「いやー、見たか今日の歩哨! ほんと傑作だったなあ」
仕事が終わった帰り道。
昨日と同じようにゆっくり歩いて檻へと戻る途中で彼女を見つけて、声をかける。
「何が傑作だったよ。こっちは女の子なのよ? 目のやり場に困ったわ」
「あれ、そうなのか? てっきり見慣れてるもんかと‥‥‥いやすまんすまん! 睨むな怖いから!」
責めるような視線を浴びせられたので、逃れるように首をすくめる。
「‥‥‥何もそこまで怖がらなくてもいいと思うけど。それより、あれは何だったの? どうせあなたの仕業なんでしょ?」
「ああ。あいつらの装備なんだが、見つかりにくい場所に隠してある。それを着て歩哨に変装して、ここから脱出するんだ。いい考えだろ?」
俺がそう口にすると、彼女は足を止めた。
「‥‥‥そっか。脱出。ついに今日、ここから出るのね。本当に」
「ああ。もしかして怖くなったか? 怖いなら、このまま檻に入っても」
「まさか。必ず成功させてくれるんでしょ、みこと」
強気にそう言う彼女。
けれどそれは、ただの強がりに過ぎない。
小刻みに震える彼女の腕が、それを証明している。
不安なのだ、震えるくらいに。
「ああ。必ずさ。まーっかせなさいって!」
だから、そんな彼女の不安を打ち消すように、努めて明るく断言して見せた。
本音を言うなら、うまくいく確率は30%といったところか。
そもそも確実に脱走できるというなら、最初から彼女の誘いに乗っていた。
いやそれ以前に、10年もここで働いたりしていない。
さっさと1人で脱走していたことだろう。
「信じてるわよ、みこと」
ギュッと、彼女は俺の手を握ってきた。
「ああ信じてくれ。ちゃんと作戦も考えて、その為の準備もした。絶対に大丈夫さ」
俺も、彼女の手を握り返す。
真実に、どんな力があるというのだろう。
もしここで正直に、俺も不安なんだと打ち明けたとして、それが何になるというのか。
分の悪い賭けであることは、彼女だって最初から理解している。
おそらく俺の嘘にも気づいている。
けれど、だからこそ言うのだ。
絶対に大丈夫なのだと。
自分たちにそう言い聞かせるように。
「作戦の前にさ、ちょっと腹ごしらえして行こうぜ。何が食いたい? 好きなもん盗ってきてやるよ」
「くすっ。手癖の悪いこと。でもそうね。それじゃ、ミートラップが食べたいわ。以前あなたが話してくれた、お母さんの得意料理」
「へっ、どーせ俺は手癖の悪い悪ガキですよーだ。なんてったって、上級審問官さまを足蹴にするような悪ガキだからな。あー、思い出したら俺も食いたくなってきた。ミートラップあるかなーっと」
そう言ってみことは、手近な建物に近づいて行く。
昨日と同じように、そろりそろり。
2軒、3軒と建物を巡り戻ってきたみことの手には、2つの食べ物が握られていた。
話に聞いた通り、肉をパンで包んでいる。
「これがミートラップなのね。美味しそう。ねえ、これはどこから食べたらいいの?」
「そのまま手で掴んで、豪快に噛り付くのさ。こうやって」
パクッとミートラップに噛りついてみせる。
彼女も真似して見せた。
「んんっ! んぅー!!」
「だから食いながら話そうとするなって。めっちゃ美味いだろ。俺のお気に入りさ」
彼女は一瞬、このまますぐに飲み込むのは勿体無いと言うような顔をして。
それからもぐもぐと十分に咀嚼して味わって、ようやく口の中のものを飲み下してから口を開いた。
「何これ! なーにこれ!! すごいわ、肉汁の旨味がパンに染み渡って、パサパサだったパンがこんなにしっとり‥‥‥! こんなに美味しい物、私食べたことないわ。絶品って言葉は、まさにこのミートラップを表すための言葉だったのね‥‥‥!」
「はは。外に出たら、毎日これが食えるんだぜ。なんたって俺は、ミートラップの作り方を母さんから教わってるからな」
「本当! だったら早く出ましょう、みこと! 絶対に、絶対に成功させるんだから!」
「ああ。だから最初から言ってるじゃねーか。任せとけって」
俺は彼女の手を取り、歩き出す。
もう、彼女の腕は震えていない。
足取りも軽かった。
やはり真実にはなんの力もないが、嘘には力がある。
俺が本当はミートラップの作り方なんて知らないって言ったら、どんな顔をされるかな。
だって最後に食べたの、5歳の時だし。
‥‥‥罪悪感でいっぱいだが、今は何も言うまい。
「隠した歩哨の鎧一式はこの先だ。北門へと続くこの斜路の先に、鎧一式を隠してある。歩哨を起こさないようにゆっくりと、けど夜が明ける前に進むぞ」
「ええ」
そこから先は、会話も少なめにして斜路を進んだ。
斜路の中腹には歩哨の兵舎があるのだ。
兵舎の中では数十人の歩哨が眠りについている。
万一、1人でも起こしてしまえばそこで終わりなのだ。
足取りはゆっくり慎重に。
けれど足を止めることなく、最短距離で真っ直ぐに。
やがて、一際大きな塔が見えてくる。
あれが歩哨の兵舎だ。
兵舎の前に見張りがいないことに安堵しつつ、息さえ潜めて通り過ぎる。
心臓が、早鐘のように鼓動を繰り返す。
「ふああー。あー、眠ぃなあ」
「「っ!!」」
突然聞こえた声に全身が緊張した。
歩哨だ! 思わず走って逃げ出したくなる衝動を、理性の力で無理やりねじ伏せる。
歩哨の声には緊張感は全くなかった。
つまり、まだバレた訳じゃない。
声を出すな、と口元に人差し指を添えるジェスチャーで示し、声のした方を恐る恐る覗き込む。
門番だった。
数は5人。
全員が門の外側を向いて、外側に対して警戒の視線を巡らせている。
‥‥‥もし、彼らが門の内側を警戒していたら。
冷や汗が滝のように流れた。
兵舎から北門まで、直線距離にするとわずか十数メートルしか離れていないのだ。
彼女とつないでいる掌は、汗でベッタリになった。
行こう。
視線だけで頷き合い、斜路を進む。
汗でベタついた手でも、離すことなんてできなかった。
お互い、怖くて不安でたまらなかった。
もし5人の門番の、誰か1人でも振り返ったら。
俺たちの足音が、聞かれてしまったら。
北門まで直線距離では十数メートルだが、その道のりは斜路だと5倍くらいの距離になる。
兵舎と北門との間には切り立った崖がそびえ立ち、それを回り込むように斜路が引かれているせいだ。
そしてその斜路の途中に、変装用の鎧が隠してある。
1歩1歩、進んでいく。
やがて、暗闇でもその装備がはっきり目視できるほどの距離まで近づいた。
まだだ、まだ、焦るな。
飛びついてさっさと変装を済ませてしまいたい衝動を押さえ、そーっとその装備を手に取る。
歩哨の装備は、板金鎧だ。
迂闊な扱い方をすれば、ガチャガチャと金属音が鳴り響く。
隣の彼女の顔も、明らかに強張っていた。
だけど、ここが正念場だ。
頷き合って、奴隷服を脱ぎ捨てる。
恥ずかしがっている場合ではないと、彼女も理解しているのだろう。
ためらう事なく彼女も奴隷服を脱ぎ捨て、その白い肌を晒した。
むしろ、変装用の鎧を着る方に、何倍も、何十倍もの時間をかけた。
まず着方が分からない。
鎧なんて着た事がない。
そして音を立ててはいけない。
20kgはありそうな重すぎる鎧に振り回され、転びそうになった。
彼女に支えられ、彼女が転びそうになったら俺が支えて、どうにかやっと着る事ができても、それで本当に正しい着方なのか不安が残る。
おかしなところはないか、ちゃんと歩哨に見えるか、お互いに何度も確認して。
「い、いくぞ」
「え、ええ」
まずは俺からと、背筋を伸ばして北門へと向かう。
鎧が重すぎるせいでつい腰を曲げそうになってしまうが、俺の知る限り腰を曲げている歩哨なんていない。
あいつら、いつもこんなの着て走り回っていたのか。
正規兵と一般人との格の違いを思い知りながらも、ガチャンガチャンと鳴り響く金属音に汗が止まらない。
門番の1人がこちらに気付いて振り返る。
「ん? こんな夜中にどうした、散歩か?」
「ああ。そんなところだ」
声が震えてしまわないよう、細心の注意を払った。
鎧の鉄仮面が声をくぐもったものに変質させてくれるおかげで、声でバレる心配だけはしなくて済みそうだ。
「どこ行く気か知らんが気を付けるんだぞ。朝までには戻ってこいよ」
「ああ分かってる。サンキューな」
気さくを装いながら門番の横を通り抜けると、クロスボウが待ち構えていた。
クロスボウは外向きに設置され、外敵に備えている。
その横を通り抜けると、まるで後頭部をクロスボウの照準に狙われているような錯覚に襲われた。
走って逃げ出したい。
けれど鎧が重すぎて走ることなんてできない。
鎧を脱ぎ捨てるなんて、もっとできない。
「ん、お前も外に出るのか。珍しいな2人して、こんな夜中に。一体どこに」
「おいよせって。夜中に人目を避けて2人ですることなんて、アレしかないだろ? 察してやれ、深く聞いてやるんじゃねえよ」
「アレ? ああ、アレか。その、すまんな。おう行って来い」
背後から歩哨達の会話が聞こえる。
彼女も無事に切り抜けたようだ。
安心してヘタりこむ‥‥‥わけにはいかない。
平静を装いながら、歩いて、歩いて、歩き続けて。
「みこと!」
後ろからかけられた声で、足を止めた。
「もう大丈夫。大丈夫だよ」
気がつくと、リバースの門はもうすっかり見えなくなっていた。鉄仮面を外した彼女が、しがみつくようにして俺に抱きついてくる。
「出られた。本当に出られたんだよ、私たち。信じて、良かった」
「‥‥‥ああ」
まだ暗い夜空では、明星がさんさんと輝いていた。
まるで俺たちを祝福するように。
「私、星がこんなに綺麗だなんて、知らなかったわ」
「ああ、俺もだ。‥‥‥知っていたけど、忘れてた。星ってこんなに綺麗だったんだな」
彼女の背中を抱き寄せるようにして、しばし2人で夜空に見入る。
「俺、ちゃんと考えたんだぜ。あんたの名前」
「名前? ‥‥‥あ!」
「なんだよ忘れてたのか? リバースから出たら名前を考えてやるって約束しただろ。考えた名前、無駄にならなくてよかった」
「ええ。早く教えて。ねえ、どんな名前?」
「すみれ。春の訪れを知らせる花の名前さ。花言葉は、『小さな幸せ』」
「‥‥‥小さな幸せ」
彼女は‥‥‥いや、すみれはその意味を噛み締めるように呟いて、夜空を見上げる。
吸い込まれるようなその夜空の美しさに、目を細めて。
「うん。素敵な名前。あなたにもらった名前、大事にするわ」
それから俺たちは、無言で空を見続けた。
夜が明けて明るくなるまで、ずっと星空を見続けたんだ。
第4話まで読んでいただいた方、ありがとうございます。次回は第5話‥‥‥ではなく、幕間の物語となる予定です。意外なお方が主人公となりますので、そちらもぜひお楽しみくださいませ。