酒と料理を出すかたわらで、あたしは質屋だとか、金貸しをやっている。
経営を始めてから、けっこう長い。でも、べつに努力して続けているわけでもない。
これといったきっかけがなく初めた所業は、辞めるきっかけもないだけだ。
だから、つまり、悪党ってのも似たようなもので。
いつの間にかなるもので、なんとなく辞められないものなのだ。きっと。
あたしはカウンターで、ぱちぱちと算盤を弾きながら、そう思う。
悪党の条件とは、優柔不断なことにあるんだよな、と。
あたしは計算結果を、ぺらぺらの薄い契約書へ、さらさらと書き写す。まだインクが乾いていないうちに示してみせた。
「これに利子を乗っけた分を来週までに返すんだ。でないと、あんたのよこしたブツは市場に流れる。そしたらあんたにとっちゃ損になるよ。いいね?」
あたしは脅すようにして言ってから、ずた袋に入れた金を「受け取んな」とカウンターに放る。ぐしゃ、じゃらじゃら、という空虚な音がする。
目の前の、まだガキっぽい顔のハンターは、金を前にして、嬉しがるようなそぶりは全くない。虚ろな顔つきのまま、かすかに頷いた。
「それでさ、最後に聞くんだけど」
「はい?」ハンターは何も言わず、視線を動かすだけで、そう聞き返した。
「あんた、金を借りる理由はなんだい?」
あたしはいつも金を貸すとき、客に『なぜ金を借りるのか』を尋ねることにしている。
この返答をアテにして酒を飲むのが、いつしか習慣になっていた。
「本当のことを言ってもいいし、嘘をついても構わない。ま、余興だよ。大喜利と思ってちょうだい」
ハンターはカウンターの誓約書に目を向けてから、ふ、と空中に視線をさまよわせる。
彼は
のちに、「生活費です」と何の変哲もない答えを、ぼそぼそした掠れ声で言った。
だいたい半分くらいの客が、この理由を言う。あとは酒とか、賭博とか、女や男に貢ぐとか。
本当のことはあたしの知ったことじゃないけどね。事実に興味はない。
それでも。このハンターは、ヘルムのバイザーで表情はよく見えなくとも、嘘を言っている風ではなかった。
彼みたいに正直なやつは、そう多くない。
嘘は酒を不味くする。どうやら今日の酒は、悪くない味になりそうだ。
「そうかい、せいぜい頑張んな。またのご利用をお待ちしてるよ」
あたしがそう言うと、彼は無機質に頭を下げて、去ってゆく。その背は疲労感が滲んでいて、老人のような、乾ききった雰囲気があった。
何が彼を追い込んでいるのか。なんて考えを追い払うように、あたしはかぶりを振った。
質屋ってのは、客にいちいち共感しているようじゃ、やっていけない。あたしの質屋としてのプライドに障る。
もし客に共感しちまったら、そん時ゃ、店を休むと決めていた。
ま、そんな日が来るよりも、あたしが死ぬ方が先だと思うけどね。
体に注ぎ込むようにしてブレスワインを傾けていると、入れ違いに一匹の年老いた獣人が「どうもぉ」と入店してきた。
純白の、毛足の長い雌アイルーだ。
「景気が悪いのねぇ。質屋のほう、商売繁盛みたいでなによりよ」
彼女は歌を歌うように軽やかな口調で、世の中が明るくないことを嘆く。
あたしは本日の酒である、よく冷えたウィッチシードルを出してやった。彼女はいつも、この酒の仕入れ日にやって来るのだ。
「ねぎらいのお言葉、どうも。うちは景気と反比例して忙しくなるモンでね」
「その特徴、ギルドナイトやガーアディアンとおんなじね。法律を武器にする、っていうのがきっと、共通してるからなのだわ」
「縁起でもないことを。あたしら質屋はむしろ、あいつらのお世話になるほうだよ。同じ畑で違う作物を育ててりゃあ好かれないだろ?」
「あら、アナタ、そんなこと言って。ギルドナイトのオズさんと組んでるのに? わざと悪者ぶる必要はないのよ?」
「そういう正義とか悪とか、いかにも偏見まみれの価値観はあたし、嫌いだね。人を分け隔てるのは、客か、客じゃないか、だ」
あたしがそう言うと、老猫はまるで小鳥のさえずりを眺めるときみたいに目を細めて、「それもそうねぇ、ニャフ、フ、フ」と笑った。優雅な発作を起こしたみたいだった。
あたしは思わず、「ったく、冷やかしだけは変わらん腕前で」とため息をつく。
この獣人は口ぶりが、無垢な少女みたいなのが鬱陶しい。ふつう、獣人は語尾に「〜ニャ」とつけるものなんだけど、彼女は人間語が達者なのだ。それで妙に、こちらの調子が狂う。
しかも、獣人の勘なのか年の功なのか、妙に察しが良いのも癪に障る。
この老猫の名は、オリゼ。
本名かどうかは知らないけど、この街の生まれだ。
東の地方の《天空山》から流れてきた旦那と一緒に、《コメネコ食品店》という気ままな醸造屋をやっている。
あたし達は、あたしがハンターだった頃、つまり三十年近くの付き合いがあった。
結局、この親友はまもなく死ぬ。
でも、そのときまで、彼女はその卓越した悪知恵をもってして思う存分に暴れ、あたしたちをお茶目に振り回し続けた。
めっきり冷え込んだ路上。寒冷期の足音が近づいているのは、枯れつつある雑草があらわす。
窓の外は深夜。いまは陸風を味わう時間。
物思いに耽りたくなるこの感じ、あたしはぜんぜん嫌いじゃない。
店のテーブル席で、数枚のカードを置く、静かで心地いい音がした。
アンニュイなあたしの気持ちをよそに、店の卓ではどろどろしたゲームが繰り広げられている。
「……フォーカード」
力尽きたような顔をしたハルチカが、四枚のカードをぽとりとテーブルへ落とす。対してオリゼは、にちゃり、と音が聞こえてきそうなほどに口元をゆるめた。
彼女は短い指と、愛らしい肉球を駆使し、五枚のカードを並べて示す。
「フルハウスよ。ワタシの勝ちね」
おぉ、とあたしは、感嘆の息をもらしてしまう。
「クソが!」とも「カスが!」ともつかない悲鳴をあげて、ハルチカは身をのけぞらせた。頭をかきむしり、懐から算盤を叩き出す。
その指がこすり合わされるようにせわしなく動くと、パチパチパチパチ! と数粒の小石を丼に入れて振ったときのような音が、店中に小うるさく響いた。
彼は、計算が大の得意だ。
「確率は三パーセント……いや捨てた札も考えればもっと低いはずなのに! テメェ、どんなイカサマしやがった!」
「あら、ワタシがオバアチャンだからって、アナタが手加減してくれたのかと思っていたわ」
「う・る・せ・エ!」と怒鳴って、ハルチカは算盤をがしゃ、がしゃ、がしゃ、がしゃと振る。歌の合いの手に入れる、何かの楽器みたいだ。
でも、オリゼはそよ風の音を聞いているときみたいに穏やかな笑顔で、ウィッチシードルのグラスを傾ける。
「それにね、もしイカサマをするなら一手目からにしなきゃ。雲行きが怪しくなってから仕掛けるのは、賢くないわ。さらに状況を悪くさせるものよ」
オリゼはそう言うと、魔法か手品のように一枚の札が、ぱっと彼女の手中に現れた。そいつがどこから出てきたのか、元ガンナーのあたしの目をもってしても、全くとらえられなかった。
カードの数字と柄を目にしたハルチカは絶句して、ソファに倒れ込む。いくつものクッションが跳ねて、床に飛び散る。
オリゼはそんなハルチカを見て、笑った。
「計算問題をやりたくて、ゲームをするのではないでしょう? 悩んだり、運に振り回されたりするのを楽しまなきゃ。ニャフ、フ、フ、フ!」
あたしはクッションを拾うために、腰を曲げた。また、部屋の掃除をし直さなくちゃならない。
このバカとババア猫は非常に婉曲した方法で、あたしに掃除の一手間を増やさせた。
こいつらは、よき賭博仲間だ。
ハルチカは、祖父譲りの優れた洞察力と計算能力を武器に、夜な夜な大衆酒場を出入りしている。
賭博で稼ぐためだ。
彼は、一晩あれば大連続狩猟の報酬金もかくやの大金を転がせるくらいの能力を持っている。
なのに、彼がいつも朝に持ち帰ってくる額は、たったの小型モンスター討伐クエスト一回分。数日食えるくらいの額だ。
つまり一晩の賭博につき、地味な程度しか稼がないと決めているらしい。
理由は、この街の酒場の性格にある。
賭場で派手に立ち回れば注目されて、そのうち痛い目に遭わされるからだ。出る杭は打たれるし、目立つギルドフラッグは引き抜かれて、打ち捨てられる。
彼は、己がまわりと比べて「異質」であることを、とてもよく心得ている。飛竜が、陸上の生き物と同じ世界で暮らせないように。
それは、彼が己の生まれ育ちを呪う理由の一つなのかもしれない。
あたしはウィッチシードルのグラスを揺らしながら、テーブル席を眺めた。
こてんぱんにされて、情けない顔をしているハルチカ。向かいで、無造作にカードをシャッフルしている、オリゼ。
彼女はハルチカと真逆に、賭場で大金をもて遊ぶ。まるで毛玉をころころ転がすように。
小銭を一晩で、貴族も泣きだす金額へと育てると、明け方にわざと全て散らす。
目障りなので痛い目に遭わせちまえ、とあの手この手のイカサマを仕掛けるも、返り討ちにされる者は後をたたない。
昼は商店街のおだやかな醸造屋、夜は金銭感覚の狂った獣。
こいつを狩る依頼はないのか。……そんなものないか。
「今アナタの呑んでるやつ、ひとつもらおうかしら」彼女はカードの山を置く。醸造屋らしく短く切りそろえた爪を、一本立てた。
「どうぞ、くたばりぞこないさん」
「ありがとう、愉しめるうちにめいっぱい愉しんどくわ。どうせ
オリゼはそう言いながら、あたしの出したクラッシュ氷結晶入りのウィッチシードルを喉に流し込んだ。
彼女の「生い先短い」は、少なくともここ十数年は発言され続けている。
まるで「雷狼竜がきたぞ!」と叫び続けたガーグァ飼いの童話とか、「本日、閉店セール!」を毎日誇張する店みたいに。
それを指摘すると、彼女は毎回こんなふうに答える。
もし、明日に黒龍がやって来るとわかったら、今夜は呑まずにいられない。そうでしょ?
オリゼはグラスを満足そうに置く。あたしと、拗ねたハルチカを、もったいぶるように、交互に見た。
「そう、ワタシね、今日はゲームするためだけに来たわけじゃなくて。このお店に言わなきゃいけないことがあるの」
オリぜは笑顔のまま、出かける用事を伝えるときみたいに、なんでもなさそうに言った。
「ワタシ、死ぬのよ。病気でね、三日後に。お医者さんに、ずっと前から言われていたの」
「「え?」」
あたしとハルチカの声が重なる。瞬時にさまざまなことを読み、理解する、あたしの勘。
あたしはそいつをわざと無視して、つとめて明るくしてみせた。
「このババアネコめ、痴呆と冗談はたいがいにしろ」
「ボケてないわ。冗談でもない」
「それをなぜ、儂らに伝えた? お前サンはケジメを重んじる性格でもないだろ?」
ハルチカは険しい表情で、オリぜを問い詰める。彼女は「ニャ、フ、フ、フ」と発作的な笑いを漏らすと、カードの山のふちを肉球でなぞる。
「アナタはうろたえたり、悲しんだり、取り繕ったり、しないのね。でも、内心はとてもぐちゃぐちゃ。なのに気丈にふるまう。そうよね?」
「儂の質問に答えろ、ババア」
「アナタがこの先、ワタシが死ぬことなんかより辛いことに遭ったとき。いまみたいに、我慢するだけでやり切れるのかしら? ……アナタへの話は、これでおしまい」
孫を見るように、オリゼは目を細める。あたしはハッとした。
ほんとうに、このババアは、死ぬのだ。
普段ならこいつは、こんな偉そうなことを言わない。ハルチカがピリついた瞬間に、話題を変えるはずだ。
けれど今は、説教を垂れた。
それは、いつも一緒に賭博で遊んでいて、老婆心的に心配だったことに違いない。
「ケッ」ハルチカは算盤を机に叩きつける。まともに相手にされなかったのが、障ったのだ。煙管に火をつけるも、離席しようとはしない。彼は今が非常事態であることを察している。
「それで?」あたしは引き継いで、訊ねた。
「わざわざ言うってことは、依頼か何かかい?」
「……おいしいお酒に、楽しいゲームをして、いまは気分がいいだけなのかもしれないわ」
首をかしげるオリゼ。あたしの質問には答えない。彼女が、酒と夜の力を借りてでも、己の死を聞かせたかったことだけが、わかる。
酒と、夜。これらは、人を軽率にする。
「ワタシ、死にたくない。考えたくもない」オリゼは明るい調子で言った。「お酒をたくさん飲んで、ゲームでたくさん勝って。酔って酔って酔いまくって、やっと、じゃあしょうがないから、向き合ってみるか、って感じ」
あたしはなんとなく、とある夜を思い出した。あたしがまだクソガキだった(あたしにだってガキの時分はあったさ)頃のことだ。
床についたとき、天井を眺めていたら、ふと死について考えはじめる。
家族はいずれ死ぬ。自分も死ぬ。死後の世界ってどんななのか。すると、どうしようもなく、心の底からおっかなくなって。
結局、親に泣きついて、その晩は一緒に寝てもらったのだ。
その感覚は、年をくって、G級の狩猟を経験するうちに――数多の竜を、獣を撃ち殺し続けた結果、どうやら麻痺してしまったようだ。
俗説として、死を恐れなくなったときがハンターの辞めどきである。引き際を見誤るから。
それで、あたしはハンターを辞めた。
そして、
「死ぬのが怖い。そいつは当たり前だ」あたしは心にない、一般論めいたことを言ってやった。
「あの古龍が、逃げるために大移動することがあるくらい。つまり、古龍だって死ぬのは怖い」
「ほんとう? じゃあ古龍は、『自分はこれから死ぬんだ』って思うとき、どんな顔をする? アナタは見たことあるでしょ?」
オリゼはそこで、怯えたように息を止めて、こちらを見た。
あたしは、
それは、この街の防衛戦でのこと。
「とくべつに仰々しい感じじゃないよ。そうさね、普通の飛竜だとか、なんなら潰す前のガーグァやアプトノスなんかと、変わんない。とても遠くを見る目をするのさ」
「何を、思っているのかしらね」
「さぁ。本人に聞きゃあ分かるよ」
肩をすくめてみせると、オリゼは泣き笑いみたいな顔をした。
その顔は活発な少女でも、お淑やかな女でもなく。怯えきり、駄々をこねる、老婆のもので。まるで周りの手伝いを、あれもこれもと求める赤子のようでもあった。
ほんとうに、少しだけ、痴呆があるのかもしれない。
あの最強の賭博師にしては、あまりにも哀れで、惨めだった。
「気持ちの整理はついたかい? それじゃ、客観的になる番だ。そしたら案外、死ぬことなんてどうってことないかもしれない」
あたしは促すように、ウィッチシードルを作ってやる。
もう、こんな親友を見たくなかった。
「あんた、死ぬのはいいが、店の方は大丈夫なのかい? 旦那と、まだ見習いの、義理の子だけだろ?」
オリゼは黙った。一瞬で、賭博師の顔に戻る。痴呆に効くのは何より金なのだ。
いま、金を計算する力と、絶対に損したくないという気持ちが、オリゼの脳の枯れていくのを、必死で食い止めているのだと思った。
「金を、借りたいわ」
「ほう」あたしは目を細める。「死ぬのがわかっていて? 返済はどうする? 旦那や子供に押し付けるのか?」
「あら」オリゼは、にちゃり、と音が聞こえてきそうなほどに口元をゆるめた。
「ワタシが本当に三日後に死ぬなんて、いったい誰が証明するのかしら? ワタシの嘘かもしれないのよ?」
オリゼは首をねじって、あたしの方を見据えた。金銭感覚の狂った獣の顔をしていた。頭の中に、「雷狼竜が来たぞ!」「本日、閉店セール!」そんな声が聞こえる。
「……そいつもそうだ。少ない知人がまた減るのは、ウンザリしてる」
邪悪な親友に観念したあたしは、両手を小さく上げてみせた。そしてカウンターの引き出しから、算盤と、領収書を出してやる。
あたしが示した額に、彼女は今日一番の笑顔を見せた。
結局、オリゼは本当に、三日後に死んだ。その日の朝、布団から起き上がることはなかったらしい。
つまり、あたしの貸した金は永久に帰ってこない。
でも、あたしは死人に金を貸したわけじゃない。
道徳的に考えればオリゼは、借りた金を自分の店と旦那、子供のための資金に充てたのだろう。
でも彼女のことだから、賭博で全て散らしたのかもしれない。死への恐怖を忘れるために。
ま、本当のことはあたしの知ったことじゃないけどね。事実に興味はない。
賭博仲間を一人失ったハルチカは、相変わらず毎晩賭博に出かけている。それでも、その背がどこか寂しげなのを、あたしは見逃さない。
これだから親友は嫌いだ。人は、客が、客でないか、それだけでいい。
飛竜が飛び立ったあとには足跡のみが残り、それも時間が経てば消えてゆく。
そんなふうにオリゼが居なくても、日常は流れるもので。
あたしは今日も、夕凪の時間に金貸しをし、そのあとに酒を出す。
増えていくだけの記憶を、抱きながら。
これで、あたしの数少ない知人についての話は、おしまい。