依るべを想い、月を見上げた   作:イカの切り身

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第一話 月に発つ者 地上に立つ者

 幾千、幾万の魑魅魍魎が黒い津波となって押し寄せる。

 あの波に呑まれれば、もう助からない。穢れに体を侵されて、不定の命は定命に。嬲られ、食まれ、形を残すことなく、この世から己が消え去るだろう。

 

 なれば、斬る。

 黒い津波を、微塵になるまで斬り捨てて。近づく魍魎の命を絶ち、空を覆う影を雲の先まで切り裂いた。

 

 雲の割れ目から、月明かりが漏れ出る。赤の瞳ばかりが浮き出る暗闇の中を、淡く冷たい白光が照らし出す。

 照らしたはずなのに、目の前はやはり蠢く闇が埋め尽くしている。

 

 己ができることは、ただ斬ることだけ。

 背負った民草の命。ここで己が倒れれば、浄土に出発する間もなく穢れに食い殺されるだろう。待っているのは地獄絵図。魑魅魍魎共が我らを肴に、酒を飲み、狂乱し、殺し合い、故郷は血の海に沈む。

 

 やらせてなるものか。

 この腕がなくなろうと、足をもって剣を振るおう。四肢をもがれれば魔の言の葉を紡ごう。喉を潰されれば噛み殺そう。肉体を失えば、霊魂となり果てて尚、呪い殺してくれる。

 

 己のような一兵卒、死地は戦場と決めていた。

 死など何するものぞ。

 己の死よりも、民の死を思う方がまだ心が冷える。

 

 守りたいモノさえ守れずして、何が一兵卒か。

 それ、来い。己に向かって牙を剥け。ただその全霊を、己のような兵に向けてみよ。

 

 この身は一兵卒なれども。

 我が剣の牙城は、天地にはびこる闇を払う。背後に未だ、闇は無し。

 

 五体は満足。息は上々。この足、まだ一歩も動かず。

 たかが一兵卒? 結構。我が生まれを恥じることはなし。侮り驕る余裕のうちに斬り捨てよう。

 

 このお役目果たしてこそ、我が想いは本物と証明するに足る。

 鉄砲玉? 結構。己が死が活路となれば、これ以上はなし。些末なこと。

 

 さぁ来い。魑魅魍魎よ。

 己が衣服にさえ、未だ汚れもつけれぬ体たらくでは――

 

「――夜明けは近い」

 

 一閃。バウムクーヘンの層が、また一つ千切れるように。

 闇の底が、見え始めた。

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

『何、己にかかれば出発までに魑魅魍魎を全滅させよう。その時は、船でそちらに渡ろう。先に発つというのであれば、構わず置いていけ。所詮、一兵卒の未熟者など、月に行けども役立たず。いわば、競争さな』

 

 奴はそんなふうにうそぶいて、まるで散歩にでも出かけるように死地に向かった。

 文明の武器も、防具も、曰くつきの代物さえ持ち合わせず、剣一本で戦場に。私たちからしてみれば、何も持たずに戦場に行くような愚かしい行為。せめて防具を、と口にすれば上層部が許可を出さない。文明を残すわけにはいかない、と。

 

 最初から捨て駒にしていると言っているようなものだ。それを聞いた時でさえ、奴は快活に笑って「用心深いこと、大変結構」などと評して頷く始末。そこは怒るべきだろう、と私が口にすれば首をかしげて「正論なのだ。そうカリカリするでない」などと、逆になだめられた。

 

 ならば都への防衛部隊を回そうと提案すれば、「後ろで腰を据えて、討ち漏らしを頼むとしよう」などとかわしてくる。ならその申し出通り狙撃部隊の配置をと、さらに提案しようとしたところで時間となり、奴は――蠢く闇と美しい草原の境界に今も立っている。

 

 陸からどころか、空からさえ討ち漏らしは未だに現れない。

 遠目からでも、圧巻の一言に尽きる戦いぶりだ。

 

 奴の一太刀は一枚の絵画を真っ二つにするように、空間ごと斬り捨てる。斬撃を飛ばしているわけでもないのに、奥にうねる闇の塊をこそぎ落とす。空に向けて閃くと空を覆う穢れと共に雲が割れ、静かな月明かりが奴を祝福するようにほのかに照らした。

 

 剣の刀身に月明かりが閃いたかと思うと、また一閃。闇ばかりだった向こう側に、穴ができた。相手の戦力の底が見えた。

 数万いた魑魅魍魎も今ではわずか千と少しばかり。これを殲滅すれば、奴はめでたく都の生ける伝説となるだろう。もはや、一兵卒などと誰も呼ぶことのできない地位を授かり、そして――

 

「依姫様。出発の準備が整ったようです。撤退命令が下っています」

「……本当に、奴だけですべて片が付きそうだ」

 

 地上と月とを繋ぐ扉ができたのだろう。

 撤退の命令も、戦場を見ての判断だろう。ここに居る私たちに、もはややるべきことはない。討ち漏らしも見込めないだろう。長く木偶に身を徹していたものだと、思わず口端が上がる。

 

「……どうして、未だに一兵卒殿と呼ばれているでしょうか」

 

 防衛軍の一人が、独り言のようにぽつりとこぼした。その視線は、羨望と少しの怖れをもって、戦場に向いている。

 そうか。防衛軍はあくまで兵士。私のように、地位の高い家柄の者たちとは限らない。ならば、奴がどうして未だに一兵卒どまりなのか、知る由もないということか。

 

「奴には頭が足りないからだ」

 

 政争にはとんと疎い。武だけは一丁前どころか、都でも三本指に入る力を持っているというのに。政の才覚というべきか。目上とのパイプを繋ぐといった行為……そうした人間関係の謀というのを、奴は一度もやっていない。ただ自然体のまま、誰とでも接してしまう。

 だからこそ、謀略に簡単に付け込まれる。都の中でも最下の身分の生まれということに、三本指であり最強ではない武が足を引っ張り、よく上から目の敵にされていた。

 

 一兵卒という立場もあり、よく危険な任務をただ一人に押し付けられた。その悉く、いまだに失敗はなし。しかし、その功績は民に公表されることはなく、別の者の力として利用される。

 

 軍人の中でも、奴の実力を知っている者は一握りだ。私と、お姉様に、八意様……そして、軍の上層部は管理のために軒並み、といたっところか。月夜見様にさえ秘されているのは、奴の身分の向上を恐れてか。

 一般兵、隊長程度では知ることのできない情報だ。知っている者は、奴に助けられて九死に一生を得た者か、たまたまこうして戦場に立つ奴を見た者程度。

 

 そんな生き方をしてきた男だからこそ。

 奴の斬撃は、どこまでも真っ直ぐなのだ。

 

 

 

 撤退して都に戻ってみれば、異様な空気に満ちていた。

 絶望だとか、空気が暗いとか、そういった話ではない。

 

「――静かすぎる」

 

 非常事態とはいえども、各々が荷造りやら、呼びかけやらで慌ただしく動いているはずなのに。

 都からは、人の気配が消えていた。家屋の中を窓から覗いてみても、家具があるくらいで誰もいない。何より不思議なのが、もはや戻る場所でもないというのに――家の中が、いやにきれいだった。

 

 本来、月への移住の時期はまだ先だった。数万の魑魅魍魎がなだれ込んできたために、急遽として本日に移住計画が前倒しになったわけなのだが。

 

 それにしては、家の中に物が散乱している様子がない。普通、そのような緊急事態なら必要最低限のものを引っ張り出し、我先にと避難するものである。それこそ、家の中をひっくり返すように物が散らばっていてもおかしくない。

 だというのに、どの家の中も――まるで計画的といわんばかりに、もぬけの殻。大きな家具以外の物が無い。

 

「――嫌な予感がする。すぐに中央に向かいましょう!」

「は、はい!」

 

 防衛軍を引き連れて走る。走る合間に周囲を観察するが、やはり抜け殻のように静まり返っている。住民が、どこにもいない。

 

 ――空間跳躍の能力者? 消滅の能力? それとも住民ごと人だけを転移させた?

 

 可能性ならいくらでも浮かび上がる。奴は確かに、視認できる魍魎を一匹たりとも通さなかったが、そもそも奴の前を通るだけが抜け道と考えるのは、甘すぎた。

 都の中には防衛隊の主戦力の方々が居座っているといっても、唐突に現れれば対処は遅れる。民間人では、手も足も出ず、感知する間に何をされてもおかしくない。

 

 いや待て。ならばどうして、都の主戦力の方々さえ見当たらない?

 この異常事態、気づかない方がおかしいというもの。もしもこれが行方不明の類なら、とっくに隊が編成されて都中の警邏に勤しんでいる。それさえないということは、可能性は二つに一つ。

 

 全滅――それだけはあり得ない。

 あり得ないはずなのに、動悸が抑えられない。

 

 早く、早く、と足が進んでいくうちに――都の中央に繋がる扉を潜ると。

 

「あら。どうしたの、そんなに慌てて。貴方たちで最後よ」

 

 八意様が、月とを繋ぐ扉の前に立っていた。広場には既に主戦力の方々数人しか見当たらず、ほぼもぬけの殻、といって差し支えない。ここもまた、人が少ない。

 

 しかし、それよりも目立つ存在がひとつ、八意様の横に鎮座している。

 とにかく大きな、金属の塊。その大きさは都の中で一番高い建物に迫る、まさしく天を衝くという表現が適切な、ナニカ。

 

「八意、様? あの、その横の金属は……?」

「貴方には関係のないことよ。さ、早く扉を潜ってちょうだい。彼が抑えてくれているうちに」

「――魍魎共はその数を減らし、もはや千と少しばかりの数になりました。あと少しでもあれば、奴が全滅させるかと」

「……そう、朗報ね。準備をした甲斐があったわ」

 

 貴方たちも扉を潜りなさい、と八意様が兵士たちに促した。彼らはお互いに顔を見合わせた後、とりあえず、とばかりに扉を潜っていった。

 

「貴方も早く。減ったといえども、千。十分な脅威です」

「――! 魍魎共の千程度、ここに居られる方々ならば殲滅も容易でしょう!?」

 

 広場に居たのは、都の中でも十本の指に入る実力者5名。これに奴が加われば、数分と待たず魍魎共を全滅させることができるだろう。

 なのに、八意様は首を横に振った。

 

「その中に、強大な存在がいないとも限りません。そしてこれを逃せば、もはや安全に移住できる機会は二度とないでしょう。事態は、一刻を争います」

「しかし――!」

「彼なら、独力で月にたどり着くのも容易でしょう。彼は斬る者。地上と月の距離程度、あってないようなもの」

「……奴は、そんなことまで?」

「えぇ。間違いなくできます」

 

 奴が死ぬ――それはないだろう。

 数万の魑魅魍魎共を斬り捨てて、残りはわずか千。そこまで減れば、もはや奴の敵にはなりえない。あの瞬間まで一歩も動かなかったのだ。余裕もあるだろう。

 

 ならば、私は奴を信じよう。

 この穢れた地上に取り残されるわけではない。自力で来ることができる。それを知っただけで、私の心は羽のように軽くなった。

 

 しかし、どうしてか。

 私の心に反比例するように、場の空気が重くなったように思えた。

 

 重くしているのは、八意様ではなく、控えている実力者たちか――しかし、視線を向けると夢幻のようにその重さも霧散した。

 

「さぁ、早く」

「……八意様は、一緒に行かれないのですか?」

「私にはまだやるべきことがあります。最後の仕上げ……とはいっても、数秒あれば扉を潜ります。心配は御無用です」

 

 疑念は、まだ少しだけ私の中に残っている。

 しかし、他ならぬ八意様のお言葉だと。自分自身を誤魔化すように納得させて、私は歩みを進め――扉を潜り抜けた。

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

「行きましたね。それでは、私たちも行きましょう」

 

 依姫、あの子の説得は予定通りスムーズに済んだ。

 彼女の姉、豊姫。あの子は特に頭が回るから時間が掛ったけれど、二人同時に説得しなければいけない事態を避けられたのであれば、それでいい。

 

「それでは、爆弾の起動を」

「……そうね。念には念を。起爆まで五分にしましょう」

 

 短慮だこと。

 彼の能力は単純明快。『斬る程度の能力』と。だからこそ強い。戦闘となれば、万全の私には勝てないまでも……私の次に強いのは疑いようもない。

 

 この星を破壊し得る爆弾で抹殺する?

 これを提案されたときには、思わず「そんなものでいいの?」なんて聞いちゃって、相手の方が面食らっていたわね。

 

 彼は私が教えを授ける前から、あらゆる物を斬れた。物体であればこの世に斬れないものはない。空を斬り捨て、空に宇宙を移すことなど容易いこと。周囲の雨粒を一滴残さず斬り捨てる精密さもある。光を斬り捨て闇を生み出すこともできて、夜空を斬り捨てれば朝がやってくる。

 

 驚くべきことに、遥か数百光年も先の星を斬り捨ててみせたこともある。都の技術でしっかりと観測して、確かに真っ二つになっていたので間違いない。これは、私しか知らないけれど。彼がもしその気ならば、この地上から月を斬り捨てることなんて造作もないこと。

 

 目に映る物ならば何であろうと斬り捨てることができた彼に、私は少しだけ教えを授けて、目に見えないものを斬る方法を教えた。

 例えば、『時を斬り捨てる』ことによって、時間跳躍の真似事もできる。目に見えない空気を斬り捨て、真空にすることだって出来る。理論上、様々な概念を斬り捨てて、ブラックホールを生み出すこともできるのだけれど……これはちょっと、彼の頭では難しすぎたみたいね。

 

 知識の面で少しだけサポートすれば、斬れるものの数は更に多くなった。

 今では単一の概念さえ斬り捨て超常の奇跡さえ生み出せる彼に、星を破壊する爆弾で挑む、なんて。

 

 この程度で死ぬようであれば、彼はそれまでの存在だった、ということ。

 あの子の婿になりたいのなら、この程度の課題は超えてもらいたいものね。

 

 ――爆弾の設定は完了。

 もう長居は無用。あとは扉を潜って、繋いだ空間を閉じれば、それで終わり。

 

 地球が無事かどうか。すべて、貴方の手に掛かっているけれど。

 

「――ふふ」

 

 あぁ、本当に楽しみね。

 上の悪意が、いとも容易くひっくり返されたときに、彼らの浮かべる表情が。

 いつ復讐に来るのか、なんて怯える日々でも過ごすのかしら。それとも、地上に使者でも送って暗殺を試みるのか――

 

 まぁ、すぐにこちらに来ることでしょう。

 彼の能力なら、月に来ることくらい容易いのだから。

 

 待っているわ。そして戻ってきたときには、歓迎しましょう。

 

「さようなら」

 

 自分でも驚くほど冷たい声が出てきたけれど、演技としては上々ね。

 

 また会いましょう、一兵卒。

 次会うときは、呼び方でも変えてあげましょう。

 

 お互い、やるべきことをやりましょう。

 

 

 

 ――この時の私は思ってもみなかった。

 まさかこの後、私が月の都から姿を消すまで、ただの一度も月に訪れないだなんて。

 

 彼は、必ず生きているはずなのに。

 地上の、いったいどこに居るというのか。

 

 どうして、月に一度も訪れなかったのか。

 私には何も――わからなかった。

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

 背筋が凍ったかのような怖気が己に奔る。

 咄嗟のことだ。何かあったのか、と都の方を向いてみれば――音を置き去りに、まず溢れんばかりの光に目を焼かれた。

 

 激痛――なんてものが奔る前に、己は剣を振り終わっていた。

 斬るは、時空の狭間。もう一人の己がいる世界との境界をなくし、一つの結果をこの場に統合する禁忌の一太刀。

 

 その別世界の己も、また剣を振るう。また別世界の己に繋ぐための一閃。

 その間、一番最初に斬った己が手持無沙汰に。光を消すため、最初の己は一閃を振るう。

 

 それが、鼠算式に増えていく。斬って繋げた世界の己がまた世界との境界を斬り、同じ世界として繋げ、それまでの自分が同じ時間に光を消すため剣を振るう。

 見境のない、結果の暴力。八意殿の申すに、これは無数にある並行世界との境界を取り払い、結果を収束させるための一閃であるらしい。並行世界との隔たりを斬り捨て続ける限り、同時間上に「何発であろうと」斬撃を行うことができる、と。

 

 細かいことはよくは知らぬ。しかし、この一閃は、無数の斬撃を繰り出す技術だとわかる。

 

 ――なれば、斬る。

 

 斬り捨て、斬り捨て続けるうちに光に穴が開く。しかし、遠すぎて内情までは見えず。それがわかってからは、一閃を繰り出すたびに一歩を踏み込んだ。

 

 後の、後の己が都にコマ送りのように近づく。

 都に着くころには、ほとんどの光を斬り終えていた。

 

 都の居住区、異常なし。

 家々、窓やら屋根の損傷、なし。

 人々の姿、どこにも見当たらず。

 

 ――中央、砂塵が渦巻く。金属の破片が散らばる刹那。

 なるほど、爆弾か。

 

 なれば、斬る。

 砂塵を、金属の破片を。光を一片たりとも残さず、跡形もなく斬り捨てる。

 

 ここに至るまで、すでに何万何十万と剣を振るったかは、数えている筈もない。

 ただ、斬る。

 

 後のことなど、知るものか。

 これは、己の至った剣の極致。すべてを守るために、一度だけどんな無理でも押し通す、秘中の秘。

 

 さぁ、斬り終えたぞ。

 我が秘奥の結果、とくと御覧あれ。

 

 

 

 

 

 

「――無間剣戟結界――」

 

 

 

 

 

 

 あぁ、馬鹿なことをしたものだと、己の死に化粧を見ながら思う。

 都は確かに、あの爆発から守り切ってみせた。民無き後の、もう誰も戻る筈のない、無人の都を。

 

 爆発の熱線も光も、すべてが晴れた。斬り続けた結果、光は闇へと反転し、刹那の間だけ都を闇が覆った。

 爆風は広がっていなかった。真空になった場所もごく一部。空気がうねりを上げたが、それも一瞬のこと。

 

 ――すべての結果を収束させる。

 それは己が、剣を振るった時の「負担」さえも、その一瞬に収束させる。

 物理法則ではない。振るったという事象の「負担」が、この一瞬に凝縮される。

 

 剣を何度振るったか。

 足を何度踏み込んだか。

 

 結果は自明の理。

 己の利き腕は二の腕から先が跡形もなく崩れ、肉片と骨片、血しぶきが周囲を醜く彩る。その衝撃とくれば、星の重さで四方八方から引っ張られたような、凄まじい負荷であった。

 己の踏み込んだ右足は、半ばから真っ二つにへし折れた。まだマシな部類で、辛うじて繋がっている。

 

 視界が明滅し霞むが、おおよそ合っているだろう。

 どうやら、己は己が思っていた以上に、頑丈だったようだ。

 

 剣は負荷に耐えかねて、砂鉄よりもさらに細かくなって霧散していた。

 それでも、満身創痍に変わりはない。

 衣服をちぎり、なくなった右腕の先をきつく縛り付ける。左手と口だけで結んだために少々不格好ではあるが。止血には問題ない。時間が解決するだろう。

 

 右足は真っ二つ、鯖折りにはなっているが、きれいに折れたために骨は飛び出ていない。出血はなく、処置は棒を宛がう程度で事足りる。

 

 右腕の患部は、焼けた鉄を当てられているように熱く、痛い。だが、耐えられぬほどではない。視界は相変わらず霞むが、突然右腕を失ったのだ。出血多量、というやつか。

 歯を食いしばり、目をつむる。痛みを訴える意識を切り捨てて、息を細く吸い、ゆっくりと吐き出す。精神統一の一環であり、思考が少しずつ激痛の霧から晴れていくように感じた。

 

 ゆっくりと、瞼を開く。

 今頃は移住は終わり、これから衣食住の準備をしているのだろうか。それとも、民への説明を月夜見殿がなさっておられるか。

 

 その場に座り込み、郷愁にふけるように空を見上げてみれば。

 光の輪を滲ませる、淡く白い光ばかりが、目に映る。

 

「――む」

 

 目を凝らす。瞬きをする。もう一度精神を統一し、また見上げる。

 何度見ようと、己の瞳は月の実体を捉えず。

 

 その威光を示す光ばかりが、薄い絹のように広がっているのだ。

 

「……光に、目を焼かれたか」

 

 即ち、視力の低下。

 はるか遠くの山を明確に捉えた瞳は、己の体さえも霞んで映すほどの、粗悪なものになり果てた。

 

「これでは……距離を、斬れぬ」

 

 物との距離を斬るには、到達点の姿を明確に捉える必要がある。

 本体を斬るにも、こうも滲んでは、光だけを斬るのが精いっぱいとなろう。

 

 あぁ、なんという弱点か。

 己は斬るときに、視覚に頼り過ぎていた。

 

 視覚が著しく機能を低下させれば、もう木偶と変わらぬとは。

 あぁ、これでは。あの力なき時分と、何も変わらぬではないか。

 

 このような姿を、あの方に見せるわけにもいかぬ。

 脆弱で、頭も弱い者が、あの方の隣に立てるわけもない。

 

「もぬけの殻を守り、一から出直す愚か者……呵々ッ。何と、何と……」

 

 己の不甲斐なさが、大嫌いなのだ。

 雫をこぼす暇があるというのか。

 

 立て。立ち上がるのだ。

 己はまたも、弱者となり果てた。

 

 多くを失った。

 それでも、追い付くのだ。進むのだ。顔を下に向けている場合かッ!

 

 己の想いを証明するのは、今、この時以外にあるものかッ!

 まずは守れ、守るのだ。

 

 都の民が、はるか遠き故郷に訪れる。そんな機会を、守り通すのだ。

 もぬけの殻の都。されど、誰も戻らぬと誰が決めた。

 

 墓を参る者がいるやもしれぬ。

 忘れ物を取りに来るやもしれぬ。

 この大地で眠ることを、選ぶ者がいるやもしれぬ。

 

「……そうさ、な」

 

 のらり、と力なく己の足を引きずりながら立ち上がる。実際に引きずりながら、己は入口に向けて、亀のような行進を。

 まだ、表には魑魅魍魎共がいるのだ。

 

 それを殲滅するまで――

 

「――止まれると思うなよ、己……!」

 

 左手を握り締め、一本一本の指を突き立て、具合を確かめる。

 問題は、ない。

 

 

 

 なれば、斬る。

 刃がなければ斬れぬなど、二流の妄言。

 

 己は二流で止まることなどできず。

 一流でも、満足はない。

 

 この身、一度は極致に到達した。

 ならば次は――その極致を超え、究極へと至ろう。

 

 さすれば、あの月との距離も、縮まるであろう。

 

 

 

 

 さぁ、来い、千の魍魎共。

 己は決して折れぬ。

 

「折れるものなら、折るがいいッ!」

 

 喉が裂けんばかりに声を張り上げ、己は闇に左の腕を振るう。

 都を守るため。

 

「――なれば、斬る!」

 

 己の新たな戦いが、始まった。

 

 




甘々というよりも、依姫らしくかたっ苦しい生真面目なラブストーリー
そんなものを描ければ幸いです。
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