黄金芋酒で乾杯を   作:zok.

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40杯目 いけずなオンナと凍てずの絆

 

 

 

 △▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 どぼん。 

 

 遠く、ハルチカが海へ飛び込む音がした。

 器用で要領がいい彼なら、最悪の事態が起こっても上手くやってくれるだろう。クララは沸騰しそうな頭であくまで冷静な判断をした。

 

 (それにしても飛び込む直前、海面とこっちを何度も見比べてグズグズするハルちゃんの顔ったら。若いのにズルいお爺さんみたいな人だと思ったけれど、意外と年相応の表情もできるじゃない)

 

 目の前のザボアザギルの息が、ごうごうとこちらに吹きかかる。斬竜剣アーレーを支える背筋や足腰は今にも千切れてしまいそうだ。

 亜種といい通常種といい、私はつくづくこのモンスターとの縁が悪い──クララは膠着状態の中、何度もこの後のシミュレーションをする。最悪を、覚悟する。

 本当に、ハンターとして狩場で散るのは名誉あることなのかしら。

 

「なぁ、クララ。もういいってば」

 

 背後からラジーの呼びかけ。少しくぐもっているけれど、いつもと変わらない調子。

 

「こういうこともあるし。なに、そんな自分を犠牲(ギセー)にするとかやめろよ」

「嫌よ、狩猟失敗はそんな軽い物じゃないわ……!」

 

 そうやって砂漠の狩友は散ったのだから。今度同じようなことがあったなら、絶対に退くものかと誓った。

 

「いつもの貴方ならっ……! 私の頑張りをやめろよとか言わない……!」

 

 砂漠でのフラッシュバックが激しく明滅する。視界が潤む。声が震える。それでも、得物を支える腕は絶対に震えさせない。

 

「私はッ!! もうッ!! 負けないんだからアアァァッ──!!」

 

「へぇ。意外と言えるじゃん。いつもそんな感じで行こうや……っとと、動くなし」

「ほぇ?」

 

 すると、背後で重弓ヘラギガスの弦が軋んだ。ラジーがうつ伏せのまま構えたかと思うと──発射。

 びゅん!

 背後から矢がクララの頬を掠り、眼前のザボアザギルの額の皮膚を破壊し、筋組織を破壊する。

 

 矢の種類は重射。至近距離で撃つなら飛距離と威力が比例する貫通矢よりも、重射が(まさ)る。

 代償として、ラジーは受身を取れずに氷上をごろごろ転がっていった。捻挫していない方の足を射撃の踏ん張りに使ったようだ。

 

 ばごん、とザボアザギルの頭蓋骨が割れる音。

 壮絶な断末魔が、エリアじゅうに響き渡った。

 

 「これであーしらマブダチだ!」

 

 どんなに無様な受け身でも、メイクがぐずぐずに崩れていても、彼女は快活に笑って見せる。

 もう。そんないけずな貴女(あなた)に私は惚れているのよ……なんて直接言えたのは、もっと後のことだけれど。

 

 

 

 △▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 青空には、鋭い稜線の合間に爽やかな積乱雲が背伸びをしていた。

 しばらく見つめていると、むくむくと力いっぱい膨れていくのが遠目に分かる。

 

 その正体は、南部のジォ・クルーク海から北部のヒンメルン山脈に吹き込み、滞留している湿気だ。日暮れ時には気まぐれな夕立がやって来るだろう。

 そんな自然の思うがままの流動こそが、ドンドルマを“水の都”たらしめる。降った水は、住人の暮らしを支える重要な資源なのだ。

 

 温暖期を迎えたドンドルマ洛中は、一年で一番賑やか。地域から続々と集まる旬の農産物や海産物、暑さをしのぐ工芸品や冷菓売りが華を飾る。

 中でも、繁殖期で大量発生した小型鳥竜種や怪鳥イャンクックの素材はここ、中央広場でしか見られない温暖期の風物詩だろう。市場に出回る品数が多くなって、一般人でも購入できる価格で投げ売りされている。

 

 投げ売り会場、中央広場の隅に(そび)える武具工房。こちらもまた、怒涛の注文でテンテコ舞いの多忙を極めていた。

 この時期は、職人たちにとっても一年の中で大切な稼ぎ時、腕の磨き時なのだ。

 

 しかし中には、金にも腕にも興味がない職人も存在する。それがこの、土竜族の親方(オヤカタ)である。

 彼の関心はミョウチキリンな依頼、あとは飯と酒、賭け事と春画(エロ本)くらいか。本当に、何のために職人をやっているのだか。

 

「「くたばれオラ──ッ!!」」

 

 言ったが早いが鋭い拳が二つ、親方のふかふかな顔面にめり込んだ。

 

 コロコロ転がり、壁に当たって「ぎゃふん」と悲鳴を上げる親方。ポンポコリンな腹を死んだスクアギルのように天井へ向けてひっくり返った。

 その眼前に、怒り心頭のシヅキが立ちはだかる。拳の一発目である。

 

「どうしてクララさんについて事前に教えてくれなかったんですか!? こっちは現地で色々作戦を立て直す羽目になったんですよ!」

「んぇ、だって氷結晶だけ集めて来いってオレっちは頼んだんだぜ。別にザボアザギルは狩らんでもよかったのに」

「むむ。ザボアザギル狩猟はクララさんの過去の精算なんです。親方とはいえハンターの矜持を汲むのは難しいかぁ……へっくし」

 

 かっくりと肩を落としてくしゃみするシヅキ。氷海で事故的なダイナミックダイブを決めた彼は、スクアギルと泡まみれであぶあぶしているところをハルチカに救助され、情けないことに温暖期……夏風邪にたおれた。

 なんとか回復したものの移動中は報告書に手がつかず、ずっと寝込んでいたのである。

 

「おれっち、最近なんだか調子悪いシヅキしか見てねぇ気がする」

「ハンターなんて街ではたいてい飯食うか酒飲むか、療養しているもんです」

 

「親方よ、ミツネS装備の泡沫がちったア多すぎやしなかったかい、エェ?」

 

 肩を掴むのは拳の二発目、ハルチカ。絵面は借金取立のソレである。

 

「それは……事務所の改修代、まだ払ってねぇだろ」

「あっ手前(てめェ)腹いせか! 威力業務妨害だ!」

「黙れクソ商人、着る前に装備を点検しなかったオメェも悪い」

 

 「誰がクソ商人じゃコラ」と胸ぐらを掴んでぽこぽこ取っ組み合いを始める三人に、「やめなさいよ男子!」と野太い怒鳴り声が響く。

 しゃ、と更衣室の(カーテン)が開かれると、そんな登場の仕方が似合う絶世の美女──ではなく。

 

「「「オッサンだ……」」」

 

 オッサンだった。

 

「失礼だわね」

「親方ー、いい仕上がりよ。着付けは最高」

 

 クララの後ろからピョコリとサムズアップするラジー。今は親方とお揃いのツナギ姿である。

 

「どうもありがとう。やっぱり貴方に依頼して正解だったわ」

「大半はこの自称弟子がやったけどな。ウン、でもよく出来てるわ」

 

 クララはその場でゆっくり回る。花弁のようなフォールド、薔薇の棘のような細やかな装飾は、女性用の紫毒姫装備──正しくは、重ね着。下地には今回の狩猟の成果であるザボアザギルの皮が使われている。伸縮性が優れていて、下地として人気の素材だ。

 

 普通、職人ひとりふたりで装備一式を作ると一週間はかかる。だが、親方とラジーは数日で仕上げてしまった。興味のある案件にはとんでもない力を発揮する二人である。

 

「シヅちゃんのやった下地の加工が良かったし、(なめ)しが効いてて。狩猟中は役立たずだったけどな!」

「ラジーさん、あまりにも辛辣」

 

 最初、親方に匿名の依頼を出したのはクララだ。親方はラジーにも出していた氷結晶の納品を条件に、依頼を受諾。その依頼が《南天屋》にも回ってきたというわけだ。

 

 結果はメインターゲット達成に加えてザボアザギルの狩猟達成。脳天に重射の一撃を食らい即死だったという。

 武具工房の職員にはクーラードリンクが大判振る舞いされ、ザボアザギル素材が高騰し始める時期なこともあり、双方儲けて上々の結果と言えよう。

 

 踊り子のように機嫌良くステップするクララを横目に、親方はシヅキの袖をつついた。

 

「はい、なんでしょう。女装なら受け付けませんからね?」

「そんな先に釘を刺さんでも。まぁなんだ、これよ」

 

 親方は籠一つ分の紫毒姫素材を差し出してきた。装備を作る時に発生した切れ端は『端材』という名称で取引される。

 一昔前は廃棄していたようだが、近年はオトモアイルーの装備や武器の強化に使われるようになった。素材を余すことなく還元する技術が追いついたと言えるだろう。

 

「ありがとうございます。バイト君たちの新しい装備にしようかな」

「うーんとな。オメェ、この素材をおれっちに渡しにきた時『自分は紫毒姫素材の価値をよく分かっていない』って言っただろ?」

「え? あ……はい」

 

「あのオメェの言葉はたぶん、嘘だ。

 どれもキズモノだが本質は上物。ほとんど出回っていない素材のはずなのに、剥ぎ取り方や加工も工房顔負けの上手(うま)さ。きちんと時間をかけて仕上がっている。今回の化け鮫素材もそうだ。

 オメェは素材の見方と扱いを分かってるな。──何か、素材の流通に関わったことがあるのか?」

 

 籠を抱えたまま、シヅキの伏し目が徐々に釣り上がる。青い瞳がフラヒヤの湖面のような金へ、返答はぞっとするほど低い唸り。

 

「──人の過去とは、詮索するものではありませんよ」

 

 そこで、ガランガランとやかましく工房の鐘が鳴った。勤務時間終了の合図だ。

 親方は血を吸って大きくなるスクアギルのように、欠伸をしながらウンと伸びをする。むくむくと髭が膨らんだ。

 

「あぁ、今日はオメェらとぐだぐだ喋って仕事が終わったから良かったよ。早くオメェらの事務所に帰るぞ」

「事務所? 《南天屋》って事務所持ってんの? 地方回ってんのに? 親方住んでんの?」と、親方を揺すって目を輝かせるラジー。孤島地方からはるばるやって来た彼女にとって、ドンドルマはまだまだ未知の街だ。

「地方を回るからこそ拠点が必要なのサ。親方にゃ鉢の世話してもらってンのよ」

「えーと、あの」

 

 嫌な金に光った目はどこへやら、何事もなかったかのようにシヅキはクララに呼びかけた。

 

「クララさんにお客様が見えてます。うちの事務所で待っているみたいなので、この後予定が無ければ一杯どうです? ラジーさんも」

 

 にへら、と笑いながら杯を傾ける仕草をした。

 

 

 

 △▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 親方と《南天屋》はご近所だ。だから親方は頻繁に事務所へ飲みに来る。

 多分、旨い飯と酒を頂戴したいだけなのだが、親方は《南天屋》四人の大切な装備を一括で請け負ってくれているので文句を言えない。

 

「うはははははボロいなこの事務所! あーしのバアちゃんちみたいに傾きかけてるじゃん!」

「初見でそれ言われると結構ダメージあるんですよなぁ」

「改修工事、返済できるのァいつ頃になるだろうネェ……」

 

 ラジーの指摘はシヅキとハルチカにグッサリと刺さるが、それでもこの部屋だけは一応綺麗にしているつもり。

 中央に大きな長テーブルと、中古の上等なソファがあるのは接待部屋。砂漠帰りのアキツネが先に二人の来客をもてなしていた。

 中年の男、レイアS一式装備に斬竜ディノバルド素材の片手剣、ハンマー。部屋に入ってきたクララを見るなり、来客の二人は食っていた料理を取り落とした。

 

「グ……グラード! 無事だったか!」

「アール、エーカー! どうしてここに!?」

 

 片手剣使いはアール、ハンマー使いはエーカーという名前らしい。

 女性用の紫毒姫装備の見た目にメイクを施していてもクララが誰か一発で分かったのは、流石長い付き合いと言うべきか。

 

「グラードがドンドルマにいるって手紙が来て。ザボアザギル亜種に敵討ちしてから来たんだ、俺たち」とアール。

「結局、救難に来てもらってやっと倒せたけど。これは証拠」と、虎鮫の牙を見せるエーカー。

「信じられない……良くやったわ! じゃなくて、よ、良くやった!」 

 

 再会に走るクララは放って、配膳していたアキツネが置いてけぼりにされた四人を迎えてくれた。砂漠に住む人向けの料理らしく、新鮮で冷たい生魚や野菜、果物がふんだんに使われている。

 

(けェ)ったか。先に飲んでッけど、お前ェらの分はメヅキに用意させてあッからよ……あ、ども。親方」

 

「おうよ、久しぶりだアキちゃん。今夜も悪いね」と親方。言葉と裏腹に少しも悪びれていない。

「なんとかここまで持ってこれたねぇ。クララさんを旧友に会わせるんだー、って親方が手紙で言い出した時はどうなることかと思ったよ」

「親方がクララを……えーと、昔のダチに会わせようと? たまにはいいことするじゃん」

 

「人間ってのは短命だろ? ダチは大切にせんと」

 

 いつの間に酒をかっぱらったのか、瓶ごとぐびぐびやって「ぱぷぅ」とゲップする。親方は、長命な土竜族だ。

 

「三人方、お帰りの際は宿までのネコタクシーをお呼びします。どうぞ時間を気にせず、積もる話を消化してくださいな。僕らは隣の部屋にいるので」

「みんな……ここまで用意してくれるなんて、そうだお代金は」

 

 ハルチカは親方に肘ロックを固めた。「大丈夫サ、請求は全て親方に」

「え? オレっち聞いてないんだけど?」 

「うるせェ言い出しっぺ」

「ザボアザギル素材の売り上げがあるでしょうに」

 

 「オレっちのことまだ恨んでるのかあああ」と喚く親方を引きずって、一行は隣の居間へ消えてゆく。その直前に。

 

「おいクララ! アンタのダチ、今度紹介してくれよ! あーしも砂漠、絶対行くかんな!」

 

 ドアの隙間から、ラジーの声が漏れた。

 

「……いい友人ができたんだな」とアール。「それとその装備、リオレイア素材だろ。似合ってる」

「え、ええ……ああ」

「いいよ、今の喋り方で」とエーカー。「まぁ、まずは座って。何飲む?」

 

 勧められるままに席に着き、クララはシロップ入りトロピーチ酒を貰った。再会の乾杯よりも格好や口調を否定されなかったことの方に驚いていたのだが。

 

「これからどうするの? もしかして、やりたいことができた?」

「うん……」

 

 それは、ままごとで口紅をつけてみた時からの夢。オッサンになってもなお、諦められなかった夢。

 ありもしない彼らの否定を恐れていた。ばかね、私。と心の中で苦笑する。

 

「装備を集めて、自分でデザインできるようになりたい。新しい狩友……マブダチと約束したのだわ」

「そう。それがグラードのやりたいことなら、俺達は応援するさ」

「砂漠に戻らないのかい?」

「ありがとう……しばらくドンドルマに留まるつもり。こんなに水が使い放題な生活は初めてで、砂漠に戻れなくなりそうよ!」

 

 談笑。

 

 元通りになれとは言わない。せめて元気でよろしくやっていることだけが知れればいい。 

 だから、もう一度乾杯。狩友の新たな出発を祝って、限りない武運を祈って。

 

 絆は凍てず。

 《薫灼》は死のうとも、彼らの前では『グラード』という一人の男でありたいわ、とクララは思った。

 

 外からはいつの間にか雨音が聞こえる。

 温暖期のドンドルマ名物、気まぐれな──本日は少し遅めで穏やかな夕立。

 

「というか、ザボアザギルの通常種を狩ったって!? ってことは寒いところに行ってきたってことか!?」

「えぇ。まぁ、寒いのは結構堪えたけれどね」

「雪って本当に冷たい? 白い? 柔らかい?」

「本当に冷たくて、白くて、柔らかかったわ! いざ狩猟では砂とは違って、足場の確保が難しくって……」

 

 

 

 さて、隣の居間。いつもの《南天屋》四人にラジーと親方も加え、大所帯で恒例土産話宴会が開催されていた。

 肴は氷海付近の村で購入した干物。新鮮なまま長距離輸送できないのが残念だが、火を通すと透明な脂でツヤツヤして、米の醸造酒ととても相性がいい。

 

「海氷とは──」

 

 氷点下より冷たい海へ流れ込んだ川の水が凍ったものだ。海は塩を含んでいるから、時に氷点下よりも冷たくなる。

 海氷は海流に乗って大陸の東沿岸を南下し、暖流にぶち当たって、川の──陸が育んだ養分と共に解ける。

 

 豊かな海にはたくさんの生命がやって来る。だから、大陸の東海岸では漁業で名を馳せる街が多い。ドンドルマで売られる海産物は、眼前のジォ・クルーク海産のものに混じってそんな街からやってきたものもある。

 現地産の商品を押し退けるほど良質な海産物なのだ。

 

 資源と金は、世界を巡る。その奔流の歯車である自分達のなんとちっぽけなことか──

 

「──このように、時には食からその土地の気候や地理について知ることができるのサ。腹も満たせて一石二ガーグァ、三ガーグァ」

「そうかー。これも氷海の恵み、魚うまし。ありがたやーニャムニャム」

 

 一番最初に酔っ払ったハルチカの講義に、ラジーはウンウン頷きながら干物を美味そうにつつく。

 おそらく分かっていない。

 

「ところでシヅキ、今回のクエストの報告書は書いたか? オレっち詳しくねぇけど」

「あ、マズい。明日にはギルドに出さなきゃだ……!」

 

 雰囲気に飲まれて忘れていた。愕然とするシヅキを傍に、親方へメヅキが卒なく解説する。

 

「俺達は商事……団体として報酬を受け取っているから、報告書がないとギルドとの間で円滑にやり取りができないのだ。いつもは移動中に仕上げているが」

「今回、担当する僕が夏風邪を貰っちゃいまして。移動中はずっと寝込んでました」

「この愚弟が! 後で滋養薬をやるからさっさと仕上げろ! 今すぐにだ! 酒は没収!」

「この飲み会の流れで!? て、手伝ってはるちか!」

「……グゥ」

「仲間の窮地に寝ているだと……!?」

 

 助けを求めるようにアキツネ、ラジーへ視線を送ると、二人は「がんばれ病人〜」と手をひらひらさせる。酔っ払いなのでまるで役に立たないし、そもそもラジーは報告書に関係がない。

 

「や、病み上がりになんとご無体な……」

 

 メヅキの弾圧によって退席せざるを得なかったシヅキは、隅の席にすごすごと引っ込んだ。

 手には書類と、差し替えられた水のグラスだ。少し遠くなった喧騒がちょっと切ない。

 

 報酬についての報告書。慣れた文句の定型文を斜め読みし、視線は素材の価格の欄で止まる。素材の価格はハンターズギルドによって定められているのだ。

 

 ザボアザギル素材に比べて、スクアギルの素材は二回り以上も安い。

 同じ種なのに、同じ一つの命なのに。

 

 グラスに口をつけたシヅキは少しだけ、前に働いていた商事へ思いを馳せた。

 

 箱に詰め込まれている、剥ぎ取ったままのモンスターの骨や牙、皮や甲殻。それから刃も入れられていない腐りかけの死体。

 ただ黙々とそれらを解体し、血肉を削ぎ、煮込んで脂を落とし、(なめ)して磨いて、流通へ回す。

 (はえ)と死臭が仕事仲間。目の前の素材が生きていた頃、どんな姿でどんな暮らしをしていたのだろうと想像を膨らませることだけが楽しみで。

 

 もともと命を狩ることは特別だと考えていたけれど、いつしか必要以上に生へ──狩るモンスター相手へ執着するようになっていた。

 

 シヅキのかつての専門は、素材商。流通できるように素材を加工するのが仕事。

 

 兄のメヅキが生を扱う薬商なら、弟のシヅキが扱うのは死。薬の力で生命を尊ぶ兄が、心底羨ましくて。ずっとずっと自分の仕事に誇りを持てなかった。

 名残として、《南天屋》で剥ぎ取り作業や素材の手入れはシヅキがやることが多い。体が先に動いてしまうのだ。

 

「僕の風邪、まだ治ってないのかなぁ」

 

 ぼやきながら苦笑して、額に冷たいグラスを当てる。目元の窪みを伝う結露が、場の空気に熱された頭に心地よい。

 今は特に専門知識のない、ちょっと警備や護衛が得意なただの(いち)ハンター。仲間はみんな専門知識を持っていて、自分だけが持っていない。でも、それでいいのだ。

 

 額に当てたグラスがまるで蓋みたい。臭いものには──死臭には、蓋をしなければ。

 

 

 

 前へ進むハンターも。歩みを止めて、振り返るハンターも。

 洛中の夕立と酒精は優しく、優しく彼らを包み込む。

 

 

 

 

 

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『 月刊 狩に生きる 』

『 特集 狩りは御洒落も楽しみたい!

 〜重ね着コーデのパイオニアハンターに聞いてみた〜 』 

 

 そんな巻が発行されるのは、もう少し後の話。

 

 

 




 重ね着を初めて考えた人はすごい。

 オネェ×ギャル=爆発。書いてみたかったお話でした。ゲームシステムとしての重ね着が好きなので、文章と考察という形で触れられて良かったです。
 遅ればせながら、次章から主要登場人物の過去を掘り下げていきたいと思います。

 読了ありがとうございました。次話も是非ご賞味下さい。
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