綺麗な歌声だった。
おそらくかなり遠いのによく通っていて、それでいて優しい。暖かな歌声だった。
「ヒメコちゃん……?」
きっと聞き間違えだろう。そんなことはわかっていた。それでも足はそちらへ向かっていた。
買い物袋を投げ出して、奥へ、奥へ。
「ほわんが……ほわんが、帰ってこないの」
「落ち着いてください。ほわんさんはいつから居ないのでしょうか。携帯はどうですか? バイト先は?」
デルミンは非常時にも関わらずすらすらと言葉が出てくる自分に驚いた。そのくせ最悪の心当たりからは目をそらしていた。
「携帯も繋がんなくて、誰に電話しても知らない、って……」
「それは大変ですね。手分けして探しましょう。ほわんさんがよく行く場所は?」
「そんなのもう周ったわよ!」
「――ッ!」
叩きつけるような悲鳴に、ついスマホから耳を離す。眠気はとっくに消え去っていた。
「ごめん」
「いえ、大丈夫です。デルミンこそ質問ぜめにしてごめんなさい。ルフユさんに話して連れてくるので、一旦マスターに話をしましょう」
「……ありがと。マスターには今から向かうって伝えとく」
それもやっておこうかと迷ったが、ヒメコがそう言うのだからそうさせておこう。一刻も早く集合して、探せるところを探していこう。その頃にはもしかしたらひょっこり帰っているかもしれない。希望的観測が良くないこともわかってはいたが、そう思うことにしておいた。
「では、一旦切ります。何かあったらすぐ教えてください」
ネットニュースの通知に並ぶ誘拐の文字を指で弾いて見なかったことにする。靴をつっかけて家を飛び出す。ルフユがすぐに電話に出たことだけが、唯一の救いと言えようか。
「うーん、最後に今日みんな練習してったでしょ? あぁ、もう昨日か」
ほわんの行動を追うマスターの言葉で、3人は既に日付が変わっていることに気が付いた。
「それからバイトに行って、ちゃんとタイムカードを押したんだってね?」
「うん。電話したら教えてくれたから、間違ってないと思う」
ほわんはバイト先でも持ち前の明るさでうまくやっているらしい。みんな失踪するような心当たりは無いと言っていて、昨日もいつも通り買い物をして帰ったはずだ、と話してくれた。とはいえ、バンドとバイトだけで手いっぱいなのだから、当然のことではあるが。
「じゃあ、買い物して家に帰るまでの道のりに何かあったってことだね。どこに行ってるかはわかるかい?」
「うん。駅前のとこ。たまに特売でちょっと回り道して商店街まで行くって言ってたけど」
「ふーむ。じゃあ、マスターは警察に行ってくるから、君らは手分けして探しておきなさい」
警察。当然の対応なのだが、改めてそう言われると事の重大さを認めてしまう気がして怖かった。とは言えヒメコが一通り探して見つからなかったわけだし、それが数人増えたところでどうにかなるわけではないのだが。
「あたしも行く」
「いーや。こういうのは大人に任せておきなさい。君らはまだ元気なんだから、駆け回って探しておいで」
「だって――」
「だってではないよ。何事もなかったらそれが一番だろう? 割り振りはデルミンくん、君に任せよう」
「わかりました。では、そちらが片付いたら一度連絡をお願いします」
こういう時にある程度頼れる大人がいるというのは有難い事だ。デルミンは地図アプリを立ちあげながらそれを強く実感していた。
大好きな歌があった。うちは、その歌で満たされていた。
大好きな歌をくれた人がいた。うちは、その人に救われていた。
うちの夢を叶えてくれたその歌は、うちの夢になってくれたその人は。
きっと、うちのすべてだ。
「それではルフユさんはこちらをお願いします。何かあったらデルミンにすぐ連絡してください」
デルミンはすぐに全員に指示を出し、自分の担当範囲に向かっていく。こういう手際の良さはルフユが少し憧れるところだった。冷静なところは元々なのか、それとも今までの経験で培われたものなのかは知らなかったが、一朝一夕でそうなれるものではないことはよくわかっていた。
「ふぅん? 追いかけないんだ」
「うわ!?」
いつから後ろに居たのだろう。こうしてはっきりと認識してもまだ存在を疑ってしまう幽霊のような男だった。
眼のようなマークの付いた帽子を脱ぎ、ルフユに向かってよろけるように頭を下げる。見覚えのある顔ではなかったが、向こうはそうでもないらしい。
「ど、どちら様ですか」
「うーん、誰でもない……って言うと話が長くなっちゃうから、あの子の知り合いって名乗っておこうかな」
「何の用ですか、零夜さん。観測するだけなら見逃しておくつもりでしたが」
声に振り返ると、先に探しに行ったはずのデルミンが戻って来ている。何やらあまり仲がいいわけではないらしい、というよりデルミンが一方的に警戒しているようで、角先は軽くスパークしていた。
「少し長くなるけど、いいかい?」
「駄目です。手短にお願いします」
「手厳しいなぁ。人探しをしているのだろう? 僕、いや、僕らが手伝えるとしてもダメかい?」
零夜が片手を上げるると、向こうの路地から数人の男たちがやってくる。それぞれ服装は違えど、奇妙なまでに顔が同じ男だった。双子、三つ子……いや、明らかにおかしい。
「詳しい話は省くとして――僕はキミたちのセカイの僕じゃない。彼はおそらくあのシステムに囚われているだろう。それから解放するために旅をしていたらここにたどり着いたというわけさ」
あのシステム。その物言いで、ルフユはやっとこの男が『project #compass』に関わっている人間だと理解した。データ上の存在であるVoidollがこの世界に実体化する為には何やら煩雑な手続きがあったようだが、彼らがそれを行っていないとするなら、彼らもMIDICITYの住人なのだろうか。
「何か、手がかりがここに?」
「いいや、システムからこの世界への干渉を観測した。キミたちのVoidollとの
それを聞いた途端、デルミンの顔色が変わる。少し場所を変えながら話そうか、零夜はそう言いながら続ける。
「そしてこの街で流行っている誘拐事件との関連もあることが掴めている。君たちが探している女の子が攫われた場所もたった今見当がついたところだ」
「それは本当ですか」
「勿論さ。ただ、今どこに居るかはわからない。詳しくは話を聞くといいだろう」
零夜がデルミンのスマホを指さすと同時に、ヒメコからの着信。写真に映っている投げ捨てられた買い物袋は、確かにほわんが買い物に行くときに持っていたものだ。
「先程彼女の周りにも一人つけておいたから、ミイラ取りがミイラになる可能性はひとまず無いだろう。ただ、このままだと後手に回るばかりで解決の未来は無い。次の地点を見つけ出す必要がある」
「人海戦術じゃだめなんですか」
「こちらにも限度があってね。世界の摂理を乱さない程度――多くても五人が限界と言ったところだね」
デルミン、ルフユ、ヒメコを合わせても十人に満たない。対してMIDICITYはとにかく広い。ある程度の予想をつける必要があった。
「犯行現場には傾向があるって言うし、前の場所から予測出来たりしないかな?」
「そうだね。実は完璧ではないが我々はこの犯人のルールを見出しているのだよ」
そう言うと零夜は地図を取り出す。ところどころ点がつけられているのは過去の犯行現場だろうか。順に矢印が振られていて、それらはギザギザに揺れているものの、一つの方向へと向かっているようだった。
「最初の現場から同じくらいの間隔をあけて犯行が発生していることから、時々挟まる空白は我々には見つけられなかった現場なのかもしれないと予測されている。順当にいけば明日はこの辺りだ」
さらさらと零夜は説明を進める。この区域なら十人くらいで何とか監視できるだろうとデルミンは考えていた。問題は零夜や自分はともかく、ルフユやヒメコを一人にして監視するということが危険だということくらいだ。
「それ、少し違うと思う」
異を唱えたのはルフユだった。地図に示された点を順番に指でなぞりながら、何やら口ずさみ始める。そこでやっとデルミンも気が付いた。
「これは、楽譜……?」
「うん。この飛んでるところが休符で、ギザギザの繰り返しもちょっと楽譜っぽいなって。それに――」
始点は小さなライブハウスの前。そしてこのまま進んでいくと、BooDoo館。この仮説が本当だとするなら、演奏はもう残りわずかだった。
「ふっ、音楽のセカイらしい面白い推理だ。それで、このメロディの続きはどこなんだい?」
「デルミン、この歌知ってる?」
「知らないのに気がついたんですか?」
「それはもうルナティックな勘で……。とにかく、このリフがあるならここは休符を挟むと思う」
知らない曲の入りの部分を予測するのは難しい。一日の猶予が生まれたとは言え、捜査はふりだしに戻ったも同然だ。
「さて、そろそろ彼女が戻ってきているようだし、僕は一旦離れるよ。くれぐれも僕の存在は内密に、こちらからも何かわかったら連絡するよ」
「はい。ではデルミンたちはマスターから話を聞いてくることにします。行きましょうルフユさん」
もう人もまばらになった街を、二人は駆け足で進む。
歌で満ちていた。大好きな歌だった。
喪われることなんて、考えたくもなかった。
幸いなことに、歌は満ちていた。うちは幸せだ。
うちのすべてで、この歌を聴き続けよう。
昼過ぎに再びヒメコの家に集合。ルフユとデルミンは辛うじて眠れたが、ヒメコはそうではないようだった。それでもヒメコの家に集まることにしたのは、誘拐の線で捜査されることになった不安を少しでも紛らわせるためだった。
「やっぱり話すべきだと思うんだ」
しびれを切らしたルフユが、ちゃぶ台に昨日の地図のコピーを広げる。デルミンは止めようとしたが、時すでに遅し。
「お父様に話したら、誘拐事件のデータを集めてくれたの」
零夜の存在を隠すための嘘だ。食い入るように見つめるヒメコからは疑う様子は見られない。藁にも縋る思いなのだろう。それから昨日の推理を話す。一応このメロディを知らないか確認もしたが、ヒメコにもないようだった。
「ヒメコが知らない歌ってなると……なんだろうなぁ」
「私にだって知らない曲なんてたくさんあるし。けど、今日の所が休符なのはルフユの言う通りで間違いないと思う」
「明日までに次の場所を予測して、そこに待ち伏せ……警察の人に頼んでも信じてくれるか怪しいし」
音楽に沿って犯行が起きています、なんて話は突拍子過ぎて聞き入れてもらえないだろう。デルミンは当初、愉快犯を装い匿名の犯人としてこの推理を警察に垂れ込むことを考えたが、推理が外れていた場合や自分が特定されるリスクを考えてやめておくことにしたのだ。
「デルミンは誘拐事件の阻止より、一度発生させてその場で対応するべきだと考えています。なので大がかりにしてしまうよりこちらで決め打ちして動きましょう」
「つまり、ばらけて監視するにしてもいくつかメロディの予想をしてからってことだよね」
「はい。ヒメコさんならどういう進行にするか、意見を聞きたいです」
ヒメコはしばらく口ずさんだ後、少し散歩してくるから留守番してて、と言って立ち上がる。
「いくつか考えたけど、ちゃんと自信が持てるまで考えたいから。何かあったらすぐに電話できるようにしておくね」
「大丈夫? 私で良ければついていってもいいけど……」
「ううん。曲を作るなら、と思ってね。すぐ戻ってくるよ」
「ヒメコさんがそう言うなら、そうしておきましょう。くれぐれも無理はしないようにお願いします」
きっと零夜が監視をつけているだろう。一時はヒヤヒヤしたものの、このまま何もやることが無いままヒメコを独りにしておくほうが精神的に良くなかったに違いない。デルミンはヒメコの瞳に光が戻ったのを見て、これでよかったのだと納得することにした。
「ルフユさん、ありがとうございます」
ヒメコが出て行った後でそう言ってみたが、ルフユはよくわかっていないようだった。裏表の無さというか、無鉄砲というか……こういう所がらしいと言ってしまえばそうなのだが、心配なところでもあった。
ゲシュタルト崩壊というものがある。同じ文字を見続けていると逆にその文字がわからなくなってしまうという現象だ。メロディにもそれがある。
即ち、一つの歌について考え続けると途端に詰まってしまうのだ。これは曲作りには致命的で、これを無視して突き進んで良い曲を作れた試しは一度たりとも無かった。
そういう時に、ヒメコはこの浜辺まで足を運ぶ。関係のない無造作な音を入れるには、ここが一番だった。
しかし、今日の海は静かだ。語ることは無いと言わんばかりの大しけで、砂を踏む足音に、温い風だけが吹いている。
思えばあの日ほわんから逃げ出して以来、海はいつだって静かだった。既に自分の中に答えがあることを見透かしたように大きく構えていて、それでいて優しく待っていてくれる。ほわんのあの瞳に見た青と同じように、暖かく接していてくれる。
結局私は認められたいだけなのだ。安心が欲しいだけなのだ。そういう自分が大嫌いだから、正しいのか不安だから、こうして無機的なものに頼ってしまう。そんなことはわかっていた。
この暗い感情から解き放たれることは無いだろう。ほわんの事を羨み続ける私は消えないだろう。けれど、今はほかの何でもない私を、信じてみようという気持ちになれた。
ほわんに貰ったものを、ちゃんと返しにいかなくちゃ。
うちは、歌で満たされていた。
大好きな歌だ。いつから好きだったか、どうして好きなのかなんて、どうだってよかった。
もっと聴いていたい。ずっとずっと聴き続けたい。
きっとこの歌が、うちのすべてだ。
「こっちは用意できたよ。そっちはどう?」
「いつでもオッケーだよ!」
「準備万端です」
結局、ヒメコが予想した音階は二つだった。最後の二択はどうしても作り手の好みになるとやらで、それぞれにヒメコとルフユが構えている。その間でデルミンが待ち、それ以外を零夜たちが担当する。危険はそれ相応にあるが、電話を繋いだまま待つことで可能な限り安全にしているはずだ。
零夜によると、昨日が休符だという予想は当たっていたらしい。時間についても、ほわんの買い物鞄に入っていたレシートから、もうじきだろうと予測できた。
待つというのは難しいものだ。特に、一目でわかるものではない場合、危険が伴う場合、そして来るということが確実でない場合は余計に。要するに今がそうだった。
「様子がおかしな人や、自分に近づいてくる人がいたら、すぐに報告してくださいね」
「わかってるって。なんならここには今は一人もいないよ」
「私の所もだね。凄く静かだよ。本当にここで合ってたのか心配になるくらい」
とは言え、持ち場を離れるわけには行かない。誘拐には絶好の場所なのだから――そう思った矢先、ルフユが異変に気が付いた。
「歌が――」
次いで、ヒメコ。
「聴こえる。あの歌だ」
不味い。デルミンがそう気付くと同時に、通話が終了する。即ち、ヒメコとルフユが電話を切ったのだ。耳を澄ましてみたが、デルミンには何も聞こえなかった。大慌てでルフユの元に走りながら、零夜に連絡をとる。
「ヒメコさんの予想は両方とも当たっていて、今はルフユさんの所に向かっています、零夜さんはヒメコさんの所にお願いします」
「了解。すぐに向かおう」
ヒメコが迷っていた二択は、デュエットだったのだ。そして、歌が聞こえている以上、既に危険な状態であるはずだ。
「……すまない。遅かったようだ」
ほぼ同時に辿り着いたらしい零夜から絶望的な報告を受け、デルミンはビルの壁に拳を叩きつける。つい先ほどまでそこにあったはずのルフユの姿も忽然と消えていた。
完敗だ。それを認めるわけにはいかなかった。
「探しましょう。まだ遠くには行っていないはずです」
命に代えてでも、見つけ出す必要があった。
歌が聞こえる。大好きな歌だ。
綺麗な旋律を、彼女の声が優しくなぞる。いつまでだって聴いていられる、いい歌だ。
けれど、この歌はずっと聴いていられるものではない事を、私は知っていた。
違う、違う。この歌は私の歌じゃない。今の私には、この続きは描けないから。
一度うまれた違和感は、雪だるまみたいに膨らみ続ける。
まだ完成なんて言わせない。私なら、もっと良い歌を作ってみせる。
「――っ!」
真っ暗だった。大きな机に突っ伏して、知らない人たちが眠っている。目を覚ましたのはその端に座っていた、ルフユとヒメコだけだった。視線を交差させやっと、状況に気が付く。
「ほわんは……ほわん!」
「静かに。私はデルミンに連絡するから、起こしてあげて」
電話をかけようと思ったが、犯人が見張りに戻ってくる可能性も考えてメッセージにしておいた。ここはどうやら廃工場か何からしい。ヒメコはすぐ隣で他の人と同様に突っ伏して眠っているほわんの肩を揺さぶる。
「ほわん、ねぇほわん。起きて」
ほわんはしばらく何やら唸った後、目を覚ましてくれたようだ。
「ほわっ……ヒメコちゃん、ヒメコちゃん……?」
「もう大丈夫だよ。早く帰ろう」
「うん……うん。ごめんなさい。うち、ヒメコちゃんの歌を、忘れそうになってた……!」
心臓が跳ねる。ヒメコは先程まで見ていた妙な夢のことだろうと結論付け、考えないことにした。
「もう何も心配しなくていいから。ね? 事情は後で話すとして、まずはここから逃げよう」
「……うん」
まだ混乱しているほわんを連れ、出口を目指す。そこで、向こうから来る足音に気がついた。
「隠れよう!」
「そこが良いかも!」
この部屋にはドアは一つだけ。崩れかけの物陰に三人で身を隠す。足音は少しずつ近づき、やがてドアが開かれた。
「やあ。遅くなってごめんね。今日もみんな楽しみにしていてくれてありがとう!」
声音からして女だろうということだけがわかった。一人ならこちらの方が優勢ではあるが、不思議なあの歌のことを考えるに、デルミンや警察の到着を待つべきだろう。
「それじゃあ早速――歌います」
綺麗な歌声だった。一瞬身構えたが特に体調に異変があったりするわけではなく、単純に上手い。どれも知らない曲で、攫われた時のあの歌は入っていなかった。
「ふふ、ありがとうございました。また明日、歌いに来るね」
全部で三曲、丁寧に歌い上げて部屋を後にする。コツ、コツという足音が遠くなっても響いてくるのは、かなり広いところだからだろう。
「また明日、って言ってたから、今から一日は大丈夫なはず。逃げよう」
「ほわん、歩ける?」
「うん。ちょっとお腹が空いたけど、うちは大丈夫」
他の人は眠ったままだ。起こすか迷ったが、無事である確証はない。警察に任せておくことにした。
コンクリートがむき出しの埃っぽい廊下を、ゆっくりと進んでいく。時折開いているドアから除く部屋の内装は腐りかけていて、机や椅子が残されたままだった。ルフユは恐らく夜逃げなのだろうと予測をつけ、いくつか身を隠せそうな部屋を見繕っておいた。
「ヒメコちゃん、こっち」
ほわんが指さす方を見ると、大きなガラスの扉があった。受付らしいカウンターがそのままになっている。正面玄関だろうか。砂埃で酷く汚れており、外の様子は殆ど見えなかった。
「ここから出よう。デルミンからは何か返事はあった?」
「うん。そろそろ迎えに行けるから安全なところに居てくださいって」
何はともあれ外に出るべく扉を押してみたが、鍵がかかっているようだった。おまけに内鍵は錆びついていて、開く気配はない。
「力づく……は、無理そうだよね」
「うん。別をあたろう」
そう言って踵を返す三人に、懐中電灯の光が向けられる。
「どこに行くのかな。食堂はそっちじゃないのだけど」
声の主は、長い赤髪を揺らし困ったように問いかける。さっきの歌を歌っていたのと同じ声だった。
「忍びなかったが、みんなに少しお願いしてね。出口は全て塞がせてもらったよ。もう少しなんだ。お願いだから元の通りに戻ってくれないか」
辺りを見回すと、いつの間にかあの部屋で眠っていたはずの人々が、虚ろな目をして立っている。
「……ふぅん、しょうがないな。もう一度、眠ってもらうことにするよ」
すぅ、と息を吸い込む。あの、歌だった。
本人のずば抜けた技量を、彼女の声質とマッチしたこの歌が引き立てる。互いに互いを高め合う、素晴らしいバランスだ。聴くまいと耳を塞げども、人魚の歌声のように三人の意識を溶かしてゆく。
しかし、それは途中で彼女自身によって遮られた。激しく咳き込み、彼女は地に倒れ伏す。
「ぐっ……まだ、終わるわけには行かない……!」
息を荒げ、ふらふらとよろけながら詰め寄る。
「あの時、歌えていたら、失敗しなければ……! いや、あたしはまだ歌える。七色の歌声、もう一度力を貸してくれよ!!」
すぅ、と大きく息を整える。その口元にはその髪よりも赤い血が月明かりを受け煌めいていた。
「ルフユさん、無事ですか! 今すぐ開けます、しゅびっ!」
すぐ隣の壁が弾け飛び、もうもうと土埃が巻き上がる。まだあの時から半日も経ってないはずのデルミンの姿は、何故かとても頼もしく見えた。
「状況はよくわかりませんが、ひとまず逃げましょう!」
デルミンのあけた壁の穴から抜け出す。まだ一部が赤熱していて、触れてしまった右手がやけどのようにひりひりと痛んだが、今はそれどころではなかった。
ひび割れた怒声と、激しく咳き込む声が真夜中の廃墟を反射して駆け巡る。振り返ってしまったら首元を捕まれ食べられてしまうような気がして、四人は必死に逃げ続けた。
そうして、ある程度距離を取った。そう思った矢先、激しい爆発音が空気を打った。
思わず振り返る。赤い、優に10メートルはあるだろう巨人としか形容出来ないような怪物が立っていた。辛うじて人型を保っているものの、その輪郭は融けかけており、顔に至っては瞳と思しき光以外は認識できなかった。
「ここはデルミンが引き留めておきます、とにかく逃げてください!」
「まって、私も戦う」
「ルフユさん、無茶を言わないでください!」
「だってデルミンを一人に出来ないじゃん!」
「すぐに零夜さんが来ます、それに警察も……危ない!」
地に放たれた巨人の拳を、辛うじて躱す。瓦礫が飛び散り、大地が揺れる。デルミンが居なければ直撃だったことは、ルフユにもわかっていた。
怖い。だけど、ここでデルミンを置いていくような自分になりたくなかった。
「遅くなったね。少々手間取ってしまった」
「さ、行きましょうか。ルフユさん、もう大丈夫です」
零夜とデルミンは拳を器用にかいくぐりながら、巨人の足元に駆けていく。鮮やかな手際だった。
「力を貸してくれ、《夜光犯罪特区》」
「合わせます――しゅびっ!」
零夜の放つ閃光が視界を奪い、その足を止めた隙にデルミンがビームで穿つ。完璧な連携だ。胴体に風穴をあけられた巨人は、山鳴りのような声をあげ、体勢を崩し――
「デルミン!」
手を伸ばすものの、デルミンには遠く及ばない。ひときわ大きな揺れと砂埃。それを突っ切って現れるはデルミンを抱えた零夜だった。車輪の無い不思議なスケボーは砕けた大地を容易く通り抜け、ルフユのもとまで戻ってきた。
「作戦完了だ。差し迫った危険は排除されただろう」
「まだ油断は出来ませんが。それにルフユさん、逃げてくださいと言ったはずですが。巻き込まれたらどうするつもりだったんですか」
「うっ、だって逃げる間もなく片付いちゃったし……」
砂埃が晴れた後には、意識を失った女だけが残っていた。すぐ近くまで迫るサイレンに、三人は不思議と安堵するのだった。
「結局何だったんだろうね、あれ」
ヒメコはポテトを口に運びながら、少し腹立たしそうに言う。警察で事情説明をしてきた帰りだった。店内のラジオによると、誘拐事件が廃工場の爆発事故によって露見したということになったようだった。ちなみにデルミンの取り計らいで、零夜は存在を秘匿されている。
「でも、みんな無事でよかった! 心配かけちゃってごめん!」
「あたしは心配したんだからね。これからは知らない人についていったりしないこと!――まぁ、今回はあたしも人のこと言えないけど」
あの時ヒメコとルフユが目を覚まさなかったらどうなっていたのだろうと考えると怖気が走る。とはいえこのような結果になったのだから、考える意味もあまりないだろう。
「あーあ、にしてもあのやつれた刑事さん、何回も同じこと繰り返すから疲れちゃった! この後みんなでカラオケでも行かない?」
「ありよりのありです。ルフユさんもどうですか?」
「ん? ああ、行く行く!」
ルフユは明るく振舞ってみたものの、あの時取り調べ室で警官の装いをして現れた零夜の言葉を忘れられずにいた。
『デルミンくんにはよく似た双子等は――いないはず、そうかい。ではよく気を付けてくれたまえ。あの時少し遅れた理由は、彼女によく似た人影を視たからだ。ではまた、あの世界で