神生オデッセフィア。
──イリゼの国、俺の理想のその果て。届かないはずだった、夢の向こう。
そんな国を散歩した帰りに、教会近くで鼻をくすぐるスパイスの匂いにつられたように足を向けていた。珍しくちゃんと空腹だったからだろうか。
「……愛月か」
「ッ!?びっくりしたぁ!?」
匂いの発生源は愛月の設営していたキャンプセットからだった。どうにも定期的に手持ちのポケモンたちがこうしてカレーを求めるらしい。やはり、よくわからない生き物だなポケモンは……
「そうだ、ちょっと作りすぎちゃったから影さんも食べる?」
「いいのか?じゃあもらおうか」
そんな思索の中で、愛月からの提案。無下にするのも憚られたからか、俺は受け入れてしまう。
「いただきます」
この時点で考慮しておくべきだったのが肉系素材の使用の有無だった。結局杞憂に済んだのは半ば奇跡みたいなものだが、実際入っていたらこの少年にどう説明するかを悩むところだった。
さすがに、己の所業をこの年齢の少年に伝えるべきではないはずだが……
「そうだ、影さん」
「ん、なんだ?」
そういえば夕には愛月よりも幼いころに伝えていたなとも思い、まぁ話してもいいか(「よくないよ!」という心の中の茜の声が聞こえたのはそう)と思ったところで愛月の声。
「影さんは、みんなで戦っているとき何を考えているのかなって思って」
「勝つためのプランだが……聞きたいのは、そのプランを構築するための思考プロセスといったところか」
「うん!」
曰く、愛月はポケモントレーナーで、ポケモン同士で戦うポケモンバトルという競技のために俺の思考プロセスを聞きたいらしい。
「グレイブはチャンピオン、だったか」
「そうだね。無茶苦茶なことばかりしてるけど、バトルの腕はすっごいよ!」
「なるほどな。さて……俺の思考プロセスか……正直に言えば、今の愛月に真似はできない」
「え……?」
「単純な話だ、物理法則やエネルギー効率、諸々の計算式を正確に知って、運用しなければいけない」
「あ……そっか」
基本的に俺の演算能力は義眼によるものだとも付け加えておけば俺の真似というのは事実上不可能であることがわかるはずだろう。だが、感覚的に本質を突けていない気もしている。
「……いや、愛月。お前が聞きたいのは、動きの合わせ方のほうか?」
「うん、それも聞きたい。影さん、イリゼと合わせて動いてる時すごく楽しそうだったから」
「楽しそう?イリゼと合わせて?どう見えたらそうなるんだ……」
全く想像もつかないようなことを真面目な声で言われて柄にもなく頓狂な声が出てしまう。
「うん。イリゼと合わせて動いてるとき、なんだろう、二人とも次の動きがわかっている!みたいな、『みらいよち』って感じで」
「まぁ、イリゼの動きは直線的なことが多いからな」
「そうかな?」
「そうだ。そもそもイリゼの動きというのは圧縮シェアエナジーの爆発を利用している以上、慣性の都合でどうあがいても直線軌道にしかならない。だから『動きが読みやすい』……」
右を向く。イリゼがいる。いやまぁわかっていた。途中から愛月の表情が妙なことになっていたからな。
「影君?愛月君に変なこと言ってないよね?」
「変なこととはなんだ、自分からナイフに刺さりに行ったこととかか?」
「えぇ!?大丈夫だったのイリゼ!?」
「大丈夫だったよ、すっごく痛かったけど!じゃなくて!早速私をいじり倒すのやめてくれる!?」
そうだな、元気じゃないとこんなにツッコミできないものな。なんて言いながらイリゼを適当にあしらっていく。
「こほん。珍しい組み合わせだな~って思って見に来たらこんなに雑に扱われるなんて……」
「雑に扱われにやってきたわけではなかったのか」
「ち~が~い~ま~す~」
「まぁまぁ……でも、不思議だなぁ……あんなに息ぴったりで動けるのに普段はこう、きょうだいみたい?」
そんな愛月の言葉に二人合わせて振り向く俺たち。
「きょうだいみたいって……愛月くんにはそう見える?」
「ほらイリゼ、お兄ちゃんだぞ~」
カレーをすくったスプーンをイリゼの方に向けると、
「黙ってくれないかなお義兄ちゃん!?」
と言いつつスプーンに飛びつくイリゼに肩をすくめる。
「おいしい!さすがは愛月君だね~」
「ありがとうイリゼ……というか、餌付けされてない?」
「してるな」
「されてるね……って!も~!」
顔を赤くしながら膨らむイリゼ。やはり、非常にわかりやすい。
「とまぁ、そういうわけだ。愛月。俺の場合、ことイリゼに限って言えば動きは透けるようにわかるから、戦闘では合わせやすいという話になるか」
「戦闘での合わせ方の話をしていたの?」
「あぁ。愛月は最初俺の思考プロセスをポケモンバトルに活かそうとしていたんだが……」
「間違いなく参考にする人選を間違えてるよね」
「俺もそう思う。前提となる知識量や演算能力が愛月にはないからな」
「そこまではっきり言わなくても……」
カレーを完食し、ごちそうさまと告げた後に愛月に向き合う。
「まぁ、俺から言わせてもらえば愛月、お前は別に俺を参考にするまでもない領域にたどり着いている」
「え……?」
「ポケモントレーナーが何ができて何ができないのかをうっすらとしかわからない俺だが、少なくとも俺やイリゼのように直接戦闘をすることはお前にはできない」
俺の指摘に、愛月は頷く。
「だが、お前は戦えないからこそ自分にできることを探している。今自分ができる最善の行動を自分で思考し、実行する能力を持っている。だから、それでいい」
「それでいいって……でも!」
「それでいいというより、『それがいい』のほうが伝わり方がいいと思うな」
「じゃあそういうことにしよう。自分で考えて自分で動ける人間には、その先を示してやる必要性がない」
「必要というか、これからもそのまま自分で考えて自分で実行していればいいってことでしょ?」
「そうとも言う」
ともあれ、伝えたかったことは愛月に伝わったからいいか……
「もう……ごめんね愛月君。影君はほんっとうに言葉足らずだから……」
「だが伝わっている、問題ない」
「問題しかなくない!?あれでちゃんと伝えてたつもりなの!?」
「あ、あはは……ありがとう二人とも。僕、頑張るよ」
愛月の表情は少し晴れていた。ならいいかという思いでイリゼも落ち着く。
ポケモンたちと片づけをするから先に戻っていて欲しいと言われ、手伝うことも進言したがファングやフロストたちが身体を動かす時間も兼ねてるんだという声で先に教会に戻ることにした。
「イリゼ」
「何、影君」
表情が晴れていた愛月と比較して妙に膨れてるイリゼなのだが、まぁいつものことだろう。
「助かった」
「何に……?何から……?」
「愛月の話だ。おそらく、イリゼがいなかったら話すべきことじゃないことを話していた」
「いったい何を話すつもりだったの……?」
「己の所業と、理想の話さ」
イリゼは俺の所業を知っている。だから、一瞬とはいえ表情が険しいものになった。そうだよな、俺だってわかっている。愛月に話すべきことじゃない。そして、俺の理想の話は……イリゼにだけは話せない。
「それ、は……って、待って影君。そういえば、影君の理想って……」
「滑らせた口が悪いとはいえ、よく耳が立つものだ……忘れろ」
「忘れられないよ、だって、私が見せたでしょ?」
「そうだったな、そう思えば愛月はちゃんと核心を突いていたわけだ」
「核心?」
隣を歩くイリゼの頭に右手をぽんと置く。
「俺は、お兄ちゃんだということに」
「ほんと、重度のシスコンなんだから……ってか!それで思い出したけど影君、オリゼが影君のこと『おに~ちゃん……』って呼んでたんだけど!?」
「おお、それはすぐ行ってあげないと」
「何呼ばせてるのさ!影君や茜がオリゼと仲良くしてくれてるのは嬉しいけど、さすがにそこまではちょっとどうかと思うなぁ!?」
「俺の妹の枠はオリゼといえども譲れない、と」
「なんっでそうなるかなぁ……!」
腕を振り回しぽかぽかと叩いてくるイリゼをスルーしながら、教会に戻る。
さすがに教会に戻る時には平静に戻っているから何事もなかったということになる。
はぁ、相変わらず……本当に、眩しい奴め……
思えば、この
それは結局、あの奇跡のおかげなのだが……巡り巡れば、本当の意味で世界というものを救ったのは茜なのかもしれないな……
「ふっ……それじゃあお兄ちゃんを遂行しに行くか……」
一歩、オリゼのいる部屋に足を向ける。その刹那、背後から声がかかる。
「だめだよ~?今日は私の番なんだから」
「……改めて思うが、っとと……背後からその囁き声は、効くな……」
「でしょ~?練習したかいあったな~」
背後から飛びつくような形で全体重を預けて耳元で囁く茜。こうなっては茜の言うことを聞いておいた方がいい。甘えんぼさんめ……
「戻ってきて早々いちゃついてるね、茜……」
「ぜーちゃんには、あげないよ!」
「もらう気もないよ!」
「もらわれるつもりもない、行くぞ」
傍から見れば茜をおんぶする形で部屋に向かう。
「えー君」
「なんだ、茜」
「眩しいね、ぜーちゃんは」
「そうだな」
だが、前来た時と比べて俺たちの世界は進んでいる。だから、それでいい。
「……眩しさに目を焼かれるだけではないのが、救いか」
「救いというか、見えてきたんでしょ?眩しさに目が慣れて」
「そう、だな……」
俺たちの世界は、奇跡の果てに成り立つことを許された。だから、そこから先の理想にまでようやく目を向けられるようになった。だから、お前は……理想であり続けてくれ、イリゼ。そして、理想からかけ離れるようなら……
「ふっ……」
「えー君?」
「いいや、なんでもない。ありえもしないことを考えそうになっていただけだ」
「そっか」
部屋に入り、扉を閉めながら視線の先のイリゼを見る。
まだ、理想には程遠い。けれど、いつかたどり着いてみせる。俺たちの、世界も。