黄金芋酒で乾杯を   作:zok.

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32杯目 無配慮買い占め 許すまじ

 

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 豆を蒸したような匂いがする、と隣でアキツネはぼやく。

 

 口を動かすたびに、かろ、かろ、と飴玉が歯に当たった。先日、《七竈堂》でアキツネがくれたものだ。

 黄金色になるまで煮詰めた糖のじんわりと染みるような甘さ。少しだけ入っている香辛料がアクセントになって美味しい。メヅキは濡れた舌で、乾いた唇をそっと舐めた。

 

「これがら行ぐ研究所よ、おれが携帯食料サ出したとこなンだ。ギルドの……開発部、支給品課? 食品部門……」

 

 アキツネはへの字口のままトツトツと言葉を続けた。

 

「レンキンスタイルは食いモンが増えるからッつって、今回の事業ァぜーんぶこごサ突ッ込まれたッてな。……不憫だべ」

「なるほど、ギルドの開発部となれば件の『レンキンタル』は支給品が絡んでいるのか? にして、因縁の相手と対面なんてなかなか面白いではないか」

「ン。不憫でも……ぶちのめす。絶対(ぜッてェ)に」

「お前のその意気、ライゼクスも撃退するほどだものなぁ。ぶつのは勝手だが面倒ごとは起こすなよ」

 

 オズの紹介で二人がやってきたのは、ドンドルマの研究施設が密集する区。この辺りも雄火竜、雌火竜色の塗料がきれいに塗られている。古い家屋でもきちんと手入れがされているのは、ドンドルマ自体が補助金を給付しサポートしているからとか。

 

 《七竈堂》がある地区はまだあくまで商店街でいいのだが、こういうかっちりと形式ばった建物が並んでいるのは少し苦手だ。

 

 メヅキは傷隠しのフードを深く被り直す。オズに渡された地図にもう一度目線を落とし、見上げた。《南天屋》の事務所と大差ないくらい古めの家屋だ。

 呼び鈴を鳴らすと、億劫そうに出てきたのはいかにも学者然な竜人族の男。着慣れていない感じの前掛けをだぼつかせ、曇る銀縁メガネを押し上げる。

 

「どちら様ぁ? アポなしの訪問販売とか困るんですけど」

 

 ──商人を俗っぽいとして見下し、さけずむ学者もいる。

 この男もご多分に漏れずこちらの格好を見るなり怪訝なそう顔をした。が、ヒンメルン山脈ばりに高い鼻の頭は玉のような脂汗を浮かべている。

  

 ……寒くないのに、なぜメガネが曇って大汗をかいているのだろうか。

 

「アポなしではないぞ。昨日、手紙が行っているはずだが」

「はぁ、そうですかぁ?」

 

 メヅキの糾弾もどこ吹く風か、汗をだらしなく襟元で拭いながらテキトーな反応。浮かびそうになる青筋を抑え、メヅキは名刺を懐から取り出す。

 普段ならこんな面倒な交渉はハルチカやシヅキが全部やってくれるから、メヅキもアキツネも得意ではなかった。

 

「《南天屋》と申す。オズ殿の紹介で、御社に『レンキンスタイル』についてご教授お願い致したく……」

「教授? 商人にぃ~?」

 

 がば、と胸倉を掴まんばかりに詰め寄ってくる男。風圧で髪が乱れるも真顔で微動だにしないメヅキ、後ろで警戒心を剥き出しガルクのように唸るアキツネ。

 

「めちゃくちゃ人手足りてなかったんだよねいやぁ助かるウチもこの案件どうしていいかわかんなくてさぁ正直嫌だけど嬉しいなぁ!!」

「そうか。事情は察したから早く説明しろ」

「うっせェなこの竜人族のごじゃまんかい(トンチキ)

 

 男は小さく飛び跳ねながら玄関の戸をに手をかける。

 ぶわ、と押し寄せる熱気。まるで武具工房の入り口か、それともあの老紫毒姫の拡散ブレスを思い出すような。

 

「ホントはボク、違う畑の出身だからこんなこと専門外なんだけど正直それっぽい結果が出ればよくて中枢のお達しだからしょうがなくやってんだでもね皆でやってるうちに熱入っちゃってさ──」

 

 無機質に並ぶ黒塗りのデスク、上の文献や書類は散乱し、実験道具が入り乱れる。

 しかし今、獣人族や竜人族の学者たちがそれら全部を部屋の隅に押しやり、こぞってタルを振っていた。

 

 ──シャカシャカシャカシャカシャカシャカ!!

 

『──できました!』

『できましたァァ!!』

『でぎま゛じだァァァァ!!』

 

 みんなで汗だくになって、謎のかけ声を叫んでいる様子は正直めちゃくちゃ気味が悪い。声が枯れているのもいる。

 

「なんだこれ怖っ。何かの宗教か?」

「ボクはそういうギャグ嫌いなんだけどぉ……はい、これね。ベルナ産だから、パチモンなんかじゃないよ」

 

 男は奥から二つ、タルを颯爽と持ちだしてきた。一見、ただの大タルくらいの大きさだ。受け取ると、木の部分から微かに独特な香りがする。

 

「ン……これァ味噌? 醤油……?」

「ふむ、言われてみると酒精のような」

 

 アキツネが少し首を傾げる。彼はとても鼻が利くのだ。メヅキもタルに鼻を近づけてやっと匂いの種類を微かに感じた。

 

「これまでの研究で、この『レンキンタル』には微生物が住んでいるのが分かった。こいつがまた培養が難しい奴でね、普通の味噌なんかを作る方法じゃダメ。

 ──()()()()()()()()()()増えることができないんだ」

 

「微生物……つまり発酵か!」

「まだそこまで断定はできないけどぉ。顕微鏡で観察できるし、微生物の同定はもうすぐできるはず。そしたらボクは研究そこまででいいかなって」

 

 顕微鏡と聞き、目深に被ったフードの下でメヅキの目が輝く。レンズを組み合わせることで肉眼でも見えないようなものが見られる、最新鋭の研究機材らしい。

 そんな高価なもの、零細企業の《南天屋》が持っているわけがなく。

 

「ま、どこから依頼が回ってきたか知らないけど、こういう研究は機材が揃ってるウチに任した方が良いんじゃない? というか、こういう面倒ごとはウチら末端研究所がやればいいんだよ、本来」

 

 む……と口をつぐむ二人。

 あくまでもメヅキは“薬売り”、アキツネは“料理人”である。機材の充実さにしても、ハンターズギルドの役割としても、この学者の言うことは間違ってはいない。

 

 だが。ここで財力と権力を盾に手を引くことを勧められては《南天屋》の名が(すた)る。商人の武器は、そこではないのだから。

 メヅキとアキツネの意見は既に一致していた。

 

「では同定はそちらに任せるとして、俺達でこの謎の微生物を増やしてみようか。培養に難航していると言ったな?」

「……発酵と言えば心当たりがあンだ。その道で食ッてるのが知り合いにいる」

 

「ふぅん……? じゃ分業ってことで決まりね。タル振るのダルいから、増やしてくれるんなら助かるわ」

 

 トントンで交渉が結ばれてしまった。報酬金を払うのはこの研究所ではなくハンターズギルドの中枢だからなのだろうか、とメヅキはフードの下で深読みしてしまう。

 出された契約書に記入していると、学者は頼んでもいないことをべらべらと喋り出す。

 

「あのねー、張りきって培養の原料の買い付けをしたのは良かったんだけどさっき言った通り失敗しちゃって、雑菌がわんさか入ったり傷んだり腐ったりで原料はだいたい廃棄かモスの餌行きってわけ……」

「……オイ」

 

 喋りたいだけ喋り切ってそそくさと戻ろうとする男の肩を、がしりと掴んだアキツネ。いつもは眠たそうな林檎色の目が凶悪なほどに光っている。

 

「来た時からずうッと思ってたンだが……豆サ蒸した匂いがする。その原料ッてのァ、クック豆だな?」

 

 彼は異様に鼻が利く。何種類もの茶葉や香辛料を嗅ぎ分けられるほどだ。この嗅覚こそが彼をハンター兼料理人たらしめる。

 アキツネはこの研究所が培養に用いた原料を察したのだ。

 

「あぁ、そうだけど」

「……それァ、とんでもねェ量のクック豆が必要だべなァ」

「うん、超大量。でも旬だったからそれほど高くはつかなかったよ。()()()()()から仕入れて他の支局にも回してやったさ」

 

「まさか、ここが」

 

 契約書を書き終えたメヅキは、ふぅむと唸った。なるほど、以前にクック豆の価格が高騰したのはギルドの研究所と関連があるのでは。

 アキツネの目がすがめられ、眉間にグンニャリとしわが寄る。彼はクック豆の買い付けに失敗したんだったっけ。確か買い占めが行われた後だったからと。

 

 次の瞬間、ぶん、と腕が振るわれた。男の悲鳴が漏れるより早く、節くれだった人差し指がぴたりと男の眉間に突きつけられる。

 

「……作物サ仕入れる量ァ、よオぐ考えるこッだよ。作物ッてのア収穫量が限られてンだ。何処(どッ)かが独り占めすッと、供給と価格が偏ンだ。

 ……おれら商人からすッと困ンだよ、そういうの」

 

「頭の悪ィおれでもわーか(少し)ばかし考えれば分がる(こど)だ。現場サ出ねェ学者殿にァ、難しかっだがなァ……」

 

 地鳴りのように低い声でアキツネは怒りを吐き捨てると、学者は空気の抜けた化け鮫ザボアザギルの如くへたり込む。

 

「アキツネ。キツくなっているぞ、訛り」

「……んん、すまねェ。学者殿ァ、おれが何言ッてッか分がんねかッたが?」

 

 背を丸めてとぼけると、アキツネは腰が砕けたらしい学者を抱き起こし、尻についた埃をはたいてやった。学者はタルを支えにやっとこさ立ち上がり、吹き出した脂汗を雑に拭う。

 

「くそ、これだから商人は好きになれない! 暴力に訴える輩はなおさらだ!」

「こちらは他の研究所に当たってもいいんだが?」

「ひいいィィやめてぇ後生です頼みますぅ期待してますぅ!!」

「本当にうるさいなこの学者は」

 

「じゃ、これ持ッてぐからよ」

 

 学者が支えにしていたタルを、アキツネは容赦なくかすめ取った。

 

 

 

 △▼△▼△▼△▼△

 

 

 

「お前、行きつけの醸造屋があったよな。発酵と言えばあそこだろう」

「あァ、おれもそう思ッてた。《コメネコ食品店》」

 

「……今度こそアポなしだけっとも、オヤジ、元気かなァ」

 

 《コメネコ食品店》。どうやって経営しているかわからないほど小さな、個人経営の店。

 商品の味噌は近所の住人に親しまれる味で、《南天屋》の食卓にも《七竈堂》の酒のお供にもおなじみである。

 ……どちらの飯もアキツネが作っているからなのだが。

 

 夕方の春風を浴びながら事務所のある方角へ小一時間ほど、研究施設が立ち並ぶ地区を抜ければ晩飯の支度で活気づく下町へ出る。いつも《南天屋》が食材の買い出しをする商店街だ。

 やっと二人の肩の力が抜けてゆく。やはりこうした生活臭漂う雰囲気が落ち着くものだ。

 

 その横丁の最奥、《コメネコ食品店》は傾きかけた家屋だった。

 

「ニャ、アキツネ」

 

 玄関を箒で掃いていたのは、焦がした糖色のひょろりとした獣人。アキツネを見るなり、寝た耳を立ててちょこんとお辞儀をする。

 

「チェルシーのオヤジ、元気してッか。痩せたンでねェが」

「ニャハハ……ばれたか。先代の主人が死んでから経営が上手くいかなくてな、しばらく店はやれてねぇニャ」

 

 困り笑いをする中年の獣人。名をチェルシーと言う。

 風車(かざぐるま)を片手に持つメラルーの商標(ロゴ)が描かれた藍染の前掛けは使い古され、毛並みもぼそぼそになっていたが、ヒゲだけはしゃんと整えられていた。

 

「……前の寒冷期、豆の高騰があったべ? オヤジんトコも影響モロに食らっちまってねェが心配でよ……春先は密林に出張で、おれ顔出せねがったから」

「アキツネは青果の売れ行きを本当によく知ってんニャア。ま、あの高騰が無くても、ウチが潰れるのは時間の問題だったんだわ」

「……ケッ。ここが潰れちまったら、おれはどこで味噌を……」

 

「……新しい店に行くの、緊張して嫌なンだべよ」

「わからんでもないぞ、アキツネ」

「理由がひでぇニャ」

 

 チェルシーは呆れて尻尾をへにょりと垂らす。アキツネは基本的にコミュ症だ。

 

「しかしあの学者の様子だと、今回の買い占めは無自覚だろう。生じた膨大な利益で生活が潤った商人や農家がいるのも事実だ。皮肉なことに」

 

 声の調子を落としてフードを脱ぐメヅキに、チェルシーは一瞬目線を泳がせた。……恐らく、顔右半分の傷と眼帯に戸惑って。

 

 ハンターであれば傷や隻眼は珍しくない。だから、ハンター同士でコミュニケーションをとるときはこのような態度を取られることも無いものだ。

 目の前の獣人の反応で、メヅキは改めて今の自分が“商人”なのだと実感する。

 

「これは失礼。俺は《南天屋》のメヅキ。ハンター兼薬売りだ」

「……お、おぅ」

「当社のアキツネがいつも世話になっている」

 

 別にこれくらいは慣れっこだ。むしろ難癖をつけられるよりかはよほどマシで、接待に迷うような配慮ができる人物だと信用できた。

 こういう時はびくびくせずに、堂々と腰を据えた態度を示せばいい。……といっても、他人を相手に怖気づいたことも無いのだが。

 

 メヅキはチェルシーの身長に目線を合わせ、スッと片手を差し出す。我に返った彼は、笑顔とぷにぷにの肉球で力強く握り返し──

 

「とんでもねぇ。アキツネは、うちの大切な大切な取引先ニャ!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ──すぐに同業者扱いしてくれた。

 流石、この獣人のオヤジもいっぱしの商人だ。

 

「オヤジ、わーか(少し)ばかし力になッて欲しいことがあッてよ。しばらぐ経営でぎてねェッてことだが、頼めッか」

「《コメネコ食品店》の経営難を助けることもできれば幸いだ」

「どうせ再開の見通しもついてねぇし、ウチにできることなら教えてくれや。《南天屋》にはいつもご厚意頂戴してるしニャ」

 

 快く承諾してくれるチェルシー。ドンドルマの商人らしく、ここに吹く空っ風のような気性だ。しかし、二人がレンキンタルを見せるなり大げさなまでに飛び上がった。

 

「おニャアアアア発酵の匂いぃぃ!? ちょっとその場から動くニャああああ!!」

 

 火属性やられもかくや、慌てて店へとんぼ返りすると今度はハンターのフルフル装備のような、白い作業着のフル装備で出てきた。マスクからちょこんと出された鼻がふこふこと匂いを嗅ぐ。

 

「ふむ……やっぱし塩味(えんみ)を抜いた味噌に近ぇ、しかも豆……クック豆のだ」

「流石オヤジ。原料まで一発で見抜きやがッたべ」

「ったりめーよ! 何年醸造屋やってると思ってんだニャ」

 

 感心するアキツネに薄い胸を張るチェルシー。今度は首を傾げてメヅキが問う。

 

「オヤジ、なぜ着替えを? 角竜装備も真っ青な完全装備ではないか」

「なぜって、そりゃあ」

 

 チェルシーはギラリと振り向く。その気迫に思わず固唾を飲み込む商人ふたり。

 

「ウチの持ってる菌でこいつを傷つけないためニャ。……こいつは、市場じゃなかなか出回らねぇ“レンキンコウジ”ってんだ」

 

 ──下町の醸造屋は、謎の微生物の名をいとも簡単に言い当てた。

 

 

 

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※ギルド支給品課の学者、チェルシー 設定画

【挿絵表示】


 ひ、人がいっぱい。この章ではこれ以上登場人物増えない……はず。
 次話もよろしくお願いします。
 
 

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