依るべを想い、月を見上げた 作:イカの切り身
遥か昔の世界のTI☆MI☆MO☆RYO☆というルナティック難易度に加え、長所をもぎ取られて孤独の生活を強いられる男。
もはや不運だとかそういうレベルを超越して絶望してもおかしくない状況。
そんな彼に、幸か不幸か出会いが訪れる。
あの死闘から、1年が経った。
己の生活は、守り抜いた都を中心に築いてきた。
数万の魍魎を駆逐したというのに、未だにこの地は彼奴らに狙われる。週に一度は、十や二十といった群が。月が満ちた時は、数百の魍魎が足並み揃えて向かってくる。
しかし、何とするべきか。
生存競争のつもりか。あるいは己から怖れを忘れさせぬためか。奴らの勢いは、死に物狂い、という言葉が似合う迫力を持っている。
逃げる者など居らなんだ。死するまで、それこそ首が飛ばされようとも、その魂魄が天に地獄に召すまで、諦めぬ。動き続ける。
己が一番死を感じたのは、数十匹の魍魎が死を覚悟で己の腕に、足に組みつき、あとの数匹が首を、心臓を、頭を狙ってきた時か。死兵の底力は凄まじく、その箇所が石にでもなったかのように錯覚さえした。
その時は、咄嗟に腰を捻り抜刀の動きを行うこと、動作をもって敵を「斬る」ことにより事なきを得た。なるほど、己の五体どころか、このような局所的な部位でさえ「斬る」を起こすに値するらしいと、初めて気づく。
改めて思い知る。彼奴らは、怖れを抱くに値する、まさしく化け物であるのだと。数万など居らずとも、己を殺す化け物足り得るのだと。
怖れながら、斬る。己にできることは、それだけだった。間違っても、和を結ぶなど出来るはずもない。己と彼奴らは不倶戴天の関係。罷り間違っても、そこに友好など生まれるはずもなし。
なれば、斬る。
刃を持たずとも、四肢にあらずとも、己の身体はどこからでも「斬る」を起こす。瞳が霞めども斬る要領……未だ三流にも至らぬ身の上なれど、前に進めることに違いなし。
「――!」
都が月に照らされると、魍魎共が叫び出す。
都を守るため、己もまた外へ駆けるのだ。
己が愚にもつかぬ未熟者になって、5年が経つ。
魍魎共は最初に比べ、侵略の頻度を落とした。週に1度を、満月の夜の度、という具合に。
無人の都にとって不幸なことは、魍魎共の質が上がっていること。下手を打てば突破され、都の一部を破壊される。
己にとって幸運なことは、「斬る」を実践する相手として手頃が良い、といったところか。
未熟な斬り方では、魍魎共を切断するに至らず。己に今できる完璧を行えども、即死に至らず。これがもう、1年近く続いている。
時を経るごとに、都の建物への損害も増えてくる。全体の一割にも満たぬ破壊の跡は、己の未熟をよく浮き彫りにしていた。穴の開いた家屋の壁、倒壊した建物、陥没した大地……どれもが。
己は、都の警邏を欠かすことなく続けている。その度に目に映る破壊の跡を見て、戒める。止まっている余裕はない、と。
魍魎共がやってくる時だけでは足りぬ。鍛錬は、時間を問わず、使える限りを尽くして挑んだ。しかし、たかが5年。今までの積み重ねがあるといえども、剣も、良好な視界も、利き腕も無いのだ。小さく改善を繰り返すが、大きな変化は訪れなかった。
「足りぬ……」
なまくらも同然であった。腰を捻ることで生じる「斬る」も、手刀から繰り出される「斬る」も、空間を斬るに至らず。刃で「斬る」とは、まるで勝手が違うのだ。
何が違うのか。試行錯誤していくうちに、わかることもあった。今の己は「線」ではなく、太い鈍器で殴るかのように一撃を鈍らせている。剣の鍔でも振るっているかのように。
「重心……癖が、抜けぬ」
それは即ち、重心の掛け方への誤り。己は今まで、剣をもって「斬る」を行ってきた。しかし、剣は長物であり、己の手よりもはるか遠くに刃を走らせる。「斬る」の起点が、大きく違う。ざっと、腕一本分の違いである。
このような事実に気付くのさえ、年単位の時間を要した。何と、未熟なことか。
霞む視界は、ただ歩くだけであれば問題もない。しかし、この不明瞭な視界は己から精密さを奪い去る。寸分違わず斬ることが出来ぬ。直そうにも、視界のブレを修正する術は未だに思い当たらず、進捗はない。
視界が霧がかる、とはこのようなことをいうのだろうか。己にしてみれば、画材をぶちまけ滲んだ世界、といった調子だが。以前の己は、霧といえども、宙に浮かぶ白さの一粒さえ明瞭に見えたのだから。
ほとほと弱った。視界に頼り過ぎていた己への罰か、報いか。
「都の医療であれば……視界も、腕も、治るのだが」
ふと己からこぼれ出た言葉。それを理解した途端、カっと頭に血が上り、腰を捻りながら空に腕を振るった。
しかし、結果は身体にまとわりつく風を斬るだけにとどまり、空が斬れることも、雲が斬れることもない。窮屈な厚い雲が、今も空に座している。
「甘言を! 何と、何と未熟なことか!」
呆れ果てるとはこのことか。自業自得の報いに対して、無い物ねだりとは、いったいどれだけ心が腐敗していたのか。ともすれば、腐り落ちる寸前なのかもしれぬ。
都の医療器具は、その全てを月に持ち込まれている。向こうで採れるかもわからぬ金属、地上の資源を使った英知の数々である。もはや戻らぬこの場所に、残すなどあり得ぬことだ。警邏で隅々まで……個人の宅にずけずけと入り込むなどはしておらぬが、公共の施設は今も何があるか思い出せるほど見回った。霞む視界の中で、見えるまで目を皿にして。
文明の利器と呼べるものなど、この都には残っておらぬ。
形骸と化した都を守る己は……さしずめ、過去の亡霊とでもいうべきか。
そうだとしても。
ここは己の故郷であり、月に発った同胞の故郷でもある。
そして、己は一兵卒。民草を危険から守り抜き、財を守り、悪を罰する者。
たとえ、形骸と化していようとも。
「己は一兵卒である。民草の財を守り、住処を守るための、兵士なのだ」
だから待て。
己よ、待つのだ。守るのだ。守るために、研鑽を積み、力をつけよ。
いつしか慰安の旅に来るかもしれぬ。この地で亡くなった者の墓参りもあるやもしれぬ。その目印となる此処を、守るのだ。
己が命じられたのは、魑魅魍魎から都を守ること。
この任を、果たせないというのであれば。
――己はもはや、一兵卒とすら呼べぬ誰かに、なる。
空を見上げると、変わらず厚い雲がこの地上を隠していた。
「今日はもはや、月も見えぬ」
暗闇の中で頼りになるのは、己の視界ではなく、己の肌身が覚える経験である。
「……いや、もとより。月の実体を捉えられぬ己よな」
己の手に雫が跳ねる。
滲む視界で空を見上げれば、やはり、よくは見えない。灰色の絵の具が、無秩序に広がっているようにしか見えぬ。
「雨、か」
都の水道は未だに生きている。飲み水の確保には、それほど困るわけでもないが。
己を洗濯するには、天よりのこの恵みが妙に生暖かく、肌身に心地よい。
佇んで、しばらく待つ。しかし、雨は勢いを増すなどということはなく、気まぐれのように己手に数滴を落とすだけだった。それ以降は、雫ひとつ落ちることなし。
「空を斬るには、幾年だったか」
機嫌の悪い空を思えば、己の視界のごとく霞んだ記憶が想起される。
剣が届かぬ故に、雲に隠れた故に。陽を照らして有利に動く故に。最初に空を斬った記憶がどれなのか、もはやわからぬ。故に、斬るための心得も何もない。
必要としていた故に、斬る。
はるか昔に罷り通った手法が、今では錆び付き、都はこの体たらく。
「……己、は」
口ずさみ、きつく閉じる。己の太ももを二度叩き、都の警邏のため足を運ぶ。
己を、戒めるために。
とある満月の夜のことであった。
己の未熟故に魍魎共が数匹、またも都に侵入を果たした。
「不味い……!」
口ではいくらでもそう言えた。
しかし、己は目の前にした数十匹の魍魎共を前に、即座に都へ向かうことはなかった。
いち早く目の前の敵を殲滅し、都に入り込んだ魍魎を討滅せねば――と。
あぁ、気が緩んでいたのは間違いないとも。
己は、都が無人であることをいいことに、責任を勝手に棚上げにして、私闘にふけていたのだ。
だから。
『きゃぁぁぁああああ!?』
「――何ッ!?」
都の方から女子の悲鳴が聞こえた途端、己は反射的に戦線を離脱し、光の灯らぬ都の中に駆け出した。
第一の優先は、人命。これを履き違えることだけはなかった。
都など、壊れるとあれば直せばよいのだ。
しかし、命は失えば二度と取り戻せぬ。
重石が、己の両肩にのしかかる。手はいつの間にか拳に変わり、久しく出したことのない全力の疾走を、風を斬りながら行っていた。
動揺していた。
当然だ。もう、都は抜け殻であると思っていた。誰もおらず、守るべき民はどこにもなく、ただ己と使命だけが残されたばかりだと。
――嗚呼、夜闇の世界が鬱陶しい。
己が腕を、刃に見立てて振るう。走りながら、己は己にできることに努めて走り続けた。
「だ、誰か~!」
声が近づいた。もうすぐ目の前にまで迫っているというのに、闇は命を隠して邪魔にすぎる。
「――なれば、斬るッ!」
闇の帳に包まれた都に、一筋の光が奔った。
魍魎共からしてみれば唐突に闇が消え、要救助者からしてみれば……光明でも、差したように見えたのだろうか。
己の視界が、三歩もない目の前にいる少女の顔を捉えた。
泣きじゃくっていた。生まれたての赤子のようにくしゃくしゃの顔で、目元も頬も雨に打たれたように濡らし、鼻から下はいっそ芸術的なまでに、涙と鼻水と泥でぐちゃぐちゃであった。
その様を見て、守らねばならぬ、と己の内に燻っていた種火が、体を内側から爆発させるような大火となって全身に駆け巡る。
刹那の瞬間――少女と目が合った。
驚いた様子の彼女は、次の瞬間にはぐちゃぐちゃな顔ながら、寝入る子のように無邪気に綻んだ。
「――ッ!」
もはや、己が何かを起こすには、その無責任な信頼だけで十分すぎた。
状況は簡単だ。瓦礫の下敷きになっている少女。自力での脱出は不可。出血の有無は不明。瓦礫の上には、少女を食らおうとする魍魎共が3匹。
なるほど、瓦礫の上で下手に踏み込もうものなら、少女にこれ以上の負担を強いる。
なれば、遠くより己が斬るか――いや、今の己は未熟の身。三流にもつかぬ愚物である。相手の姿かたちすら霞むこの距離で、確実に斬れるとは断言できぬ。
思い出せ。
己が剣を握った日のことを。
己が最初に、斬った日のことを――!
己は初めから遠くより敵を斬れたのか? そんなわけがないだろう!
ふりだしよりも最悪な状況に置かれた身の上。そんな己が、段飛ばしに見えぬ敵を斬る?
(――寝言は寝て言え愚か者ッ!)
己が剣を握り、敵を初めて斬ったあの日。
あの時、己は刃を敵に直に当てることで叩き斬ったッ!
斬撃など飛ばせぬ。空間など斬れぬ。雨粒さえも当たるだけ。
その己が初めて斬るには、数打ちの剣を敵の喉元に振るい、その刃を当てることが必要であった!
――なれば!
「斬るッ!」
踏み込みは大地にいる間に終わらせる。
流水のごとく波打ち、腰をうねらせながら一匹目にとびかかる。放心した敵の動体に手刀を当て、宙に居るまま腰を捻ることによって胴体より真っ二つに叩き斬る。
豆腐に刃を入れているかのような、呆気のない斬り応えであった。
己は減速を知らず、瓦礫に足をつくと滑るように移動して、すれ違いざまに手刀をもって叩き斬る。
三匹目はようやく我に返り、威嚇のためか大口を開けているが、もはや手遅れ。
己の手刀は寸分違わず首に当たり、そして刎ねた。
大地に着地するが、休む暇などない。障害を排除した瞬間、己は振り向き少女に駆け寄り傍に膝をつく。
「無事か? 意識はあるか? 痛むところはあるか?」
「足捻って、重くて動けなくて。もう無理、ダメ、不幸で死んじゃうよ」
「ッ、すぐ終わらせる!」
無気力な声に、下を向くような言葉。
予断を許さぬ状況であった。
己はすぐさま立ち上がり踏み込みと、手刀を瓦礫に叩き込み――
(切断……否! それでは不十分。この瓦礫、微塵にせねばならぬ!)
続けざまに、二の刃、三の刃と、己の限界速度を超えて抜刀を繰り返す。瓦礫を両断、また両断、八等分、十六、三十二、六十四――微塵になるまで、手刀を振るう。
「でりゃぁぁぁあああ!」
そして最後に、風を斬る。
微塵となった瓦礫は、真空になった個所を埋めるための空気に巻き取られ、宙に舞う。
少女の上に、もはや瓦礫は存在しない。あるのは、砂利と化した粉だけだ。
周囲に舞う砂利のせいで煙たいが、今は言っておられぬ。
すぐに少女の様態を確認。
出血はない。足首が青黒くはれ上がっているのは、骨折か。あるいは捻挫か。どちらにしても、歩くのは難しい状況だろう。
彼女が着る少し大きい服は、瓦礫の下敷きになったせいか薄汚れてボロのようになっていた。よく見ると、縫い合わ補修したような跡も見えるが、今は些細な事。
「わっ……けほっ、けほ! ……えっと、お前は人間なの?」
「応とも。この都の守備を任されている、一兵卒だ」
「……お前も相当不運ね」
「何、不運? 己には、運など無縁のものと思っていた」
「少なくとも私と出会った時点で不幸だね」
「出会いは縁。そこに幸運も不運もあるものか。……さて、あまり動かぬように」
魑魅魍魎の行進が、大地の震えと共に近づいてくる。
今のは、ほんの前哨戦に過ぎぬ。
外に置いてきた、魍魎共が居るのだ。
「私は戦う力ないから。期待しないでね」
「元より、民草に戦わせるつもりなどない」
「不運だね」
「応。今宵、ここに来た魍魎共は、まこと不運である」
己は今、ようやく抜身の刃に至ったのだ。
小刀とも、ナイフとも呼べぬ小さき己に、ようやく武器足り得る芯が通った。
「己は一兵卒。民草の財を、命を、生活を守る者」
地に足がついたように、体に心地の良い重みがのしかかる。
「この状況。守るために、魍魎共を殲滅することが条件。なれば――」
やることはただ一つ。
守るべき民を背に、左の手刀を携え、己の体は弾かれるように疾駆する。
「――斬るッ!」
永続デバフに「右腕欠損」「視力極低下」「不随して能力弱体化」とかいう顔真っ青な状況。
しかも大昔ということもあり、魑魅魍魎共の強さは一匹一匹が頭おかしいレベル。
しかし、これはほんの始まりに過ぎない。
――「不幸は一人ではやってこない、群れをなしてやって来る。」――
感想をいただけたらモチベーションアップと共にもれなく作者が舞い上がります。よしなに。