泥の解析で流れ込んできたのはとてつもない感情。悲しみだとか苦しみだとか、そんなちゃちなものじゃない。怨嗟、怨恨、後悔、自罰……ただただ、それが繰り返されている。断片的に読み取ってこれなんだから……きっとこの泥をかきわけてお父さんを見つける頃にはボクの脳神経は大ダメージを受けていると思う。事実、その感情の情報量に解析は弾かれた。
「ッ……」
「夕ちゃん!?」
思わず膝をつく。震える。こんな感情を処理しきれるわけがない。ましてや、お母さんを目の前で失ったであろうお父さんにはなおさら……!
「お母さんでも目を伏せるレベルだね、これ……ちょっと調べただけで……震えが、止まらない……あれはもう、お父さんじゃないって言ってもいいくらい、ボクたちには手に負えない何かだよ……」
「……」
お父さんの動きは苛烈さを増していて、泥が落ちていくたびに奴のバリアを溶かしている。女神すら畏怖させる純粋な負のシェアの集合体。ただの化け物だ。
「どうすればいい、どうすればお父さんは……」
元に戻る。そう思った時、不意に空に紅い粒子がたなびいていることに気づいた。お父さんに寄り添うように、ふわふわと。
「お母さん……?」
優しい暖かさを感じる。気づけばボクの周りにも、ネプギアさんの周りにもある。
「茜さん……?」
お父さんとタリの女神の戦いは一進一退でこちらには一切の攻撃がこない。奴は今全部をお父さんに集中させている。だから、今のうちに……
「わかりました、やってみます」
「……?」
コンテナからライフルを取り出して向けたと同時にネプギアさんの誰かと話してるような声に驚く。ボクは何も言ってないし、何も聞こえていない。
「夕ちゃん。もう一度、さっきと同じことをお願い!」
「えっ……?できるけど弾かれるよ……?」
「うん、一瞬でいいから。それで、影さんは元に戻るから!」
気圧されるほどに強い意志をネプギアさんから感じる。
「……わかった。やってみる」
もう一度解析の構えに入る。お父さんの情報だけを得るために伸ばした腕に紅い粒子がまとわりつく。暖かい。
「いくよ、
刹那、再びとんでもない情報量がボクを襲う。痛い、苦しい。つらい。そんな言葉で表すには生ぬるい、言葉を超えた負の感情。でも、前よりも情報が整理されてる……
「お母さん……?」
ふと、紅い髪がボクの横を通った気がした。それは本当に気のせいだったんだけど、まるでお母さんが必要ない情報を受け流してくれていたかのように、ボクはすんなりと泥についての解析を終えた。
「これ、本当に純粋な負のシェアエナジーだ。泥のように見えているのは固着化が不完全なのに物質化してしまったからなんだ……でも、これを制御下に置くなんてできるの……?下手すればお父さんそのものが呑まれて……ってあれ?おかしい」
純粋なシェアエナジーは人間には有害とされている。いくら文字通り人間離れしているお父さんといえども、むしろ女神に近くなっているお父さんは正負のシェアエナジーのぶつかり合いで反発、形象崩壊だってありえる。なのにお父さんは形象崩壊どころかどこも全く影響を受けていない。何かに護られているように……
「あの魔剣?あれがお父さんを護ってるの?」
魔剣に照準を変えて解析しようとしたその時だった。お父さんの持つ魔剣が強く光輝いたのは。
「なに……!?」
「やった……!」
「何をやったの!?ボク、まだ解析してるだけで……!」
「それでいいんだよ、夕ちゃん。ありがとう。茜さんを影さんのところに連れて行ってくれて」
「……ボクの解析は対象をシェアエナジーの力で調べること、情報の伝達も全部信号化されたシェアエナジーが行うのなら……ありえるの?そんなことが……意識の残滓がシェアエナジーになって、それが影響を及ぼすなんてそんなこと!奇跡だよ!」
「夕ちゃん。女神は、奇跡を起こすんだよ」
ネプギアさんの眼は真っ直ぐボクを見ていた。次に、あのタリの女神を見た。
「何、何なのよこのクソ眩しい光は!」
「これが、奇跡の光です!」
そう言うが早いか、眩い虹色の光がお父さんを中心に、まるで世界を覆うかの如く迸る。
「なに、このシェアエナジーの量は……」
ボクのモニターには、「Air percentage of Share energy≒∞」と表示されている。
無限?そんなことがありえるの?お父さんの纏った泥のような負のシェアエナジーを変換したら無限に近い正のシェアエナジーが溢れるなんてそんなこと、お父さんが世界中の憎しみの象徴だとでも言うの?
……いや、言える。今の世界をつくったのは、ネプギアさん以外の女神を殺したのはお父さんなんだから、それほどまでに憎まれていても納得がいってしまう。
「夕ちゃん!」
思考の深淵から、ネプギアさんの声ではっと現状に立ち返る。そうだ。まだタリの女神を撃破していないのだから……って、あれ?
「ネプギアさん、タリの女神は、どこに……?それに、ここは……?」
見渡す限り真っ白で、あたりに一面なにもない。ただただどこまでも続く白い空間。
そこにはボクとネプギアさん、空中に浮く魔剣とお父さん。そして、それを包む七色の光。紫、黒、緑、白、水色、ピンク、赤。よく見ると黒だけ二つある。
「あれは……」
「お姉ちゃん……みんな……」
「ネプギアさん?」
あの八つの光は、お父さんの周りをぐるぐる動きながら、お父さんが目覚めるのを待っているように感じた。
「夕ちゃん、夕ちゃんの再構築で、みんなにもう一度……肉体を作ってあげてほしいの」
「肉体を!?確かにここのほぼ無尽蔵なシェアエナジーならできないこともないけど、それを八つ!?あの光が何かもボクにはわからないのに……って、それは解析すればいいか……」
「あれは、みんなの……影さんが魔剣で刺した、女神のみんなの魂だよ」
「……魂から肉体を再構築、か。この無限のシェアエナジーで、女神の復活、やってみるよ。」
この無限のシェアエナジーがあるなら、今のボクにできないことはない。
「そういえば、最初の質問に答えてもらってないや、タリの女神はどこ?」
「あの人は……この空間の外にいるよ」
「そっか、じゃあ安心して再構築に取り掛かれるよ」
襲われる心配はない。なら、やってやろう。女神が女神を復活させるなんて、面白そうじゃん。
もう、俺には何もない。
喪ったものは、二度と戻らない。
いつか描いた平和も、平穏も、夢の向こう側。
希望、理想、願い、祈り……そのすべてを否定した先、それが俺だ。
もう、疲れたんだよ。
一人で生きることはもう、できないのだから……
「…………い…………えい…………影!」
目を覚ます。
俺の顔を覗き込むのは水色の髪に紅い瞳、白い特殊なスーツのような装備を纏った少女。
俺はこの子を知っている。愛している。でも、もう二度と会うことはない。周りを見渡せば辺りは一面真っ白で、戦闘もなにもなかったかのように、それどころか一面なにもない。俺はもう全身ボロボロで、義手義足の類は全て破損していた。これではまるで夢だ。いいや。まるで、ではなく確実に夢だ。
「ブラン……?夢、か?夢だ。だって、ブランは……」
「その言い草だと、夢に私が出たことはなさそうだな」
「どうして、今……夢を……い"ッ!?」
頬を強くつねられる。痛い。夢ではないとでもいうのか?目の前にブランがいるんだぞ?そんなこと、そんなことありえるはずがないのに。
「いろいろ言いたいことも山ほどあるが……全部これだけで済ませてやる」
つねった手を握りこぶしに変え、渾身のパンチがつねられた頬を直撃する。
「ぐう"ぁはっ!?」
吹っ飛んでしばらく地面を転がったが、やはり痛みは本物で、だからこそ理解が追い付かない。切れた口の中から血が出るがそんなことはどうでもいいんだ。
「肉体言語で済ますだなんて、相変わらずではありませんの?」
「うるせーな、お前だって一発くらいは殴りたいんじゃねーのか?」
「わたくしは……そうですわね。貴女の後に殴れるほど、強くはできませんの。そちらは?」
「私もパス。これ以上殴ったら死んじゃいそうで元も子もなくなりそうだしねー……あんたはどうなのよ?」
「私は殴る気なんてさらさらないわよ。むしろ抱きしめてあげたいくらいだわ」
「やめとけ、その姿だと拒絶されるぞ」
「それもそうね……」
聞こえる。いつも聞いていた四人の声が。俺が殺した四人の声が。
「いたそう……」
「えー、もっとやってもいーと思うけどなー」
「やめときなさい。でも、ひと段落着いたら思いっきり好きないたずらしてやりなさい、気が済むまでね」
「みんな……」
聞こえる。まだ幼さの残る四人の声が。未来のために、未来を失った四人の声が。
「全員集合だね。まっさか二回も生き返るなんてほんとに人生何があるかわからない……って思うけど……いっか。気にしない気にしない。さぁ、顔を上げて。私の大好きな、私のえー君」
声のままに、顔を上げる。
そこには、魔剣に刺された少女たちが、肉体を得て再び蘇っていた。
「あ、かね……?」
「あーあー、こっぴどく腫れてるよ、ブランちゃんったらよっぽど嬉しくってはしゃいじゃったんだね、わかるよ~」
「茜……お前よく平然とボケていられるな……」
「そりゃ十年以上ぶり二回目の蘇生、三回目の人生テンション上がってボケたくもなるって」
「それより茜、貴女、服がないことに気づいてないの?」
「知恵の実食べる前はこうだったって言うし、別にえー君なら問題ないし……あーでもこの空間消えちゃったら問題かー……へいゆーちゃん!なんかこう、とりあえず隠せる布作って!」
「えぇ!?えーっと……これでいい!?」
「おー、普通にゆーちゃんのログの中に残ってた私の私服だね。さて、それじゃあ本題に入ろっか」
脳が追い付いていない。どういうことだ。何が起こっている?
「影さん、あなたが背負った罪と業、そして絶望が、ほぼ世界中すべての負のシェアエナジーを呼び寄せて泥となり、そのすべてが魔剣により正のシェアエナジーに変換、魔剣に残っていたお姉ちゃんたちの魂から夕ちゃんが無尽蔵ともいえる正のシェアエナジーを基に再構築したんです」
「……そうか……でもそれで、俺の罪は、業は消えないだろ」
「そうですね。もちろん消えません。でも、赦すことは……赦されることは、できるかもしれません」
「…………そうか。だがいずれにせよタリの女神の撃破が必要だ」
「はい。だから、影さんにはあのタリの女神を倒してもらいます。ただし、審判の悪魔としてではなく、女神の使徒として」
「それに、偶発的とはいえボクが招いた敵だから、ボクも一緒に戦う。」
「夕……」
戦うことには躊躇はない。でも、俺の身体は……
「この空間の残りのシェアエナジーなら、お父さんの身体を再構築する分は残ってる。それが終わったら……戦いがもう一度始まる」
「私たちはまだ戦えるほど身体をうまく動かせないから、えー君、そしてゆーちゃんが頼りだよ。お願いするね」
「そうか……」
深呼吸をする。結局、俺のやってきたことは徒労で無駄だったのかもしれない。
結果だけ見れば、女神がいる世界に戻ったのだから……長い歴史の間のちょっとしたアクシデントみたいなものとして落ち着くのかもな。
「始めてくれ、夕」
「うん、
空間が消えた。焼け野原になったプラネテューヌ中心に、三人だったボクらは今、十一人になっている。
「はぁ!?新しい女神を生み出したっていうわけぇ!?」
「お待たせ、タリの女神。いやほんと、多分めちゃくちゃ待ったと思うから……もう体力は回復してるって見ていいんだよね?」
「はっ、おかげさまでたぁーっぷり回復することができましたぁー!」
「……そうかい、なら……終わらせようか」
次回、第三十話「未来導く光」
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