広い屋敷の中を咲夜に連れられ、鈴仙はひた歩いた。長い廊下を行き、高い階段を上った。
内装も一面朱塗りで統一されており、やはり威圧的だと鈴仙は思うのだった。
ただ、屋敷の中を進むうち咲夜以外のメイドか、使用人だかの姿を遠目だがちらほら見かけることができ、この冷たく大きな静寂の中にも意外な活気が存在することが分かった。
それでも、玄関をくぐってからすぐ感じた、屋敷に拒絶されているような感覚も未だ拭えないでいた。
鈴仙がさして望まれた客ではないことは確かなのである。
咲夜が一つの扉の前で立ち止まる。廊下に並んだ他の扉と比べやや大きく、何よりかなり絢爛な装飾がなされている。
「こちらです。どうか、よろしくお願いします」
咲夜が扉を押す。部屋の中の様子があらわになる。
ベッドのそばにまずメイドが二人立っている。さらに、前回も見かけた、この洋館に居候する魔法使いである、パチュリー・ノーレッジが分厚い本を両手に抱え椅子に座っている。
そしてベッドに横たわっている人物が一人。件の患者、レミリア・スカーレットである。
「先生をお連れしました」
「ご苦労様、咲夜。あなたも、よく来たわね」
そう言って、レミリアが上体を起こす。メイドの一人がそれを支えた。
彼女はひと月程前から身体が不自由になったらしい。体に力が入らず、本来もっている絶大なる能力も――それに関して具体的なことを鈴仙は知らないが――満足に使役できなくなったそうである。
今鈴仙の見る彼女も、いかにも弱々しげであったが、声ははっきりとしていたし、顔にも笑みが浮かんでおり、病人のそれとは思えないものだった。
咲夜が一礼し退室した。鈴仙はベッドの傍まで歩み寄る。
レミリアと目が合った。彼女の赤い瞳には、病床に伏した身ながらも、深く、引き込まれるような力がある。恐ろしさは不思議と無い。彼女が館の人々から慕われる理由が、なんとなくわかる気がした。
それでも面と向かって対峙すると息が詰まるほど緊張する。鈴仙が普段の彼女を知らないからそう感じるのかもしれない。はたまた、彼女の僕たちも彼女を、日頃畏怖しながらも仕えているのだとも思える。
何より彼女の深く赤い瞳は、己が存在を周囲に強く主張していた。
――私の
鈴仙の瞳もまた、赤い。だが彼女の眼を常人が見続けると、発狂する。
まず、彼女は少なくとも純粋な人間ではない。やたら賢しい兎、人に近い何かだ。
つまるところ、彼女の眼は兎の眼である。彼女の、茫洋とした瞳の赤が人の心の波長を狂わせる。
この能力は畜生故に、結果生み出されたものだ、と鈴仙は思っている。彼女のこの眼と、頭に生えた大きな耳はいつの間みか彼女のコンプレックスとなっていた。
人間として、生きたかった。人間こそが尊いと思った。
なぜ、そしていつからこう考え出したのかはもう分からない。幸い、ひと並以上の知恵があった。
だから、『ある事』を境に医者として、人間として振舞い暮らしてきた。
――では、この『ひと』は何だ
今、目の前にいる吸血鬼を見て思う。
彼女も大凡、人間とは呼べまい。吸血鬼といえば本来不老不死であり、人間をはるかに超えた恐るべき力を持った存在だ。
そのほか、様々な制約を抱えているものの、それを鑑みても有り余る能力を持ち、人間以上の存在としてこの世界に顕現している。
鈴仙の理屈から言えば、このレミリアはあまりに過剰な力を持った、異常な存在である。
吸血鬼は生き物とは言えないかもしれない。この出過ぎた力は生と引き換えにして得るものだ。
だが、それが思考し意思を持って行動する限り、生きていることになるのだと、鈴仙は考えている。
だから、鈴仙は今彼女と相対する存在を冒涜的だ、と思う。他の何でもない、生命への冒涜である。
だが鈴仙は、彼女の存在を否定したり、忌み嫌ったりする気は無かった。不可解な事象として受け入れるのみである。ただ――
――私よりは、上等な『ひと』なのかも――
こうも考えてしまう。この考えは、彼女の心に巣食う劣等感による。
こういう考えに至るのは良くあることである。人間か、またそれ以上の存在など、この世界に溢れる程いる。
その中で、賢人面して生きる自分を浅ましくすら思う。所詮自分は畜生の身なのだ。
その点、目の前の人物は万物に対し堂々と構え、何時も不敵に笑っている。
鈴仙と対峙する今も彼女はさも楽しそうに、にやりと微笑むのだった。
「あなたにはすまないと思っているわ。可笑しくてたまらないでしょ。しかも二回めよ。可笑しいの、駄目押しね」
「いえ、請われれば、厭わず伺いますよ。」
内心ではその通りに思っていたが、鈴仙は否定も肯定もしなかった。
「――では、早速診ましょうか。」
診察が始まった。傍から見るレミリアの身体は、常人のそれと変わらないものだった。