「忘れたつもりはありませんが」
「ははは、なんのことかなデルミンくん」
デルミンの自室。それぞれが定位置についてちゃぶ台を挟んでいる。かたや内職のコイル巻き、かたや蜜柑の皮むきにいそいそと取り組んでいた。
「言うまでもありませんがルフユさんがデルミンに黙って特訓をして、挙句の果てに寝不足でバンド活動がおろそかになっていたことです」
「ま、まぁいつまでもお荷物じゃいけないし……?」
「でもバンドが優先です。何のために今戦っているのかを思い出してみてください」
「うぅ……」
ルフユもこれがバンドを存続させるための戦いであるということはわかっていた。復旧の目途がつけばこの世界とはさよならで、デルミンはきっと本当に満足なのだろう。緻密な手捌きでくるくると線を巻き付け続けるデルミンには、誤魔化しを見逃す気は毛頭無いようだった。
「罰として次はお留守番です。あと夜に特訓するのも禁止です。ログインしてたらビーム撃ちます」
「そんなぁ!?」
「リズムが走りがちな癖が戻ってきていますし、細かなミスも増えています。まずはそれを直してからにしてください」
ルフユは賄賂と言わんばかりに白筋をすべて取って手のひらとあまり変わらない温度になってしまった蜜柑を差し出してみたが、それはそれでこれはこれというやつです、と取り付く島もないようだった。まあ、蜜柑は受け取ってもらえたのだが。
「むー。デルミンってばそんなに私が心配?」
「当然です。そもそもデルミンがルフユさんを巻き込んでしまったので、それでもし何かあったら困ります」
そんなことないとか気にしてないとか、言えることも聞きたいこともたくさんあったが、それらが全て意味を為さないこともわかっていた。こういう時のデルミンはパパよりも頑固なのだ。ルフユにとってもバンドをおろそかにするのは不本意であるので、ここらで一度バンドに専念しておくことにしよう。
「じゃあ、次のセッションの時にぐんと上手くなってるから、デルミンも頑張ってね!」
「目的と目標がずれている気がしなくもないですが、まあ良いでしょう。受けて立ちます」
次の出撃予定はたしか三日後のはずだ。二日で完成させて、最後の一日でおさらいしてついでに作曲も進める。完璧だ。そんな希望的観測に満ち溢れた予定を立てている最中、二人のスマホが同時に鳴り出した。
タイトルには『特別招集』の文字。Voidollからだった。
「――仕方ないですね、早速ですがこれは特別です」
キラキラと目を輝かせスマホの画面を見せるルフユに、デルミンは渋面を作りながらそう言った。このままだとバンドどころか、内職すらも滞ってしまいそうだ。
「皆様、急な集合にご協力頂きありがとうございます」
いつものトレーニングルームで、Voidollはぺこりと一礼。ルフユが急いで家に戻ってログインする頃には、リリカやルルカだけでなくマルコスも揃って、用意された椅子にそれぞれ腰かけていた。
まるで宴席みたいな一言だがあまりおめでたい雰囲気ではない。ルルカとも目を覚まして挨拶をしたり一応の仲直りはしたものの、やはり若干のぎこちなさというか、居心地の悪さのようなものは残っている。もっとも、マルコスによればルルカに関してはこれが普段の対応、らしいが。
「本日は計二回のバトルログを精査した結果と、新機能の実装についてお知らせいたします」
Voidollはどんどんぱふぱふ、と自分で効果音をいれてみせる。ルフユにコンパス初心者講座をした時もだが、こういう時のVoidollは楽しそうだ。この白く小さなロボットにそういった感情のようなものがあるのかは誰も知らないが、あると言っても疑う者はいないだろう。
「まずはバトルログについてです。規定外の挙動をするヒーロースキルですね。今後これらを『ヴィランズスキル』と呼ぶことに致します」
「オレがリリカちゃんとルルカちゃんを出したりしたやつね。了解」
「えっ、そんなことしてたの……? リリカに何かしてないでしょうね」
「わわっ、何にもしてないよ! それに影だから偽物だし。ほんとだってば!」
ステッキを取り出し臨戦態勢のルルカをこほん、と咳払いで制して続ける。もちろんここでの戦闘行動は不可能に設定されているが、いちいち揉めていては話が進まない。
「これは原理的には
「あの時を強くイメージするとかじゃ駄目かな?」
ちょっと試すわ、とマルコスは席を立ち――ヒーロースキルを発動させた。ルフユ以外はよく見慣れた、自己強化の効果を持つ普段通りのヒーロースキルだ。何度か試しても、そこに変わりはなかった。
「駄目かぁ。なんでだろうなぁ」
「お三方の通信ログを遡った結果、非ログイン時にも通信を行われていることが発覚しました。ログイン時に何らかの思考制御が行われ、その結果ヴィランズスキルの発動に至っている可能性が高いです。また、当然ですが自我の崩壊に繋がるため使えても乱用は禁物です」
「じゃあまだ向こうに残ってる人たちは危ないかもしれないってことね。オレは普段から一緒に戦ってたし」
「はい。また、個人データへのアクセスは遮断されているため、他の皆様の安否及びヴィランズスキルについては不明となっております」
状況が少しずつ良い方向に向かってきていると思った矢先に、新たな時限爆弾が増えてしまった。一進一退とはこのことだ。一番気にしてい無さそうなのがマルコス、一番不安そうなのがリリカ、といったところだろうか。もっとも、ルルカが隣に居続ける限り何か問題が起きるとも思えないが。
「と、いう事で摂理の解析報告は終了し、次に新機能となります」
Voidollが腕を振り上げると、地響きと共に何度か聞いた生成音が鳴り響き、マッチング生成システムの隣に機械が増える。よく似ているが、それらが持つ空間移動用のポータルだけが、違う色を示していた。
「フリーバトル機能を復旧いたしました。ちょうど我々も六人になったため、解放したいと思います。練習などにお使いください」
「これってオレが人数合わせで呼ばれるやつ?」
「一応人数調整にはわたくしが複数人入ることも可能ですが、アタッカー想定の場合はそうかもしれませんね」
「えぇ~……んじゃもうしばらく調整中ってことでヨロシク!」
練習を禁じられたルフユはもちろん、デルミンもしばらく使う予定はないし、本当にしばらく使われる機会はないだろう。そう思っていたが、意外にもリリカがおずおずと手を上げる。
「しばらく記憶がないから……もしよかったらだけど、お願いしちゃだめかな?」
「はいはーいじゃあオレはリリカちゃんとチームね!」
「じゃああたしもリリカと一緒で。せっかくだからリリカにどっちが良いか選んでもらいましょ」
物凄い手のひら返しをするマルコスにデルミンは肩を竦め、まぁいいでしょう、と首肯。勝負事を降りようとしないのは、デルミンのちょっとした癖のようなものだった。
「では、マッチングはランダムで決定いたしましょう。ロールが偏ってしまうとよくありませんので」
「あたしは構わないわ。確率なんて問題なくリリカとマッチング出来る自信があるもの」
「当選確率は4割かあ、ライブのチケットよりはマシ、ライブのチケットよりはマシ……」
「では、出発しましょう」
全員で一緒に、フリーバトルの開始ボタンを押し、ポータルへ飛び込む。視界が塗り替えられていく間、ルフユは今までの二戦にはないワクワクが体を包んでいるのを感じた。なにせ、勝っても負けても何もない、楽しむための『試合』はこれが初めてなのだから。
「感覚は思い出せた気がする! みんなありがとう!」
「いやー、負けた負けた! もうちょっとだったんだけどな~」
「惜敗でした。次は負けません。しゅび」
「ふふーん、リリカと一緒なら負けるわけがないのよ」
「皆様、非情に良い試合でした。次回までに行動予測システムを調整しておきましょう」
トレーニングルームに戻ってきて、やいのやいのと感想戦。始める前や、最中と比べてずっと明るくなった雰囲気に、ルフユは少し面食らった。勝利にひたすら貪欲で、ストイックにすら感じたあの集団が、ポータルをくぐればまるでセッションをした後のような高揚感に包まれているのだ。
「ルフユ……ちゃん、だっけ、どうだった?」
「えっと、リリカさんの支援があって戦いやすかったなーって。あ、あとずっと音楽が鳴っててびっくりした!」
「リリカでいいよ。ありがとう、ルフユちゃん」
自分よりも少し小さなこの少女の微笑みをまっすぐに向けられ、ルフユはむず痒いような嬉しいような、不思議な気持ちになる。
あの時の絶望を体現したような表情が忘れられないほど焼き付いているせいで、今の笑顔が眩しく感じる。きっと、こんな笑顔の子だからこその苦しみだったのだろう。
「そう言えばあまり気にしていませんでしたが、今までは二回ともずっと静かでした。Voidollさん、あれも不具合なんでしょうか」
「はい。フリーバトルでは今後も参加者の誰かの音楽が流れる予定です。今回はデルミンさんの『惑星のダンスフロア』を流させていただきました」
「あれ? でも歌ってたのはデルミンじゃなかったよね?」
「はい。キャラクター作成の際に自動で音声合成したものですので。ルフユさんのものもありますよ?」
Voidollの操作で部屋の四隅にスピーカーが生まれ、音楽が流れ始める。軽快な口調の裏の複雑なリズムを、これは叩くのが難しそうだ、なんて考えていた。
「ふふ、ルフユさんらしい曲です」
「そう? 聴いたことない感じでびっくりしちゃった、まあデルミンのもだけど。みんなのも聴いてみたいな!」
「では、今後はトレーニングルームにもBGMをかけておくことにします」
いつか、みんなの音楽を聴けたら。弾けたら。歌えたら。ルフユの胸に、また一つ新たな願いが生まれた。
「最近、迷子さんが増えてるみたいだねぇ」
ほわんとの何気ない食卓。窓辺から差す朝日は綺麗で、まだ白みがかっている青空の代償の寒さはお味噌汁を一層美味しくする。
「知らない人についてっちゃったりとかしないようにね。誘拐とかかもしれないから」
「大丈夫だよヒメコちゃん、そのくらいわかってるって」
「でもほわん、道に迷ってるんですーとか言ったらついてっちゃうでしょ?」
「それは、うぅ……」
ほわんは案の定、ぺたりと耳を伏せてうなだれる。ほわんは少し優しすぎるきらいがあった。それがほわんの良い所だとも思っているけど、それでも心配なものは心配だ。
「都会ってそうやって油断してるとすぐ騙されるんだからね、特に暗がりは注意すること」
これを機にしっかり教えておくべきだろう。誘拐だったら道案内と、病院と、あと怪しげな事務所からのスカウトと――
「あ、そうそうヒメコちゃん。それとなんだけど」
「ん?」
「クリクリさんたちから今朝、フェスのお誘いのお手紙が来てて」
「そうやってほいほい信じちゃうから――って、え!?」
渡された封筒にはMIDI女とクリクリのロゴ。差出人は間違ってない。もちろん、宛先も。
内容も今度主催するライブに一緒に出ないかどうかの簡単な内容だった。読み間違えようもない。
ぇえええええええ!? と家中に響く声で驚いたのは、言うまでも無かった。
「これは確かに一大事です。そして大チャンスです」
手紙に目を通したデルミンがそう結論付ける。誰も異を唱えることはない。あのクリティクリスタから直接声がかかったのだから当然だ。
「よーし、ノって来た! ルナティックレッスンに切り替えてガンガン練習するぞ~!」
「うちもわくわくしてきたよ~。頑張ろ、ヒメコちゃん!」
他の二人もはしゃいでいる。ヒメコとしても疑うつもりではないのだが、あまりに急な出来事過ぎて未だに受け止め切れていないのが本音だった。文面を思い返すと今でも手が震えるような気がする。ほんの少しいい匂いがした気も。
「お、おー」
「どうしたのヒメコちゃん?」
「い、いや、こう……。う、生まれたての小鹿にさあ飛べって言うみたいな……?」
「ヒメコさんはまだ実感が湧かないのでしょう。憧れの舞台でしょうし、何ならデルミンもまだ信じきれません」
そんなものかぁ、と不思議そうなルフユとほわんが今は少し羨ましく見える。返事の用意と作戦会議の裏で、きっと終わるまでどころか終わっても飲み込めないままになりそうだと悟っていた。
「さて、大変なことになりましたね」
セッションを終え、デルミンの家。ライブの件で気持ちが浮いていたのか、練習としては微妙な結果になってしまった。特にヒメコはいつもは周りをしっかり見てたのに、今日に限っては心ここにあらずといった感じだ。
「幸い本番までは時間がありますし、急いで向こうを片付けつつ練習もやる、というのが理想ですけど、何かあった時の保険くらいには余裕を持たせたいものです」
「そうだね。ヒメコはもしかしたら新曲作るかもって言ってたし」
ちゃぶ台の上に置かれた蜜柑に、二人は同時に手を伸ばす。次いで視線を交差させ、じゃんけんは凡そ民主的なやり方ではないことを察し、おとなしく半分にすることにした。
「コンパス側の問題も放っておくわけにはいきませんし、困ったものです」
「全部頑張らなきゃだね! って、放っておくつもりだったの?」
「マルコスさんたちに任せることが可能そうであれば離れる予定でした」
まただ。デルミンがこの世界を嫌う理由は、争いが嫌いだからだけではないのではないか。ルフユの胸中でそんな疑念は膨らみ続けていた。
「……色々言いたいことはあるけどそうならなかったからいいやってことで話を進めるね。じゃあログイン禁止令は解除ってこと?」
「……それは続行です。とりあえずルフユさんはドラムを極めるつもりで頑張ってください、リズムキープが出来ていれば私たちの練習も捗るということで」
「うーん、どっちもバランスよくやるとかじゃ駄目?」
ぷい、と首を横に振るデルミン。あと二日で出来るだけミスを無くすとすると、この際作曲は後回しにするにしてもやっぱり時間が足りない。
「ところでルフユさんは、特に身の回りで変わったことってありませんか?」
「変わったって……うーん、最近ちょっと温かくなってきて朝ちゃんと起きられる、とか?」
「大丈夫そうですね。何かおかしなことが起きたら教えてください」
「いいけど、なんで?」
なんでもないです、と明らかになんでもないわけではない返答。大方コンパス世界からの干渉のことを言っているのだろうと予想が付いたが、どうしてそれを言わないのかがわからなかった。ルフユの中のデルミンの輪郭が、どんどん曖昧になっていく。
それでも、親友でしょ、なんて問い詰めることは出来なかった。何かの理由があると信じていたかったからかもしれない。
ごめんなさい、そんな掠れ声が、聴こえたような気がした。
深夜。デルミンの意識は機械に解釈され、仮想世界に再構成される。
「Voidollさん、起きてください」
丁寧にナイトキャップを被り、鼻提灯を作り空中をふわふわと漂うVoidollを軽くつつく。本当に寝ていたのか、そもそも睡眠が必要あるのかも不明なこのロボットは目を覚まし、なんでしょう、と普段通りの声音で返した。
「今から言うものを用意してください。そして一つ、約束してください。代わりに一人連れ帰ってきます」
続く言葉を聞き、Voidollはピコピコとコンソールを叩く。戦場へのポータルが開き、準備完了を合図する。
「――理由を聞いても?」
「黙秘します」
ならば通せません、と言われるだろうと思っていたが追及はないようだった。
視界が移ろい、数日前と同様一回り手狭なステージに送られる。もちろん、自陣はデルミンただ一人だ。敵陣も等しく一人だった。
「フェアプレーの精神でしょうか。それとも、あなたがもう独りになってしまったのでしょうか」
「最初から独りだった、違いますか?」
旗を構え、泥のように濁った眼でこちらを見つめる。普段の彼女らしからぬ言動に血が沸き立つ。眼前の好敵手は、既に獲物へと変わっていた。
「一気に仕留めます」
意識を集中し、それを一気に解放するように地を蹴る。システムに規定された限界よりも先にいる自分を強く想起する。いつもより強い慣性が体にかかり、ジャンヌとの距離がぐんと縮まる。キーを無視し、さらに跳躍。
あっという間に距離を詰め、そのままの速度を乗せた拳を叩き込む。防御も回避も折り込み済みの、挨拶代わりの一撃だった。しかし返ってきたのは確かな手ごたえと、か細い悲鳴だった。
何かがおかしい。心のどこかで引っかかりを覚えたが、攻撃の手を緩めるわけにはいかない。オニギリクママンとのコンビネーションアタックをきっちりと成功させ、着実に追い詰める。
「これで終わりです」
強烈な蹴りでジャンヌにトドメを刺す。光片と散ったジャンヌの残滓を全身に浴び、不思議な充足感に満たされる。
これだ。この感覚が、過去のデルミンを衝き動かしていたのだ。勝利こそがすべてだと、盲信させてくれるのだ。赦して、くれるのだ。
ところが、散ったはずの光が徐々に集まり始め、やがて人型に再構成される。この巻き戻しを、デルミンは幾度となく目にしたことがあった。彼女の特技である《復活の福音》。即座に甦るという非常に厄介なこれに対処するには、そもそも互いに味方が居ない状況を作るのがよかったため、こうして誘いこむことで突破を試みているのだ。
しかし、彼女の頭上には特技の証である光の蝶は居なかったし、もちろん発動しておく余裕も無かったはずだ。恐らく、Voidollの言っていたヴィランズスキルとやらなのだろう。今のデルミンには呼び名など関係のない話だったが、思考の端にちらつくものだけはあった。
ともあれ、斃し続けることに変わりはない。デルミンは中段に構えた拳を固く握り、躱す隙も与えぬタイミングで待ち構える。
「あれ? デルミンちゃん?」
間の抜けた声は、拳によって塞がれる。あっという間に砕け散った体は、再び巻き戻されようとする。これは彼女の不屈の精神ではない。単純な
それでも、手は緩まない。
「何度やったって、同じことです」
引き結ばれていた唇は、狂気に歪み始めていた。
「はっ、っ、はぁっ、はっ……」
不規則な呼吸。デルミンは真っ暗な部屋で独り、激しく上下する小さな胸をゆっくりと撫でる。
融けそうなくらい火照った体を冷ますべく、意識を幻想に送り込んでいた張本人であるヘッドギアを外して乱暴に投げ捨て、必死に呼吸を繰り返す。
大丈夫。私は大丈夫。そう強く言い聞かせながら、思い出すのはましゅましゅの皆のことだった。大丈夫。大丈夫。大丈夫………。
全身の筋肉はこわばって、じっとりと脂汗をかいている。ここまで深く意識を沈めたのは、いつぶりだっただろうか。自分が自分でないような乖離感に怖気がして、何度か空えずきを繰り返した。
試合内容は既に半分近く覚えていないが、恐らく試合というよりは一方的な殺戮と呼ぶべきものだったのだろうということだけはわかった。要するに、深くは考えない方が良いという事だ。目を背けて、見なかったことにして、忘れてしまおう。
イヤホンをして寝るのはあまり好きではなかったが、耳鳴りを遠ざける為だと割り切って適当な音楽をかける。心臓を宥めるため、出来るだけゆっくりに。
そうして呼吸が落ち着いたころ、ピッピッ、と通知音が鳴る。うしろめたさを感じながらスマホを手に取る。ジャンヌからだった。
『大丈夫ですか?』
デルミンの身を案じるシンプルなメッセージに、つい笑ってしまった。こっちのセリフですと言いたかったが、それほどの余裕がある訳でもなかった。デルミンは手早く返信し、投げ捨てたヘッドギアに手をかけた。
作戦成功だ。そう笑むのはデルミンと、もう一人。