月下に儚く   作:SoCOi

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九:変転

 屋敷奥の間に、鈴仙の『元主人』――綿月依姫が臥せ、横たわっていた。意識はなく、目は閉じられている。

 

 その枕元に輝夜が座り込み、依姫の顔を覗いていた。輝夜にとっても依姫は遠い間柄ではない。

 

 この突然の来訪者に対しての疑問は数多くある。ここの兎の一人が、屋敷の外に倒れている所を初めて発見した時、彼女の意識はすでになかったらしい。

 だから彼女の身に何があったのか、何故『月の都』からこの不浄の地たるここへ降りてきたのか――全く、それらの仔細は分からないのだった。

 

 彼女にはひとり、姉がいたはずだ。豊姫と言う。彼女もまた、鈴仙の『主人』であったし、まず鈴仙はその姉に拾われたのだった。

 

 豊姫の身についても気になるが、月そのものに何があったとも考えられた。依姫のみが辛うじて抜け出し、ここを頼ってきたのかもしれない。

 

 だが、もしそうであったとしたら信じがたい事ではある。あの無欠たる月人たちに、あらゆる災厄が降りかかることが、全く想像すらできないのだ。そもそも彼らは、そういう忌み事から逃れるために遥かな月へと逃れたような種族なのだ。

 

 目の前の一個人である依姫が、こうして憔悴して横たわっていることすら、目を疑うようなことなのである。まして、依姫は月人の中でも群を抜いた力を持っていた。本当に依姫なのか、とすら思ってしまうのだった。

 

 

 

 鈴仙も一応『診て』みたが、やはり何も分からなかった。こんな患者ばかりだ、と鈴仙はふと思った。

 月人に触れるということが、今だにおそろしいと感じている自分を鈴仙は発見した。しかし、あれほど畏れていた依姫が力なく四肢を投げ出しているのを見て、鈴仙はどういうわけか、何かやるせなく思った。

 

 

 依姫の格好をそろそろと整え直し、顔を上げ輝夜へ顔を向けた。輝夜は極めて落ち着いていたが、表情はどこか悲しげであった。

 

「解りませんでした――なにも」

 

「そう――ご苦労様。戻って、お休みなさい」

 

 鈴仙は神妙そうにうなずき、退室した。部屋の戸口にてゐが立っていた。首尾が気になるようだった。

 

「やっぱり、駄目だったわ」

 

「へぇ」

 

 何でもいいから、鈴仙が知っていることを聞きたがっているのだ。事情を少しでも理解していそうな者は、ここでは輝夜か鈴仙ぐらいなものだ。

 

「残念ね――話してあげられそうなことはなかったわ」

 

「そうかい」

 

 言うなりてゐはそっぽを向いてしまった。特にその横顔からは、彼女がどう事実を受け止めているのか、窺うことはできない。

 

 

 

 

 

 

数日経っても、依姫が目覚めることはなかった。地上へ降りてきてしまった以上、穢れのなかった身体も徐々に朽ちてゆくことだろう。

鈴仙としても、かつての主人に対して恨みがある訳ではない。逃亡したのはあくまで、かつての境遇が気に入らなかった故である。

なんとかしたいと思う。しかし、思うだけでどうなるわけでもなかった。

こうして再開の衝撃も次第に薄れ、依姫の診察も、日々の習慣の内に組み込まれていくのだった。

 

 

悲しいかな依姫の存在にすっかり慣れてしまったある日、本当に早苗が訪ねてきた。竹林の外で捕まえたらしい兎の一人を先導にして、不意に鈴仙の前に現れたのだ。

回診から帰った鈴仙を、客間にちんと座って待っていた。鈴仙を見た早苗は、例の屈託ない笑顔を浮かべて立ち上がった。

 

「よく来てくれましたね。こんなところまで」

 

「こちらこそ、また突然押しかけてしまって」

 

そこからしばらく、世間話に花が咲いた。洋館のときより、他愛ない話題が多かったが、鈴仙は久しぶりに楽しい思いをした。

 

その後も、屋敷やその周辺を散策した。隈無くというわけには無論いかないが、その概ねは見て回ったはずだ。

 

 

「本当に静かですね、ここ」

 

「屋敷の中はまあまあ忙しないですよ」

 

「それでも、うちの山は、騒がしすぎるくらいですね。気が休まります」

 

「生きていく上では、それくらいのほうがいいんだと、最近思えるようになりました」

 

 

 

「でも、私が来て間も無いころの幻想郷は、もっと静かでした」

 

「そうですか――?」

 

「私たちの、せいでしょうね――私たちのための行いが、他人(ひと)のためになると、押し付けがましく、野放図になり過ぎたのかもしれません」

 

「いや、事実助かっているひとも多いはずですよ。私もそうですが」

 

 

 

「ここもそうですけど、変わってはいけないものも、沢山あるばずなんです」

 

「それは、そうでしょうね」

 

「ここに来たことで、必ずしも幸せになれるものか――あのまま静かに"三人"、消えてゆくのも、一種幸せだったんじゃないかと――わたしはね、思うようになったんです」

 

「それは、なんだか――悲しいですよ。どっちが良かったなんて――」

 

「そう、わからない。だから、悩んでしまうんですね」

 

 

 

 

鈴仙も、わが身のために新天地を求めたのだ。だが鈴仙は早苗と違い、今の境遇に一応の満足はできていた。

 

昔のままで、というのは、鈴仙にとっては考えられないことだった。

これほど爛漫に生きる早苗の方が鈴仙より悩んでいることが不思議だった。

 

優しいのだ、と思う。早苗は、これでいて周りが確かに見えているのだった。

 

 

 

 

「今度は、私の悩みばかり話してしまいましたね」

 

「それはまあ、お互い様ですね」

 

「そうですね――」

 

早苗は照れくさそうに笑った。あまりに無邪気に笑うので、鈴仙は一瞬、気後れしてしまった。

 

 

 

「私は、もう十分だと思っています」

 

「欲しかった()()は、集まりましたか」

 

「それは目論見通りになりましたよ。でも、私の主人たちも、なんだか外にいた時より俗っぽくなってしまいましてね――」

 

「そもそも、信心のしようが違う気がしますよ。だからじゃないでしょうか。――まあそうはいっても、私は外のこと、何にも知らないですけど」

 

「いや、その通りですよ――でも、私たちはつまるところ、誰かに私たちの存在したということを、覚えていて欲しかったんだと思います。完全に忘れ去られるのが、怖かった」

 

「それが、一番怖いことかもしれませんね。死んでも、誰かに覚えていてもらえれば、少しは救われる気がします」

 

「それでも、いつかは忘れ去られる日が来ますね。普通はそうなるはず――」

 

「それでも生きている限り、最大限は手を尽くしたいと、思います。――そうするべきです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鈴仙さん、あなたは――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は立ち、早苗が帰らねばならない時間になった。

 

 鈴仙は、早苗を竹林の外へ案内した。

 

「道を覚えるの、大変だったでしょう?――道という道があるのか、わたしにはそもそも、分かりませんけども」

 

「なんていうかなあ。理屈であるけるわけではないというか――私も感覚で歩いている感じです」

 

「うん、ややこしいですね」

 

「そういうものが、どんどん明らかになっていけばいいと、思っていますよ」

 

「でも、ここを拓くとしたら大変ですね――そもそも、ここは私たちが手を加えてはいけないと思います。ここは変わらずいるべきですよ。変わったら、何か失くなってしまいそうで」

 

「確かに、不安はありますね。――今も」

 

 

 

竹の間から、赤い陽光が僅かに漏れ出してくる。だからといって、急ぐ気にもなれなかった。

 

 

もう大分、日は傾いていた。出る頃にはもう夜になってしまうだろう。

それでも早苗は帰らねばならないらしい。もしかしたらちょっと無理をして、ここを訪れたのかもしれない。

 

「鈴仙さんも、"お山"にきてくださいよ」

 

別れ際に、早苗は鈴仙を誘った。

 

「ええ、近々お邪魔します」

 

「絶対ですよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋敷に帰ると、仲間の何人かに、かの客人との関係を尋ねられた。

 

 本人たちにとってはともかく、他人にとっては偶々親しくなった友人の間柄しかない。だから鈴仙もそのように説明した。

 

 

 そんな中、てゐはちょっと引っかかった様子だった。

 

「あんたが、ねえ――そんなにすぐ他人と打ち解けるなんて」

 

「わたしってそんなに、人に馴染むの、苦手そうに見える?」

 

「というよりも、あんた自身に取りつく島がないのね。――初めて会った時、なかなか()()()感じだったよ。まあ、今もそんなに変わらないけど」

 

「随分言うのね」

 

「そうでもないよ」

 

 そう言って、てゐは鈴仙の前から立ち去った。それでもまだ訝しそうに鈴仙を見ているようだった。

 

 

 

 

 

 

 依姫の眠る部屋に入った。この時間は大抵、輝夜がその枕元に座っているのだが、今日は姿を見せなかった。

 

 依姫の身体は全く動かないというわけではなく、一定に、静かな呼吸を行っているし、偶に筋肉の弛緩によりぴくりと動く。

 だがそういった生理的な運動が、依姫の身体にあることに鈴仙は違和感を感じずにいられなかった。

 

 もともとそういった生命活動は彼女にも存在したのだろうが、臥せっている依姫を目の当たりにし、鈴仙は初めてそれらを意識したのだ。

 

 鈴仙は今、依姫より生物として優位に立っている。絶対とは言えないが、白刃を彼女の肌にたてれば通るだろうし、毒を盛れば心臓は凍りついてしまう――

 

 ただの『人間』――そう()()()()()()しまった。鈴仙はかつての主人に対し、そのような感慨を持った。

 

 

 

――このひとはどうして、ここへ来たのだろう?

 

 

 

 鈴仙は自ずから変化を望んだ。しかし、望まない巡り合わせは存在する。そのうえで自身の禍福は決まってしまうのだ。

 

 だが鈴仙は、そこで最大限、幸福を求めてゆくのが生きることだと思っている。今までもそうであったように、彼女の信条の最もな根幹であった。

 

 

 

――私は、〝これ以上”にはなれないが、ここから下ることは、絶対にしない。

 

 

 

 固まったかのように動かない依姫の顔を一瞥し、鈴仙は退室した。

 

 

 部屋を出ると、向こうの、甍の端に月をとらえた。その月はいつも変わらず円満である。

 

 

 鈴仙は少し足を止めたが、またすぐに歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

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