黄金芋酒で乾杯を   作:zok.

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66杯目 夜風と祈りとレウスウィスキー ふたくち

 

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 ハルチカとアトリの前で、シヅキは横たわるゲリョスの前に膝をついた。

 何か供物を捧げるわけでも、祝詞をあげるわけでもない。ただ両手を組んで、首を垂れる。

 それだけの、簡素な祈りだ。

 

 シヅキが頭を上げた時、ハルチカの隣でアトリの胸が微かに動いた。

 ほんの瞬き数回分の時間だったはずなのに、彼はいつの間にか息を止めていたのだ。

 やっぱそうなるだろ、とハルチカは少し得意げに思う。

 

 シヅキと一緒に狩猟に出掛け始めてすぐの頃は、ハルチカも同じだった。

 彼の祈りの仕草に、厳かなところはどこにもない。それどころか、彼は雪山信仰と言いつつも故郷を捨てているのだ。

 じゃあ、その祈りって何なんだ?

 でも、彼が祈っている間は、なぜかこちらも静かにしなければ、と感じる。

 

「へえ、自然信仰か。こりゃ傑作だな、自分の殺した相手を弔うとか」一息ついたアトリは、のんびりとせせら笑った。

 

「これは、ハンター様みんなが大好きな『自然との調和』ってやつか? それとも、竜人族のジジイとババアどもの自然志向に近いやつかな?」そう言いながら同時に、アトリはどこか考え事をしている様子でもあった。

 

 シヅキは何も反応しない。ハルチカには彼が感情を遮断しているようにも、長いあいだ言われ慣れているようにも見える。

 シヅキは腰のベルトから剥ぎ取りナイフを抜いた。月明かりに、よく手入れされた刃が光る。

 刃は、ゲリョスの首筋に柄まで埋まるほど深く、迷いなく突き立てられる。

 シヅキは刃を垂直に何回か動かす。筋肉と組織がざくざくと断たれていく。そんな音が、聞こえずとも触れられるように感じる。

 作られた割れ目から、まだ熱を帯びている、ゼリー状に固まった黒い血の塊がべちゃべちゃと外に出てきた。

 シヅキの白いベリオS装備が、あっという間に黒く濡れた。

 

「シヅキ。何か手伝うことあれば、言っておくれ」

「うん。まだ大丈夫」

 

 ハルチカの呼びかけに、シヅキは腕装備の甲で鼻筋についた血餅を拭いながら答える。

 ハルチカが本当は、触れたら手が汚れるような、臓器の類を扱うのが得意でないのを、シヅキはよく知っている。

「まだ大丈夫」の答えの中に、僕が全部やるよ、の意思があった。

 

 シヅキは一人でこの手順を念入りに行う。

 ゲリョス頸に追加で数箇所、上になっている太腿の内側の深くに刃を差し込んで一箇所。

 手つきは、決められた筋書きをなぞるように迷いがなく、そこに感動も昂りもない。

 あるのは静謐と誠実さだった。

 

「あ〜……思い出したわ」

 

 ゲリョスの血抜きがすっかり終わった頃、アトリはぽつりと呟いた。

 

「お前、“シタナシ”だな」

 

 シヅキが振り下ろす剥ぎ取りナイフの切先が、わずかにブレた。

 彼は何も言わない。剥ぎ取りナイフを一旦引き、もう一度突き立てる。

 何もなかったかのように、粛々と、皮を切り分けていく。

 

「だいぶ前のことだぜ。顔つきも体つきもすっかり変わってたから気づかなかったが、剥ぎ取りの前に祈るので思い出したわ。……もしかしてハルチカ、知らねえのか?」

「知らねえなぁ。興味もねえサ」じゃあ逆に聞くけどよ、と言いたくなる。

 五年間一緒にいて、一体何を理解できるンだ? 別に、月日が理解を深めてはくれないぜ?

 ぴり、と空気がわずかに張り詰めた。

 

「まぁ、このガキが“シタナシ”だって保証はねぇけどよ、退屈だから話してやる。あ、シタナシってのは呼び名だ。まんま、“舌が無い”って意味な」

 

 ……面倒くせえ。ハルチカは思わず舌打ちした。

 シヅキ、嫌なら嫌だ、って声をあげていいんだぜ。お前サンの過去はお前サンのもんだ。けど、儂にはなんの権利もねえから、この話を止めてやれねェ。

 なぁ。お前サンは、物腰穏やかで、でも時々冗談も言う、素材に詳しい職人気質の、大酒飲み。それ以上に何の情報が要るんだ?

 

 ハルチカは苛立つと同時に、うなじの毛がぞわぞわと逆立つような感覚があった。

 一方的に観察する。そんな行為に対するどろりとした興奮だ。

 一個人として、知りたい。シヅキをもっと立体的に見てみたい。

 

 ゲリョスの腰の皮に、丁寧に、剥ぎ取りナイフが切れ目を入れていく。その下の温かく白い肉が、月明かりに晒されている。

 アトリが口を開いた。誰もそれを止めない。

 ハルチカの耳に、“偶然”その話は入ってくる。

 

 

 

 ――そこそこ前のことだ。軽く五年は経ってる。ま、ちょいと待て。少しずつ思い出してやる。

 

 ちょっとした量のモンスターを捌く用事があって、オレは流れ者をかき集めたことがあった。

 集まったのは流れのハンターやはぐれハンターがいいところで、大半は何して食ってんのか分からねぇ、半端な連中ばかりだった。

 

 数日間かけてオレたちはモンスターをぶっ殺し続け、バラし終わった。そしたら誰かが打ち上げに宴をやろうと言い出した。

 オレは、トラブってもオレが関与しないことを条件に、止めなかった。

 もし止めたら、腹減った野郎どもがブチ切れて何しでかすか知れねぇからな。

 

 それに、オレはわかってた。野郎どもは、ただ腹を満たしてぇだけじゃねえ。

 集まった経緯がばらばらな野郎どもは、たった一つの共通事項、“仕事”に一区切りつけたかったんだ。

 皆、頭のおかしな奴らだったが、そういうところだけは律儀でな。あ、そういうところも共通事項、ってか?

 

 仕事が終わった日、オレたちは夜通し、焚き火を囲んでバカ騒ぎをした。

 オレたちみんな、狩りが終わって最高に興奮してたんだ。理由は、暴力と殺しの快感だけじゃねえ。誰もが素材を売り払った後の金の使い道を思って、酔いしれてた。金をどう使うかって話題で持ちきりだった。

 

 ……あぁ、喋ってたらだんだん思い出してきたな。

 そいつは輪の外に立ってた。薄汚れた、年齢不詳のハンターのガキだ。妙に素直で、オレの指示に一度も逆らわないのが、逆に気味悪かった。

 そいつが“壊れてる”って、オレはすぐにわかったぜ。いろんなところで散々こき使われてきた奴特有の、妙な素直さがあったからな。まるでモスとかアプトノスみてぇな、家畜だ。

 野郎どももうっすら気づいてたみたいで、どういう風にそいつを扱っていいかわからずに、皆して距離を置いてた。

 そいつはいつも一人ぼっちだった。

 

 宴が盛り上がってる最中のことだ。

 オレの向かい側に座ってた何人かのうち一人が、そいつにコップを差し出した。

 にやにや笑って、茶だよ、まぁこれでも飲めや、ってな。

 オレはそれが、泥水だって知ってた。酒と興奮で酔っ払ったバカどもが、コップに土とか焚き火の灰をぶち込んでるのを見てたからな。

 罰ゲームか何かで、そいつに声かけるってことになったんだろ。

 

 バカどもの視線の中、ガキはそれを一息に呷る。バカどもがどよめいた。

 誰かが、へらへらしながらもう一杯差し出した。それも、泥水だ。

 ガキは無言で口をつけ、次々と飲み込んでいった。

 五、六杯を超えたところで、オレは数えるのをやめた。

 

 空のコップが増えていくにつれて、騒ぐ奴はいなくなってた。連中、何の反応もないガキを心底不気味がってたんだ。

 ガキは無表情でそいつらを眺めてたが、やがて溶けるように闇の中へ消えていった。

 

 連中はしばらくぼんやりしてたが、そのうち互い顔を見合って、なんだか納得した風になってさ。

 そうして、そいつは「舌なし」になった。ずっと黙ってて、味もわかんねぇみてえだったから。

 

 ……あぁ、ハッキリと思い出した。

 安い量産型のハンター装備。黒い癖毛、青い目。チビ。オレと同じ太刀使い、シタナシ。

 妙に落ち着き払ってるくせに、どこか壊れてる。

 周りも、故郷でやらかして舌を切られたんじゃないかとか、自ら舌を噛みちぎって自死し損ねたんだとか、勝手なことを噂して、笑って、怖がって、そのうち飽きて見向きもしなくなった。

 

 オレが何よりヤベえと思ったのは、自分がぶっ殺して、これから売り捌くモンスターに祈ってたことと、シタナシ自身も、祈ることが好きそうじゃなかったことだ。

 早く剥ぎ取りナイフを突き立てたいって顔で、それでも意味ねぇ祈りを、やる。

 シタナシが唯一“感情”らしきもんを見せてたとしたら、あの祈る瞬間のイラついた目だな。

 

 ――報酬を受け取ったシタナシは、元の雇い主のところに戻っていったって聞いたぜ。

 もっとも、雇い主のことを調べても何も情報はなかったがな。

 そん時のシタナシに、本当に雇い主がいたかどうかもよくわからねえ。

 

 

 

「まさかこんなところで、違う名前で再会するとは思わなかったぜ。随分まともになったのは、信仰が効いたからか?」

 

 それと、舌は本当にあるみてえだな。アトリは唇を歪めて、そう付け足す。

 シヅキの手元が、また止まる。次の瞬間には何事もなかったように、ゲリョスの後頭部と頸の境目に剥ぎ取りナイフが突き立てられていた。薄い黄色の体液が勢いよく溢れ出た。彼の体に、びちゃりとかかる。

 

 アトリは顔を解体作業の方に向けたまま、今度は横目でハルチカを見る。

 

「ハルチカ? 雇うってのは、そいつの過去を引き受けることじゃねえのか? お前、シタナシのこと何も知らねえじゃん。……あぁ、今はシヅキって名前なんだっけか?」

 

 アトリが凄むと、まるで飛竜に睨まれたときのような威圧感がある。

 ハルチカは一瞬息が詰まりそうになったが、堪え、代わりに大きなため息をついた。

 

 ――やれやれ、面倒だ。

 結局、昔話を全部聞いちまった。しかも、本人が過去のことについて口を開く様子は五年経っても皆無だというのに、アトリの口から。

 それに、と思う。あながち、でたらめでもなさそうだ。

 

 五年前に雇ったときの彼は、確かに無言で無表情で、言われたことはなんでも逆らわずにやる性格だった。祈りの習慣もすでにあった。

 そして味に鈍いのも。ハルチカが日々彼を見ていてぼんやりとわかっていたことだ。

 誰かと食事するときや、誰かに食べ物をもらった時は、それらしい感想を言う。けれど一人のときは酒ばかりで、食事にまったく関心を示さない。

 もし、彼が味に対する反応を、周囲の人の様子を見て演じているとしたら。

 ぱっと思い出した、先ほどの回復薬のやり取り。……何となく説明がつく。

 

 もう一度ため息をつく。

 ハルチカの胸の中には、「そんなこと別に知る必要ねェだろ、ただの一緒に仕事する仲なんだからさ」と叫ぶ冷静な自分と、否応なく満たされたどろりとした好奇心が、隣り合わせになっていた。

 その上に、自分の知らないシヅキをアトリは知っている、というつまらない嫉妬がゆっくりと沈殿する。

 

 ハルチカは懐からキセルを取り出した。煙草で落ち着きたかった。

 

「……貴重な情報ありがとさん。そいつぁ、無視できねェな」

 

 表面だけそう言ってから、切り返しを考える。――仕方ねえ。これも仕事だ。

 仕事をしてる限り、こういう理不尽は絶対に回避できねぇんだ。

 

 儂は神なんて信じてねぇ。シヅキみてぇに、面倒くせえことを神のせいにもできねぇ。

 だから、儂は理不尽を「適当に」やり過ごす。

 

 ハルチカはキセルに煙草を詰めて火をつける。慎重に煙を啜ってから、軽く息を吐いた。

 ゲリョスの頸の関節に、すっと刃が差し込まれる音がする。

 

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