黄金芋酒で乾杯を   作:zok.

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60杯目 痩せても枯れても飛竜は飛竜

 

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 薬師青年があたしに答えた、「弟が、怪我をしてしまって」。後にわかることだが、これは本当のことだった。

 あたしの問いかけに嘘をつかないやつは、そう多くない。

 例えば、一ヶ月前にうちに通っていた、ハンターとかね。

 

 

 

 青年は店から出ると、夜道の寒さに立ち止まりそうになる。

 気を抜いたら真っ白になりそうな頭を、俺よ、しっかりするのだ、根性見せるのだ、と奮起させてから、早足で歩き始めた。

 懐に入れた金の重さを感じながら、必要なものを頭の中で計算する。

 

 まずは、体を温めてやれるホットドリンク。一晩ぶん買うだけで、手持ちの金がごっそり無くなる。

 それに薬……痛み止め、消毒薬、化膿止め、傷口に当てられるもの。薬箱のは使い切ってしまったよな――

 

 何度も暗算して、金がまだ足りないことに歯噛みする。

 それに、この真夜中に開いている店はハンターズギルドのストアしかない。見上げれば坂はだらだらと長く、今すでに息は上がっている。心臓が破裂しそうだ。これを行って帰るには、どれくらい時間がかかってしまうだろうか?

 

 一瞬、目眩がした。振り払っても振り払っても、最悪の「もし」を考え出すのが止まらない。

 

 弟の身体の傷口に、破傷風菌なんかが――致死的な黴菌が感染していたら。

 彼のもとに、借金取りが来てしまっていたら。

 そもそも、戻ったときには手遅れになっていたら。

 

 ふと、先ほど、料理人が食い物を分け与えようとしてくれたのを思い出した。

 もし、あの飯を手に取る選択をしていたら。今の状況は変わっていたかもしれない、よな?

 

 ……あ。

 そう思ったときには、視界が横倒しになっていた。

 身を投げ出すようにして路上に落ちていた。薬箱が音を立てて坂の下へと転がった。

 

 何をしているのだ、俺、と立ちあがろうとするが、体が言うことを聞かない。冷や汗が大量に出てきた。

 寒い。地面に這いつくばることしかできない。口の中が酸味と苦味でいっぱいになる。

 まずい、と思った。次の瞬間には、堤防が決壊したみたいにびしゃびしゃと吐いていた。

 

 ――以下は、後であたしが本人から聞いた話だ。

 

 このとき彼は、自律神経というのがぶっ壊れたのだという。

 それは、体の調子を司るものらしい。例えば、内臓の動きとか、体温とか、食欲、眠気とか。

 で、心に過度な負担がかかりすぎると、狂ってしまうんだそうだ。

 正式には“自律神経失調症”という診断が下るらしいが、そんなものは知らん。

 

 で、彼はこのとき、己の心と身体の限界をようやく実感した。

 

 思えばここ一週間、食わず眠らずの無我夢中で、弟の治療に当たってきた。

 持ちうる全ての知識と、精神力と、財産。己には全てが足りぬことを、心のどこかで認めている。

 

 

 

 弟が大怪我をしてから、彼が自分を陰で支えていてくれていたのに気がついた。

 自分が呑気に勉学をしている間、知らぬところで借金を重ね、無謀な狩猟に手を出さなければならぬほど、弟は追い詰められていたのだ。

 

 だから、弟を治療するとき。責任感と、罪悪感を履き違えぬようにするのは、難しかった。

 空腹で身をよじる夜も。寒さで手足がかじかむ夜も。弟の容態が安定せず、気が狂いそうなほどの焦燥感で眠れぬ夜も。

 それらはむしろ、勉学で呆けてきた己を引き締めるのに都合が良かった。

 

 俺が勉学に励んできたのは、この時のためなのだ。

 己の罪悪感を拭いたくて、治療するのではない。俺が治したいから、治すのだ。と。

 

 身に余るほどの責任感と罪悪感は、何度も青年を奮い立たせてくれた。奮い立つ力が尽きたら、駆り立てるようになった。

 

 本末転倒だ。薬師の不養生とはこのことだ。情けないことよ。

 後の青年――メヅキはそう言って、酒をすすりながら目頭を揉む。

 

 

 

 話を戻そう。

 それで、へばっている彼の背へ、声がかけられた。

 

「なあ、(アン)ちゃん」

 

 青年は、定まらない視線を巡らせる。現れたのは、人懐こい笑みのハルチカだった。

 

「弟サンなんて放っておいてさ、(わし)が働き口を紹介してやるよ。テメェひとりなら、なんとか暮らしていけるだろ?」

 

 ハルチカは飄々とした足どりで、落ちていた薬箱を拾う。青年の周りをうろうろと歩きながら、薬箱を手持ち無沙汰にぶらぶらさせた。

 

「テメェはせっかく薬の知識があるのに、どうして苦労してンだい? 薬師サマったらこの世の中、引く手数多なんじゃねェの? 儂ってば稼ぎが博打なモンで、ふわふわーっと生活してるからサ。能力があるのにわざと地に足つけない奴見ると、不思議に思っちまうンだ」

 

「お前に何がわかる」と言わんばかりの視線で、青年はハルチカを見上げている。

 そこには強い憎しみと、わずかな怯えがこもっていたが、ハルチカはまったく動じなかった。頬に、うすい笑窪(えくぼ)をつくる。

 ぽつりぽつりと浮かんでいる、面皰(にきび)の痕。

 

「弟サンは、テメェの身がそんなになるまで尽くされて、本当に嬉しいのかねェ? 儂がそいつなら、テメェがテメェのために生きてくれた方が、よっぽど嬉しいゼ?」

 

 ハルチカは青年が何か反応をする前に、その耳元に口を近づけた。ぐんと声を低める。情けや明るさを一切感じさせない響きだった。

 

「テメェは弟サンに施す事で、()()()()んだろ? 責任感とか罪悪感をよ。側から見ると、テメェが勝手に気持ちよがってるだけなんだよ。テメェがやってることは、自慰だ」

 

 ハルチカはそっと、青年の頭装備を取ってやった。

 月明かりに、青ざめた青年の顔があらわになる。

 右目を覆う眼帯と古傷。左の目元には濃い隈。鋭敏そうな印象の眉と、鼻筋。薄い唇。

 

「だからさぁ」ハルチカは不意に、いい案を思いついた、というふうに、へらっと笑った。

 

「逃げちまえよ。弟サンから」

 

 青年は一度口を開き、閉じる。論理的な切り返しができぬのが、口惜しいみたいだった。

 それでもやはり、自分の中で譲れぬ気持ちがあって、どこか自分に言い聞かせるように、芯の通った声を出す。

 

「そんなことは出来ん! 一度治療した者から勝手に逃げてはならぬ! 弟は、このままだと戻ってこられないかもしれんのだ……薬師である前にひとりの人間として、そんなやつを放っておけるか!!」

 

 叫んだために、弱々しく咳き込む青年。

 その「戻ってこられない」の意味することがわからないほど、ハルチカもバカじゃない。青年を見下ろしたまま「ハ!」と鼻で笑う。

目尻が凶悪なかたちに釣り上がった。

 

「じゃあ忠告してやるよ!」響きだけで人を殴り倒せそうな、冷たい鈍器のような声音。

 

「自分一人で解決できるって思い込んでるようだから、ありがたく聞け! なぁ、テメェの弟もそうだろうが、テメェ自身こそが今、危ねぇ状況なんだよ! 金がない、体は弱ってるし、気持ちも参ってる、わかるか? このままだと数日後にゃあ、テメェら二人で仲良くくたばって、ドブに流されて、ジォ・クルーク海に浮いてるだろうさ! なのに『ひとりの人間として放っておけるか』だぁ? バカが! その辺のドブ覗けよ、写ってるそのツラ拝んでこいよ! テメェみたいな自惚れてる奴が!! まごまごしてんのが死ぬほどムカつくんだよ!!」

 

 鈍器を何度も振り下ろすようだった。怒鳴り通したハルチカは、一旦、そこで言葉を切る。

 ゆっくりと片膝をつき、じっと睨んだままの青年に、視線を合わせた。

 

「いいか? もし弟サンを本当に救いたいなら」

 

 ハルチカの顔つきは今、片翼のイャンクックを語るときと、似ている。

 

「誰かに助けを求めろ。手ぇ差し伸べてやる人間ってのは、テメェが思ってるよりも、その辺にいるもんなんだよ」

 

 そう言って、ハルチカは薬箱をそっと差し出す。言葉は、諭すようにやわらかくなっていた。

 

「例えば今、テメェの目の前に。な?」

 

 そうして、ハルチカは黙って青年を見つめた。

 賭博で大きな賭けに出たとき、運が巡ってくるのを静かに待つのと、似ていた。

 

 長い時間が経つ。

 青年はようやく、はぐらかされたときの子供みたいな、間抜けた顔をした。

 しばらくして、目頭に涙の粒がバカみたいに膨らんでくる。

 

 彼はやっぱり、誰かにものを頼んだり、甘えたりすることが、得意でないんだろう。

 青年は苦しげに目を瞑る。途端に頬へ、いく筋も涙が伝っていく。

 自責、遠慮、羞恥心。たくさんの感情を、胸のうちに押し殺していく気配がする。

 ようやく、青年は小さな声を発した。

 

「お願いします。俺達を、助けてください……」

 

 その様子はいかにも言い慣れていないふうで、それでも「言わされた」とか「仕方なく言っている」というひねくれたところは少しもない。

 自発的で、懸命だった。

 

「よく言えた」ハルチカは、青年の腕を自分の肩に回し、すっと立ち上がる。

 その顔は、決意を固めたときのものだった。

 これからの自分の行動と、アキツネとあたしにかかる負担を覚悟していた。

 

 だから。

 ハルチカがわざとらしく音を立てて店に帰ってきた時も、あたしはそんなに悪い気分にはならなかった。

 

「姐サン! 店の前で、未来進行形の死体が転がってたンだが、うちに置いといても構わねエよなあ!」

「あたぼうよ! せいぜいあたしらがその死体の片付けをしなくて済むようにすんだよ!」

 

 負けじと怒鳴るあたしの横を、厨房から出てきたアキツネが、すうっと通り過ぎて行く。

 アイツは頭の回転がにぶいが、鼻や耳がよく利く。おれの手が必要なのだと、察したのだ。

 彼は驀進し続けるだろう。さきほど拒絶された飯を、青年にたらふく食わすまで。

 

 アキツネは二人に近寄り、二言三言かわす。その後、すぐに夜の町へ繰り出していった。

 この町のどこかでくたばっているという、青年の弟を探しに行ったに違いない。

 

 あたしは、よっこらせ、とジジ臭い掛け声で、スカートの裾をつまんで立ち上がる。

 さぁ、これから風邪なんかに構っていられなくなる。寝床の準備や、手当の用意をしなくちゃならない。

 

 これからの段取りを考えるなかで、「客をかくまうなんてアンタらしくない、質屋として公平でもない」と耳元でささやく、理性的なあたしがいる。

 でも、「うるせえや。客と店主とかじゃなくて、人としてあたしはこの子らを助けたいんだよ」と一喝する、感情的なあたしも、いる。

 

 どちらにせよ、まぁ。

 金貸しはしばらく休まなきゃ、かな。

 

 月のない夜空には、星々。

 遠くで、ジォ・クルーク海の波の音が聞こえる。この音は、町人の皆が眠るまよなかに、この街の最南端でしか聞こえない。

 

 潮騒は鳴る。夜に生きる者も、眠る者も、皆等しく包むように。

 もしくは、自然界にとってお前たちの身分や立場の違いは、まったくの無意味だ、と言い聞かせるように。

 

 

 

 ###

 

 

 

 一旦落ち着いたのは、明け方近くなってからだった。東の空の雲と山脈の輪郭が、徐々に浮かび上がってきている。

 バタバタした後に少しだけ休めるってのは、どこか狩猟と狩猟の合間に似ているものだ。

 こんな時は、リラックスできる一杯を。あたしは現役の頃から好きな、とびきり甘いロイヤルハニーを添えた硬茶【矢倉】を淹れて、ハルチカとアキツネに出した。

 甘い匂いのする湯気が、カウンターの、小さな蝋燭の灯りの中で立ち上る。二人が茶を啜る音がする。

 

「たまげただよ」

 

 まずは、アキツネが薄暗い闇を破るように、早口で言った。たまげた理由は異なるけど、そいつはあたしのセリフでもある。あたしは大きく頷いた。

 

 なぜなら、メヅキ青年の弟さんだという人物のは、あたしの店に来たことがあるハンターだったからだ。

 

 店とは言ってもバルじゃなくて、金貸しの方。つまらん額を借りて行って、結局返しに来なかったから、ブツも流しちまった。

 ブツは、パッとしない小型鳥竜種の素材。それでもあたしがはっきり記憶しているわけは、やたら処理が綺麗だったから。

 知り合いの素材商がとても気に入って、値段を多少上乗せしてくれたっけ。

 

 あたしがそんなことを考えている間も、アキツネはずっとぶつぶつ言っている。不機嫌そうに唇を尖らせているところは、年相応な二十歳の表情だ。

 

「路地裏で死体みてぇに寝てたから、あ、こいつだなって思って声かけたッけ、目の色サ変えてよ」

「……で、こんなに青タン作ってきたってわけかい」

 

 ハルチカはため息混じりに相槌を打つ。

 アキツネのビストロベストから覗く上腕には、大きな(あざ)ができていた。防御したときにできたんだろう。

 彼が話しているのは、メヅキという名の薬師青年の、弟のことである。

 

「あいつ、かなり喧嘩慣れしててよ。何とかしょッぱッて(引き連れて)きたけッとも、まぁ強かった……」

 

 要領の良くない話ぶりだが、かいつまんで整理するとこんな感じだ。

 

 

 

 弟さんは、《七竈堂》からだいぶ遠くまで歩いた先の、裏路地にいた。

 確かそこは、砦に向かう通路として使われていたはずだ。古龍の取り巻きのガブラスなんかが街に入り込まないよう、複雑に入り組んでいるから雨風を凌ぐことができる。

 だから、色々な理由で働けなかったり、街の中心にいられないような奴が、時々寝泊まりしている場所だった。あたしの知り合いも何人かはそこに住んでいる。

 

 で、アキツネはハルチカが書いたメモを頼りに、弟さんのいる場所へ辿り着いた。

 石造りの狭い通路だ。湿けた材木や木箱が無造作に置かれている。その隙間に身を隠すようにして、一人のやつれきった青年がうずくまっていた。

 頭と胴をつけていない、酷く破損したハンター装備。筋の浮いた肌は、無事な部分を見つけるのが難しいほど傷だらけで、あちこちに包帯が当てられていた。

 特徴はメモの通りだ。こいつが弟さんで間違いない。

 

「おい」アキツネが、雷光虫をぶち込んだだけの簡易ランタンで青年を照らす。うつむいていて、顔は見えない。あちこちに跳ねた、伸ばしっぱなしの黒髪が見えた。

 

「オメェの兄ちゃん、おらぃで面倒みてっからよ。オメェも、うちゃあ、来?」

 青年は答えない。身じろぎもしない。

 

「聞いてっか? 動けねぇなら、担いででも連れ」

「ていくからよ」という言葉を、飲み込む。

 青年がおもむろに、壁を頼りによろよろと立ちあがったからだ。足を引きずって、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

「こんな夜更けに何用ですか?」といった、なんでもない挨拶でもされるのかと思ったほど、自然な感じだった。

 

 次の瞬間、やべぇ、と勘が叫ぶ。反射的に半身を引いた。

 しゅ、と鈍い音を立てて、アキツネの横っ腹に青年の右踵が突き出される。直撃は避けたが、ずきりと鋭い痛みが走った。金属製のハンターグリーヴが当たった所に、内出血を起こした感覚。

 

「……!」

 

 青年は素早く右足を引くと、ぎゅ、と軽く、青年の軸足が踏みしめられる気配がした。

 もっかい(もう一回)来る、と反射的に身構える。しかし二撃目は来ない。がくっ、と青年が頭から大きくよろめいた。片手を床にをついて、息も絶え絶えに肩を上下させている。

 怪我が痛むというよりも、どこか頭がイカれているように見える。コイツ、おれの話、聞いてくれんのか?

 だがそもそも、アキツネは説得をするといった頭を使うことがが得意でない。

 

「おい、バカ、おれァおめぇの兄チャンから頼まれて来てんだ……てかよ、おめぇ、動けるんなら兄チャンに心配かけさすでねぇよ? あいつ、おめぇが死んじまうんでねぇかと男泣きしでっからに……」

 

 ぐちゃぐちゃ言っている間に、青年は再び立ち上がり、ふらっとこちらに歩み寄ってくる。攻撃的なところを全く感じられないが、勘が再び、危ねぇ、と叫ぶ。

 びゅ、と空気を斬る音。小柄な体に似合わぬ大振りな、右の回し蹴り。今度はこちらの顎を狙ってきていた。咄嗟にかばった前腕が折れるというよりも、ばちん、と骨が割れるかと思った。

 バカか? こんなのまともに食らったら、アタマ飛んじまうだろうがよ。

 

 蹴りを食らった一瞬だけ、腕が痺れた。手に持っているランタンが落ちて、飛び出した雷光中が天井のあたりに逃げていく。

 そのとき、青年の顔が照らされた。伸ばしっぱなしの前髪の隙間から覗く、虚ろなアイスブルーの瞳。ガーグァやモスがシメられる瞬間と、同じ顔つきをしている。

 

 青年は回し蹴りの勢いを殺しきれずに、また体勢を崩す。なんで受け身も取んねぇで攻撃してくんだ?

 よくわからないが、とにかく今だ。

 

 青年のインナーの袖口と胸ぐらを掴み、力任せに腰を捻ってこちらに引き込む。体幹はずしりと重いものの、不釣り合いなほど体重が軽いのが、掴んだ布越しに伝わってくる。拍子抜けする。

 戸惑ったまま体を捻りきって、背後の壁へ叩きつけた。青年は背をまともに打つ。「ぎゃう!」と肺が潰れたような声を出して、地面に落ちた。

 とたんに大人しくなる。脇腹を両腕でかばい、おかしな呼吸をしだす。額が脂汗でびっしょりと濡れていた。

 

 あ、やべ。やりすぎたかも。とアキツネは思った。

 でも、だってよ、しょうがねぇじゃねえか。挨拶してくるみてぇに殴りかかってくるやつに、力加減なんてできっか?

 

 アキツネはそう言い訳しながら、少しの間、他に持って帰るものはないかとあたりを探った。

 折れた太刀しかなかった(のちにそれは安っぽい一発生産モノの鉄刀であることがわかる)が、それは放ってきた。

 その他は、衣類も、食料も、日用品も、何もなかった。連れて帰るものは、弟さんだけだった。

 

 

 

「……どうやって生きてきたら、こうなるんだか」

 

 ハルチカは、弟さんに追加で怪我を負わせたアキツネを叱る余裕もないみたいだった。毒気に当てられたような声を出して、静かにキセルに火をつける。アキツネは音を立てずに硬茶【矢倉】を啜った。

 茶の湯気と、煙草の煙が絡まり合って、暗闇に広がっていく。

 

 店の二つのソファには、薬師青年のメヅキと、弟さんが横たわっていた。

 メヅキはまだ気力が戻らずくたばっている。対して全身に傷を負った弟さんには、あたしが下手くそな手当をした。

 彼はずっとされるがままで、薄く目を開けたままだった。傷の痛みに朦朧と耐え、天井の木目を眺め続けていた。

 こちらを警戒していると言うよりも、彼は人の親切に対してどのように反応したらいいかわからないみたいだった。

 

 少しずつ、朝日が昇る気配がする。店の中が、徐々に明るくなっていく。

 街に住む鳥の鳴く声が、聞こえ始めた。

 

「なあ、姐さん」

 

 ハルチカは呟く。カウンターに両肘を突き、両指を組んで、そこに額を預けている。

 彼は、懸命に図っていた。

 確かに、やっちまったことはしょうがねえし、物事はなるようにしかならん。あたしは狩場でそういう価値観に染まってしまったが、こいつは違う。

 こいつは頭がいいから、もっと色々なことを考えている。

 

 ハルチカは今、大商人の孫でも、駆け出しのイケイケなハンターでも、賭博好きな街の若者でもなかった。

 ちっぽけな人間である彼にとって、目の前にある理屈と感情の天秤は、あまりにも複雑すぎるみたいだった。

 理屈が感情の善悪を決めるのか? はたまた、その逆か?

 善意や親切とは利己的なものなのか? それとも利他的なものなのか?

 

 遠くで、ジォ・クルーク海の潮騒が聞こえる。

 あたしたちの身分や立場の違いは、まったくの無意味だ、と静かに、肯定も否定もせずに諭してくる。

 

 しばらく考え込んで、ハルチカは独白するようにぽつりぽつりと言葉を紡いだ。

 

「儂は、どうしてこいつらがこうなっちまったのか、ぜんっぜん知らねェ。助けてやっても、こいつらの望み通りにいかないかもしれねェ。勝手に助けてやること自体、自慰みたいなモンなのかもしれねェ」

 

 呟きは、自傷みたいだった。彼の耳にいくつも光る、無数のピアス。右に四つ、左に六つ。開けては塞いだ穴なら、数え切れないほどある。

 彼は、自分自身の生まれ育ちが、嫌いだ。

 

「でもよ。ひたむきに、誰かが頑張ってたらさ。()()()()()()()()()()()()()って、祈るくらいはいいじゃねえか。そうだろ?」

 

 あたしは何も言わずに肩をすくめる。

 いつもならこの仕草は、肯定も否定も意味しないジォ・クルーク海の潮騒みたいなものだ。

 だけど、今は彼の意見に賛成だった。

 

 この若き飛竜が今、己の矛盾に迷い、風を掴めていなくても。

 進むべき道をはっきり見据えていることを、あたしは確信する。

 

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