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“竜の歌”はしばらく響いていたが、ふと止んでしまった。
「結構近く感じましたね……村では聞けないものですし、当然でしょうけど」
「歌っつーか、音を調整するときと似た感じだったな。音程が合っているか確かめる感じ」
「音を確かめるって。チューニングじゃあるまいし」
「チューニング……調律、ねぇ」
オクターはアズマンドウィンドを二、三度軽く振る。何度かババコンガを叩いて切れ味が落ちているが、音に問題はなさそうだ。
「竜が調律するって、何かリズムとかメロディーを分かってるのかな。というか、本番があるってこと?」
「知ったことか。そう聞こえたかも~ってだけだよ」
「オクター、砥石使いな」
荷車に積んであった砥石を渡され、オクターは素直にアズマンドウィンドを研ぐことにする。しかし、胸の内にはわずかな憂慮が残っていた。
「竜とやらが出てこないといいんだけど。俺達、竜とか絶対に相手にできないから」
『 ――キノコ類の食事後 ババコンガは特殊なブレスを仕掛けてくるようになる
注意されたし 』
エリア1。拠点の北東すぐに配置している、岩壁によって一日中影になっているようなエリアだ。視界は悪いがババコンガのペイント臭が漂っていて、そこまで遠くに位置していないことが分かる。
そして、エリアに群生しているはずのキノコが、手あたり次第食い散らかされている。おどろおどろしい赤い食べかすに、急いでメモを見返した四人は一気にこわばった。
「特殊なブレスってなんだ? そもそも
「
「一体何なのかしらね。デカートのハンターズホルン渡したら吹いてくれるかもよ」
「嫌だぜ」
デカートが顔をしかめたその時だ。ポンと
右手の頭上の木々が、
「何だぁ!?」
湿度が高いため火はほとんど広がりはしないものの、爆発の衝撃で木々が倒され、空間ができる。ぬぅと茂みの陰から現れ、両手を振り上げ威嚇するババコンガ。さながら演者のようだ。
「アンタが俺達のためにわざわざ用意したステージ、ってわけかい!」
足音がして見渡すと、子分であろうコンガが下草の合間からこちらを睨んでいるのがわかる。一頭や二頭ではなく、恐らくグループ一つ分くらいの頭数はいるだろう。
ババコンガがステージのメインとすれば、こちらはギャラリーか。それも、とびきりの野次を飛ばす
「んん? 待てよ、メモによるとババコンガって火に弱いんじゃなかったっけか? どうして木が燃えて……」
「細かいことは後だデカート!」
アイテムの詰まった荷車を急いで岩陰に寄せ、《スカスピ》はそれぞれ得物に手をやる。しかし、このエリアに足を踏み入れた時点で奴らのステージはすでに始まっていた。
構えるよりも早く、ババコンガがその巨大な腕を振り回しながら真正面から向かってくる。移動速度強化の旋律をまだかけていない《スカスピ》にとっては、そんな単純な動作さえも凶悪な攻撃だ。必死に掻い潜るが、ババコンガが倒れ込んだ衝撃で足をすくわれてしまう。
鍛えた体幹があるわけでもない。あっけなく尻もちをついてしまったオクターであったが、起き上がろうとすると腰のベルトを引っ張られ、また転んでしまった。
子分のコンガだ。腰ポーチを嗅いだり触ったりしてフタを開け、中身を奪おうとしてくるのだ。
慌てて大きな頭を足の裏で押しやり、半ば足をもつれさせながら距離をとる。拍子で何か荷物が奪われた感触がしたような。
「皆! 大丈夫か!」
しかし返ってくるのは悲鳴。薄暗い木々の合間に目を凝らすと、スコアとデカートがババコンガに追撃を食らっている。デシベルはコンガにたかられて、自力で突破するには厳しそうだ。
更に、ババコンガはまた仰け反って腹を叩く。え、と思う暇もなく、《スカスピ》はたかられているコンガごと吹っ飛ばされた。転がりながら回復薬を手にするも、悪臭でとても口にする気になれない。
劣勢。打開策はないのか。アイテムを積んだ荷車まではとてもではないが走れない。メモを確認する暇もない。俺一人では……。
(……一人に、ならどうだろう)
アズマンドウィンドを抱えて逃げ回っているうちに、旋律のセットが偶然出来ていた。
――ここは慌ててはいけない。狩猟笛使いは、この瞬間はハンターであり楽士なのだから。
悪臭を耐え、肺からアズマンドウィンドに息を送り込む。旋律の名は、体力回復【小】。気休め程度の癒しの効果だが、今はそこではない。
ババコンガとコンガの注目が、次から次へとオクターに向く。
ここは舞台。いや、普通に考えるとおかしいけれど、とにかくここは舞台。自分にそう言い聞かせる。
走って逃げられるような力も持たないハンターが出来ること言えば、これだろう。
光が木陰を塗りつぶした。
「ゴアァァッ!?」「グゴォ!」「ウゴホッ!」
一拍遅れて、ババコンガ達が目を抑えてのたうち回り始めた。《南天屋》から購入した閃光玉だ。
鳥竜種相手にこれまで使ったことがなかったので、要領よく目の前に投げるような芸当は出来なかった。村に無事帰れたら、使い方をちゃんと聞いておこう。
まずは一人でうつぶせに倒れていたデシベルを起こして消臭玉を使い、回復薬で水分補給させてやる。
「立てるか? というかお前……コンガにたかられてなかったっけ?」
「アタシも分からないんだけど、ポーチのたまたま一番上にあった携帯食料の包みが破れちゃったから、投げ捨てたの」
「携帯食料?」
「そしたら、みんな一目散にワーッて。アタシに攻撃することはどうでもいいみたいだわ」
デシベルがなんとか立ち上がって一息つけたところで、スコアとデカートも休めたようだ。それぞれの狩猟笛を構えて駆け寄ってきてくれた。
そろそろ奴らの視力が回復してくる頃合いだろうか。オクターは腰に下げた袋から、携帯食料と特製シビレ生肉をゆっくりと取り出した。
「ねぇアンタ、何してるの!?」
「スコアはスタミナ減少無効の旋律を。デシベルとデカートも旋律を重ねてババコンガの気を撹乱するんだ」
コンガ達とババコンガのこちらの出方を伺うような視線は、演奏前に壇上に立っているときに受ける目線とは違った、舐め回すようなもの。
仲間の方へ振り向きたいのをこらえ、必死に奴らから目を離さない。そんなオクターの表情に察したのか、三人は散らばって狩猟笛の指穴に手をあてがった。
(……お前ら、信頼してくれてありがとう)
今度はこちらの出る幕だ。どんな反応をするだろうか。
『 ――コンガやババコンガは 食に対して非常に貪欲であるため 戦闘中であっても食べ物を与えると 食事行動が見られる
好機にすべし 』
オクターは素早く携帯食料を割り、包みを開け、コンガの群れの中へばら撒いた。コンガ達は沸き立ち、《スカスピ》の前であるのにも関わらず、散らばった携帯食料を貪り始める。
コンガは他の種の小型モンスターと比べて力が強く、倒すのには時間がかかる。鳥竜種よりも圧倒的に連帯感が薄いことを生かして、この様に行動を封じておく方が好都合なのだ。相手が鳥竜種であったら、こんな作戦は通用しないだろう。
ババコンガも一瞬たじろいだが、それが反撃の合図。オクターは特製シビレ生肉をババコンガから目立つように掲げ、走る。スタミナ減少無効の旋律が彼を後押しした。
急に動き出したオクターに興奮したババコンガは、仰け反って腹を軽く叩く。ポンと
「ブホッ!」
「皆、伏せろ!!」
木々が燃えて弾けた。このブレスは、火炎。
地肌にへばりつく《スカスピ》の頭上で、炎は範囲を広げる。熱風を浴びて舞い上がる落ち葉を浴び、チェーン一式装備のあちこちに燃える下草を引っ掛けた。
『――ブレスは三種類。
通常である悪臭性に加え 毒性 麻痺性 火炎性。
火炎性のブレスはリーチが長く 危険であるが その特性を利用することは 可なり』
半分ほど地に埋もれた視界では、当のババコンガは口を激しくパクパクさせて手で覆っている。火炎のブレスは確かに凄まじい威力だが、ババコンガは火を苦手とするため全くのノーダメージという訳ではなさそうだ。
そして、あれほど《スカスピ》の隙を潰してきた子分のコンガ。体にかかる火の粉に慌てて、密林の奥へと逃げてゆく。ブレスの範囲が広いこと、火炎を孕んでいることを利用して、携帯食料に夢中だったコンガ達を撤退させたのだ
一頭に、ならどうだろう。オクターはこれを狙っていたのだ。
「ナイス! こんな発想があったのね!」
「やりました!」
おまけに邪魔な木々や下草も吹き飛び、視界がある程度良くなった。狩猟の流れの変化に色めき立つ《スカスピ》。
心沸き立つのは、旋律が理由ではない。これはハンターとしての高揚だろうか。
「ったくババコンガも、仲間は大事にしろよな!」
出始めに、デカートが殴り込む。
ババコンガは唸るハンターズホルンをバックステップでかわすも、回り込んでいたスコアのウネリシェルンに後ろ足を強打される。先程は弾かれてしまったが、今回は的確にダメージを与えていた。
移動速度強化の旋律を二フレーズ重ねたメロディーは、狩猟笛を弾くことなくヒットさせられるコツでもある。通称『心眼効果』を表すはじかれ無効の旋律は、狩猟笛使いに伝わる狩猟の要となる旋律だ。
打撃された足に痛みが走り、思わず腕を振り放つババコンガ。気が完全にスコアに反れたところで、デシベルのセロヴィセロルージュが反対側から殴り込んだ。
「これ、忘れてちゃいけないだろう?」
ババコンガの眼前までいつの間にか忍び込み、オクターは特製シビレ生肉を揺らした。
一度引っかかっているにも関わらず、ババコンガはわき目も振らずにそれさえも食らいつく。一度目よりも効果が表れる時間はかかったが、やがて四肢を震わせて地に倒れ込んだ。
「行きますよ!」
「畳み掛けるわ!」
狩猟の
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グロム・バオム村の酒場は、《スカスピ》が生まれた年に建った。
村の人間に愛され、仕事が終わる時間帯になれば老若男女問わず賑わい、ジャンボ村をはじめとした近隣の村から、時にはドンドルマといった大都市からわざわざやって来る人もいた。
酒場では数々の出会いと別れが繰り広げられ、世代がひとつ、ふたつ移り、昔ながらのトロピーチの果実酒だけがそれを変わらずしっとりと見送っていた。
築五十年近く。
《スカスピ》と同じ分だけ、酒場も年齢を重ねる。
《スカスピ》も子育てを終え、次は子の世代が村を発展させてゆく番になった。
これからもまた、酒場は、果実酒は、新しい世代を見守ってくれるのだろうと。
四人は、村の人々は、そう思っていた。
ババコンガを倒さなければいけない理由が、《スカスピ》にはあった。
剛腕と悪臭、火炎を潜り抜けること、半日と少し。
先程から数回の
密林の最北端に位置するエリア10。西日に満たされ、海がそれを反射して美しい。木々やツタが複雑なシルエットの幕を作る。
「バオオオォォォッ!」
そのエリアの中央に、怒り狂うババコンガ。
しかし、足がふらついている。判断が甘くなっている。顔や四肢は真っ赤になっている。
特製シビレ生肉のホピ酒、すなわち
安酒は悪酔いしやすい。
ババコンガもまた、ここ数時間はずっと絶不調と言ったところか。振り回される腕が、一回、二回、三回。挙動こそ大きいが、標的が絞れていないために少し体をずらすだけで避けられる。
腕を伸ばしすぎたのか、巨体は前のめりになって倒れる。《スカスピ》は一斉に攻めかかった。
倒れ込んだ際の放屁も、消臭球を取り出すまでもない。アズマンドウィンドの体力回復【中】と消臭の旋律でさっぱりと霧散する。四つの狩猟笛が振り抜かれ、桃色の体を叩いて、筋組織を壊していく。はじかれ無効の旋律で隙が生じず、立ち回りやすさは段違いだ。
旋律を重ねていくことで無限の可能性を秘めた武器、狩猟笛。
中身は空洞とはいえ、それなりの質量を持つ。その頭に何度も殴打されれば、無傷ではすまない。
「来た、スタン!」
パァン! と果実を割るような気味の良い感触。ババコンガは一瞬仰け反り、倒れてもがき苦しみだした。通称『スタン』、
手足を振り回しているが、頭がガラ空きになる。《スカスピ》は一斉に集まり、狩猟笛を振りかざした。
「さぁ行くよ!」
四つの狩猟笛が二回だけ、軽く振り回される。だいぶ痛む腰を捻って、マウスピースにありったけの息を。
「俺達の!」
「音!」
音とは、空気の波。空気の粗密だ。圧縮して波の密度を高め、解き放てば、単純に叩くよりも何倍も大きな威力になる。
「――聴けぇえええッ!」
鮮烈な爆鳴が、密林に響いた。
狩猟笛専用の
ババコンガ顔の厚い皮膚が震え、大量の鼻血が出た。植物の汁で固めたトサカが完全に崩れ、よれよれになった風貌は、まるで早朝帰りの酔っ払いのようだ。
「ウホッ、オ゛オ゛ッ!?」
そして、そんな姿のリーダーには誰もついて行きたがらないだろう。元々既に数を減らしていたコンガ達は、不利を悟ったのかさっさと撤退を始める。慌ててババコンガが仲間を呼ぶような咆哮を上げるが、虚無ばかりがこだまする。
「まさか、まだやるのか?」
「いや、待て」
やがてババコンガは悔しそうに顔をしかめると、足を引きずって密林の中央、巣のある方へと去っていった。
夕焼け空に浮かぶ観測隊の気球が、満を持して『撃退完了』の信号弾を放った。
メインターゲットの達成だ。
しばらくは信じられず、呆けてしまった《スカスピ》であったが、デカートがハンターズホルンを振り上げて叫ぶ。続けてスコアが、デシベルが崩れて息をつく。
「やったぜー! 酒場の仇がとれたな!」
「本当に……あぁ、もう本当に、大きな怪我がなくてよかったです」
「もう大型モンスターの狩りなんてこりごりだわ」
「皆……お疲れ。本当にありがとう」
思わず笑顔になるオクター。狩猟を言い出してしまったときは正直どうなることかと思ったが、《南天屋》のフォローは勿論、長年の団結力が、そして何より音楽の力が《スカスピ》を守ってくれたような気がした。
「お前も、ありがとうな」。オクターは、アズマンドウィンドにそっと口づけをした。
「お、ババコンガの奴、トサカなんて落としてるぜ。帰ったら売れるか見てもらうか」
デカートはしゃがみ込み、女性陣二人と機嫌よく会話をしている。と、大きな影が彼らの上を通過した。
ごう、と頭上で唸る、強い風。大きな翼が、砂浜の上を滑って行く。
とてつもなく、ババコンガなどよりももっと、もっと大きな翼だ。
オクターが熱い喉を反らして、痛む腰に手を当てて見上げれば。
――抜けるような空の青や、密林の緑に溶け込むことを拒む、紫。
長い首、尾。その骨格は
地をのべる強靭な肉体。そんな充実した体躯を持っていても尚、その翼は彼女が空を飛ぶことさえ選べる。
それは、密林に住まう人間なら恐れ敬う対象だ。
「リオ……レイ、ア?」
彼女は《スカスピ》に気づいていないのか、気づいていても確認する価値がないと判断したのか、一瞥もくれない。
密林の中央に位置する洞窟――ババコンガの消えていった方向へ、悠然と羽ばたいて行くのであった。
――『至急撤退』、『至急撤退』。
古龍観測隊の気球が、信号弾を狂ったように放ち続けた。
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