『 無垢な使徒に幻惑の旋律を。
果てなき憂悶の声を響かせん。 』
本作では、「村を一晩で飲み込んだ龍」のおとぎ話にゆえんのある伝説上の魔笛として扱う。
《スカスピ》がこのおとぎ話、伝説からグループ名の縁起を担いだのかは……不明。
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老紫毒姫の狩猟から一週間と少し、グロム・バオム村の安宿の一室。
その薄い壁越しに、ぴぅ、ぴぅ、と隙間風のような間抜けた音。外で餌をついばむガーグァが頭を上げた。
「難しすぎんか? これ」
やがてベッドにそれを投げやりに叩きつけるのは、不機嫌な顔のメヅキ。
彼が持っているのは、げどく草の汁で青く染められた布を巻いた円錐型の筒。解毒笛。村の雑貨屋で売っていたのを試しに買ってきたのだ。
それは、隣からひょいと取り上げた。
「貸してみィ、ここの穴ちゃアんと塞いでやンの」
「なぜそんな裏側にも穴が空いているのだ。どう見ても要らんだろうが。紛らわしいぞ」
「そンな根本的な構造に言及されてもぉ」
ハルチカは唇に解毒笛の口をあてがうと、うまい具合に細く息を吹き出す。ペポー、と澄んだ音色が室内に響いた。
「口笛の要領で吹くのサ。お前サン、そういや口笛できねェよな」
「フン、悪かったな」
「……おれにも貸せィ」
解毒笛がさらに隣からひょいと取り上げられた。いつの間にか、アキツネは整備していたジェネラルパルドを放り出している。
ペポー。……上手い、意外と。
「なぜそんなに吹けるのだ!?」
「おめェが下手くそなだけだ、このぶきッちょ」
「辛辣っ」
ニタニタしながら茶化すアキツネ、ふてくされるメヅキ、大口を開けて笑うハルチカ。しかし、彼らはインナー姿の上半身は包帯を無尽蔵にあてがっている。全て老紫毒姫から貰った傷だ。
毒が入って治りが悪いので、解毒薬に加え回復薬グレート、漢方薬など様々な種類の薬を工夫して組み合わせて、普段よりも時間をかけて治療している。
「まったく笛がなんだ。俺は笛なぞに頼らず、解毒効果がある粉塵の量産を待ってやる」
解毒効果がある粉塵――『漢方の粉塵』は、新大陸で活動するハンターが愛用するらしい。また、ユクモ地方に臨在するたたら製鉄技術の里、カムラの里でも製造技術があるそうだ。
大量生産が難しく、また、キノコ類を上手く乾燥させて粉状にするための加熱方法がまだ伝わっていないため、ドンドルマやベルナ村では試作段階だという。
従来の加熱方法だと、キノコが消し炭になるのだとか。
すっかりヘソを曲げてベッドに横になるメヅキを、ハルチカはキセルを吸いながら
彼は、不器用なやつなのだ。
「ま、笛使うより個人で解毒する方が
「毒……毒なぁ……」
メヅキは寝転んだ姿勢のままサイドテーブルに置かれた解毒笛と、その隣の棘を見やる。老紫毒姫のものだ。
素材の銘こそ『雌火竜の上棘』だが、通常種のそれとは異なってより長く発達し、どす黒く染まっている。
手に取り、明かりに透かせば黒が濃い飴色に透けて、棘の中に毒液が染み渡るための管が見えた。
「なんでも、草木をも枯らすこの毒は、対毒加工を施した防具さえ貫通してしまうのだとか」
猛毒を超える毒、『劇毒』。ハンターズギルドに登録されている数あるモンスターの中でも、それを持っている者は未だ数種類しか見つかっていない。
ゲリョスやイーオスの素材から作られた装備や、装飾品で特殊な加工を施した装備は、体のタンパク質を侵す毒──化学物質に耐性を持つ。毒沼がある原生林にわざわざ着ていくハンターもいるくらいだ。
しかし、そんな『毒耐性』性能をも破る毒が現れたとなると、工房が黙ってはいないだろう。いつか、千万の毒から身を守ることができる装備が登場するかもしれない。
また、ハンターズギルドの研究機関も毒腺の資料を欲していた。そんな劇毒からハンター達を守るための特効薬の開発に着手したいらしい。速達アイルー便で素材や資料を送ったどちらも、今頃どんちゃん騒ぎだろう。
(本当は、薬を必要としない世の中の方がいい。……思えば俺も、薬が生んだ金で生かされている身であるがな)
毒の数だけ、病がある。
毒の数だけ、薬が作られる。
毒の数だけ、人が助かる。金が儲かる。
脅威さえ克服し、利益に還元してしまうヒトとはなんと強かなことだろう。
メヅキはひとつだけの目を細めながら、手に持つ棘で部屋に漂う紫煙をからめた。
その時。
ポン、ポン、と村の中央から花火の音がした。音と少しの煙だけの花火だ。
何事、と窓の外を除くハルチカ。その顔はすぐにパッと明るくなる。
「おゥ、始まるんサね」
──今夜は、《スカスピ》のチャリティーコンサートが開催される。
「お疲れ様です、オクターさん」
その安宿の二階、控えめなノックの後に部屋の扉が開けられて、シヅキが入ってきた。
彼も体にいくつもの包帯を当て、その上に軽装と簡単な羽織ものを着ている。密林の夜は意外と冷えるのだ。
そんな声に顔を上げるのはオクター。白いシャツにブナハブラ素材を使ったボトムスの格好は、壁に掛けてあるジャケットを着れば途端に楽士の顔──になるのが容易に想像できる。
彼は鏡に向かって、ごま塩髪をセットしている最中であった。
「お疲れ様、シヅキ。この度は本当に世話になったよ」
「いえいえです。《スカスピ》さんにもババコンガ狩猟を任せちゃいましたから。あの準備期間が無かったら、準備不足で僕たちも紫毒姫にやられていました」
それに、ギルドからの増援が来ていたら僕たちも報酬減っていましたし。わざとらしい小声で呟く。
「でもコンサートを開くのはちょっと早すぎたかな? 申し訳ないな」
「しょうがないです、僕たちも明日にはドンドルマに帰っちゃいますから。本当はもう少しこの村の観光してゆっくりしたいんですが、ギルドから討伐の手続きをしたいって急かされちゃって。
彼女の素材も、どうも高温多湿な環境から運ぶと処理が面倒みたいですし、収めるところに収めたいみたいです」
ハンター、とはフリーランスな職業だ。
ハンターズギルドをどう頼るか、関わるかはハンターそれぞれだが、《南天屋》はギルドとの癒着が比較的強いパーティである。そうすることで安定した収入やサービスを得られる代わりに、とことんいいように利用されることもあるようだ。
どうしてその様なスタイルをとるようになったのか。一瞬疑問がちらついたオクターであったが、きっと何かやむを得ない事情があるのだろう。スッと飲み込んでおいた。
「僕たちの予定に合わせてくれて、どうもありがとうございます」
「コンサートに案内するのは最初の契約に入っていたことだし、当然だよ。……っとこれ、忘れるところだった」
ごま塩の髪と髭をかっちりと整えたオクターは、部屋の隅に置いてあったランタンを手に取る。紫毒姫狩猟の前夜にシヅキが貸した、黒いランタンだ。
「あぁ、僕が忘れてるところでした。……あれ、いつの間にかきれいになってる?」
「家族の話、付き合ってくれたからね。俺も喋れて助かったよ。このコンサートが終わったら、ちゃんと家族と向き合おうと思う」
「あ……えーと」
「今夜は、絶対に絶対に成功させる。久々の酒場での演奏だし、また常連の連中とも会える。新曲も作ったし、楽しみだ!」
「んん……あー……」
「さぁ、そろそろ行こうか。特等席、空けているから」
「すみません、そのことなんですけど……」
ランタンを持て余しながら、目線を泳がせているシヅキ。物申しづらそうな様子に、オクターは思わず眼鏡を直した。
「僕たちよりもっと特等席にふさわしい方がいると思うんですよね。ちょっとお時間いいですか?」
ジャケットと愛笛、アズマンドウィンドを手にオクターはシヅキに促されるまま部屋を出る。宿の階段を下りると、奥のとある一部屋に案内された。
「以前から……村に来た直後あたりから彼女たちに相談を受けていたんですが、オクターさんに合わせるタイミングが今しかなくて。……じゃ、部屋、入っちゃってください」
はにかむシヅキ。オクターは彼の指示通りに、ドアノブに手をかけた。
妙に高鳴る胸を押さえ、ゆっくり、ゆっくりと開ける。
「――――……!!」
そこには、夫を、父を待つ者。
すなわち、彼の妻と娘、息子の姿があった。
──あぁ、おかえりなさい。
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「皆、今宵は《スカスピ》の講演に集まってくれてありがとう。一年ぶりだね」
ワァ、と拍手が巻き起こる。ヒューッと景気よく口笛を鳴らす輩も。それだけ、彼らは人々に愛されている。
ここは、村の中央の酒場――の跡地。大破した倉庫のがれきを押しのけて、光蟲や松明が灯りの簡素なステージが作られていた。
無事だった大きな客室には椅子がぎゅうぎゅうに敷き詰められ、それでも溢れる人が扉からはみ出ている。野外観客も多い。見れば、他の集落やジャンボ村から来た客も、物珍しさに立ち寄っている旅人の姿もあった。
ステージの上に立つのは、《スカスピ》の四人。お揃いの白シャツ、ブナハブラ素材のジャケット、ボトムス。手にはそれぞれ狩猟笛を携えており、デカートはハンターズホルンをババコンガ狩猟のときに拾った素材で、ウォードラムに強化していた。
紫毒姫狩猟を支えた旋律の一つ、『火属性防御効果【小】』はこのウォードラムによるものである。
「寄付金も、今の時点で結構集まってる。従業員のアイルーがその辺を回ってるから、見物料がてらに演奏中も寄付を是非頼むぜ」
「村の公共事業に……と言っても、まずはこの俺達の酒場を直すのが最優先だけど。皆、やっぱ酒飲みたいでしょ?」
冗談めかして言うデカートとオクターに、観客からもざわっと笑みがこぼれる。やはり、彼らはトーク慣れしているのだ。
にゃにゃー! と観客の間から威勢のいい鳴き声がした。ババコンガに酒場が襲撃されたときに居合わせた、従業員のアイルーだ。あの時はすっかり気を落としていたが、今では頭の上に小箱を担いで元気よく寄付金集めに奔走している。
「この講演は、とあるハンターのおかげで開催できてるの。この場を借りてお礼を言うわ。ありがとう」
「モンスターの脅威と恩恵は隣り合わせ。私たちは一年間ハンターとして活動してきて、そう実感しました。今夜は“ハンター兼楽士”として、演奏します」
こちらもトーク慣れしているデシベル、スコア。話しながら観客へ動かす目線の先に、彼ら、彼女らの家族の姿もある。
そして、最前列の優先席に《南天屋》の姿はなく――オクターの妻、娘と息子が座っている。仄かな灯りの中、夫を、父を見上げていた。
「まず初めに演奏するのは、新曲。この村に伝わるお話、“竜の歌”からアイデアを貰って作ったのよ」
「では、講演の始まりだ。曲名は――」
密林のお喋りな小さな虫や鳥さえ、息を潜める。全ての観客が、ステージに気を向けた。
「――――『太古の律動 リオレイア』」
大地が唸るような、歌うような一定の拍が、繰り返される、繰り返される――……。
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竜が歌えば森が豊かになる。
当時の研究の成果では、“生態系の頂点である竜の活動が活発になることで、植物を食う者が減り、一見森が豊かになるため”なんてうすっぺらい結論となった。
割と、だれでも予想ができる結論である。
そして、おおよそその結論は的中している。が。
長い長いの時の果て。
ここ密林は、厳しい世界。襲い来るのは暴風雨、日照り捕食者、土砂崩れ。
しかし、ここ密林の草木は。ひとつ強みがあるという。
病。病には決して負けぬのだ。
ここに住む者は竜や鳥、獣や虫だけではない。
目に見えないほど小さなからだ、菌や微生物も住人だ。
彼らの中には他の住人の体を乗っ取り、毒をつくるものがいる。内から食って侵すものもいる。
備えるは、毒に耐えうる体のからくり。
太古から何度も毒を受けることで強くなり、病に負けぬからだができた。
倒れた仲間は少なくないが。その死が穿った叡智は今なお、子の種に、胚に刻まれ。
孫、曾孫へと継がれていく。
大昔。ここ密林にとある女王がいたそうだ。
夫を、そして子を失い、怒り悲しみに心が乱れ。子に聞かせる歌を口ずさみながら、密林じゅうを自らの毒で焼き払ったという。
枯れた草木は土に還って、土地はしばらく不毛となった。
草木は必死に考えた。何世代もかけて考えた。
解毒の物質を備え、無毒化すればからだに蓄え、からだが死んでも性質が変わった毒は、ついに毒たり得なくなる。
無毒化の成功だ。
これは女王の毒だけでなく、太古からの敵、小柄な住人たちにも合わせた。
草木は相手を殺すのではなく、許容して、共に生きる道を選んだ。
こうしてここ密林の草木は、病に負けぬ体を得た。
皮肉にも結果として。彼女が歌い荒れ狂っても、森は豊かになったのだ。
この話、密林に住むヒトはどのように受け取るか──
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