「ねぇ、デルミン――」
大掃除を手伝いに来ました!と連絡もなしに師走の空を駆け抜けてきた狼娘族の少女が言う。
「これ、何?」
水回りの掃除をしていたデルミンは振り向く。そしてそれに気付くや否や跳ねるように飛び出して、ルフユの紫髪を覆い隠しているヘルメットのようなそれを奪い取った。
「
チカチカと点滅するバイザーに反転して表示されたそれを見て、一先ず安堵する。最悪の事態だけは避けられた。
相変わらずルフユは何も考えてはいないようだったが、デルミンの様子がおかしいことに徐々に気づき始める。
「これ何? 実はバイクとか乗るのかな~って思ったけどちょっと違うみたいだし。光るし」
「ルフユさんは気にしなくていいやつです。隣の垣根です」
「ふーん………じゃ、元のところに戻してくるね」
「はい。そうしておいてください」
ルフユは明らかに不服そうだ。けれどこれ以上の追及はしないことに決めたようで、元の場所に戻って行った。
「このまま忘れてくれればありがたいのですけど……」
デルミンの独り言は、不安の色に染まっていた。
『Project #compass』
ヘッドギアに刻まれていた文字をなぞるようにキーボードの上をルフユの手が跳ねる。
家に帰るまでの間、ルフユの胸中は嫌な予感でいっぱいだった。あれがただのヘルメットではないのはわかっていたし、ヘッドフォンだったりしたのならデルミンもあんなに驚いた顔はしないだろう。
もしや――この惑星を守るためのロボットに乗る使命があったのだろうか。そんな予感が見当違いだとわかるまでに大して時間は要らなかった。
「ゲーム……?」
切り抜き動画ではキャラクターが何やら争っている。そしてその中にデルミンの姿がそのままあったのだ。
そこから導き出される答えは、一つ。
「デルミン、結構ゲームとかするんだねー。こっそり私も強くなって遊びにいっちゃおうかな!?」
どこからプレイするのかなー、そう思いながら画面を下へ下へ。しばらく経ったあと明らかにおかしなことに気が付いた。
公式サイトはおろか配信サイトなども見つからない。切り抜きも何故かプレイヤー視点のものはなかった。それに、関連した呟きに散見される"運営"はどうやらかなり得体の知れない存在らしい。
あれだけデルミンが慌てていたのは、これのことを知られたくなかったからだろう。
「よくわかんないけど――止めなきゃ、だよね」
あの時の気迫を思い出すと、忘れてしまったほうがいいのかもしれないとも思う。
けれど、だからこそ。デルミンはきっと心配してくれたのだから。
どうやってでもデルミンを守らなきゃ。
真っ暗な部屋でスマホだけが光る。布団の中で安物の内臓スピーカーがシャンシャンと鳴っていた。
こんなにも眠れなかったのはフェスの前日以来だろうか。比べて気分は対照的だった。
迷惑をかけたくなかったから、バンドを始める時に辞めたはずだった。
そう思いながらも画面を下に引っ張って、"シーズン"の結果を確認している所が大嫌いだった。
『勝テバ相応ノ"対価"ヲオ支払イ致シマショウ』そう持ち掛けられて、逃げるように身を投じたことがどうしても許せなかった。
ギラギラとした目、硝煙の匂い、あの場所にあるすべては本物だった。そう、受けた痛みさえも。
味方、相手、すべてが意思を持っていた。勝利の為に全身全霊を賭して己が術と知恵を振り絞っていた。
痛みを知っていて、それでもすべてを斃し続けた。何度も息絶え、何度も立ち上がった。
そうしていつか頂点に手が届き、「友達が欲しい」そう願っていた。
血に塗れた手で握手など許されるわけないだろうに。そんな事実から目を逸らし続けていた。
「けど――きっと。デルミンはああしていなかったら、ルフユさんと出会っていませんでした」
その事実だけが、絶望に等しい暖かな赦しとして胸中に屹立していた。
あぁ――私は。
どうしようもなく、寂しがりなのだろう。
ルフユは家を抜け出し、夜の街を駆け出した。
デルミンに連絡はしなかった。したら逃げられてしまう、そんな気がしたから。
これに首を突っ込むことは、デルミンに求められていることではない。そんなことはルフユにだってわかっていた。助けたいから、動機はそれで十分だ。
埃を被っていたあのヘッドギアはおそらく長らく使われていなかったのだろう。忘れたい過去だったのならば、それなりに責任を取らなくちゃならない。
毒食わば皿までということだ。ルフユはそう自分を奮い立たせる。
「そうでなくちゃ、私が寂しいんだから」
それが言えなかったあの時よりもずっと強くなれた。暗がりだって、へっちゃらのちゃらだ。
満月が、雲一つない空に浮かんでいる。
目の前に、私が立っていた。
桜が舞う散歩道。ここに来るのは必然的に戦いの時であるという事以外は、この場所が好きだった。
目の前の私と目が合った。
紅葉色の目が殺意に燃える。あの時の私だ、脳がそう認識したころには遅かった。
目の前の私の姿が揺れた。
疾い。防御行動を取るよりも先に、紫電を纏った拳が放たれた。
私の体が宙を舞った。
痛い。それは当然のことであったが、もちろん手加減など介在しなかった。
再度、目の前の私の姿が揺れた。
追撃が来ることは知っていた。けれど足がすくんで動かなかった。勝利を確信した目の前の私は、嗤っていた。
これではまるで、あの島から逃げだす前みたいではないか。
一瞬先に訪れるであろう痛みに備えてぎゅっと目を瞑る私は、きっとあの時よりも弱い。
聴覚の優れた彼女ならば、インターホンはおろか足音にすら気が付いてくれるはずだった。
けれど今日は返事がない。散歩にでも行ってしまったのだろうかと思ったが、直感はノーと言っていた。
ルフユはほんの少しだけ罪悪感を感じながら、昔に渡されたもののあまり使うことのなかった合鍵を取り出した。
部屋に敷かれた布団。そこに横たわるデルミン。その吐息は苦しそうだった。
「デルミンっ、うなされてるの!?」
肩を揺さぶって起こそうとして、触れる直前で手が止まる。
カーテンの隙間から漏れた月明りが、デルミンの頬を伝うそれを輝かせる。ゆっくりと流れていく雫が、ルフユの頭を冷やす。
「辛い――辛かった、んだよね」
デルミンは私を求めていない。私はデルミンを助けたい。デルミンが決めなくちゃいけないことだってある。そのバランスは絶対に見誤ってはならないことだった。相反していたって調和は出来るんだ。
指を絡ませ、ぎゅっと握る。デルミンが答えを見つけるまで、私はいつまでだって隣に居よう。
「……私は応援してるよ。デルミン」
目の前の私は私を蹂躙し続けた。
一切の抵抗を諦めた私を、いつまでも嬲った。
これが私だ。私の受けるべき罰だ。だから、甘んじていよう。
意識が落ちる、その直前に。
ふわり。
私のものとは違う紫が、ずっと暖かい紫が、私を包みこんだ。
どうして。それを問う必要なんてなかった。
私は拳をすんでのところで受け止める。なんてことはなかった。
続く攻撃もすべて見切れた。きっと私は、あの時よりもずっと弱くなっていたから。
ほら、すぐに焦りが見えてきた。私のことは私が一番掌握している。
角が紫に輝く。それすらも読み切っていた。懐に飛び込み、すんでのところで雷の嵐を避ける。
そして待っているのは最大の隙。ここがあの世界ならきっと応えてくれるはずだ。
「オニギリクママン!」
システム・コール。虚空から飛び出した相棒が、驚愕する私に痛烈な一撃を加える。
これで、終わりにしよう。
「アルティメット――いえ。ルナティック・デルミン・ビーム!」
鋭い、けれど優しい電撃は過去を葬り去る。訪れたのは焦げ臭さと、静寂だった。
「全く、困ったルフユさんです」
私は身体にかかった光片を振り払い、歩き出した。
ああ、こんなにも。
今宵の月は綺麗だ。
「―――はっ」
肩を揺さぶられて、ルフユは目を覚ました。デルミンのジト目がすぐ前にあった。
いつの間にか眠ってしまっていたみたいだ。どう弁解しようかと考えて、未だに手を繋いでいることに気が付いた。
「何をしてるんですか、ルフユさん」
「あ、あはは。ルナティックシェイクハンドかなぁ……」
「ルナティック不法侵入の間違いではないでしょうか」
「合鍵くれたじゃん……」
手を握っていた力を緩めたら、何故か握り直してきて。けれどデルミンがそれで良いのなら、きっと良いのだろう。
ルフユさんのせいでこんな真夜中に目が覚めてしまいました、デルミンにそう言われて時計を見る。まだ三時だった。
「ご、ごめんねっ」
「責任を取って散歩にでも付き合ってください。それと昔話も」
最後に付け足す声は震えていた。しっかりと聴いて、受け止めてあげるべきことなのだろう。
「うん。行こっか」
「満月ですけど外に出て大丈夫なんですか、設定に忠実でいたほうが良いのではないでしょうか」
「うっ……デルミンが居れば、大丈夫かな!」
「――ではここまでどうやって来たのでしょうか」
「走ってきたよ! あれ、そういう事じゃない?」
呆れ顔をするデルミン。でも嬉しそうなのはルフユの目にもばっちりとわかった。
「ま、いっか。出発進行~!」
きっとどんな問題があっても私はそう言うのだろう。そう思いながらルフユは手を引いた。