△▼△▼△▼△▼△
「……本当に来るのかしらね」
つぅ、とデシベルの額に汗が伝う感覚がして。
触れてみると、小さなセッチャクロアリだった。気まぐれで噛まれないうちに、慌てて払う。
密林は、見渡す限りに生命が居る。
木々や草花はもちろん、このセッチャクロアリのように小さいものから――今回のメインターゲットのような、巨大なものまで。
「シッ、来るぞ。みんな、静かに」
口に人差し指を立て、他の三人に注意を飛ばすオクター。普段そのしぐさをするのは演奏する前の舞台袖で、くらいのものだが、今回は違う意味で緊張感が漂う。
でも、静かにするのは得意だ。
《スカスピ》の四人は茂みにしゃがみ、スッと息を潜めた。
ここは密林のエリア2。
他のエリアと比べて背の高い樹木は比較的少なく、視野は広い。
崖の上にあることで、背伸びをすれば遠くに我らがグロム・バオム村の見えるこのエリアは、
そしてたった今、背面にそびえる高台から蔦を器用に使って降りてきた彼は、エリア中央にとあるモノを見つける。
「……グホ?」
タンパク質と脂、そして強い調味料の匂い。
あれほど甘くて、しょっぱくて、味が濃い食べ物は、これまで生きてきて食べたことがなかったから。
人間め、これまで手出しをしたことはなかったが、いつもあんなに旨いものを食っていたのか、と。
またあの場所にもう一度行って、隠してある食べ物を頂きたいなぁ、と。
そう思っていた矢先、目立つ場所に、匂いの原因が落ちていた。
「……??」
ちゃんと嗅いでみる。確かに、あの時食った食べ物と似たような、旨そうな匂い。
嗅いだ後に頭が少しだけぽーっとなるのが、たまらない。
密林のこんなど真ん中にぽつんと置いてあるのは、あまりにも異質であったけれど。
もし、もしの話だ。勝手に旨いものを食っているのが子分どもにバレたら。
……後で適当にシラを切っておけばいいか。
長年磨き上げた自慢の黒い爪で摘まみ上げて、何度も観察して、匂いを嗅いで、頭がまたぽーっとして……。
空腹に耐えかねて、つい齧ってしまった。
体の異変に気付いたのは、ほんの何分も経たなかっただろう。
「ゴッ、ブハッ!?」
ゾクゾクと背筋に悪寒が走ったかと思うと、四肢が突っ張って細かく痙攣し始めたのだ。
「来ました!」
「よっしゃ行くぞ!」
「攻撃旋律任せたよ!」
「防御も任しとけって!」
――そのババコンガが、ハメられた、と気づくのも、それほど時間はかからなかった。
事前に演奏しておいた旋律が効いている。
気分は上々。普段よりも狩猟笛が軽く感じて、振り回す腕にも力が入っている。
移動速度の強化。
全ての狩猟笛が奏でることのできる旋律であり、《スカスピ》のような訓練所育ちも、我流も問わず狩猟笛使いは一番最初にこの旋律を学ぶ。
この旋律から狩猟が始まる、と言っても過言ではないくらい、狩猟笛使いにとっては重要な旋律なのだ。
「まずはっ……一撃!」
更にデシベルのセロヴィセロルージュが、痙攣するババコンガの上腕を殴打する。剛毛の下の筋肉はこれまで相手にしてきた鳥竜種たちの鱗とは違った感触だ。
堅牢さというより、弾力。
その弾力を利用して振りかぶり、麻痺の解けないうちに集中的に攻撃を叩きこむ、が。
右ぶん回し、左ぶん回し、右、左、右……しかし、なかなか効いているようには見えない。
「腕はダメだわ! 硬すぎる!」
「後ろ足もっ……なんだこれ、腰に来るな!」
「胴は皮膚が硬いです! 皮膚のつくりが鳥竜種とは全然違う……!」
密林に住むモンスターは火気を苦手とするものが多い。《南天屋》の情報によれば、ババコンガの体毛は熱への耐性が低いため、火属性のセロヴィセロルージュが有効のはず。
しかし、デシベルのセロヴィセロルージュでこんなに弾かれるのだから、属性を持たない他の三人の狩猟笛であれば更にダメージを与えるのは難しいだろう。
「そんな時は、ここだぜっ!」
ババコンガの眼前に陣取ったデカートは、すかさずハンターズホルンを頭上に大きく振り上げ、そのまま垂直に思い切り叩きつけた。
植物の汁で固めたトサカが縦に特産タケノコのように二つに割れて、顎が土にめりこんだ。
「デカート、やるじゃん!」
「おうとも、位置取り気を付けていこう……って麻痺、解けるぞ!」
好き放題やられていた分、四肢の不自由がやっと治まったババコンガは怒りを爆発させる。
皮膚が黒ずんでいるにもかかわらず、頭に血が上って鼻の頭が赤くなる。鼻息は荒くなり、瞳孔がぐわっと広がった。
これまで相手にしてきた鳥竜種よりも圧倒的に豊かな表情。人間にも似た雰囲気さえ感じる。
初めて見る反応につい怯んだデカート、デシベル、スコアは、大タルの胴ほどもある太さの腕の一振りで弾かれてしまった。
「なんだぁ、速い!」
「ごほっ……表情が変わったとたんに、動きが格段に違います……!」
「少し距離をとって、様子見に……って!?」
腹から転んでしまったスコアに手を差し伸べるデカートであったが、二人に影が差し掛かる。
チェーンフォールドの鎖かたびらの隙間に詰まった腐葉土を払う暇もなく、倒れ掛からんと傾きかけた巨体の下から急いで退避した。
その巨体は背の低い草木丸ごと押し潰し、彼が起き上がった時には柔らかい腐葉土が餅のようにのされてた。
次に伸されるになるのは、自分たちかもしれない。
距離をとっていたために偶然攻撃を受けなかったオクターは、どろりとした脇汗がチェーンメイルのインナーを伝うのをはっきりと感じた。
『大抵の大型モンスターは頭に血が上ると動きが速くなるが、牙獣種は特に顕著である』
『牙獣種の前足、後足の計四本の足は鳥竜種より安定性があり、接地している部位も狭いため、フットワークが軽い』
『牙獣種は飛竜種や鳥竜種と比べて股下が狭いため、余裕のある距離感を保って挑むべし』
オクターの脳裏に、《南天屋》のハンターノートのメモが浮き上がっては消える。
こんなに質量のあるものが、こんなに機敏に動くなんて。小型や中型の鳥竜種とは圧倒的に異なる、歩幅。一体、余裕のある距離感とは。
文字の内容を頭では理解していても、体が上手く追いつかない。メモはあらかた覚えてきたはずだが、すぐに忘れてしまった。
加齢をここまで憎く思ったことは、後にも先にもないだろう。走って位置取りに手間取るうちに、焦って息がすぐに切れ始める。
「音色の準備完了です! 皆さんお待たせしました!」
そこで、走って接近するババコンガから身を投げだして回避するオクターに、スコアは声を張り上げた。
スコアはウネリシェルンのマウスピースに固く締めた唇をつけ、思い切り、というよりも空気を送り込むイメージで息を吐く。
スタッカートを効かせて。
浜の砂が波にさらわれていくような、音。
旋律に合わせて吸って、吐いて、を繰り返すと、リズムが乱れた呼吸が落ち着き、ある程度楽になった。これでとりあえずはスタミナを気にせず行動できる。スタミナ減少無効、という通称の旋律だ。
《南天屋》のシヅキのような、若さと健脚に任せた芸当ができない《スカスピ》なりの戦略だ。
そして、聴きなれないその音に、ババコンガの
狩猟笛の音色はハンター達にとって気分を高揚させるものであっても、モンスターの気には召さないようで、狩猟笛使いの大きなデメリットの一つでもある。演奏中は移動ができないためにモンスターに攻撃されてしまい、満足いく演奏ができない……ということもしばしばだ。
ババコンガはスコアに体当たりをしようと体の向きを変えるが、ウネリシェルンに重ねて華やかな音調が鳴り響き、それを妨げた。デシベルのセロヴィセロルージュだ。
見やれば、デシベルはババコンガから見て左手の遠く。体当たりを仕掛けるには距離が開きすぎていて、わざわざ近づくほどでもない。
しかし、セロヴィセロルージュの音色に重なって、また右手からデカートのハンターズホルンが吠え立てた。
苛ついてそちらを向けばもうすでに位置が変わっていて、時すでに遅し。背後から回り込んでいたオクターのアズマンドウィンドが、ババコンガの側頭部を強く叩いた。
ババコンガの目が、いや、耳が回る。誰から手を付けたらいいものか。
気が散った状態で腕をやみくもに振り回しても、大振りすぎて彼らの頭上を掠め、狙いの定まっていない一撃は無駄に土を抉る。
分が悪いと感じ取ったのか、とうとうババコンガは四人にわき目も振らずに走り出すと、大きく跳躍。
南の方角へ姿をくらました。
静寂が戻る。お喋りな小さな虫や鳥が騒ぎ出すのにそれほど時間はかからない。
「ペイントの匂いからして……移動先はエリア1、かな」
流れる汗をチェーンメイルの袖で拭いながら、オクターは地図で方角とエリアを確認する。密林の太陽は昼には真上に位置することに加え、激しく立ち回ったために、自分が向いている方角がよく分からなくなってしまうのだ。
「お疲れ皆。大怪我するやつがいなくて良かったわ」
デシベルも汗をかきかき、セロヴィセロルージュで回復の旋律をかけてくれた。
「これだけアツいと、このセロヴィセロルージュに溜まる唾がすぐに臭くなりそうだわ」
「で、オクター。相手の動きはこんなものと分かったが、いつアイテムを使うんだ?」
デカートがエリアの端に寄せてある小型の荷車に顎をしゃくった。拠点からここまで荷車を引いて来たデカートは、早く荷物が減らないか待っているのだ。
「それじゃ、次のエリアで早速使ってみよう。次は俺引っ張るからさ」
オクターは荷車まで歩み寄り、取っ手に手をかけた。荷車にはズワロポスの革製の防水カバーが掛けられていて、中にはアイテムがぎっしり詰まっているのだ。
「せっかくたくさん《南天屋》から購入したんだ。どうせなら使い切るくらいのつもりで行きたいよね」
「これ、本当に効果てきめんだったわね。……あー、やっぱり酒臭いわ」
デシベルはカバーの隙間から半ば飛び出している骨を掴む。無加工の生肉と間違えないように表面をマヒダケの黄色い色素で染めてあるその肉は、ハンターの間ではシビレ生肉と呼ばれている罠肉だ。
通常のシビレ生肉と違い、今回のシビレ生肉はすり下ろしたトロピーチと安価なホピ酒に漬け込んで作られている。村の酒場のトロピーチ酒を好んで物色した跡から、ババコンガを酒好きと想定して特別にアキツネがこしらえたのだ。
「引っかからなかった時のために普通のシビレ生肉も作ってくれていますが、これもトロピーチとホピ酒のソースを後がけして、特製のと同じように運用しても良さそうですね」
「追いソースかよ。
「アタシも長年グロム・バオム村の主婦やってるけど、特産のトロピーチを肉のソースにしようなんて考えたことなかったわ」
「やっぱり大都市ドンドルマの商人は色々知っているもんだな。ババコンガもやみつきだったぜ」
特製のシビレ生肉の強い酒気には、密林の貪欲な虫や鳥竜種、コンガたちさえも寄り付かない。正に、対ババコンガ専用のアイテムともいえるのだ。
これを四人はあらかじめ密林の各所に設置しており、腰の道具袋にも忍ばせている。
『 ――但し 夕立が降る前に回収を必ず行い 設置は控えること。
雨によって酒が流れ、おびき寄せることが困難になるため 』
特製シビレ生肉の袋の紐に、油性のインクで書かれた字のメモ。初心者ハンターである《スカスピ》に、《南天屋》がアイテムの使い方のメモを、作戦と共に逐一用意してくれたのだ。
『 ――《スカスピ》様方に 限りないご武運を 』
その丸みがかった綺麗な字の一文が、既に足取り重くなっていた四人を奮い立たせる。これも、狩猟笛の旋律と似て非なる強化……であろうか。
今、《南天屋》はハンターが不在になったグロム・バオム村の護衛と、ドンドルマハンターズギルドの出張所があるジャンボ村へ狩猟の手続きに向かう二手に分かれて、それぞれ業務をこなしている。
どちらも初心者ハンターにとっては難しいものではあるが、ババコンガの狩猟も初心者ハンターが務めるには少々荷が重い。任せてしまった《南天屋》も責任を感じているのか、かなり手厚く情報やアイテムを売ってくれた。
「そうとなれば、日が傾く前に何とかひと段落させねぇとな! 夕立がやって来ちまう」
「安全第一よデカート。エリア移る前にアンタのハンターズホルンで防御の旋律かけてくれない?」
「では、私のウネリシェルンでも旋律をかけておきましょうか。あとはスタミナ減少無効と……」
「念のため回復薬と薬草もちゃんと飲んでおけよ。ったく、これもうちっとマシな味になんねぇのか?」
変わらない仲間の様子に、思わずオクターは息をついた。
大丈夫。まだいつもの《スカスピ》だ。まだやれる。まだ調子は悪くない。
怖い、という感情はあるけれど、初めての大型モンスターに気持ちが高揚している。
強大な相手に、大好きな音楽を駆使して戦える、というところもあるのかもしれない。
「……待って、何か聞こえない?」
デシベルがふと頭を上げた。すかさず四人で耳に手を添えると――確かに、聞こえる。
――グオォ、オォ、オォ、オォ…………。
等間隔で、低いさえずりとも唸りともつかない声。
ババコンガの向かった方角とは違い、密林の中央、およそエリア6、7、8あたりの方角から微かに聞こえる。
オォ、オォ、オォ、オォ…………。
まるで、地をなだめすかし、語りかけ、律動を刻むような――。
「まさか……竜の、歌?」
オクターは、僅かに眉を上げた。
――ババコンガより遥かに強大な生き物の気配が、この密林に潜んでいる。
△▼△▼△▼△▼△
こんばんは。zokです。
本編とは関係ないのですが、3000UA突破のご報告をさせて頂きます。名だたるモンハン二次創作作品の中では全然大したことない数字かもしれませんが、思い切って初めてみた連載が正直ここまで伸びるとは思っていなかったので……。
一応絵描きの端くれでもあるので、ありがとうイラストを作ってみました。
キャラのイメージ崩したくない!という方は閲覧をお控え下さい!!
【挿絵表示】
今後とも『黄金芋酒で乾杯を』をよろしくお願いします。