黄金芋酒で乾杯を   作:zok.

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 広き世に立つ (もとい)とぞなる


 母親の教えてくれたことは狭い範囲の事だったけれど、広い世の中に出てゆく基本になったことだなあ。





27杯目 たらちねの (には)(おし)へは(せば)けれど

 

 △▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 『狩猟記録』。

 ハンターノートやギルドカードに記載される項目の一つだ。

 

 鳥竜種に飛竜に牙獣、たくさんのモンスターの印。隣には、数字。

 ハンターは狩猟を終えたら必ずこのページを加筆しなければならない。

 

 この数字は、『狩猟数』。

 いのちを奪った数。いのちを頂いた数。

 この数字だけの“すなわち狩るか、狩られるか”を、ハンター達はひたすらに繰り返してきた。

 

 今晩も、その数字が加えられる。

 『1』。彼女をかたどった印の隣に記された。

 

 

 『 モンスター名:紫毒姫リオレイア

 サイズ:― ― ―  ~  2238.68  (最大銀冠)

 狩猟数:1 』

 

 

 

 △▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 夜鳥ホロロホルルの羽ペンを握る左手が、止まった。

 

 

 煤汚れのない綺麗なランタン。

 硝子越しの(ともしび)揺れれば、ペン先の影は音なくたなびいて。

 句点(ピリオド)に置かれたインクは、滲んでむなしく膨らんでゆく。

 

 

 寒風ミカンの旬が過ぎ去り、炬燵(こたつ)も物置きに眠るころ。

 

 大都市ドンドルマの地価が一番安い地区、とある(ひな)びたこの路地裏。

 昼は表の通りが結構騒がしくなるが、夜は一気に人気(ひとけ)がなくなる。この裏路地には空き家も散在し、アイルーの子一匹通りやしない。

 

 そこに建つ、とある商事のボロ事務所。

 二階も部屋がいくつかあって、二人の従業員が住んでいるのだ。

 

 

 

「起きてる?」

 

 ……返る無言。

 了承とみなして、シヅキは半分だけドアを開ける。両手がふさがっているから器用にも、足で。

 本や紙が散らかった四帖半(よじょうはん)、ほぼ真っ暗。ランタンだけが光源だった。

 

「……なんだ、こんな時間に」

 

 うっすらとグリーンの瞳がひとつ、目線だけでこちらを見据えた。無理もない、日付も変わった時刻なのだから。

 だから、わざと軽めの調子で声をかけた。

 

「ははぁ、レポートの作成大変ですな」

「残りは明日に回して、今はハンターノートの整理だ。お前も事務作業を任せてしまって悪いな」

「なんだハンターノートか。事務作業はいつものことだし別にいいですよっと」

 

 お邪魔します。

 するりと部屋に滑り込んできっちりドアを閉めれば、鼻をくすぐるのはいわゆる他人の匂い。加えてふわりと薬品臭。喉まで染みる苦いような、少し埃っぽくて懐かしいような。

 兄弟とはいえ、住む部屋の匂いは違う。プライベートまで(仕事)の匂いが沁みつくこの部屋を、シヅキは心底好いていた。

 

「帰ったばかりなのに熱心だねぇ。お酒持ってきたから、飲も。寝酒(ねざけ)。お土産のトロピーチ酒で」

「ん。ありがとう。気が利くな」

 

 簡素な卓に向いていた彼は、やっと顔をあげる。酒瓶を揺らすシヅキの手が一瞬、止まった。

 口調や態度はいつも通りの彼が、泣き腫らした目をしていたから。

 

 彼──メヅキは一つだけの目線を少し左右にやって考え込んだが、ぶっきらぼうな仕草で盆のロックグラスをひとつ手に取ると、両手で包み差し出してみせた。お(しゃく)しろ、と言いたいようだ。

 やれやれ。口の端を緩めながら溜め息つきつき、素直に(そそ)いでやった。半分くらい。次いで、自分のも。

 一緒に持ってきていたシロップを、メヅキはグラスの(ふち)ぎりぎりまで大量に入れた。

 どぼ、どぼ、どぼ。

 なぜか、かき混ぜない。

 

 二人で胡坐(あぐら)をかき、卓を囲む。

 グラスを満たすまろやかな濁りは、ランタンの灯りで黄金色に照らされる。

 

 

 ──無言で、乾杯。込めた意味は、きっと二人でわずかに食い違っていて。

 

 

 きゅーっとひとくち分を喉に流す彼は、ドンドルマに帰ってからも昼夜デスクワークに追われていた。疲労の影ある顔のまま、にわかに口を開く。

 

「龍歴院とドンドルマハンターズギルドに送った報告書。グロム・バオム村で滞在している間に作成した、“竜の歌”伝承と紫毒姫リオレイアにおける子育て行動、子供の死体の資料について」

 

 かさ、と紙が擦れる音。レポート用紙と手紙がごちゃごちゃに混ざったのが、卓の足元にうず高く積み上がっていた。

 

「報酬金は出なかった。頼まれていない報告書であるし、向こうも研究費に限りがある。(つがい)となるリオレウスが未発見なのも、報酬を出す決定打に繋がらなかった原因だ」

 

「密林では、リオレウスは狩猟ターゲットにならない。密林のリオレウスは珍しいことだ。見つけられなかったのはしょうがないことだよ」

「だが、リオス種は番で手厚い子育てをする習性だ。普通なら巣や妻に危険が迫れば駆けつけてもおかしくない。リオレウスが発見できればまた違った対応だったかもしれないが……

 彼女に夫がいなかったということは、死亡したか、はぐれたか、顎の負傷によって子育てできなくなったのを見限られたか」

「……」

「破棄だけはなんとか踏みとどまって、寄贈という形で龍歴院に収められることとなった。といっても恐らく倉庫行きだ。

 世の中にはヒトのためになって、カネを生み出す研究がたくさんあるのだから。恒常的に危害を加えるモンスターの対策とか、古龍の生態とか、毒と薬の研究とか」

「……お蔵入り、か」

「悔しいな」

 

 メヅキは静かに眉間と目元にしわを寄せる。疲労の影が浮き上がる。

 対してシヅキは目を細めるだけだった。

 

「動物の子育ては、進化の過程と本能によって太古から洗練されてきたという。

 設計図のない巣作り。温度計も使わずに子を保温する。外敵からの防衛。給餌。(さえずり)りやコミュニケーション、狩猟といった、教育。それらは、太古から何世代もかけて引き継いできた。

 ことリオス種の手厚い子育てこそが、世界中、温帯の広い範囲で繁殖を成功させた秘訣でもあるそうだ」

「夫がいなくなっても、自らの命を全うしてでもやり遂げようという意思が彼女にはあった。……彼女が最期に巣に戻ったのを、僕はそう思ったよ」

 

 ひとくち、唇を湿らせるようにメヅキはグラスを傾ける。

 

「『 たらちねの (には)(おし)へは (せば)けれど 広き世に立つ (もとい)とぞなる 』……

 古い詩に似ているなと思った。彼女の子育ては価値がある、と俺は思った」

「……おカネにならなかったのは、残念だったね」

 

 フォローする。

 けれど、彼の酒に濡れた唇からの声は、徐々に弱くなっていって。

 

「俺は、商人だ。カネは、欲しい。できるだけ欲しい」

「うん。それは分かるよ。僕もおカネが欲しい」

「でも、その前に俺はハンターだ。すべてを自然の一員とみなし、それを調え、制するのが仕事だ。それがヒトの利益に……カネになるから、ハンターという仕事が成り立っているのだ」

「うん、そうだ。ハンター業は儲かる。だから商人と両立することができる」

「人間社会を生きる上で、儲からない仕事はできない」

「そうだね。必要だからおカネになるし、必要でないことはだいたいおカネにならない」

 

 メヅキは、またひとくち飲む。シヅキも無意識に釣られてひとくち飲む。

 

「でも、ハンターの俺は思う。

 “すなわち狩るか、狩られるか”。それに至るまでには、どんな経緯があるのだろうか」

「……」

 

 いつもなら、コロリと相槌代わりにグラスの氷を鳴らしたかった。しかし、軽くグラスを(かし)げても。ストレートのトロピーチ酒だけがランタンの灯を反射する。

 シヅキは火照り始める喉から吐き出すように言葉を紡いだ。傷つけないよう言ったつもりなのに、相槌というクッションのない言葉は自分でもぞっとするほど冷たかった。

 

「……それを知るために努力するのは、おカネにならないことだ。それに、おカネが欲しくて知るわけでもない。

 無益でもただただ、知りたいだけだ」

 

 それは、彼と自分に向かっての自嘲。現実。ちくりとシヅキの心が痛む。

 グラスを見つめていた彼は、緩慢な動きで顔を上げる。

 

「俺は、悔しい。知りたくて、心がずっと空っぽなのだ。

 この空っぽは、カネでも、酒でも、埋まらないのだ」

 

 顔を──古傷のある右半分を引きつらせ、左半分を鉄板のように大きく歪めて、切れ長の目を潤ませていた。

 

「あの紫毒姫は、どんな想いで死んだ子に世話をしていただろう。どんな想いで外敵──俺達や、若い紫毒姫に相対していただろう。俺はどれだけあの強い想いを、もしくは本能を理解できただろう……」

「……それを推しはかることは、できないよ」

「できないのが……悔しい。俺は、誰かを狩るときは、相手がどんな事情を抱えているのか知りたい……知っておきたいのだ。

 なぜ、そのモンスターはヒトに狩られなければならなくなったのか。……例え、ハンターノートにも記録されないことだとしても」

 

 徐々に震えて小さくなる声と、ぼろぼろと(こぼ)れてゆく熱い涙。眼帯を当てたその右目からも。

 

「ハンターで商人の俺は、傲慢だ。

 カネを欲しがっているくせに、ヒトの手が届かないところの知識までも我が物にしたいと強く思っている」

 

 あぁ、くそ。お前がいるところで泣くつもりなんてなかったのに。

 彼は呟きながら両手で目を覆い、背を折らんばかりに(こうべ)を垂れてゆく。たわんだ柳眉が痛々しい。シヅキはそっとグラスを卓に置いた。

 

 彼は、自分の傲慢さを理解していてなおモンスターを知ることを、空っぽを埋めることを願っている。

 それは険しい道だし、時にカネと権力に阻まれる。一人では背負いきれないほど難しい。

 

 知ることを願っているのはシヅキも同様だ。むしろ彼に負けず劣らずなくらい、心はいつも空っぽだ。

 一人では背負いきれないほど難しいことだからこそ、シヅキは彼と共にハンターとして活動している。

 

 でも、シヅキはそれをできるだけ内に秘めていようと努めていた。

 太刀を振るっているときくらいは、凍てつくフラヒヤの北風のように無感情でいようと努めるようになっていた。

 シヅキにとってそれが自分のできる相手への配慮や尊敬の念、優しさのカタチだと信じている。それに、無感情でいれば心が空っぽなのを苦痛だと感じなくなっていて。

 太刀の柄を握れば、いつしか無感情への切り替えができていた。

 あの紫毒姫には、その心の切り替える瞬間の隙が読まれたようだが。

 

 でも、彼は考え続けることができる男だ。ときに涙が出るほど辛くても、彼が常に見せるのは嘘の無感情ではなく燃え立つような本音だ。

 悩み諸共(もろとも)むき出しの欲望でぶつかることが、彼の相手への配慮。尊敬の念。

 それがシヅキの目には、立派で誠実で、あまりにもまっすぐな優しさのカタチに映って。

 

 

 正直、彼のハンターとしての姿勢が心底羨ましかった。

 そんな想いでライトボウガンのトリガーを握る姿勢が、自分にできないその姿勢が、酷く(にく)たらしくて、眩しくて、かっこよく思えた。

 

 

 シヅキは彼の隣に座ると、遠慮がちに腕を背に回す。自分と同じくらいの大きさ、剣士の自分よりもすっきりとした、ガンナーらしい彼の背。

 ひたすらに温かかった。

 

「大丈夫だよ、大丈夫。傲慢さんでもいいじゃない。誰にも迷惑かけてないから君は悪くない。

 自分で分かっているくらいが、素敵な傲慢さんだよ」

 

 ──素敵。

 言葉に双方への嫌味が含まれているのを、自分だけが知っている。今彼を支える傲慢な自分だけが傷つく。

 

 無責任な“大丈夫”で、彼と自分の空っぽな、知的好奇心は満たされるだろうか。

 心にない“大丈夫”を口にする自分は、一体どれだけ彼と自分の本音に寄り添えているだろうか。

 この“大丈夫”は、ハンターの立場としてか、商人の立場としてか、彼の弟の立場としてか。

 

「……お前は、強いな。お前の言葉は誰も傷つけない」

「ううん、傷つけ方を知っているだけさ。君もとっても強いけど、その前に優しすぎるんだよ。他人にも己にも厳しくて、でも傷つけているのはいつも己自身で」

 

 ──これは本音。でも、また自分だけが傷ついた。

 彼の前では、本音を口にするたびに矛盾を感じる。いつも自分の本音に嘘をついていると、いざ本音を口にしたときは逆に嘘をついているような感覚になる。

 

 一ヶ月と少し前、ポッケ村の酒場で新米ハンターのトノトと話したときも似た感覚を味わった。砂糖煮の雪山草のような、儚いくらいに甘い本音と、ほろ苦い嘘の感覚。

 彼は元気にしてるかな。

 

 シヅキは部屋の小さな衣装箪笥から大きなタオルを一枚取り、目を両手で覆ったままの彼にかぶせてやる。まるで、眩しい日差しが差し込む窓に(カーテン)をかけるみたいに。

 彼は無造作にそれを握った。ぐしゃり。

 

「僕は、共に傷つく覚悟でハンターをやってきている。だから、どうか一人で抱え込まないで」

「……」

 

 返る無言は何の意味か。シヅキは推しはかることができなかった。

 

 いくら覚悟はできていても、やっぱり傷つくと痛いと感じるものだ。

 これだけは、いくら経験しても慣れることはないだろう。彼も、自分も。

 

 

 

 

 

 色々逡巡(しゅんじゅん)したあげく、これは一人でそっとしておいた方がいいかなと思った。シヅキなりの優しさだ。部屋を立ち去ろうと、腰をゆっくり上げる。

 

 そんなとき。く、と弱い力で部屋着の袖が握られた。

 思わず振り向く。変わらず(こうべ)を垂れたまま、涙を飲み嗚咽を噛み殺す彼は。

 

「申し訳ない。こんな(みにく)い姿を見せてしまって」

 

 絞り出したようにか細い声。どうしようもなく、シヅキはそっと握り返す。

 君は醜くなんかない、と反論したかったからだ。でも、こんな自分からこれ以上かけてあげられる言葉なんて見つからなくて。

 

「俺はこれからももっと頑張るから。こんな姿を見せないように、技量も学識も頑張って身に着けるから。

 ……だから今は、そんな優しい目で俺を見るな」

 

 やるせなかった。

 やっぱり、眩しく思いながらも彼の傍にいようと思った。自分だけが彼の傍にいれるのだから。彼の成長と共に歩めるのだから。

 

 彼は優しい感情をむき出しにするたびに、熱い悔し涙を流すたびに強くなる。

 対して自分はどうだろう。そのたびにもっと冷たく、もっと無感情な男になってゆく気がする。

 壁に当たりつつもまっすぐ前へ成長してゆく彼の傍にいることで、壁に当たって屈曲するだけの自分の変化を、成長と錯覚していないか。

 溺れるが(ごと)く、酔いしれていないか。

 何度も、何度も、自分に問う。

 

 それでも、袖を弱く握る彼の手だけがシヅキを許し、助けを求めていた。

 ここにいてくれ、と。

 

 浮かせかけた腰を近すぎないくらい、でもできるだけ彼の傍に下ろして、音なく卓のランタンを消してやった。

 四帖半は優しい暗闇に包まれる。

 

「大丈夫だよ。もう見てないから」

「……申し訳ない、面目ない」

「謝らないで」

 

 柔らかく返した表情は、暗闇の中で伝わるはずもなく。

 

 卓に手をやると、つつ、とグラスに触れた。(ふち)に口をつければ微かに、シロップの味。彼のだ。

 

 ふと、彼と同じ酒を飲めば、彼のハンターとしての姿勢に自分もなれる気がして。

 グラスに残ったもう半分を、ぐっと喉に流し込む。

 

 頭を強く殴られたような、甘く残酷な味。

 体に染み入る酒気(アルコール)は、かき混ぜられていないシロップと上手く馴染んでいなかった。

 

 ──自分もなれる気がして。

 そんなこと、できるわけがなかった。

 

 兄弟と言えどやっぱり他人だ。

 

 

 




 
 仕事に疲れた夜というのは、なんとなく気持ちが弱りやすいですね。
 いつの間にか人肌が恋しい季節となりました。

 今回で密林編はひとまずおしまいです。予定より長丁場になってしまいました。文章の長さもそうですが、特に時間の方が(ガクガク)なんと11ヵ月くらいかかっています。やばいね。
 最初の方の文章なんか、地味に今と文章の雰囲気に差が出ている……気がします。気だけ。
 
 今回は本編シナリオから見ると少し離れた内容のプチ番外編でしたが、最後はシヅメヅ兄弟の核心に触れました。
 次話からは主要キャラクターを登場させ、少しづつ本編シナリオに踏み込んでいきます。

 読了ありがとうございました! 次話も是非ご賞味下さい。
 評価、感想お待ちしています。


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