「おねえさまは、なおりそう?」
少女が、吸血鬼だと鈴仙は理解した。すでにレミリアに妹がいることは聞き及んでいたので、それから連想することは容易であった。
そうでなくても直感的に理解できたであろう。雰囲気が常人とまるで違う、底の知れなさが彼女たち吸血鬼にはあった。
しかし、幼い。レミリアと比べると、そう感じざるを得なかった。
ふいに湧いた戸惑いを抑えつつ、鈴仙は少女の正体を、少女自身に問いただすことを決めた。
「――あなたがレミリアさんの、妹さん?」
「うん、フラン、フランドール。おねえさまの、妹さん」
少女――フランドールは答えると、私の問いにも答えろというふうに小首をかしげた。
正直に答えるしかない、鈴仙はそう思った。
「お姉さんは――私にはどうすることもできなかったわ。ごめんなさい」
「緑の髪の、お姉ちゃんは?」
早苗のことである。早苗は、フランドールと会ったであろうか。早苗なら、フランドール相手でも、鈴仙のように戸惑うことはないであろう。
「あの人も、治せなかったわ」
「ふうん、そう」
聞いた途端、どうでも良くなったような、素っ気ない返事が返ってきた。何故治らないのか、どのような措置をとったのかなど、それ以上のことは興味がないらしかった。
それよりも少女の興味は、鈴仙へと移ったようだった。フランドールの視線が、鈴仙の頭上に泳いだ。
あの耳を見られている。鈴仙は恥ずかしくなった。
「兎さんはたしか、お医者さんでしょう?」
「ええ、そうよ」
今度は、鈴仙は顔をまじまじと観察された。やはり恥ずかしいと思う。
子供だ。眼前の少女は吸血鬼である。その小さな身体に恐るべき力を秘めているに違いない。現に鈴仙は今も、フランドールから圧迫感を感じている。
だが仕草や言動から、精神の成熟は少しも感じられない。レミリアにも幼さはあったが、彼女のそれは永い半生の上にあった幼さだったように思える。
少女と目が合う。感じたのは、恐怖だった。引き込まれるのとは違う、呑み込まれる――
フランドールの口角がさらに上がる。瞳から何もかも、見通されている気がした。
「フランが、閉じ込めれるのだったら、兎のお姉さんもそうじゃないといけないね」
「――どういう事?」
「だって」
少女の顔が少し、緩む。わずかに間を開け、短い言葉を紡いだ。
「きっと、私と同じ目をしてるのだもの」
なんとなく、少女の言わんとしていることが分かった。子供が、恐るべき力を持った。そして持て余され、何処かしらに封じられたのではないだろうか。それほどに、フランドールからは底知れぬものが感じられた。
鈴仙の瞳も、使い方次第で驚異たり得るのは確かであった。しかし鈴仙には、それを抑える理性があったし、また制御できる他人も存在した。
だがそれも、危うい非常線ではあった。時と場次第、鈴仙がその気になれば一騒動起こすことは訳無いように思えた。尤も、鈴仙にそういった腹づもりは今まで生まれたことはなかった。
しかし私は“獣”なのだ、理性の箍たかは簡単に外れうるだろうと、鈴仙には思えた。
フランドールは自分と似た側面を、鈴仙に見出したのだろう。そしてさらに――
「でも、なんとかして逃げ出すかな?案外、怖いひとだものね――兎さんは」
そうだ、“見抜かれて”いる―一刻も早く彼女のそばから離れたい、そう鈴仙は思った。自分の中身がすべて、引きずり出されそうになるような感覚に陥った。
鈴仙の怯えを見て取ったのか、フランドールの笑みが、今度は屈託のないものへと変わった。外見相応の、無邪気な笑顔に見える。少女は未だ、恐怖の対象として鈴仙と相対していたが、うわずった気持ちは少し落ち着きを取り戻した。
「うらやましいわ。わたしなんていつまでたっても大人になれないから、お屋敷の下から出させては、もらえないのよ?でも兎さんは一応、大人になっているもの」
そう言ってから、少女の笑みは今、哀しさを孕んだように見えた。
そこで、彼女も私も、ある意味そう違った存在ではないのかもしれないと思った。そうして鈴仙も、自然と少女に自らを重ね合わせた。雑多な感情が、心中に浮かぶ。それは曖昧な群れであったが、大波のように鈴仙の表層へと押し寄せてくるのだった。
「それでいったら――どうして、あなたはこんな館の奥深くに閉じ込められたままなの?あなただったら私なんかよりも簡単にここを出れるはずよ――そうしないのはお姉さんがいるから?」
鈴仙は堰を切ったように言葉を、心情を吐露した。目の前の少女に、少なくとも自分より幼く見える少女に今は問いたいと思った。
「――しかたないよ。私は元々、“そうあるために”うまれてきたもの」
答えた少女は、極めて落ち着き払っていた。永い年月を歩んできた種相応の達観が、フランドールに見えた。
「生まれたときから、大きすぎる力があって、それをおさえられないぐらいに心は子供で――それが、私のうまれながらの、さだめ」
「そんな――」
鈴仙にはわからなかった。なぜ彼女がそれを課されて生まれてきたのか。なぜそれを彼女が忠実に守り続けているのか。
それでも、彼女にとっては絶対なことなのだ、これがあってはじめて、フランドールは存在しているのだということが、鈴仙にはわかった。理屈では語りつくせない、この世の原則のようなものなのだ。
彼女だけではない。ここに住まう、意識あるもののすべてが、多かれ少なかれある種の“役割”を背負い、それに添って『生きて』いるのだ。そしてこれは、普段意識されることのない、前提として、この
鈴仙はこのことを、ひとりの吸血鬼の少女と相対し初めて知覚したのだ。
「でも兎さんは、『自分がこうあっていいのか』、考えるように生まれてきたひとなのね――だからこそ兎さんは今、自由だよ」
「それは今でも思っているわ。自分がここにいてもいいという、自信は全く無いわ。――まして私が自由であっていいとも、思えない」
「でもあなたは自由なの。あなたはそういう“さだめ”、だから『そこ』があなたのいばしょで、それを受け入れなくちゃいけないよ」
「じゃあ私は、ずっとこうやって悩み続けなくちゃいけない存在なの?」
フランドールの笑みからふと哀愁が消える。そして口を大きく開き、声をあげて笑ったのだった。
「そうだとおもうなぁ。でもそれで、いいんだと思う」
何となく、呆気にとられたのち、少し腹を立てた。フランドールが、いよいよ只の娘子むすめごに見えてきた。
ただ、腹が立つのもフランドールの話をよく理解した故であった。
「そんなに笑わなくても、いいじゃないの」
「そう?――ううん、そうだね」
気づけば鈴仙は、フランドールと対等に話せるようになっていた。
これまでの短いやり取りの間に、ふたりは互いの心の奥底までを、見せ合っていたのだった。それはまた友情や信頼によるものとは違う、より乾いた腹の割り方であった。
また館内に戻る前に、この少女ともっと話してみたい。そう思った自分の心を鈴仙は発見し、さらに不思議に思うのだった。