けたたましく鳴り響くアラームで、意識が覚醒する。
寝起きに靄のかかった意識で、最初に頭に浮かんだのは、
今日はハズレか、という一言だった。
起床時間と浅い眠りが合わなかったせいで、
頭はあと数分、寝惚けたまま、その数分がもったいないということだ。
午前6時の起床、そこから30分程度のランニング、朝食、etc、etc……、最後に24時就寝と、
彼の生活は綿密にスケジューリングがなされていた。
1分1秒を無駄にできない、規則正しい生活で多少なりとも鼓動の消費を抑える、
病気などもってのほかだから予防を心がける、
そういった理由から、彼の生活は徹底してルーチン化する。
彼に与えられた刻限は絶対的な時間ではなく、あくまで、鼓動の上限なのだ。
興奮すれば1分で500回以上減ることもあるし、寝ている間は、100回程度で済むだろう。
怒り、不安、悲しみといったネガティブな感情はもちろん、
喜びといったポジティブな感情すらも、鼓動を加速させる。
ただでさえ足りない時間を最大限に有効活用しようとすれば、感情の起伏を抑えなくてはならない。
しかし、彼はただ単純に長生きがしたいわけではない。
喜びも悲しみも忘れて機械のようにルーチンワークをこなすだけの生活など望んではいない。
それはあくまで最大限、長生きをするという手段であり、
そのせいで生活から彩りがなくなるというなら本末転倒もいいところだ。
要は酒や薬と同じ類で、適量を守ればいいという話であり、
面倒なのは、匙加減とはいえ、対象は無形の感情なのだから、
自制ではその発露を完全に管理できない点である。
こうして、彼の生活は充実と効率の板挟みになる。
「さてとっ」
早朝のランニングを終え、イヤホンから流れる音楽をスピーカーに切り替えると、
朝食を食べながら、今日は何をしようかとスケジュール表を頭に浮かべた。
効率と充実の板挟み、その結果、スケジュールは綿密でも、完全不動にするのは具合が悪い。
となると、学園の時間割のように、時間を区切って、各々で何をするかは朝に決める形に落ち着いた。
彼の部屋を見渡せば、スケートボード、バスケットボール、グローブとスポーツ用品から、
キーボード、ギター、ドラムといった楽器、極め付けには、本棚に旧時代の法律書やら学術書まで並んでいる。
雑食云々ではなく、本当に節操のない有様で、この部屋を見て彼の目指す方向性が分かる人間などいないだろう。
朝食を食べ終えた後は、食器を濯ぐと、新聞を手繰り寄せ、それに目を通しつつ、
1時間目はこれ、2時間目はこれと、今日の予定を決めていく。
この間数分、予定が決るや、動かなければ時間の無駄と言わんばかりに、
きびきびと立ち上がり、伸びをすると、荷物をまとめて、玄関へ向かった。
ドアノブに手をかけ、人工照明の光が差し込む中、
「今日こそ、最後の選択をする契機が訪れますように」
そう願って、一歩を踏み出した。
そうこうして、常に新しいことに挑戦しつつも、”いつも通り”に朝の数時間は過ぎていった。
彼の求める変化や契機なんてものは、結局のところ、
旧時代なら、思春期の妄想と笑い飛ばされる類のものであり、
起こらないのが当たり前といえば当たり前なのだが、それでも落胆を感じずにいられないようだ。
昼食時となり、頭に被せたヘッドホンからは旧時代の外国語が漏れ聞こえていた。
それが、楽曲であればまたレトロな趣味だな、と話題にもできそうなものだが、
彼が聞いているのは、文法の解説やら所謂、教育用なのだから、どこかズレている。
手には先ほど露店で見つけたルービックキューブを弄りながら、
さて今日は何を食うか、と視線を走らせていた。
「よう、ストライフ」
親しげな声とともに、背中から肩を叩かれて、振り向くと、
自分より目線1つ分ほど背の高い男が、立っている。
「おう、ブラトか」
掛けていたヘッドホンを外し、挨拶を返す。
明るい金髪は無造作に撫で付けられ、白いシャツに、少し裾が長いチャコールのチノ。
背も高く、精悍ともいえる体つきに反して、髪や服装からはだらしなさが伺える。
よく見れば、2つしか止められていないボタンは左右で1つずれているという有様だ。
動作もきびきびとしたストライフとは対照的に、緩慢であり、
良く言えば鷹揚、口さがない言い方をすれば、怠惰とも取れる。
しかし、この都市での絶対的多数はブラトのほうだ。
この都市にはヴァンピーアしかいない。
彼らには永遠の命が与えられているのだから、全ては時間の問題。
急ぐ、走る、焦る。
そんな余裕の欠片もない態度は、これっぽっちのスマートじゃない。
食べる時は食べるだけ、読むときは読むだけ。
いくつも同時並行なんて、みっともない。
それが、この都市で大多数を占めるモードであり、そういう観点からすればヴラトは絶世の美男子ということになる。
ヴラトは、何聞いてんの? と、ヘッドホンを借りると、
耳に当ててそこに流れているものに気づくや、盛大に吹き出した。
「いやー、やっぱお前変わってんね。
らしいっちゃ、らしいのかな。
ドイツ語かぁー」
そう言って頷きながら、ヘッドホンを返してきた。
「わかるのか?」
この都市ではまず使われない旧時代の言語、それをものの数秒で聞きわけたのだから、
ヴラトも少なからず通じているということだ。
「ああ、まあ、昔ちょっとね」
そうヴラトは濁したので、それ以上聞こうとは思わなかった。
次に、ストライフが話しながらも掌で弄っているルービックキューブに目をつけると、
呆れと愉快さ交じりに笑いながら、
「相変わらず、生き急いでるみたいで何よりだよ」
肩をすくめながら言い放った。
「俺はさ、ちょこっとだけどお前に期待してんの。
何か変わる切っ掛けになるんじゃないか、って」
大抵の奴が、”生き急ぎ(ストライフ)”と呼ぶ時は、侮蔑交じりになる。
今でこそ聞き流しているものの、数年前であれば、頭にきて乱闘騒ぎに発展したこともあった。
しかし、この男の場合、言葉通りの意味でも、そこに呆れはあっても、決して見下しているわけではなく、
親愛に似たものが込められている気がしたので、嫌いにはなれなかった。
自分を遠巻きに見るばかりのヴァンピーアの中で、
積極的に絡んでくるのはこいつくらいだったというのもあるだろう。
ただ、この手の話になると、なにぶん時間がかかるのがいただけないので、話題を変えることにした。
「そういえば、お前がご執心だって言ってた娘、どうなの?」
その言葉にヴラトは喜色を浮かべると、
「可愛いよ、まだまだ、青いんだけどさ。
もう少しで芽が出て、花も咲いて、それを想像するとわくわくするんだ。
ずっと、ずーっと、待ってた。
きっと運命の出会いってやつに違いないね」
子供のようにはしゃいで並べたてる。
「なんだ、ロリコンか?」
訝しんで尋ねると、
「いやいや、そういう”青い”じゃないよ。
素養とか才能っていうのかな。
今日もこの辺りにいるみたいで、一目見に来たってわけ」
その言葉に、呆れてため息をつく。
「どちらにせよ、犯罪じゃないか、ストーカー」
「純愛だよ」
「そうかい、まあ、捕まらない程度にな」
そういって話を切ると、お互いに逆方向へ歩き出した。
結局、昼はオープンテラスのある店で、ハンバーガーを頼むことにした。
そもそも、両手が塞がる食事というのがどうにも落ち着かないので、
よくよく考えれば、昨日も一昨日も、そう変わりのない昼食だったと思い返し、
なるほど、確かにヴラトの言う通り”相変わらず”なのだと、我がことながら呆れてしまう。
視線を通りに移すと、人の流れを観察する。
変わり映えのない日常、ゆっくりと停滞した平穏。
視界に広がるのはやはりそんなものでしかない。
叶えたい願いが多過ぎる。
なりたい自分が多すぎる。
なのに、――時間がたりない。
永遠の刹那になりたい、全てを壊したい、この出会いを永劫繰り返したい、死にたくない、焼き焦がれるような恋がしたい。
思春期の万能感よりもさらに幼い変身願望は本来なら成長とともに霧散するはずのもの。
しかし、そうならなかった。
死神に急かされる日々は、右利きの彼を、両利きにした。
それでも足りぬと、右足を、左足をと同時別個に扱う術を覚えた。
五体が塞がれてもまだ、五感が残っている。
目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いで、舌で味わって、肌で感じた。
特筆すべきは、五体、五感を総動員して余りある、その集中力。
しかし、当然、体は1つしかないのだから、余った思考は内へ向かう。
チクタク、チクタク。
砂時計なら風情もあろう。
古時計であったなら達観に至れたかもしれない。
しかし、余命を刻むそれは、無機質極まるセブンピース。
針の音さえも、ビープ音で無理矢理模したそれは、聞く人間を苛立たせる。
そんな不愉快極まりない時計を前に、なりたい自分、叶えたい願いを夢想する。
きっと俺なら何でもできる。
抱く自負は決して自信過剰ではなく、事実、彼にはそれだけの素養があった。
五体五感を駆使して余りある集中力はその証左。
しかし、自分の余命を知らされたあの日から、数年、
いまだに自分にとっての一番を決められずにいる。
体は小器用でも、心が不器用過ぎるのだ。
昼食を食べ終える頃には、片手で弄っていたルービックキューブは6面全て揃っていた。
暇つぶしにはなったか、と独り言ちると、
ハンバーガーの包み紙と一緒に丸めて、ゴミ箱へ放り投げる。
食後の運動にと、中央広場へ向かって足を進めると、
どことなく周囲がざわついているのを感じ、ヘッドホンを外す。
「なんだ?」
そして、目ざとく異変を見つける。
中央広場に面した銀行、その入り口、スモークのヘルメット、黒ずくめの男、
そして、発砲!!
突然鳴り響く銃声に、ざわついていた周囲のヴァンピーアは混乱する。
なんて時代遅れな、実弾なんてありえない。
高度に発展したヴァンピーアの都市でも、護身銃は存在する。
しかし、それはレーザーを利用して無痛無傷で対象を行動不能に追いやる、
そういった、ヴァンピーア流に言えば、エコなしろものだ。
火薬を爆発させて鉛玉を飛ばすなんて、時代遅れにも程がある。
ヴァンピーアにそんなものが聞くかどうかも怪しいというのに。
しかし、突如鳴り響く銃声、慣れない刺激を前に、大多数が右往左往している。
「なんで、中から出てきたんだ?」
その中にあって、ストライフだけが状況を冷静に分析していた。
旧時代の映画、漫画、あらゆる娯楽用品にありふれたシチュエーションにすぎないから、驚くことなんてない。
ただおかしいところは、賊が銀行の中から出てきて、わざわざ発砲したところ。
仮に銀行強盗であるなら、静かに、速やかには鉄則であり、外に出るのは用が済んでからのはず。
「まあ、いいか」
そう、細かいことはどうでもいい。
銀行強盗なんて、鼻で笑ってしまうような安い寸劇。
上手くいくはずがない、すぐに取り押さえられてお終いに違いない。
そう感じているのに、同時に、ここから何かが始まる気がしてならないのだ。
「形成」
そう唱えると、中空から2丁のデザートイーグルが現れる。
賊が扱うのは実弾とはいえ、数百年前は現役であった、ある意味最新式の実銃、
しかし、ストライフが手に取ったのは、正真正銘の骨董品(アンティーク)。
片方を懐に入れると、もう片方の銃弾を確認し、
銀行フロントの強化ガラスに向かって、撃ち放った。
「さすが、強化ガラス、固いね。
骨董品じゃ割れないか」
そうは言うものの、大口径の銃弾で、ガラスには大きくひびが入っている。
銃弾のガラスの衝突音で、賊の発砲に輪をかけて、周囲の狂騒は増している。
そんな状況を気にも留めず、目を伏せ、一歩一歩、力強く踏み出していく。
これは俺の妄想じゃない、確かに現実だと噛みしめながら。
壊れたみたいにバクバクと鳴り響く鼓動を心地よく思ったのはひょっとしたらこれが初めてかもしれない。
そう感じながら、先ほど撃ちはなった分をリロードする。
そして、目を開き、瞳を爛々と輝かせると、
助走をつけて加速、そのまま、ひびの入ったガラスを蹴破って、事件の真っただ中に押し入った。