鈴仙の前へ不意に現れた彼女は、藍と名乗った。
「これからお仕事のところ、ご厄介でしたか」
藍の態度は慇懃に徹していたが、今だ胡散臭さを鈴仙は感じていた。
この竹林を、ただ一人で進んできたこと、そして何か訳知りな顔をして鈴仙に寄って来たことが、この来訪者を余計に怪しく演出していた。
「それは構いませんが――よくここまで案内もなく、来れたものですね」
「何度か、ここを訪れたことがありましてね――その時
「覚え、ましたか――」
信じられないことではなかった。それが可能な者が、幻想郷には何人もいたところで全く不思議ではない。
だが、それだけの切れ者が今、鈴仙の前にいるのだ。藍は鈴仙にとって、却って警戒すべき人物となった。
「――急いだ方が良いですか。患者さんなら――」
「いや――診てほしい患者がいるわけではございません。差し当たって今、焦って話すことではないでしょう」
「そうですか。込み入った話では、ありそうですね」
「その通りです」
「――お察しの通り、私はこれから仕事に出なければなりません。せっかくここまで来られたのですから、屋敷で――」
「ありがたいが、ご遠慮しましょう――後であなたの都合のよい時刻に伺いたいが、よろしいか?」
「わかりました。いいでしょう――」
こうして藍は鈴仙に、約束を取り付けてきた。
日中も、鈴仙の頭の何処かに藍の存在がうずくまっていた。
話というのは、おそらくは"師匠"――八意永琳に関係することだろう。
しかし、彼女が何を知っているというのだ。鈴仙達、永遠亭の総出で手を尽くしたというのに。
ただ、何か少しでも手掛かりになるのならば、それはありがたいことだった。確かに、彼女は何かを知っている――そう鈴仙は直感した。
ただし、警戒はすべきであった。彼女はとにかく怪しい存在だった。鵜呑みにしてはいけない。
だからああやって、すぐに相手の申し出に応じてしまったのは迂闊だったかもしれないと、鈴仙は悔やんだ。とりあえず害意のあるようには見えなかったのだ。もしかしたら鈴仙はうまく、付け入れられたのかもしれない。
鈴仙が仕事を終えたのは、正午をやや過ぎた頃であった。
藍と会う事を考えても、幾分か早くに切り上げたことになるのだが、それでも鈴仙はすぐに帰路へ着いた。
気が逸った。 急いだ所で藍はまだいないかもしれないが、悠々と待っていることは出来なかった。
期待と疑念が、鈴仙の胸中に渦巻いた。反面どうとでもなれ、といった投げやりの様な気持ちも、どこかにあった。
道中、藍の言葉を反復した。彼女の言いようでは、告げる対象が鈴仙にのみ絞られているかような印象を受けた。
輝夜や、他の連中にも聞かせた方が話が早いはずだ。そうしないのは鈴仙にしか聞かせられない理由でもあるのだろうか。
ならばなぜ話し合いの場に永遠亭を選んだのか――疑問は尽きなかった。
鈴仙はやはり、早めに永遠亭へと帰り着いた。
一応、客人であるから、それなりの準備を整えておくべきだった。
そこで、まず輝夜に客人の来訪することを告げた。
「イナバったら、最近は賑やかで、嬉しいわね」
輝夜はここに住む兎をまとめて『イナバ』と呼ぶ。何故か尋ねたことはない。ただ、同じ名で呼ぶのはそういったことに拘りがないからだと鈴仙は解釈している。
彼女は万事、このように楽天的である。だがこれでいて鈴仙の考えや気持ちまで、つぶさに理解しているのだ。
だから鈴仙も、別段苛立ったりはしなかった。
「そう呑気でいられそうも、ないのですよ」
「話は分かるけど――イナバは、深刻そうにするのが得意ね。そう気を張ることもないわよ」
「底知れない相手です。何を考えているのか――」
「ふうん。そこまでお固い
それを聞いて、鈴仙は目を見開いて一瞬間、固まってしまった。
「――知ってらしたんですか?」
「ええ――そんな、よく知った仲でもないけどね」
こういうことも珍しいことではない。鈴仙は張っていた肩を落とした。
「もっと、早くに言って欲しかったですよ」
「どちらにせよ、そう深刻なことでもなかったわ」
「そうですか?」
「――まあ、そうね」
輝夜の顔から笑顔が消えた。その冷ややかなことに、鈴仙は少しぞっとした。
「本当に剣呑なのは、彼女のはずよ」
かくして、藍はやって来た。やはり、同行者はいない。
相手の希望通り、鈴仙は一人で藍を迎えた。輝夜には他の兎達に対して取り計らってもらったので、壁や障子の向こうで聞き耳を立てているような者は、いないだろうと思われた。
応接間に藍を案内した。輝夜はああ言ったが、鈴仙の藍に対する警戒心は払拭できないでいた。
輝夜が言うところには、藍と会ったことはあるはずだが、それがどういった境遇での事なのかは『覚えていない』らしい。
彼女が『覚えていない』というからには、それ以上聞けることもない。ただ、本当は他に知っていることがあるような素振りも、かの主人に見ることができた。
だがその上で食い下がったところで、やはり輝夜は口を開いたりはしないだろう。
それでも、鈴仙は輝夜を信用した。どこか解せるところを感じたのだ。取りあえずは納得して藍と接することができる。
「お話を、伺いましょう」
鈴仙がまず口火を切った。何にせよ、要件は早く聞きたかった。
それを受けて、藍は小さく頷く。鈴仙には、彼女がこの上なく落ち着いた態度で自分と対峙しているように見受けられた。少なくとも『剣呑』がっているようには見えなかった。
「最近、あなたは守矢の、東風谷早苗と仲がよろしいようですね」
意外な名を聞いた。鈴仙は不可解に思い、眉をひそめた。
「なぜ、ご存じなんです?そんなこと」
「失礼をお詫びしますが――早い話、私はその東風谷早苗の身辺を調べていたので、あなたと彼女が最近、密接になったことを知ったのです」
ますますわからない。鈴仙の疑心が、ますます頭をもたげる。
「調べる?あの人が、何を――」
「彼女を、というよりも守矢神社という"組織"を調べております。私たちの、幻想郷を守るために」
「彼らの、開発が気に入らないと――そしてそれを止めるために、ですか」
「気に入らないだとか、そういう個人の利害だけの問題でもなくなっているのですよ。鈴仙さん、時にあなたは、彼女たちが何故ああして自らの版図を広げているのか、考えたことはありますか」
話が、飛躍する。だが鈴仙はそれに乗ることにした。
「人々に祭られ、己の存在を確かなものとするため、のようです。――以前、彼女とそういう話をしました。」
「それだけでは済んでいない。もはや祭祀の問題でもなく、物質による支配になってきていることは、あなたも少なからず解っているはずでしょう」
「それならそれで、いいと考えますよ、私は」
「己の身から、失われるものがあっても、ですか」
「――本当は悲しいことかもしれませんが、そういうものだ、とも思います。殊に
「他人事のように、おっしゃる」
「ひとも、自分も同じことです」
「でもね鈴仙さん。私はここにいる限り、ここでできる限りの幸福を求めたい、そう思いますよ――」
藍の表情や姿勢は崩れないが、発する言葉には熱がこもってきたようだ。そこに彼女の必死さが感じられた。
藍の弁は鈴仙にとっても良く解る事であったし、また常に鈴仙の胸の内にある思いでもあった。
本音かどうかは知れないが、言い分を信じるならば二人、思うところは同じらしい。己の胸中を言い当てられた気がして、鈴仙の心は揺さぶられた。
もしくは既に、藍の思惑の内とも考えられる。語ったことの真偽は兎も角、鈴仙は付け入る隙を与えてしまったのかもしれない。
鈴仙は論点を戻すことで、立て直しを図ろうとした。
「取り敢えず私の主義主張はどうでもいいでしょう。私に求めることはなんです?」
「あなたが指摘の通り、私は守矢の撤退を望みます。そして幻想郷をあるべき姿に還す――あなたにも尽力願いたいのですよ」
「わかりませんね――そういう話なら私の主人の方がよっぽどらしいですよ」
「そうはおっしゃるが、あなたの主人は耳を傾けては下さらないでしょう。――どうやらあなたは事象に対し受容的に構えているようですが、そういう
「なるほど、そうかも知れない――でも、それにしたって」
「何もあなただけを伺っているわけではございません。同志たり得る人物には出来るだけお会いしているのですよ」
「私が、あなたの言う同志たる資格があると?」
「資格、とすると大仰ですね。"切欠"とでも言った方が良いでしょうか」
「きっかけ?――どんな、切欠でしょう?」
「鈴仙さん、私も――」
――私も、いるべき人を、なくしたのですよ。
そうか、やはりそうなのか。少なくとも、藍は鈴仙に対し真摯に語ったのだろう。そして藍の語る通り、それは早苗達、守矢の人々の為によるものなのだろうか。
鈴仙は藍の顔をのぞく。相変わらず、彼女の表情は凍りついた様に動かない。