月下に儚く   作:SoCOi

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十二:接触

 藍は、蒸発した主人の事の多くを記憶していた。それは、鈴仙と比べた場合の話であり、随分と朧げな記憶ではあった。

 

ただ、藍の主人はあらかじめ、自らの蒸発することを藍に伝えていたようなのだ。それも今となっては、曖昧な情報となってしまっているが、その後の()()は確かに藍に伝わっていたのだった。

 

 

 そして、その蒸発の理由。これこそ守矢が版図を広げているからに他ならないのだという。

 

「本来幻想郷は、外の世界では爪弾きにされてしまう、不可思議だとされるあらゆる事象が集まってできた様な空間――端的に言ってしまうのなら、こういう世界なのです」

 

「外の世界が先、なんですか?」

 

「それはわからない。もともと我々の方が先にあった。それがやがて、逆に我々の方が虐げられていった、のかもしれない――これは私にも計り知れないことです」

 

「初めがどうあるにせよ、そういう私たちが寄せ集まってこの世界が成っているということですね」

 

「そう――でもそれは、ひどく曖昧な集まりでしかない。そこに守矢は我々とは対となる、外の世界の(ことわり)を持ち込んできてしまった。それで、壊れてしまうような世界なのですよ――幻想郷という世界は」

 

「壊れた結果が、あなたや、私の主人の失踪だと」

 

「それだけでは済まないでしょう。このまま進むと幻想郷は消失するか――どうなるかは解らないが何にせよ、我々の存在も同様に危ういという訳です」

 

「なるほど、解ります。理屈より感覚で、ですが」

 

 

 信じがたい事だとは、思えなかった。うすぼんやりとした実感は、鈴仙にもない訳ではない。永琳の失踪が、それに真実味を持たせている。

 

 だが、それが恐ろしい事だとも、思えなかった。そういうものか、という気持ちがどういう訳か強かった。

 

 あくまで、鈴仙の中の実感は確かになっていないのだった。

 

 納得したように頷いてから、藍は話を続けた。

 

「私も、主人の名前や姿をはっきりと憶えているわけではないのですが、それでもあの人には帰って来てほしい――そう思うのですよ」

 

「情が残っている――その方が悲しいでしょう」

 

 不意に、藍が少し目線をずらした。が、またすぐにこちらを見て、口を開く。

 

「――どうでしょうか。あなたはあなたで、辛いでしょう」

 

 藍の口から、気遣いの言葉が出てきたので、鈴仙はちょっと面くらってしまった。意外に思いつつ鈴仙はつい、少し言葉を濁すようにした。

 

「さて。あなた程ではないとは、思いますが」

 

 それを聞いた藍の口角が上がった。笑ったのだ。それを理解するのに鈴仙は僅かに時間を要した。

 

 それはやや照れたようにも見える、存外に自然なものだった。これだけで、鈴仙の中の藍の印象は大きく変わった。

 

 

 藍が、腰を上げた。鈴仙も若干慌てて藍に倣った。

 

「これから私の話を、よく考えていただきたい」

 

「具体的にどうしろだとかは、仰らないのですね」

 

「いずれ、また会うときにお願いするかもしれませんが、とにかく今日は鈴仙さんにお目にかかれれば、良かった」

 

「私が、あなたの()()を誰彼にばらしてしまうかもしれませんよ?」

 

「それならそれで構いません。どのみち遅かれ早かれ露呈してしまう事でしょうし――まあ、そういうことも考えたうえで、あなたを選んだのです」

 

「信用なさるのですね。他人である、わたしを」

 

「賭けてみたい、そういう気持ちもあるのですよ」

 

 そう言った藍は、微笑んだままである。何か、荷が下りたかのように、彼女の表情は柔らかくなった。

 

 

 

 玄関を出るまで藍を見送る。相変わらず怪しい人物には変わりなかったが、彼女が危険なふうに鈴仙は思わなくなっていた。

 

 だが、いまいち打ち解けかねる印象はあった。この情感はもうおそらく、ずっと抜けないだろうと鈴仙は感じていた。

 

「折角ですから、竹林の外までお送りしましょうか」

 

「いや、これでも一応追われる身です――それらしく、こそこそと消えることとしますよ」

 

「成功を祈ります、とはちょっと言えないですが――」

 

「それでいいですよ。ありがとう」

 

 藍はまた微笑み、片手を挙げてから竹林の中へ去っていった。

 

 鈴仙は、藍の背中が完全に見えなくなるまで見送った。彼女が、また鈴仙の前に姿を現わす時が来るのだろうか。

 

 会いたいと思わないでもない、自分の心が鈴仙は可笑しかった。

 

 

 

 屋敷の内に戻り戸を閉めると、他の兎たちがわらわらと湧いて出てきた。皆、興味津々のふうで鈴仙を見つめてきた。

 

 

「ほらほら、お夕飯の支度をはじめなくちゃ――姫様をお待たせさせたら、承知しませんからね」

 

 鈴仙は構わず声を上げた。気づけばもう、日も大きく傾いていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 林の中で、藍はふと振り返る。竹林も半ば程まで歩いた。当然、永遠亭はもう見えない。

 

 竹の葉が夕暮れ時の風にそよぎ、哭いていた。立ち止まって、今度はそれを見上げてみる。 

 

 

 

 

 

(あるじ)よ。これで、良いのですね――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その晩も、鈴仙は依姫を診察した。それは彼女が現れたあの日から、欠かしたことのない日課となっていた。

 

 だからといって、彼女の容体が変わることはなかった。もはや形式的なものになりつつある。億劫がったりはしないが、何になるのだろうという疑問は持ち続けている。

 

 

 だが、鈴仙は今は眠り続けるかつての主人への、不思議な愛情に最近気づいた。月にいた頃にはなかった感情である。

 

 比較したとき自分が、今は優位な位置にいるからだと鈴仙は考えている。味わうことのなかった優越が、鈴仙にこのような感情を抱かせているのだろう。あまり喜べたものではない。

 

 とは言え――心の底ではこのまま変わらない関係でありたいと思っている。つまり、依姫がこのまま目覚めなければいい、というわけである。

 

 

 勝手なのは承知である。だから、もし彼女が目覚めるのならば、鈴仙は可能な限り善処もする。それはあくまで、極めて漠然とした愛情である。

 

 

 

 

 

 

 

 

「入りますよ――」

 

 輝夜が、襖の向こうから声を掛けてきた。ここは依姫の部屋であるから、鈴仙が応えるのもおかしいと思い、黙っていた。

 

「ご苦労様、イナバ」

 

「姫様も――今日は少し、いらっしゃるのが遅かったですね」

 

「私だって、いつも暇しているわけにも、いかないでしょう?」

 

「はあ、恐縮です」

 

 輝夜は微笑みで返して、鈴仙の隣に座った。

 

 

「今日も、変わりありません」

 

「そうね」

 

 このやり取りも、ほぼ毎夜の事である。そして輝夜はその度、寂しそうな表情をつくる。

 

 

 

 暫く、依姫の顔を眺めてから、鈴仙の方へ向き直った。

 

「あの人との密談、首尾はどうだったのかしら」

 

「密談と、解っていてお聞きになるのですね」

 

「気になるでしょう――ゆっくり聞いてみたいわね」

 

 鈴仙は少し呆れたようにしながら腰を上げた。話さなくても、大体のことは看通されているように思えた。

 

 

「場所を変えてもよろしいですか」

 

「――依姫にも悪いしね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 依姫の眠る部屋を出てすぐ、戸の前の縁側に輝夜が腰を下ろしたので、鈴仙は驚いてしまった。

 

「こんなところで、よろしいのですか」

 

「夜風が心地よいわ、イナバ。空にちょっと、雲がかかっているけど」

 

「姫様が、宜しいのであれば――」

 

 鈴仙も倣って腰を下ろす。程よく湿った風が、鈴仙の頬を撫でた。

 

 

 

「イナバが話したくなければ、全然かまわないのよ?」

 

「口止めは、されませんでした。言いふらしたって構わないらしいです」

 

「それじゃあ、密談でも何でもないわね」

 

「――お話しますよ。姫様には」

 

 

 

 

 鈴仙は藍の話したことを、ゆっくりと輝夜に話した。思えば、曖昧な話であったが、藍は確かに真摯に語っていた。そして、そこには真実味が感じられた。それもできるだけ鈴仙は伝えようと努力した。

 

 輝夜はその話をじっとに聞き入っていたようだった。そうして鈴仙が話終えると静かに口を開いた。

 

「やっぱり、切羽詰まっていたのはあの人の方だったのね」

 

「そうかもしれませんね。どんな打算があるにしろ、事を為そうという熱意はあったように思います」

 

「イナバ、あなたはあの藍という人に力を貸したいと、思う?」

 

 

「少なくとも今は思えません」

 

「それは、話に乗るのは、あまりに危ういから?それともあのお友達を、裏切ることになるから?」

 

「そうなのだと言えば、そうかもしれないですが――実感もそこまではっきりしてはいないですし――」

 

「自分でも、よくわからない?」

 

「――そうです。でも、相手もわかって欲しくて語ったんじゃないんです。ただ、考えておいてほしいと」

 

「――そうなの」

 

「でも、あの人の言うこと、私にもよくわかるんです。あの人の、信念は」

 

「あなたと、同じ?」

 

「近いものを、感じました。それは心の一端かもしれないけれど、そこは変わらない――」

 

 

 

 

 雲の流れが速い。時折月が顔を出すようになった。月光が、心なしか平常より青白いように思えた。

 

 輝夜はしばらく黙っていたが、鈴仙の言葉を深く噛みしめているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もっと鈴仙と、話しておけば良かったのかもしれないわね」

 

 『鈴仙』と呼ばれ、はっとする。向き直って見た輝夜の顔が、ぞっとするほど美しく見えた。

 

 

 

「――なぜです?」

 

「永琳はね、あなたの話をよくしてくれたわ――それで鈴仙の事、わかっていた気になっていたのね。それであなたの苦労とか、心配とか、何も考えていなかった」

 

「姫様ご自身が、悪いみたいな言い方をなさるのですね――勝手にここへ転がり込んできて厄介になっているのは、私なのに」

 

「いいえ、烏滸がましいことかもしれないけど、私は主人として、あなたのこと何も解っていなかったのだと、今本当に思ったの。――あなたが何故あの月から逃げてきたのか、どういう気持ちで私たちの下についていたのか――ご免なさい、あなたにも"信念"があって、こうしているのにね」

 

「私に思うところがあっても、姫様がどうこうなさる責任は、ありませんよ」

 

 

「だってね鈴仙――私を、憎むことも、あったでしょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――白状すれば、あります。私が覚悟をもって地上に降りてきたのに、あなたは興味だとか、羨望とかで降りてきた――それが勝手なことと思ったこともあります。でもね、それこそ勝手なのは私。姫様のお気持ちなんて、わたしの方こそ考えていなかった」

 

「そう思うのは当たり前よ――あの時降りてきて、ぼろぼろになった鈴仙を初めて見た時私、可哀想と、それだけを思っただけ。あなたが私たちをどう思っているのかなんて、考えなしに、連れ込んだのよ」

 

「でも、私にはここしか居場所がなかったんです。それで拾ってもらえただけ、ありがたい」

 

「私は、それに付け込んだのと同じだわ。それなのに鈴仙は本当に実直でいてくれた」

 

「私の、性分の問題です」

 

「そう。それはわかっていたの。でもまた、そのあなたの性分をわたし、いいように使いまわしていただけ。狡いのよ。わたしっていつまでたっても勝手な――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もういいんです、姫様」

 

 気づけば、輝夜は涙を流していた。鈴仙は今、輝夜の心に初めて触れたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒雲は全て、風に流れて去っていった。丸い月が、二人の真上に爛々と輝いていた。

 

 輝夜は体を、鈴仙に寄り掛らせている。今ではだいぶ、落ち着いた様子である。

 

 

「――取り乱してしまったわね。やっぱりわたしは、あなたを頼りにしすぎているわ」

 

「支えてみせますよ。そのために、今の私はいるんです」

 

「優しいのね、鈴仙は」

 

「いいえ、姫様の方がずっと、お優しい」

 

 ふふっ、と輝夜が笑った。いかにも人間らしいと、鈴仙は思う。このような表情をすることも、鈴仙は全く知らなかった。

 

 

 二人がふたり、疎遠だったのだ。それはおそらく、永琳が蒸発するまで、計らずも隠されていた事実だった。その事実が今になって、露呈した。

 

 

 

 それならそれで、このまま過ごしても構わないような事実でもあった。だが輝夜は、それがわかった以上、このままにできるような人ではなかったのだ。

 

 その優しさに、鈴仙は本当の意味で触れた。それは鈴仙の心を大きく揺り動かした。

 

 

 

 嬉しかった。こういう人が傍にいたことが。そして、悔しかった。それにもっと早く気付いていたら――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「永琳が、いなくなってしまったのはね」

 

 

 とても静かに、そしてちょっと寂しそうに輝夜は話す。

 

 

「私たちを守ってくれるためだったんじゃないかと思うの。鈴仙の話してくれた、藍という人の話を聞いて考えたわ――私たち永遠亭のみんなが、みんなの存在に世界が耐えられなくなって消えてしまう前に、代わりになって――」

 

「そしたら記憶――過去の自分の存在まで――」

 

「あのひと、私には残していったのよ。やっぱり私ばかり、ずるいわね」

 

「戻ってきたら、文句の一つも言いますよ。師匠には」

 

「そうね。それもいいわね――」

 

 

 輝夜がまた笑う。笑って頭を、鈴仙の肩にのせた。輝夜の髪が、鈴仙の鼻先をくすぐった。

 

 

 

 その師匠だったら、姫様に貸す肩ももっと広いだろうに――月を見上げて、鈴仙はなんとなく思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝早く起きた鈴仙は、早苗の元へ行こうと思い、支度を始めた。今、会っておくのは悪くないことだと思えたのだ。

 

 仕事に赴くより、支度は簡単である。殆ど身一つでも構わないのだ。他の仲間に言伝を済ませて、鈴仙は早々に出かけることにした。

 

 

 輝夜にも挨拶をした。鈴仙を見て輝夜は一言、「いってらっしゃい」と言い、にこりと微笑んだ。それが、今の鈴仙には堪らなく嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつも通り竹林を抜け、列車の停車駅までたどり着く。列車を待っている間、晴れわたった空を見上げて物思いに耽る。

 

 

 思考は、別段まとまったものではない。藍の語ったことや、早苗の姿や、昨夜の輝夜との接触が、次々に思い出されて脳内で入り混じっていた。そこに陰鬱な感情は、全くなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて列車は来た。鈴仙はゆっくりとそれに乗り込む。

 

 他に鈴仙以外に待っていた客はいない。鈴仙が乗り込むとすぐに、列車は汽笛を上げて走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

優曇華(うどんげ)

 

 

 

 呼ばれた。誰だ。わたし以外、唯一の客。

 

 

 

「――師匠」

 

 

 

 

 

 いた。帰ってきて、くれたのか?――いや、違う。

 

 

 

 

 

 

「あなたに、謝らなくては、いけないわね」

 

 

 

 そう言った、永琳の顔は悲しそうだった。鈴仙は立ち尽くしたまま、永琳を見つめる。

 

 

 

 

 

「――どうして、なんです」

 

 

 

 

 

 鈴仙は問うた。様々な思いが溢れ出し、やっとひとつ、言葉を発した。

 

 

 

 永琳は悲しそうな表情のまま、ただ、微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、最終回です。

少し早いですが、ここまで読んでくださったあなたに、最大限の感謝を。
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