積んである客用の丸椅子に腰かけて、長い足を行儀悪く組んだ。
「馬鹿だネ、知り合いの商人もみーんな狙ってたの。チケットの転売サ、転売」
「うわぁ悪徳。もうさ、いっそそれでも買っちゃえばいいんじゃない?」
「ンなことしたら
そう言いつつ口を尖らせて、もはやゴミと化した応募の通知書で小さなくず入れを折って作り、北風みかんの皮を無造作に収める。器用な奴だ。
口当たりを良くしたいのか、はたまた落ち着かないだけか、喋りながら手はチマチマと白いスジを取り除く。
「転売はネ、売り手へありがとうの意味でお金を払う、っていう商売の基本がなってないのサ。買い手も、その品が喉から手が出るほど欲しいのァ分かるが、長い目で見れば自分が本当にお金を出してあげたい売り手にとッて損になっちまう。
……もし転売するなら、せめてそのお代を引いた何十分の一の価格にでもして売りやがれってンだ」
「ふむふむ、言いますね~」
「だが、それで生活を賄っている人も、必死に稼いだ金で馬鹿高い転売チケットを入手して嬉しい思いをする人がいるのも確かサ。真面目なのが馬鹿を見る、ってのァお前サンが一番分かって……ってこの話は終わりサ。胸糞悪くなっちまう。あァ、何か音楽聴きてェな」
北風みかんの爽やかな匂いに誘われ、シヅキは自分も食べようと手を炬燵の台に這わすが、掴むのは空虚ばかり。気づいて、手を申し訳なさそうにハルチカに合わせる。
「ていうかその北風みかん最後の一個でした。半分くれません? お気持ち代の返品として」
じっとりと目を細めてそれを見つめるハルチカであったが。
「…………」
「あっ、ちょ、やめやめ」
「……この商品は、返品不可となっております故。お前サンが商売語るなンざ、ざッと二十年早ェ」
シヅキの制止も空しく、小ぶりな北風みかんはたった一口でハルチカに飲み込まれていった。
「随分酸っぱいなコリャ!」
「一口で食べておいてその感想はないでしょ」
不貞腐れて机に突っ伏したシヅキはどうすることもできず、北風みかんの皮のくず入れに刷られた『またの機会にご応募ください』の文字を目でなぞる。
が。ふと、瞬いた。
「あれ、このくず入れ……なんか紙重なってない?」
摘まんでみれば、紙が二枚になっていた。通知書と、もう一枚。
乱雑な字でこの事務所宛てが書かれている。
「って依頼じゃないのコレ!? 折っちゃってるじゃんハルチカ!」
「は? 見せてみ――ってうわやっちまった!!」
今回の依頼の手紙は、北風みかんの香りがする。
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「ご足労いただきありがとうございます。初めまして、僕はシヅキと申します」
名刺とギルドカードを渡して、ぺこりと頭を下げるシヅキ。小柄な彼は、いつも商売の時は背の高い相手に目線がずっと上を向いた状態だ。
続いて、ハルチカも客向けの笑顔でギルドカードを差し出した。
普段の格好に実力の分かる程度の、最低限の防具を身に着けたこの二人。彼らは《南天屋》の商談窓口的な存在である。
今回の客は、飛甲虫ブナハブラの羽飾りのついた余所行き用のローブを羽織っている。中年の、男が二人、女が二人だ。下に着こんでいる防具がチェーン一式装備であるのを見ると、下位ハンターだろう。
事務所の居間から見て床の軋む廊下の向かい、大きな部屋が客室。
ごちゃごちゃしている居間とは違い、中古の綺麗なテーブルと上座にソファーがあって、インドアプラントまで置いてある
客の四人を座るよう勧め、アキツネが事前に用意した上等の茶を提供したところで、《南天屋》の商談は始まる。
いの一番に開口した彼らは、彼ら自身を聞きなれない言葉で呼称した。
「――バンド?」
「そう、
大きめのとはいえソファーに大人四人、しかも装備込みが座るとなるとかなり無理があるらしく、彼らが身じろぎする度にギシギシ唸る。
「たまにここの街の広場で演奏してるんだけど、すぐにガーディアンに追い払われてしまうんだ。でも聴きに来てくれる人はたくさんいるよ」
「あの演奏をバンドというのかい。見かけたことあるサ」
「退去願いが出るのに、ストリートを?」
「分からねぇのか? 通り行く人に
ドン、と客用のローテーブルに拳を置く、口回りに髭を生やした色黒の男。名を、デカート・モット。
「魂とは、無形。すなわち、俺達は吹奏楽も、民族音楽も、ジャンルを問わない。耳を傾ける者の数が多ければ多いほど、音楽の色は変わり、大きくなる。表現してこその音楽――バンドだぜ」
「……熱くなりすぎだよデカート。相手はこれからものを頼む方々だ」
「いいサいいサ、気持ちを教えてくれた方が、儂らも感情移入しやすいからネ」
にこやかにデカートの話を受け入れるハルチカ。これくらいのクセなど、いつも相手にしている商人と比べたら大したものではない。
「それって、まるで吟遊詩人……みたいな? 感じでしょうか」
シヅキが追って話を振ると、四人は一気に明るい雰囲気になる。誰でも、好きなものに言及されると嬉しくなるものだ。
「お、そうそう。吟遊詩人。ちょっと似ているかもね」
少し自嘲的に笑う客の面々。ソファーもギシギシとつられて笑う。
「吟遊詩人が街中で楽器片手に歌うのは認められているけれど、楽団はまだまだ浸透していないみたい。もっと自由に音楽を表現できればいいな、っていうバンド仲間は、他にもいる」
遠くを見つめながら語る男、オクター・ビヴァリー。彼ら客四人の、リーダー格だ。
「まぁでも、別に俺達はバンドを世に広めたくてストリートをやっているわけではない。ただ音楽が好きでやっているよ」
「アタシ達、幼少時代に同じ地方で生まれて、音楽やりながら育ってるのさ。学び舎に通いに地方に出たのとか、実家を継いだのもいたけど、地元でまた再開して、今に至るの」
大きな腹を揺さぶらせて快活に笑うのは、デシベル・バラード。その日に焼けた笑顔は化粧をしているものの、丁度ハルチカやシヅキの年の、倍くらいの年季が。
そして、笑顔で言葉を締める女、スコア・パウエル。背が高くて、痩せている。
「いい年の私達ですが、子供がみんな自立して、子育てもひと段落したから新しいことに挑戦したくて。そこで目を付けたのがハンター業だったのです」
全くいい話じゃねェか。客四人の話に、思わず笑顔になるハルチカとシヅキ。人は夢追う時が最も輝くものだ。
「さて、今回はどんなご用事で?」
「そうだな……本来なら護衛業みたいな位置づけになるのかな」
「護衛業ですね。それなら僕が専門にしてます。お任せください」
「いや、そうじゃなくて……“竜の歌”っていうのを、聞いたことあるかい?」
「……“竜の歌”?」
ためらいがちに出された言葉に、一気に顔つきが真剣になるハルチカ。隣でシヅキも書類を準備する手が止まる。
「そう、“竜の歌”。これまで色々なハンターにお願いをしたんだけど、この話題になるとどのハンターも興味を無くすんだ」
「確かに、ハンターとは現金な奴らしかいねェからネ。……いいだろう、続けておくれ。シヅキ、メモを」
「はいよ」
ハルチカは一言断ると懐からお香とキセルを取り出し、くゆらせ始める。その様子を見て、オクターもポーチの煙草に火をつけた。気を利かせたシヅキが、灰皿を壁の棚から取り出す。
話を聞く姿勢を示した二人に、希望的な表情になる客の四人。
「俺達が去年、何か新しいことに挑戦したくて、色々な職業について調べていた時のことだ」
落ち着く香りの紫煙と、渋い香りの白煙が絡まり合って、部屋をゆるやかに泳ぎ始めた。
「俺達の地元は、ギルドの定める狩場、密林の傍にあるんだけど。ここ数年、繁殖期の口のある時期だけ、普段のとはちょっと違った、何ていうのかな……抑揚のついた鳴き声が聞こえることがあるんだ」
「私達の村には、竜が歌えば森が豊かになるって言い伝えがあるのです。あなた方は情報通とお聞きしていますが、心当たりありませんか?」
「いや、そんな話聞いたこと無いですね。ハルチカは?」
「儂もねェサ。……なるほどねェ、現地住民にしか判別できねェような、妙な鳴き声かい」
ハルチカは顎に手をやって思考し、シヅキはその間ペンを走らせる。急いではいても、丸みがかった綺麗な文字が、メモ用紙にまるで印刷機のように正確に映し出されてゆく。
シヅキのペンがピリオドを打ったところで、「この話にはまだ続きがある」、デカートが言葉を再開した。
「前に歌が聞こえたのはもう数十年近い前の事だ。せっかくハンターとしても活動しているんだから、その“竜の歌”の正体がなんなのか、音楽に携わる者としても知りたくなってな」
「でも、アタシ達はこの通り音楽に関してはそれなりでも、ハンターとしてはガーグァっ子だ。そこで腕の立つハンターであると共に、何でも屋であるアンタ達に連絡してみたって訳さ」
「何でも屋じゃねェんだけどなァ」
話し終えて、デシベルは注がれたグラスの茶で口を湿らせた。「お、このお茶美味いね」
その一杯を作った当人のアキツネは、商談が上手くいかずに場が荒れた時のために、メヅキと裏で目を光らせ控えている。毎度、商談に耳を傾け、出した茶の感想に口の端を少しだけ緩めるのだ。
今回もきっと二人で話に首を傾げているだろう。
「ハンターには拒否される、商人にはできない。これはあなた方に頼むしかないと思って」
しかし、なんとも漠然とした話である。“竜の歌”とはただの伝承ではないのか。
子育て、という大きな波を終えた世代の人であることや、四人の真剣な表情から彼らが本気であることは分かる。決して軽々しい気持ちでこの事務所に乗り込んでいないだろう。
別に断る理由はないが、請け負う理由もない。信憑性もない。そんな内容である。少し迷った目線が、ハルチカとシヅキの間で交わされた。
「で、少し早い話ではあるが、報酬についてだ」
そんな様子の二人に、オクターは身を乗り出して言葉を一押しする。
「もし“竜の歌”が何なのかを突き止めて、今回の依頼が全部終わったら。……チャリティーコンサートを最後に村で開きたいと考えている」
「チャリティーコンサート……慈善公演、かい?」
「はい。売り上げは全部村の公共事業に充てます。私達を育て、一年前私たちを送り出してくれた村へ、感謝の意を示したいのです」
「開催できた暁には、《南天屋》の方々を特等席で優待するよ」
そこでふと、ハルチカとシヅキの頭に“狩猟音楽祭”の応募が落選したことがよぎった。
アマチュアとはいえ音楽を聴けるのは滅多にないし、次の“狩猟音楽祭”に行けるのもいつになるか分からない。
音楽聴きてェな、と先日ぼやいたハルチカの一言が、二人の頭の中で反芻される。
……別に、断る理由は、無い。
「音楽がお好きなようなら、密林へ移動中になんでも演奏するぜ」
「ほ、本当かい!?」
何もなかったならなかったで、タダで一か月音楽聴き放題の旅、で済む。なんて贅沢な旅なんだろう。
二人は思わず、唾を飲み込んだ。
「……詳細を、聞かせておくれ」
「うん。出発は再来週で、“竜の歌”は今年もちらほら聞こえてるって地元の友人とも連絡を貰っているから、密林に張り込む期間は二週間にしたい。ギルドに頼んでその期間別の団体が密林に立ち入ることがないようにするし、現地の宿泊は俺達の村で済ませる」
「密林と村を往復しての二週間、ということですね」
「あなた方の宿泊代や食費は、全て一括の支払いで頼みたい」
「合点。報酬は後払い形式サね」
いつの間に計算を済ませていたのか、ハルチカは愛用の算盤に暫定の報酬金の値を示す。
それを目にして、客の四人の顔に嬉しさがにじみ出た。
「このくらいの額なら構わない。お金はしっかり貯めてある」
「交渉成立、ですね」
書類の準備を終えたシヅキと、キセルの燃え滓を落としたハルチカが、にこりと口の端を吊り上げる。
ハルチカの差し出した手を、オクターは強く握りしめた。
「“竜の歌”探しの手伝い、この《南天屋》に任せな!」
「よろしく、《南天屋》……あ、俺達まだ名乗っていなかったっけ。これは失礼」
咳払いをして、慣れた仕草で姿勢を正すオクター。それを合図にか、他の三人も倣ってハルチカとシヅキに向き直った。
それらは、音楽に携わる人間の仕草だ。
商談がひと段落した安心感で茶を口に着けたハルチカとシヅキは、思わずそれを呆けて観る。
「改めまして、我々は《ザ・スカルズ・スピカ・シンガーズ》。《スカスピ》で略してくれ」
…………略称ダサくない?
ハルチカとシヅキは、茶を盛大に噴き出した。
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