黄金芋酒で乾杯を   作:zok.

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67杯目 夜風と祈りとレウスウィスキー みくち

 

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「そうだ、見過ごせねえよなぁ。お前が飼ってるのはそういう奴だ。不気味で、無感情で、壊れてる」

 

 アトリは優越感に浸ったように、鋭い歯を剥き出しにした。「表面だけ見てたらわかんなかったことだよなぁ! どうするよ雇い主様!」

 

「あぁ」ハルチカは一拍置いてから、わざとアトリに媚びるように話す。

 

「テメェは情報通で羨ましいねェ。儂より先にシヅキのことを知ってたってことだ」

「ハハ! たまたま再会しなかったらこんな昔話、すっかり忘れちまうところだったぜ」

「……で? その貴重な情報、どれだけうちの利益に貢献してくれるんだい? 売り上げの何パーセントを損ねる?」

 

「は?」アトリはニヤけた顔のまま固まる。ハルチカがちらりとシヅキの方を見ると、彼の手も止まっていた。下を向いていて、表情はわからない。その瞳に感情が宿っているのかどうかさえ。

 でも、別にそれでいい。壊れててもな。

 さぁ、アトリが怯んだ今が攻めどきだ。ハルチカは唇を舐める。

 

「儂ァ普段、仕事じゃ帳簿ばっかし見てンだ。そこには雇ってる奴の昔話なんて書いてなくてね。だから、あいにく数字以外に興味ねえンだ」

「興味ねぇだって? 気にしといた方がいいぜ。こういう来歴ってやつは、モノの価値を下げかねねぇからな」

「それも一理ある。けど、今の昔話はシヅキの取扱説明、っていう風に受け取れるゼ。武器とかを新しく買った時についてくる、アレだよ」

 

 アトリの顔から静かに笑みが消える。目を細めて、ハルチカを見据えた。彼のピアスが小刻みに揺れている。苛つきが伝わってくる。

 

「いいか、アトリ。こいつが何してたかで、本当に今の価値が変わるか? 今やってる働きだけ見りゃあ十分じゃねェか?」

 

 ハルチカはシヅキの方に顎をやった。作業は再開していた。黙々と、淡々と、乱れのない手つきでゲリョスの頭部を頸から外している。

 彼のは全身、血や体液で汚れていた。けれど、無駄のない所作は美しい。

 あのゲリョスの頭は、良い値で売れる。間違いない。

 

「こいつは昔、テメェの話みてぇなことがあったかもしれねぇサ。けど今は、自分の過去と折り合いつけてバカ真面目に働いてる。壊れていながらもな。ここまでで、(南天屋)《うち》にどんな損得があった? 何もねェだろ?」

 

 アトリみたいな面倒くさい奴相手に熱くなりすぎるのは、ハルチカの性分じゃない。

 でも、今は雇い主として自分たちの立場を守らなければならない。さっきシヅキが身を挺してくれたように、今度は儂が。

そう商人の勘が告げている。

 ハルチカは口の端を吊り上げた。頬についていた、乾いた泥が落ちる。

 

「むしろな、シヅキを評価してくれて感謝するゼ」

「評価?」アトリのこめかみがぴくりと動いた。細めている目が吊り上がる。「今の昔話が、評価に聞こえたか?」

 

 アトリは飛竜みてえにおっかねえ顔してるが、こんなの赤字に比べりゃ恐るるに足らない。ハルチカは追撃に出る。

 

「昔話してくれるってこたぁ、テメェから見てもこいつが優秀だってことなンだろ。だって平凡な奴の昔話なんて普通、しねェよな?」

「調子乗んなガキが。こういう気味悪い奴、いつ爆発するかわかんねえんだぞ」

 

 アトリは凄む。それは、シヅキを不気味がっていることの裏返しなのを、ハルチカは察している。

 アトリ。テメェも人間なんだな、と思わずにはいられない。ハルチカはキセルの煙を鼻から吐き出した。「爆発? 制御できなくなるってことかい?」

 

「あぁ。いつ爆発するかわかんねぇタル爆弾みてえなもんだよ。理解しきってねぇ奴を雇うってのは、そういうのを抱えてるってことだ」

「構わねえさ。そんな、いつ起こるかわかんねぇ爆発に怯えるより、今生み出してくれてる利益の方がデカすぎるからな」

 

 ハルチカはアトリを真正面から睨み返した。アトリは目を細めたまま、言葉を出しかねているようだった。何を言っても議論が平行線を辿るのは、互いにわかっていた。

 だから、ハルチカはこの話し合いを終わらせる宣言をした。

 

「シヅキは、これからもうちの戦力として扱う。これが雇い主としての答えだ」

 

 夜風に草木がざわりと揺れる。いつのまにか、ゲリョスの頭部が頸から離されていた。

 必要な素材を必要な分だけ取る。作業は終了していた。

 頭をなくしたゲリョスの前で、シヅキは剥ぎ取りを始める前と同じように膝をつき、両手を組んで首を垂れている。

 そこに苛立ちも不安もなく、神に何かを訴えたり、嘆く様子はどこにもない。

 凪みたいに、ただ無が横たわっている。

 

「……あぁ、あいつ、今は祈ってる時、全然イラついてねぇのな」

 

 アトリはその様子を見て、呟いた。

 

「なるほど、わかった。あいつの祈りって、仕事に一区切りつけてるだけだ。ただのルーティンなんだ」

 

 納得したようなアトリの手から、ハルチカはくしゃくしゃの依頼書を抜いた。

 受理のサインを書き、空いているスペースに今回剥ぎ取った素材を全て売却する旨の文章を殴り書きする。

 それを、なるべく皺を伸ばして折りたたみ、アトリに押し付けた。

 

「今回の件で、儂は改めて身に染みたぜ。儂らの仕事の世界と、テメエらの仕事の世界は交われねェ。理解しきれねェンだよ」

「あぁ、よくわかったぜ。“勉強”になった」

 

 アトリはふざけたように笑って、依頼書を懐にしまった。「どうやら“フラヒヤのガキ”は、このことを俺に知ってほしかったみてぇだな」

 ハルチカは麻袋を取り出し、歩き出した。ゲリョスの素材を回収するためだ。誰に言い聞かせるわけでもなく、言う。

 

「けど、儂らは同じ方向を向くことはできる」

 

 背後で、アトリが少し戸惑うような気配がした。祈り終わったシヅキは、すでに袋詰めの作業を始めている。

 ハルチカは屈み、ゲリョスの皮を手に取った。袋に丁寧に入れながら、誰に言うでもなく闇夜に言葉を投げる。

 

「今後とも付き合っていこうゼ。必要に応じて、お互い、好きでもない仕事のためにな」

「いいのか? 今後もお前らんところにクソめんどくせえ無茶振りするぞ?」背後からアトリの挑発するような声がする。

「無茶ぶりするのも仕事。無茶振りされるのも仕事サ」

「……その淡々とした感じ、ほんっとにハンターらしくねえ。普通のハンターは狩りのこととか素材を売ること、仕事とか言わねえし」

「儂らはハンターであり、商人だからネ」

 

 だからテメエらハンターズギルドは、(南天屋)《うち》を頼りにしてるんだろ? 依頼を生活じゃなくて、仕事って割り切ってるから。

 そんな挑発を込めて、ハルチカは一度だけアトリの方を見やった。

 

 アトリが、まるでお気に入りの遊び相手を見つけた飛竜のような顔をして森丘の闇夜に消えていくのが、ハルチカの視界の端に見える。

 

 

 

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 それから特別起きたことといえば、二つだ。

 

 一つ、“フラヒヤのガキ”から、ごく短い謝罪と、これらもよろしくといった旨の文章が書かれたクソ薄っぺらい紙切れが、ドンドルマの《南天屋》の事務所に届いた。

 ハルチカがハンターズギルドに預けている金を確認したら、異様に多額な報酬が振り込まれていた。

 

 なーんか気に食わねェンだよなァ。

 “フラヒヤのガキ”は、アトリがシヅキの昔話をすることや、ハルチカとの口論、ハルチカの答えまで全て“斟酌”し、仕組んでいたような予感が、ハルチカにはある。しかし、証明する手段がない。

 神とか信じてたら、真実は神のみぞ知るとか言えンのかな、とハルチカは思う。

 

 もう一つ。

 シヅキが自ら、恐る恐る一日だけ、休暇をとった。

 ハルチカから休暇を与えることは都度あったが、これは年に一度あるかないかというくらい、とても珍しいことだ。

 申請してきたときの彼は、辞表を出すのか? とハルチカが思うくらい絶望的な緊張感の漂う顔をしていた。

 自分から休みをとったくらいで評価は変わンねえよ、とハルチカは書き物をしながら告げてやる。

 シヅキは静かに息をつく。彼の様子を見なくても、彼が心から安堵したのが伝わってくる。

 

 

 

 その休暇は、彼の誕生日だった。

 ひとつ歳をとったシヅキは、日中、ドンドルマの事務所の底冷えする床の隅で、死んだように眠っていた。

 辺りが暗くなってからは屋根にのろのろと登って、呆れるほど低品質なホピ酒をちびちび舐めた。

 時々、北の方角を向いて両手を組み、首を垂れるふりもしていた。

 

 結局彼の祈りは何なのか。

 故郷の雪山に住む神へ理不尽を押し付けているのか。それとも、本質なんてどこにもない空虚で慣例的なルーティンなのか。

 彼のこういうところを、ハルチカは理解できない。

 

「僕のこと、信じられなくなった?」

 

 ヒンメルン山脈を駆ける夜風がすっかり冷え、街がすっかり眠りについた頃。事務所の屋根の上から、シヅキの声がする。

 そこに、ハルチカの様子を怯えながら窺ったり、ハルチカをからかうような様子はない。ちょっとした歌を口ずさむみたいだった。

 ハルチカは事務所の玄関の掛け看板を【本日の営業は終了】にひっくり返しながら、答える。「さて、どうだか」

 

 彼の顔を見なくてもわかる。彼は、自分の質問にはっきりとした答えが欲しいわけじゃない。

 自分とハルチカの――雇い主と従業員、自己と友人の間にある、曖昧な距離感が確かにある、ってことを確認したくて、こう言っている。

 

 今日はとっく仕事を閉めていて、ハルチカはシヅキを夜食に呼びに来ているところだった。

 見上げると、屋根の上から、シヅキの深い青色の瞳がこちらを見つめている。つい、目が合う。

 感情が希薄な、まるで冷たい底なしの湖みたいな、青色の瞳。

 見続けていると、吸い込まれてしまいそうな感覚になる。

 

 ハルチカは一度目を瞑る。

 アトリの話していた、ハルチカの見たことがないシタナシの姿が頭に浮かぶ。

 もちろん、その昔話を聞いて何も感じなかったわけじゃない。でもその昔話を聞いたからって、彼との距離を、余計な言葉で飾り立てるようなことはしたくなかった。

 

 だから、目を開けて、告げる。休暇の申請を認めたときと同じように、何気なく。

 

「儂はお前サンのこと、全部はわかんねェし、全部好きにもなれねェ」

 

 シヅキは嬉しそうに目尻に皺を作った。

 それは、この五年間で習得した表面だけの感情かもしれない。どれだけ親しい様子でも、彼の中には常に、底なしの湖みたいな、誰も理解できない孤独がぽっかりと口を開けているのかもしれない。

 

 それでもいい。わからないことを埋めるだけが、居心地の良さとは限らない。

 

「けど、一緒に働いていきてェと思ってるよ」

「ありがとう。……僕も同感だ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 彼は笑顔を作ってから、屋根からふわりと飛び降りた。

 しなやかに着地し、ハルチカのもとへ軽い足取りで近寄ってくる。その目当ての半分は、ハルチカの左手にある酒瓶だ。

 シヅキが自ら休暇をとったことを祝って、ハルチカはこっそりレウスウィスキーを遠くの大陸から取り寄せていた。

 誕生日おめでとう、と瓶を渡すと、シヅキは顔をくしゃくしゃにする。一瞬だけ目線を地面へ逸らす。照れとか恥とか罪悪感とか、色々な感情が混ざった横顔。

 こいつはまだ、この感情を学習しきってないんだな、とハルチカは思う。

 善意を真正面から受け取ることに対する、感情。彼にとっては何気ない善意もまた、理不尽なのかもな。

 

「さ、夜食にしよう。あいつらはもう、勝手に酒盛り始めてるサ」

 ハルチカが彼の兄と、料理番の名前を口にすると、シヅキは途端にいつもの調子に戻った。「えぇ?」とわざとらしく顔をしかめる。

「どうせ夕飯から、なぁなぁで始まってたんでしょ」

「そうだネ。たまにあいつら、夕飯と晩酌と夜食と寝酒の区切りがなくなってるときがある」

 

 ハルチカは酒が飲めない体質だから、だらだら酒を飲む人の気持ちがわからない。バカなのか? と思っている。

「あの何とも言えない微妙な時間帯のお酒、辞められないんだよね〜」そのバカ筆頭のシヅキは、レウスウィスキーの瓶を嬉しそうにぷらぷらさせる。

 

 事務所の明かりが、玄関に二人分の影をつくっている。

 明かりの火の揺れに合わせて、影は揺らめく。不安定だけど、確かにある。

 

「おっ、レウスウィスキーか」

 

 枯葉が一枚、通りに落ちた。

 背後から声をかけられて、ハルチカとシヅキは振り向いた。事務所に面した通りには誰もいなかったはずだ。人が近づく気配も、全く感じられなかった。シヅキが咄嗟に構えるようなことは、ない。

 

「“フラヒヤのガキ”が土産渡すの忘れた、っていって持ってきたんだが、被っちまったみてえだ」

 

 暗闇からぬるりと現れたその人物は、酒瓶を見せつけるように顔のあたりへ持ち上げる。

 今は、仕事中に着ていた装備を身につけていない。町中のどこにでもいる、男に見えた。

 縹色の髪が、夜風に吹かれる。男は薄い唇を歪めた。尖った歯が、灯りに照らされる。

 

「確かに俺たちの世界は交わらないかも知れねぇけどよ。それって仕事中だけの話だろ? 他の道でなら、まぁ、“適当に”親しくしとくのもいいんじゃねえかと思ってさ」

 

 酒さえ持っていけば、飲み相手になってくれるって聞いたんだけど、と男は冗談とも言い訳ともつかない口調で、笑った。

 

 ――この後、ハルチカとシヅキは、この酔客と夜通し語ることになるわけだが。

 それはまた、別の話。

 

 

 

 

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