案内された部屋も、全体が赤々としており、やはり落ち着かなかった。外套を掛け、鞄を置くと、鈴仙はベッドへ身を投げ出した。
大した事はしていないのに、心身共に疲れていた。神経質過ぎるのかもしれないと鈴仙は思った。レミリアや早苗の自信に溢れた――実際そうかは分からぬが――姿や立ち振る舞いを思い浮かべ、少し羨ましいとも思った。
こう、くよくよ悩みさえしなければ、自分が生きることも、全然気楽なはずだ。
俄かに、微睡む。さっきまで気もそぞろだったのに、私も案外図太いものだ――意識が遠のく間際、鈴仙は何と無く思った。
扉を叩く音で、急速に思考が再生する。鈴仙はね起きた。
急ぎ、扉を開けると早苗が立っていた。相変わらずにこやかな笑顔を浮かべている。
「いや、すみません。何度かノックしたんですが――ええと、起こしてしまいましたか?」
そう言われ、鈴仙は恥ずかしくなった。思わず押し黙ってしまう。
その様子を、鈴仙が立腹したものと捉えたのか、早苗は慌てたようだった。
「ああ、余計な事を言ってしまいました、ご免なさい。――私、どうしてこう、何時も粗忽なもので」
「いえ、ずばり言い当てられたので恥ずかしくなってしまったのです。気にしないで」
謝られた。ただ、横柄な訳ではないようだ。鈴仙は少し、彼女に気を許した。
「それで、どんな要件ですか」
「大した用ではないんですが――鈴仙さんを誘って屋敷中を散策しようと思いまして、一応、メイドさんを捕まえて許可はもらったのですが――迷惑でしたか?」
眠気はすっかり覚めている。その上で、わざわざすべき事も思いつかなかった。折角だしそれも良かろうと鈴仙は考えた。
何より、疲労しているとは言え、ここでじっとしている事は辛かった。
「迷惑だなんて。――是非、ご一緒しましょう」
それを聞いて、早苗はさも嬉しそうに笑うのだった。
ふたり、肩を並べて館の中を歩いた。館の中は静かであったが、こうして歩いているとメイドの姿を度々見かけることができた。音をほとんど立てずに行動するメイドの姿を見て、鈴仙はそれを気味悪く思った。
その中、早苗は盛んに周囲を見回しては指をさし、あれは綺麗だ、高価であろうとか鈴仙に語り掛けてくるのだった。
まるで子供のようだ。鈴仙は軽い返事で早苗の言葉を受け流していった。屋敷は鈴仙の予想以上に広かったが、見える景色は単調で段々と飽きてきてしまった。早苗も話の種が尽きてきたと見え、黙ることが多くなった。
「そうだ、庭に出てみませんか」
沈黙に痺れを切らしたのか、早苗が意外な提案をする。この霧の中、屋敷を出て外の散策をしようなどと普通は思い至るまい。
「でも、この霧では、満足に見学はできませんよ」
「ちょっと、外の空気を吸いたくなったのです。このお屋敷、とても広いのだけれど、何か息が詰まるようで――鈴仙さんはそんなこと、ありませんか?」
早苗も、圧迫感を感じていたのだ。彼女はそういうことを、意に介したりはしないものだと鈴仙は思い込んでいたので、かなり意外に思った。
そういうことならばと、鈴仙も賛同した。
「そうですね。正直、私も窮屈に思っていました。まあちょっとくらいなら出ても、構わないでしょう」
早苗は、要望が通ると至極嬉しそうに笑う。やっぱり子供だ、と鈴仙は思った。
偶々見かけたメイドに声を掛け、少し外に出たいことを告げた。特に悩むこともなく、そのメイドは最寄りの出入り口まで、二人を案内した。ある程度の勝手は許せだとか、咲夜辺りに言われているのかもしれない。
あまり歩き回らないよう注意されつつ、外へと促された。霧は、鈴仙が来た時より更に濃くなっていたが、湖畔の澄んだ空気は心地よく、鈴仙の鬱屈は少し影を潜めたようだった。
二人は気を抜いてぼんやりと遠くを眺めた。本来ならば向こうに見えるであろうこの館の高い塀も、今はすっかり霧に隠れてしまっていた。
鳥の鳴く声すら聞こえない、呼吸の音も、霧に溶けていくように静かだった。暫し、あらゆるものの存在を、鈴仙は忘れた。
――このまま、霧の中に消えてしまえたならば――
「あなたのところの『先生』、いなくなったのでしょう?」
鈴仙は、はっとする。驚いて、早苗に向き直った。早苗は無表情で、静かに俯いていた。
突然、鈴仙の心中に、ここのところずっと居座っていた懸念を早苗に――それも彼女の言葉とは思えないような落ち着いた調子で――言い当てられ、鈴仙は一瞬間、激しく狼狽した。
「ええ、私の師だった人です」
ややあって、鈴仙は答えた。早苗が、気づいたように顔を上げ、すまなそうに鈴仙へ目を向けた。
「ごめんなさい。聞くまいと思っていたのですが――」
「いや、無理もないです。だって普通のことじゃ、ありませんもの」
何気なく、鈴仙は空を仰いだ。霧は天高く、どこまでも広がっているように思えた。
淋しさや、悲しさとは違った、暗い気持ちが、鈴仙の心に込み上げていた。