黄金芋酒で乾杯を   作:zok.

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とう-そう【痘瘡】
 痘瘡ウイルスの感染によって起こる悪性の伝染病。高熱と全身に小水疱(すいほう)とが出て死亡することが多く、治っても痘痕(あばた)が残る。
 現在は地球上から根絶されている。天然痘。
 


43杯目 『 フラヒヤの高嶺に雪は降りつつ 』

  

 

 

 △▼△▼△▼△▼△ 

 

 

 “山笑う”という言葉があります。

 温かくなって草木に若葉が生い茂り、山全体が明るくなった様子のことです。

 

 温暖期──夏になって、フラヒヤ山脈もようやく微笑を湛えるようになります。氷雪のように冷たい笑いではなく、生命の営みを許すふくよかな笑いなのです。

 とはいえ、ヒトが息をするにはあまりにも空気が薄く、寒く、永遠に解けることのない雪渓さえあちこちに見られます。ここは自然の領域なのだと、踏み入った者は改めて思い知らされることでしょう。

 

「わ、ぎゃあっ!」

 

 今も一人、マフモフ一式装備のハンターが小石に足を取られ、派手にすっ転びました。見晴らしのいい尾根を進んでいましたが、斜面をゴロゴロと転がり、低い沢まで落ちてしまいます。

 

 彼は少年です。彼は雪山草集めのクエストに来ていたのですが、欲が張って狩猟エリアから外れ、いつの間にか帰り道が分からなくなってしまったのです。

 朝にポッケ村を出たのに、今、辺りは幻想的な紺色に飲まれつつありました。温暖期ですから、腹を空かせたギアノスやブランゴが夜食を求めてうろついていても全くおかしくありません。

 

 恐ろしいほどに静かなのは、木や岩の陰から耽耽(たんたん)と彼らが自分を狙っているからでしょうか。少年は骨の髄から震えあがり、「ふんぬ」と息んで足を──落ちた拍子にくじいて、とても痛みます──前へ前へと再び進めます。今の彼を動かしているのは希望でも絶望でもなく、自然の未知への恐怖だったでしょう。

 世の中怖いのは(サケ)でも(カネ)でもなく、見えないだとか、得体の知れない敵なのです。

 

 疲れた体を引きずりながら、少年はなんとか沢のそばに生えている茂みを見つけました。葉がもさもさと密に生えていて、山のように巨大で、中は空洞になっていました。少年はその陰へ「助かったぁぁうはぁぁあん」と情けない声を上げてぺたりと座り込みます。

 事態は何も助かっていないのですが、冷たい風を防ぐ茂みは予想以上に暖かくて、安心感からすぐに眠くなってしまいました。朝からほとんど休みなく歩き回っていたのですから。

 

 ひとまず休もう。帰ることは明日考えよう。少年はそう独り()ちると、ゆっくり瞼を閉じました。眠りに落ちるまでそう時間はかからなかったのですが、その落ちる直前に、何か大きなものが動く気配がしたのは──後になって疑問が解けたことです。

 

 

 

 △▼△▼△▼△▼△ 

 

 

 

 パチンと薪がはじける音で目が覚めまします。瞼をちかちかと透かす光は、穏やかで(おもむき)のある暖炉でした。

 温かくて、いい匂いがします。これは丁寧に乾燥させた雪山草で、旬が過ぎた温暖期ならではの香りだということを、少年はこの半年間に雪山草の勉強をして覚えました。

 ──いや、自分は茂みの陰で眠っていたはずなのに!! 少年はびっくりして飛び跳ねます。

 

「ふわ、わわ、わわわ」

 

 その拍子に落ちた──ベッドから落ちたのを、鈍い頭でやっと理解しました。

 横たわっていた彼にはフラヒヤ麦パンのように分厚い毛布と布団、毛皮が重ねてあって結構重かったのですが、それらを吹き飛ばすほどにびっくりしたのです。

 

 少年は起き上がろうとして気づきました。……眼鏡が、ありません。

 冒険ものの小説を昼夜読み漁って目が悪くなった自分に、トウちゃんとカアちゃん、ジイちゃんとバアちゃんが(カネ)を工面してやっと買ってくれた大切な宝物です。

 もしかして、茂みがあった場所のどこかに落としてきてしまったのでしょうか。一本いくらするのか、雪山草何本分になるのか──思うだけでゾッとします。

 

 目はぼやけているし、装備もなぜか脱がされているし、そもそもここはどこなんだ──少年が頭を抱えていると、部屋の戸がギシギシと音を立てて開きました。

 

 ぬうっと白い布を被った誰かが入ってきます。

 少年は思考が硬直して、危害が加えられるようなことがあればすぐに殴れるように、握りこぶしをこっそりと作ることしかできませんでした。

 前に読んだ冒険譚では、こうして危機に立ち向かう場面があった……ような気がします。

 

 “誰か”は近づいてくると、少し迷ったように首をわずかに巡らせ──暖炉のすみっこに積もっていた灰を木の板の上に盛って、(なら)して、薪の細い枝を使って何かを書いてみせました。筆談です。少年にとって初めての、筆談です。

 

『君の眼鏡を応急処置で修理しました。今はきちんとくっついていますが、山を降りたら目医者に診て貰いなさい。』

 

 “誰か”が取り出した眼鏡は──ビン底眼鏡は、蝶番(ヒンジ)の部分が溶かした鉱石で固められていました。鼻にかけると、前よりも少し重いけれどピッタリとはまります。緩んでいた細かい螺子(ネジ)もきちんと絞められていて、買いたてのような着け心地でした。

 

 眼鏡をかけて初めて、少年は筆談を理解します。「あぅ、ええ」と小金魚のように口をパクパクさせながら少年は例の“誰か”を見上げました。

 白い布だと思っていたのはフード付きの外套で、背はそれほど高くありません。すごく怪しい人物ですが、雪山草何百本ぶんもする眼鏡を(たぶん)山から拾ってきてくれたのですから、お礼を言わなければなりません。

 

「あ、ありがとうございます。失くしたかと思ってました、眼鏡」

『どういたしまして。』

 

 板の灰を均してから、フードがこくんと頷きます。ものを書くのが普通に会話するくらいとても速くて、おまけにすごく読みやすく綺麗な字です。

 

「ボクはポッケ村から来ました。山で道に迷っちゃって、茂みの陰で眠っていたはずなんですけど、ここは……あ、ボクの名前は」

『名乗らなくて結構です。』

「……え?」

 

 灰の字に拍子抜けする少年。こんな自己紹介の断られ方はどんな冒険譚でも見たことがありません。握りこぶしがへなへなと開かれて、少年はブナハブラが鳴くような声で、「じゃ、じゃあアナタのことをなんて呼んだらいいですか」と尋ねました。

 

 ──『俺は』

 

 書きかけて、“誰か”は少し慌てたように『私は』と書き直しました。どうやら男であるようです。

 

『何者でもありません。適当に呼んでください。「おい」とか「ねぇ」とか』

「えぇ……」

 

 困惑する少年に、男は己のことを述べ始めます。フラヒヤ地方に伝わる、古くて難しい言葉を使いますが、フードの下から少年の様子をちらちらと見ては今風のやさしい表現に書き換えてくれました。

 

『私は幼い頃、“巨獣病”に(かか)りました。今は完治していますが、顔の皮膚が膨れ上がって、でこぼこに固まってしまっています。ですから、私は君に顔を見せることができません。』

「きょ、巨獣病?」

 

『世間一般では痘瘡(トウソウ)と言います。巨獣病という言い方はフラヒヤの中でもこの辺りの地域だけでしょう。由来は、顔の腫れ物と巨獣の頭殻が似ていることから』

「あ、それならボクのバアちゃんから聞いたことがあるような」

『ええ。大昔に、ぽつぽつと流行りましたから。』

 

『巨獣病によって、喉も腫れ物で潰れてしまいました。私は喋ることができません。筆談で失礼します。』

 

 フードの下──ハンターの、フルフェイス型頭装備(ヘルム)です──から覗く目は、金色。冷たく無感情で、右の瞳孔がまるで月にかかった薄雲のように白く濁っています。目が悪いのか、少し不自然な瞬きをするのが印象的でした。

 目に痘瘡の黴菌(ばいきん)が入ると巣をつくって、とめどなく増えて、目が見えなくなっちまうんだよ、とバアちゃんが話していたのを少年は思い出します。

 そんな理由で見える世界が真っ暗になるとは! とんでもなく恐ろしく、思わず震える肩を押さえました。

 

 けれど、痘瘡とは皮膚と発熱の病気のはずです。喉が潰れるなんてことがあったかしらん、と少年は首を捻りました。

 

『君をここまで連れて来たのは、君がガムートの股下で眠っていたから。彼のモンスターの名は、フラヒヤ暮らしなら一度くらい耳にしたことがありますね?』

 

 自分があのガムートの下で眠っていたなんて!!

 何度も頷く少年。『巨獣』ことガムートはフラヒヤ地方のおとぎ話でよく登場するので、彼らはよくよく知られています。白き神を破った英雄としても、自分たち人間を雪崩に飲み込む悪者(わるもの)としても。

 フラヒヤの住人にとって、ガムートはそんな二面性を持つモンスターでした。

 

『ガムートの太い後肢と真ん丸なお尻は、暗いと大きな茂みや洞窟に見間違えやすいのです。ポポである場合もありますが。』

「ボク、ガムートのお尻の下敷きになるところだったんですね……」

 ……『食べ物を持ってきます。少し待ってください。』

 

 少年が眼鏡のくっついた部分を触っていると、一旦退室した男はスープを持って来てくれました。澄んだ汁に肉の塊と、乾燥させて戻した雪山草が浮いています。

 毒入りなのではないかと恐る恐る口に含むと、しっかりと調味料に漬け込まれた肉が口の中でほろほろと()けます。雪山草のほっくりとした風味と塩味の利いた脂が、少年を優しく温めました。

 

「お、おいしい! あんまり食べたことのない味だけど何の……ハッ、これは人肉!?」

 

 やってもうた。恩人相手に。冒険譚の読みすぎです。

 男は頭装備の下でフスンと鼻を鳴らしたのか──笑ったのか──灰の字を少年に見せます。

 

『子ポポの頬肉ですよ。じっくり焼いてから汁物にしています。』

「え、それって……スゴく高級じゃ?」

『私はもう食べ飽きました。感想はもういいから、黙って食べなさい。』

 

 ふと気が付いた様子の男。汁一杯ぶんを追加で用意して、器用に頭装備を外さずに飲み干しました。毒入りでないことの証明です。それを見てやっと、少年は弾かれたように再び匙を進めることができました。

 

 温かい食べ物はクエスト中でも貴重なもので、少年はあっという間に完食します。男はその様子を黙って眺めていました。

 

『君は右足首を捻挫しています。引きずって歩ける程度の軽いものですから明後日には治るでしょう。それまで、ここで休んでいくと良いでしょう』

「あ、え……?」

 

 確かに、右足首には包帯が巻かれて固定されていました。これまで包帯を巻くほどの怪我をしたことが無かったので、少年はとてもびっくりします。

 改めて、ハンターとは危険な職業なんだなぁと認識しました。

 

『私を疑うなら、すぐに下山しても構いません。君の荷物はあそこの壁に掛けています。』

「そんな疑ってなんて! ……いませんってば」

 

 つい数刻前まで抱いていた疑いを見透かされたような気持ちになって、少年はつい語気を荒げます。けれど語尾は情けなく、潜口竜ハプルボッカの尻尾のようにしぼんでしまいました。恩人相手にカッとなるのはいけないのですから。

 

 ……『用を足すのは部屋の隅の壺に。』

 

 そう付け加え、男は踵を返して部屋から出て行ってしまいました。

 残された少年は赤面し、分厚い布団に潜り込むことしかできませんでした。

 

 

 

 △▼△▼△▼△▼△ 

 

 

 

 男は翌朝に便所壺を回収し、大雪米の粥といった軽食と、『暇でしょう』と少年に本を一冊与えてくれました。雪山地方に伝わる、古くて難しい言葉で書かれている続編ものです。

 ガムートについてのおとぎ話が集められたものだというのは、難解な言い回しをかき分けて読み進める最中にやっと気づいたことでした。

 

 最も有名な白き神との戦いのお話から、一晩にして集落を飲み込んだ雪崩の話、森で迷ったポポを守り導くお話(どこか既視感を感じます)、ドスギアノスと雪獅子ドドブランゴとの三つ巴の知恵比べ、嵐や吹雪の化身である鋼龍クシャルダオラとの力比べ、家の木材や薪を食べてしまうお話、難産をヒトが助けるお話まで……本当にたくさんのお話が編纂されていました。

 本は何度も何度も読み返した跡があり、雪山草の(しおり)が挟み込まれていました。

 

 大分苦労して読み終わった頃、男が再び部屋を訪れました。

 窓の外を見れば、少年があの茂み──ガムートの尻の下に潜り込んだ頃くらいの暗さになっていました。一日経っていたのです。

 男は背負っていた大きな荷物を下ろしました。

 

『君の武器を拾ってきました。一昨日の夜は、君ひとりを担ぐので精一杯でしたから。』

「あ……アイアンランス!」

 

 少年は、いちおうハンターです。といってもモンスターを自分の手で狩ったことはありません。採集専門のハンターを目指すために、少年は日々勉強をしていました。

 男が少年のアイアンランスを壁に立てかけた時、彼の被っている白い外套が引っ張られてわずかにずれます。その装備は、一目でどんな素材から作られたのかが分かる意匠(デザイン)のものでした。

 

「! それ、レウス装備だ!」

 

 少年の驚きの声に、男はピクリと身を震わせます。少し動きを止めて躊躇(ためら)うような様子でしたが、外套をちょっとだけ(めく)ってみせてくれました。

 

『そうです。これは雄火竜リオレウスの装備です。だいぶ古いですけれども……』

 

 確かにあちこち傷ついていて、あの特徴的なな赤い鱗もところどころ欠けています。それでもその装備からは物言わぬ威厳が感じられたし、なにより彼の飛竜はハンターであれば相対するのを必ず夢見るような、象徴的なモンスターなのです。

 だから、少年にとってこの怪しい男はリオレウスのようにとても立派な人物に見えました。装備というのは(けだ)し身に着ける者を象徴するのです。

 

『君もリオレウスが好きですか?』

「は、はい! だって、いつも読んでいる冒険譚に絶対出てくるから! お話ではリオレウスの装備を着るハンターはみんな英雄なんです、だから、アナタもお話のに出てくる英雄みたいだなぁって……」

 

 ……『私は』

 

 文字を綴る手が止まりました。

 風が吹いたのかと思います──次の瞬間、目に見えないくらいの速さで抜かれた片手剣が喉元に突きつけられていました。これもリオレウス素材のもので、触れずとも赤い刀身が少年の首の皮を苛烈に熱します。

 男は左手で剣を持ったまま、右手で器用に文字を綴りました。

 

『私をそんな風に呼ぶな。次に同じことを口にすれば、私は君の喉を掻き切ることさえ厭わない』

「ふぁ、ご、ごめんなさい」

 

 縮み上がった少年から、見ていられない、と言うように男は目を反らすと、暖炉の薪へ片手剣を乱暴に付き刺しました。よく乾いた薪はずぱん、と生肉のように軽く切れて、真っ赤に加熱されて、あっという間にめらめらと燃え上がり始めます。

 

 ハンターが人に武器を向けるのは、この上ない御法度で最上級の罪。

 なぜなら武器はモンスターを倒すため、つまり、人を守るために作られたものだからです。武器には職人やハンターズギルドの職員、商人といったハンターでない人々の技術と願いが込められているのです。

 

 ハンターが担ぐのは“自然へ歯向かうための策”だけでなく、そんな人々の“守るべき想い”なのだと──ポッケ村の教官は、一番最初の講義で教えてくれました。

 何があっても、人に武器を向けてはならないと。

 

 ちなみに、ミナガルデやドンドルマのような大きな街では、ギルドナイトというハンターを取り締まる役員が常駐しているのだそうです。そんなことをするハンターがいたら、あんな手やこんな手でとっちめるとのことです。

 

 ──では、自分に平気で剣を向けたこの男は? 英雄の顔と悪者の顔、二つの顔を持っています。まるで、おとぎ話に出てくるガムートのように。

 少年はとてつもない恐怖を感じました。

 

『私のことを話しすぎました。明日には君の体調も万全になっているでしょう。そしたらポッケ村に帰りなさい。こんなところに居てはいけない。』

 

 男は外套を正してリオレウスの装備をすっぽり隠すと、薪から無造作に剣を抜いて身を翻します。ぶわりと広がった白い外套は迫り来る雪崩のようで──少年は実際に雪崩を見たことはありませんが──思わず目を瞑ってしまいました。

 再び目を開けると、見慣れたアイアンランスだけが壁にもたれかかって佇むのみです。

 

 アイアンランスは、少年がこれまでやってきたどの手入れよりも綺麗に、とても綺麗に磨かれていました。

 

 

 

 △▼△▼△▼△▼△ 

 

 

 

 翌朝、右足首の包帯が解かれました。包帯の内側には見たことのない加工で作られた薬草の練り薬が塗られています。

 昨日、少年に剣を向けたことが嘘みたいに男は静かに、几帳面に、恐る恐ると言っても言い過ぎではないくらい丁寧に塗り薬を拭きとります。少年の右足首を何か所か指で押したり揉んだりしてから尋ねました。

 

『痛くないですか?』

「うん……はい。すごいや、全然痛くないです」

『良かった。では、これから下山です。ハンターズギルドもきっと君を探しているでしょう。』

 

 男は少年の足に固定用の包帯を巻いて、少年がもたもたと装備や荷物を整えているうちに朝食を持って来てくれました。昨日の粥とは違ってしっかり目に炊いた大雪米、それと雪山草の漬物、焼いたサシミウオです。

 この魚は年中穫れて、旬から外れていても美味しく、フラヒヤ地方では昔ながらの人気食材でした。

 

「わぁ、サシミウオだ。ボク、サシミウオには思い入れがあるんです」

「半年くらい……もっと前か。ボクがハンターをやっていけるか迷っていた時、クエストに同行してくれた人が奢ってくれたのがサシミウオ定食で」

 

 男は粗末な椅子に腰かけて、暖炉の灰掃除をしながら少年の話を聞いていました。

 

「ボク、あの時すごく心が弱っていたから……たくさん泣いちゃったんです。だから、定食をよく味わえなかったんですけど……うん、美味しかったなぁ」

 

 「いただきます」と少年はきちんと手を合わせてから、焼きサシミウオに手を付けます。あの人の「いただきます」「ごちそうさま」を見てから、自分も「いただきます」「ごちそうさま」をするようにしていました。

 

「後で知った話なんですけど、その人には双子の兄がいて……ええと、薬売りだっけな。二人はドンドルマにある事務所で働いているんですって。毎年、あの寒冷期の時期に、きょうだいで買い出しにポッケ村へ来るって決めてるんだって」

「ボクは、次にあの人達が来るとき、一緒に雪山草を採りに行きたいんです。で、またサシミウオ定食を食べて、今度は泣かないでもっとおしゃべりしたいなぁ。次はもっとポッケ村に滞在しててほしいなぁ」

 

 男は背を丸めたまま、集めている灰の山に字を書きます。

 

『きょうだいとは、“兄弟”?』

「え? あ、はい。二人とも男です。若くて、ボクより一回り上くらい」

 

 ……『名前は?』

「えと、あっ、弟の方が……ボクに奢ってくれた方がシヅキさん。兄はなんだったっけなぁ、ヅキ……メ、メヅキさん。確か」

 

 聞いたとたんに男は灰を見つめていた金の目を、まん丸の満月のように見開きました。そして心底複雑な感情を浮かべて、新月を控えた三日月のようにゆっくりと目を細めました。

 嬉しいような、寂しいような、憎らしいような。なにより、信じられないといった様子で。

 

 目に灯る感情は燃えるように鮮やかなものでしたが、それも一瞬のこと。すぐに冷たい雪色に似た金に戻り、男は黙ってしまいました。あれ、見間違いだったかな、と少年は思ってしまいます。

 

「あの……ええと、ごちそうさまでした……?」

『お粗末様。食器、布団、便所壺はそのままで結構です。天気が安定しているうちにすぐに発ちましょう。』

 

 立ち上がる男に急かされたような気持ちになり、少年は慌てて荷物とアイアンランスを担ぎます。残念ながら集めた雪山草は転げた拍子に落ちてしまったようで、ポーチには何も残っていませんでした。

 

 

 

 

 少年が泊まっていたのは、小さな木造の山小屋でした。静かな朝の(とろ)を見下ろす丘の上に建っていて、寒風に吹きさらし続けた柱は傾きかけ、けれど掃除がきちんと行き届いています。

 丘は見晴らしがよく、下流の遠くの方に豆粒のようなものが一つうごうごしているのが見えました。少年は昨日渡された本で何度も登場したその姿を指さし、思わず叫びます。

 

「あ……! あれ、ガムートだ!」

『ここは彼女の縄張り。君や私のような小さきものには興味を持たないから、刺激しなければ大丈夫。彼女の影響でこの辺りにギアノスやブランゴ、そのほか大型モンスターが出没することはありません。』

『彼女は食餌を求めて歩き続ける習性があります。来週には縄張りも移動していることでしょう。枝を食べられた森には日が差し込み、草が育ち、それを食べる草食モンスターが居ればいずれ肉食モンスターもやって来る。こうして、温暖期のフラヒヤは次の厳しい寒冷期に備えるのです。』

「……??」

 

 少年がその意味を理解する前に、男は慌てるように灰の字を均してしまいます。きょとんとする少年を半ば置いてけぼりに丘を下りながら、男の金の目は山脈の彼方へ向けられました。

 

『向こうに、煙が立っているのが見えるでしょう』

「え? あ、ハイ。細いのが、何本も」

『あれがポッケ村です。左手、つまり西側に雪を被っている頭一つ高いのが狩場、雪山。』

 

 雪山の高嶺は温暖期の今でも雪が降り続いていました。ここ一帯ではあの山だけが未だに白妙(しろたえ)を被ったままなのです。拒絶するような印象さえ抱きますが、あそこにもモンスターは住んでいるので、生命とはなんとも図々しく力強いものだなあと感じます。

 

 その向こう側に、朝日の強い光にかき消されそうになりながらもやっと見えるほどの細い煙。あんなに遠くから少年はがむしゃらに歩いてきてしまっていたのです。

 

『この小川を辿って休まず歩けば、日が暮れるまでにポッケ村に着きます。今夜は天気が崩れそうだから、この機を逃すと二度と帰れません。』

 

 口をぽかんとあけてポッケ村の煙を眺める少年に、男は(ふき)の葉で包んだ大雪米のおにぎりを持たせてくれました。塩漬けの蕗は捨てずに食べられるようになっています。それから水筒いっぱいの水と、回復薬とホットドリンクを数個。薬はとても苦そうです。

 

『約束をして頂きたいのですが』

「は、はいっ、なんですか」

『一つ、私とこの数日の出来事を誰にも言わない、伝えない。二つ、二度とこの場に来ないこと。三つ、無事に帰ること』

 

 最後に男は、なんだか場違いで小さなグラスを差し出してきます。なんだろうと思って受け取ると、男は朝日のような黄金色の液体を瓶からとくとくと注ぎました。

 

『遅めの食後酒です。ホットドリンクと合わせて飲むと体が温まります。この乾杯で約束を誓ってください』

 

 ──酒! 少年は酒なんて飲んだことがありません。ちゃんと成人になってから飲もうと思っていましたが、気遣いを無碍(むげ)にすることはできません。

 男は自分の分も注ぎます。黄金の液体を湛えたショットグラスがふたつ。その奥に、男の金の目がこちらを覗きました。少年は、慣れない手つきでグラスを前に傾けます。

 

「か、乾杯っ」

 

 澄んだ音が、朝の瀞に響きます。

 ふたりで一息に呷り──少年はあまりの酒の辛さにむせ返ってしまいました。

 

『いつか君にも、酒を甘いと感じる日が来るでしょう。限りないご武運を。』

 

 涙がこぼれそうになって男を見ると、彼は字を書いていた灰を土にばら撒いて、灰を乗せていた板をへし折り、投げ捨てました。

 静かで冷たい金の目が、言うことはもうない、と語っています。

 少年が好きな冒険譚では、主人公がこうして村人にあれこれと装備を整えてもらう場面があったような気がします──少年の気持ちが高ぶったのは、それだけではありませんが。

 

「あ、あ、あの! 色々と、ありがとうございましたっ! なにもお礼できなくてごめんなさい! 約束、絶対に絶対に守りますから!」

 

 男は何も言わずに金の目を細めます。灰の字があれば『お礼は結構』と言っていたことでしょう。

 こうして、少年は下山を始めたのでした。男の金の目はアイアンランスを担ぐ背を──ずんぐりむっくりな背を、見えなくなるまでずっとずっと眺めていました。

 

 

 

 男が背負っている荷物は、酒や少年への食料や飲み水だけではなく。

 

 背から下ろし、ゆっくり展開して、構えます。ごつごつとした骨の地味な重弩、ボーンシューター。駆け出しハンターのお小遣いでも買えるような安物です。

 

 一番近い緩やかな稜線に向け、時間をかけて標準を定めると、Lv.1通常弾を放ちます──安物の重弩なので、ぼぅんと間抜けな発砲音。男は全速力で丘の上まで駆け上がると、長い長い静寂の後に、どう、と大きな爆発が起こりました。

 猛烈な爆風が木々や雪渓を押し倒し、土砂は山の形を変え、瀞を()き止め、新たな小川が作られます。さっきまで男と少年がいた丘の麓は無くなってしまいました。

 

 この周辺には男の手によって大タル爆弾がいくつも仕掛けられていました。不用意に山小屋へ近づく者をすぐに吹き飛ばせるように。任意に地形を変え、道に迷わせ、山に閉じ込められるように。

 その気になれば、男はいつでも少年を山に埋めることができたのです。実際はそんなことをしなかったのですが、万が一に備えて山小屋の位置が分からなくなるように爆発を起こしたのです。今夜の雨で地形はさらに複雑になるでしょう。

 

 まだ煙を細く吐くボーンシューターの銃口を下ろし、男は雪山の高嶺を仰ぎます。レウス装備の下で筋張った喉仏がこくんと上下しました。

 

「マフモフ一式装備、か……」

 

 男は噛み締めるように呟きます。乾ききった寒風のように、掠れた声で。

 

「それから、アイアンランス……ふふ。懐かしい、懐かしいなぁ」

「あの少年はまた迷ったりしないかな……採集専門のハンターか、うまくいけばいいな。ふふふ」

 

 男はふくふくと穏やかに笑います。温暖期のフラヒヤ山脈のように。

 

 頭装備の下でぼろぼろに傷ついた皮膚の目尻を引きつらせ、しわくちゃにしながら──“巨獣病”の痘痕(あばた)は顔のどこにもなく──男は瀞のほとりへ歩いていきます。

 水の流れで削れた岩盤に腰を下ろし、ショットグラスを雪解け水で(すす)ぎました。手で回して弄べばグラスの中にくるくると奔流が生まれ、泡が徐々に白へ近づく朝日をきらきらと反射します。

 

「もう一日長く滞在していたら俺はもっと寂しくなってしまっただろうなぁ……。ふふ、年を取るとどうもいけない」

 

 ふたりで飲んだ酒は黄金芋酒。フラヒヤ地方では『運』を願う酒です。

 本来は一緒に乾酪(チーズ)を齧るのが礼儀なのですが、子ポポの頬肉や焼きサシミウオで妥協としました。

 

 あの乾杯は確かに少年の体を酒精で温めるためだとか、約束を堅くする意味もありましたが、男にとって何より少年の無事を願う祈りでした。 

 無事に帰れますように。願わくば──本当に勝手に願わくば、家族のもとへ。

 

 

 男がこのフラヒヤに一人で住むようになってから、自分は剣で獣や竜の殺戮を繰り返すことしか能がないのだと感じることが星の数ほどありました。

 ときに、ひとりぼっちな気持ちで気が狂いそうになったり、彼らの間で交わされる遠吠えを真似しそうになったことも。

 

 だから、例え自分の存在が誰かに知られる危険に脅かされようとも こうして雪山で迷った者を救助することで──人間らしいことを行うことで、自分はヒトという生物種なのだという自覚を噛み締めることができたのです。

 

 これまで何人もの遭難者を救助して来ましたが、助からなかった者も少なくありません。だから、少年が元気に下山したことはこの上なく嬉しい事でした。

 ただ一つ、自分を英雄呼ばわりしたのは許せなかったことなのですが。なぜなら、そんな風に自尊心をくすぐられると本当に人が恋しくなってしまいそうだったからです。

 

「ん、んんっ……」

 

 咳払い。ひゅうひゅうと空気が鳴り、喉の粘膜が裂けてしまいそうな痛み。こんな喉で筆談のような長い会話をすることは難しそうです。

 男は長年誰とも喋っていなかったので、声でうまく会話ができるか自信が持てなかったのです。

 

 それでも、言葉を操って文字を書けることもヒトの特権ですから、字と言葉遣いは丁寧にするように心がけていました。確かに少年は年相応な見聞で言葉足らずでしたが、言葉を使って会話することは男にとって最大の孤独を癒す薬だったのです。

 数日分の礼なんて、それだけで十分でした。

 

 山は笑えど、フラヒヤの高嶺に雪は降りつつ。ここは高い標高のために季節と気候が入り混じり、交わる場所です。 

 奇妙で幽寂な大自然にただ一人、男は再び溶け込んでいくのでした。

 

 

 

 △▼△▼△▼△▼△ 

 

 

 

 さて、爆発音を背に帰還したこの少年。

 ポッケ村で修行するうちに運の悪戯か、またミョウチキリンな出会いをするのですが──それはまた、別のお話。

 

 

 

 





 『 田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ 』
 
 ── 田子の浦に出かけて、遙かにふり仰いで見ると、白い布をかぶったように真っ白い富士の高い嶺が見え、そこに雪が降り積もっている。

 元ネタは引き続き万葉集から、山部赤人の歌です。別に田子の浦には出ていないですけどね。
 1話で登場した彼に久々に出てもらいました。彼も思ったより勝手に動いていくタイプで、書いていて楽しかったです。キャラはやっぱり一回きりの登場だと寂しいので、また何かの折に出してみたいですねぇ。

 読了ありがとうございました。次話もよろしくお願いします。

【オマケ】14,000UA↑/総合評価450↑感謝!!
 
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