黄金芋酒で乾杯を   作:zok.

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風を掴めぬ飛竜たち
55杯目 若き飛竜は天翔ける


 

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 うちの店の中はいつも、陸風が吹き込んでいる。これはヒンメルン山脈からジォ・クルーク海へと向く風だ。

 なぜか。理由は、うちの店を開ける時間を、夕凪から朝凪までと決めているから。

 

 陸風はいい。ひんやりしていて、乾いていて、爽やかだ。対して海風はぬるくて、湿っぽくて、塩でべたべたしていて、嫌いだ。

 好きな風が吹く夜にだけ、動きたい。

 

 そして今、店の前に生えている背の高い雑草のゆらめきが、夕凪の気配を告げている。

 表の商店街にかけられた旗や、空の色、雲の流れ、鳥の飛ぶ様子。そんなものからだって、風向きを読むことができる。

 あたしはいつもそれを横目に、いそいそと、まるで悪党が悪だくみの計画を練るかのように、開店準備をする。

 

 あたしが日中に活動しない理由について、もう一つ追加しよう。あたしは、夜のやさしさとさびしさが好きなのだ。

 夜は、脛に傷をもっているだとか、心に後ろ暗いところをもっている人を歓迎しない。でも、決して拒みも、しない。

 

 だから、魚が水に棲むように、飛竜が空に棲むように、悪党が暗闇に蠢くように、あたしは店を夜に開ける。

 本当にただ、それだけのことだ。

 

 これは、ドンドルマの最南端の、とある裏路地にある居酒屋での話。

 

 

 

「姐さん、銀嶺ハイボールいっちょ!」

 

 本日開店前の注文。あたしは思わず、棚に並べているとびきり上等なグラスを掴み、投擲せんと振り上げた。

 

「知ってると思うけどウチはハタチ未満にゃ酒出さねぇんだよ! ガキはハチミツ入りミルクでも飲んでな!」

 

 ぶん、とグラスが空を切る音に、ひゃあ、と青年のおどけたような悲鳴があがる。

 こいつ、舐めてる。イャンクックを狩ったからって調子に乗りやがって。

 

「ったく、たった半年こなしたくらいで一丁前のハンターぶるんじゃねぇよ青二才が!」

 

 あたしはグラスを振り回しながら、がなりたてる。

 言葉ってのはどうして物理的に殴れないんだろうか。と無意味にイラつきつつ、最近すっかり感情的になりやすくなったな、と下腹部の脂肪の厚みを感じながら思った。

 これくらい凄んでみせれば、街でうろうろしている頭の悪い商人なら、ケツを叩かれた丸鳥みたいにブルっちまうところだ。

 

 けれど、青年はあたしの言葉に怯むことなく、細い肩をチャーミングにすくめてみせる。

 

「おお、姉さんの速射はおっかねエったらありゃしねエ。こりゃ連撃、見切り、弱点特効とくらァ」

 

 ちゃきちゃきと耳をこまかく突くような舌ったらずの商人言葉、一言多い文句。無骨なハンターが喋るにしては、どうも、いささか、似合わない。

 

「黙りな! ヘビィボウガンに速射はねえって言ってるだろ、ちったあガンナーの勉強もしろヘッポコ!」

 

 あたしはカウンターの陰から、そいつによく聞こえるように怒鳴る。ぴかぴか黒光りする瓶の山に手を突っ込んで、とっておきのトロピーチジュースを選んだ。

 きゅぽ、と小気味のいい音を立てて、瓶を開封する。投擲される場を失っていたグラスにゆっくりと傾けると、大地の結晶を溶かしたような、うつくしい液体が燭台の灯りにきらきら光った。ゴージャスなトロピーチの香り。

 

 こいつは密林地方の知人からの貰いもので、この街の市場では出回っていない。無理やり取り寄せれば、一杯で駆け出しハンターが五日は過ごせる値段はするだろう。

 ようするにこれは、あたしなりのお祝いのつもりだ。

 

 磨き上げた自慢のカウンターへ、どうぞ飲みやがれ、と顎で示しながらグラスを雑に滑らせる。行儀悪いかっこうで座っていた青年はすばやくキャッチした。無造作に、なんでもない水のようにあおって、くっきりと浮き出た喉仏を気持ちよく上下させる。

 

 すっかり消えていくトロピーチの香りに、あーあ、もっと大事に飲めよと思いながら、あたしは青年の横顔を眺めた。

 

 勘と機転のよさを感じさせる、鋭利な雰囲気。

 ()()()()がこの世を渡り歩くのに必要な才能の、大半を持っていることから来る高慢さと、不敵さ。それに加えて、若さゆえの漫然とした万能感もあるだろう。

 

 彼はどこか、地上から親指の爪くらい浮いているような空気をまとっている。ひとたび力をこめれば、地の果てまでふわりと軽やかに飛んでいけそうな力が体じゅうにあふれていた。

 彼の名はハルチカ。この混沌とした下町で生まれ育ち、それゆえに行き過ぎた溌剌(はつらつ)さ――刺激への飽くなき欲求を持つ若者だ。

 

 ハンターズギルド帰りのハルチカは今、装備を身につけている。ようやく体に馴染み始めた頃だろうか。

 レザーシリーズをベースに、狩人の革という銘の籠手や脛当てをつけ、腰にはランポス素材の片手剣、サーペントバイトを引っ提げていた。

 

 確かに一目、若さだけがトリエの、駆け出しハンターのひとりだ。この街には掃いて捨てるほどいる。

 でも、その痩身はこれからどこまでも実力を伸ばしそうな雰囲気がただよっていた。いや、正確には、危険なハンター業なんて人生を彩る一要素でしかないんだよ、というどこか的はずれな余裕かもしれない。

 

「姐さん、怪鳥の鱗ってどれくらいで売れんの?」

「小銭だよ。二百五十ゼニーだ」

「ンだよ。博打(バクチ)の元手にもなりゃしねエ」

 

 ぽかんと口を開ける彼は、ハンター歴半年という月日の短さで、イャンクックを倒した。

 

 普通に暮らしていりゃあ半年なんて飛んでいく矢のように過ぎるものだが、ハンター歴における半年は、それなりの意味を持つ。

 運が悪けりゃ、たった一晩だって手足がもげる。土に埋められたり、火山に流れる溶岩や雪山に吹き荒ぶ吹雪、大海の奥そこの藻屑になる。

 

 あたしが長いハンター歴のうちに肌で識ったことは、狩場は金を持たぬ賭博場であり、狩猟は賭博だということ。

 つまり、ハンターに必要な才能は、勘や機転ではなく、幸運だ。

 「ハンター歴半年でイャンクック討伐」とは、勘や機転だけでなく、幸運だってちゃっかりと持ち合わせていますよ、という意味だった。

 

「……いや、怪鳥の鱗ひとつで一晩、どれだけ増やせるかってのも面白エな」彼はニヤニヤしながら、行儀悪くグラスの縁を舐めている。

 

 このハルチカという青年は、これからも才能を遺憾なく、のびのびと振り回す。このノッピキならない世の中を、飛竜のように優雅に飛んでいくだろう。生まれた環境、才能、財力がなくて苦労している――地に足をつけて暮らす生き物を、見下ろしながら。

 いや、彼の視界には、眼下に広がっている世界なんて見えていないのかもしれない。

 

 あたしの師匠の孫であり、つまり弟弟子というメンドウクサイ立場が、そんな偏見をこじらせる。

 苦労知らずで、鼻持ちならないやつ。ちょっと憎めきれないのがまた憎い。あたしは年甲斐もなくそんな印象を抱いている。

 

「何かつまむかい、ハルチカ。今日はいい魚が入ってるから、魚料理とか、どう?」

「おう。じゃ、刺身がいいなア」

 

 食事を前にすると一瞬だけ、ハルチカは年相応の顔になる。にぱ、と商人の孫らしい人なつこそうな笑顔は、間違いなく十九歳のものだ。

 けれどすぐに、彼は顔のあたりで手のひらを見せて、制止の態度をとる。

 

「って、姐さんは魚を捌けねェだろ。姐さんが包丁を握りゃア、魚は骨ごとミンチになる」

「あんただってどっこいどっこいだろう。ぶつ切りしかできねえと聞いた時はたまげたね」

「黙れ、このミンチ製造人間め」ハルチカはわざとらしいしかめ面をしてから、カウンターの奥にある厨房に声をかけた。

「アキや、姐さんの言うことなんか聞かなくていいから、お前サンの好きなモンを作っておくれよ!」

 

 厨房でのんびりと人の動く気配がした。のっそりと、おあつらえ向きのビストロスーツを着て、背の高い帽子のトックと前掛けのサロンを身につけた青年が、厨房を仕切っている暖簾(のれん)からこちらを覗く。

 

 「アキ」と呼ばれた彼は、あたしの店の厨房番だ。かつ、ハルチカとはハンターの相方どうしであり、歳も半年違いの幼馴染。ウンともオウともつかない曖昧な返事をして、サロンの端っこでぱたぱたと手を拭いている。

 

 特技は料理と喧嘩だけ。図体ばかりがでかく、ぼんやりとして、いつも眠たげ。

 なのだが彼もまた、ハルチカと共にハンター歴半年でイャンクックを倒し、やっぱりこの世からほんの少しだけ浮いている、飛竜みたいなやつである。

 

「ハルチカ、あと三十分で店開けるから。適当に腹膨らましたらさっさと準備するんだよ」あたしはハルチカの飲み干したグラスを下げながら、言う。

「えぇー、せっかく初めて大型モンスターを倒して帰ってきたってのに? 働くってか? この宴ムードのなかで? この店は古龍が襲来しても開けンのか?」

「そん時ゃ窓に大砲でも設置して、戦闘拠点にしちまおうか」

「微妙に冗談とも本当ともつかねェな」

 

 厨房の暖簾の隙間から、アキという青年――アキツネが、少しだけ口の端を吊り上げているのが見えていた。

 面倒くさがりな彼は普段、その口を極力食事のみに使うことを心掛けている。けれど、あたしたちの会話を見ているときは、いつもニタニタと、ちょっとだけ笑ってる。

 

 厨房からは、すでに新鮮な魚の匂いがただよっていた。ほかにも煮物の出汁や、熱した揚げ油、刻んだ香味野菜の香り。

 動かさぬ口の代わりによく動く料理人の腕は、うまい料理が物語る。

 

 あたしはその匂いを嗅ぎながら、『銀嶺ハイボール』を一杯つくった。空腹にこいつをぶちこんで、胃袋をずたずたにしてからじゃなきゃ、店を開けないと決めている。

 

 銀嶺ハイボールは、あたしの好きだった人が、お気に入りだった酒だ。

 

 

 

###

 

 

 

 いそいそと開店準備とは名ばかりの、酔いが回るままに適当な掃除をしていたら、ハルチカが突然口を開いた。

 

「そういやサ、姐さん」

 

 彼はサーペントバイトを置き、レザー装備を適当に着崩していた。その上から前掛けの帯を締めれば、ハンターというにはまだまだ頼りない、(ほそ)やかな腰の線があらわになる。

 

「今回、儂らが狩ったイャンクックなンだけどさァ」

 

 妙に間をおいた喋りだった。彼の薄い一重の瞼が描く、翳。あたしを呼びかけたにも関わらず、独り言を呟いているみたいだった。

 

「翼が片方……なンつーの? 歪んでて。生まれつきかねエ。そいつ、飛べなかったのサ」

 

 少しだけ、あたしは驚いた。彼が、誰かの背景について考えていることに。

 彼は天空を自由に飛翔し、陸の不自由さを知らぬ飛竜だ。

 その目や耳は、天候や風の流れを読むためにあって。陸でどんな生き物が、どんなことを背負って暮らしているかということに、興味はないんじゃないかと。

 あたしは無言で顎をやり、話の続きをうながす。

 

「形勢が悪くなったから、そいつ、儂らから逃げようとするンだ。でも、飛べなくて、翼をばたばさせるだけなンだよ。あたりの木の枝やら草やらを踏んで、めちゃくちゃにするだけ。儂らがやったのは、ハンター様の狩りなんてモンじゃねエ。逃げもできねエ奴を、よってたかって叩いただけサ」

 

 腰帯を締め終えた彼は、突っ立った格好で壁の方を向いていた。その目線はきっと、もうここにはいない、己の手で奪った命を見ている。

 今、彼が抱いているのは、憂いだとか憐れみだとか、同情なんていう優しく無責任な感情ではない。

 単純で、素朴な苛立ち。勝者のみが感じることを許される感情なのだと、あたしは勝手に思う。

 

「だから儂、こンなんで、おめでとサン、って色んな人から祝われるのは、よっぽど気に食わねエ。ほっといても、奴は、ランポスの群れだか雄火竜だかに襲われて死んだろうサ。死ぬのがちょいとばかし早かったか遅かったか……」

「言いたいことはそれだけかい?」

 

 ハルチカの言葉にかぶせるようにあたしは言う。グラスを置くと銀嶺ハイボールが不満をこぼすように、しゅわりしゅわりと小さな泡を立てた。

 

「たかが半年、狩場を踏んだからって狩りをを語るんじゃないよ。奇形だろうがなんだろうが、憐れんだ時点でアンタの負けだ。己が人間だ、知恵があるんだと思って甘ったれんな。そんなんだからアンタは、いつまでも()()なんだよ」

もッぺン(もう一辺)

 

 舌足らずの咆哮。耳元のすぐそこで、聞こえた。「言ってみやがれクソババア!」

 ハルチカはあたしに腕を振りかざしていた。その腕の先には、花瓶。あたしは別に、その素早い動きを目で追おうともしない。

 彼は「ぼん」と呼ばれるのを厭う。事実であり、己の力でどうすることもできない「生まれ育ち」に触れられると、自分でも抑えきれないほどの嫌悪感が生まれるのだろう。

 

 粋な紅をさしたまなじり。今は凶悪なかたちに歪んでいる。皺ができる気配もない肌のハリ。頬に赤く残る、面皰(にきび)の跡。なんだか、翼爪の発達しきっていない若い飛竜を思わせた。

 鬱屈した力に振り回されるように、むやみやたら暴れ散らかす。空の右も左もわからぬほど幼すぎず、空を我がものとするほど老獪でなく。

 クエストのランクをつけるなら上位くらいかな。

 

 ……いやぁ、まだまだこいつもガキだ。あたしは炭酸の抜けかけた銀嶺ハイボールをすする。うーん、不味い。

 

「気は済んだかい」あたしがそう言うと、ハルチカはゆっくりと花瓶を下ろした。舌打ちが聞こえる。

 床は水浸し。一輪挿しにしていた、淡いピンクの竜仙花も落ちている。

 

「ッ――……」

 

 その溜め息は、内側で鬱々としている(くすぶ)りだろう。ハルチカは感情を隠しもせず、花瓶を静かにカウンターへ置く。花瓶は、あたしと彼の知人である陶器商人が、開店祝いに譲ってくれたものだった。

 

 テメエが何気なく、ひと息に壊そうとしていたそれも、どこかの誰かが汗水たらして作り上げたモノなんだよ。

 あたしは、回すようにしてグラスをゆらす。

 

「あんたのその血筋。商人の世界では、ときには頼れる杖、ときにはきつい枷さ。でも、自然界は商人の世界と違う」

 

 自然の掟の前では、生まれ育ちの凸凹に意味はない。うんと、うんと高い星の視点からしたら、飛竜の翼も光蟲の羽も違いはない。そうだろ?

 皆、生まれた形で、死ぬしかないんだ。

 

「だからな、ハルチカ。狩人が、これから狩る竜や獣の()(かた)について、いちいち汲むのは野暮なんだよ。己の身分をわきまえてない。そんなことするやつは狩人の素質がないし、必ずいつか潰れる」

 

「汲む……」ハルチカはいぶかしげに呟く。あたしの言い方が、ちょっと婉曲すぎたかもしれない。

 

「酒を呑んだら酔っぱらう。どんなに肝臓が強かろうが、自分がここまでなら呑めるって判断を見誤って、延々と酒を飲み続けていれば、いつかは潰れる。それで、そんなバカな呑み方しかできないなら、酒を呑まなきゃいいってこと」

 

「どんなに金持ちな商人でも」そこでハルチカはこっちを向いて、少し困ったように目尻を細めた。あたしの師匠に、彼の祖父によく似た笑顔だった。

 

「余計な品にいちいち目ェ留めてると、破産するのと同じかい」

 

 そういうこと、とあたしも笑った。やっぱりこいつは、ただのバカじゃないな。

 彼が少しだけ晴れた顔をしているのを、あたしは見逃さない。その顔は、どこか寒冷期の終わりに吹く南風――春風のようにあたたかく、爽やかだった。

 

 よけいな老婆心が、若き飛竜を春風へと押すことだって、ある。

 

「さて開店だ。看板、出しとくれ」

「あいよ」彼は軽やかにそう言って、扉を開ける。

 

 夜の喧騒をはらんだ軽やかな陸風が、店の中へ吹き込んだ。

 

 

 

 ハンターズバル《七竈堂(ナナカマドウ)》。 

 若いハンターふたりと元・ハンター、四十も後半の女ひとりの手で開いている、小さな居酒屋。

 

 あたしもそのうち、ふたりみたいに、この世からふわりと浮けるだろうか。

 この歳で独身っていう寂しい身分だけは、この町から少しだけ浮いているんだけど。

 

 

 

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