カワラナイモノ   作:紅卵 由己

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 鬼人の案はこうだった。

 広く動きやすい場所に出て、そこで全力で迎え撃つ。

 実際問題、サングラスの男から捕らえられた時は図書室という場所がそもそも戦いの場としては狭すぎた――その上、集団の長であるサングラスの男以外にも『同類』の手下が室内に集っていた。

 であれば、逆に広く動き回れる場所で迎え撃ってしまえば、まだ打つ手を模索するだけの余裕も作れる可能性がある――という話らしい。

 校舎の狭い通路や各教室などは論外だろう。

 であれば、戦いの場は決まっている。

 彼らは今、文字通り動き回るために用意された乾いた場所――運動場にいた。

 

「……広いなぁ」

「戦うにはもってこいだろ?」

 

 既に、脱走はバレている。

 これから行われる戦いに巻き込むわけにはいかない少女の扱いについては、青年が捕らわれていた体育館のそれとは異なり、運動場に個別で建てられていた倉庫の中に隠しておくという方針に決まった。

 青年と鬼人は、その倉庫を背にする形で追っ手として来るであろうサングラスの男の手下を待ち受ける。

 集団を相手取る以上危惧するべき、囲まれて袋叩きにされる危険性については、各自速やかに撃破する事で突破する方針で決めていた。

 むしろ、サングラスの男が仕掛けてくる前に多くの追っ手と戦えた方が尚良いと、青年でさえ思っている。

 何故ならこの場に来る前、鬼人は青年にこう説明していたからだ。

 

「薄々気づいてたかもしれねぇが、俺達は戦えば戦うほどに強くなっている。今のままだとあのサングラスの野郎に力負けするのは目に見えてるからな、少しでも力をつける必要がある。その相手を、即興だが手下どもに担ってもらおうぜ」

 

 実の所、青年にはそのような形で強くなった感覚に覚えが無い。

 だが、本当であれば無視出来ない話だった。

 今はとにかく、あのサングラスの男に勝つための強さが必要だ。

 不利な状況も糧とし飲み込み、少しでも勝てる可能性を増やさなければならない。

 時が来て、視界に十人以上の『同類』の姿が見えた頃、青年は鬼人に目配りをして、

 

「来るぞ。抜かるなよ!!」

「当たり前だ!!」

 

 一気に駆け出し、鬼人と共に手下の群れが居る方へと自ら向かう。

 サングラスの男の怪物としての力は未だに未知数だが、手下の方は数で劣る青年と鬼人だけでも十分対応出来る程度の力しかないようだった。

 二人に比べ、戦いの経験――あるいは苦難の経験が劣っているからかもしれない。

 彼らの素性は知らないが、あのサングラスの男の思考に同調して手下となっている者は少なからずいるだろう。

 人間を越えた存在として自らの立場を設定し、力で劣る普通の人間達を虐げ支配する――そんな思想の下で日々を過ごしていたのなら、食料さえあるいは人間から搾取していてもおかしくは無い。

 本心はどうあれ、そうして楽をして過ごしていたのなら、身を挺して怪物と戦って来た回数は多くないはずだ。

 少なくとも、自分よりも強い力を持った怪物と戦って来た経験は少ないだろう。

 こうして捕まえに来た者達についても、数の利に慢心している節がある。

 この『縄張り』に辿り着くまで、日々野生の怪物と命懸けで戦ってきた青年と鬼人にとって、その程度の相手は大した事は無かったのだ。

 烏合の衆、と称するのが正しく思えてくるほどに。

 そうして数々の手下を自らの実力で下し、冷えた夜風に対して青年と鬼人の体が暖まってきた頃。

 その時は、来た。

 

「……捕まえるのに随分と時間が掛かってると思ったら、中々やる奴等だったんだなぁ」

 

 いっそ忌々しいとさえ思える声が聞こえた。

 青年と鬼人は、即座に声の聞こえた方へと視線を移す。

 運動場の乾いた地面の上に力無く倒れ付す自らの手下を見やりながら、その男は姿を現した。

 この辺りの『縄張り』を仕切る、サングラスの男。

 既にその姿は怪物の姿――金属質な猿人間の姿――に変わっている。

 その視線はまず、青年ではなく鬼人の方へと向けられた。

 

「お前とは互いに良い関係を築けるとも思ってたんだがなぁ。まさか、仲良くしようとしてその当日にこんな真似をしやがるとは思ってなかったよ」

「生憎、俺はお前とは最初から良い関係が作れるなんて考えてもなかったよ。思考回路の時点でソリが合わない」

 

 ふぅん、と聞き流すような調子で受け答えるサングラスの金属猿人間。

 その視線が、鬼人から獅子の獣人と化した青年の方へと移る。

 

「で、差し入れは気に入ったか? 選りすぐりのものを選んだつもりだったが」

「……どうしてあんな女の子を餌にしようとした」

「ん? もっと肥えた女の方が良かったのか? そうか、それは確かに俺の選別ミスだな」

 

 その間の抜けた返しに、青年は歯を剥き出しにして怒る。

 暗い倉庫の中、餌として閉じ込められた少女の泣き顔が脳裏に過ぎる。

 

「ふざけるな……ッ!! あの子がいったい何をした。あんな扱いまでされるような事をやったっていうのか!? 人の命を何だと思っているんだ!!」

「家畜。あるいは奴隷。今じゃそう思っているが?」

「お前……ッ!!」

「おい落ち着け!! ヤツの言葉に乗せられるんじゃねぇよ!!」

 

 鬼人の言葉に、一気に踏み込もうとした足の力を緩める青年。

 だが、口元からは歯軋りの音が鳴り、元々赤かった目は既に血走っているように見える。

 その怒りを意に介さず、サングラスを掛けたその悪魔は自らの言葉を発する。

 

「……しっかし、その様子だと食ってないようだなぁ。あの差し入れ。でもって、何処かに隠したと見える。なぁ、何処に隠したんだ? 貴重な奴隷だからよ、食わないってんなら返してほしいんだが」

「死んでも、お前には教えないし渡さない……ッ!!」

「それなら自分で探すとする。その前に、まずはお前らからとっ捕まえないとな」

 

 金属質の猿人間はそう言うと、右脚を前に出して構えを取った。

 青年と鬼人もまた構えを取り、臨戦態勢に入る。

 走り出す直前、サングラスの男はこんな言葉を響かせていた。

 

「さぁて、それじゃあまた屈服させてやろうかぁ!!」

 

 直後に、三者共に一斉に駆け出した。

 まず最初に、獅子の獣人がその膂力でもって金属質の猿人間と激突した。

 互いに右の拳を正面からぶつけ合う。

 結果は一目瞭然だった。

 

「っ……!!」

 

 金属質の拳と打ち合わせた瞬間、その衝撃に青年が苦悶の声を漏らした。

 右の拳はもちろんの事、腕から肩までが一斉に痛みという名の悲鳴を上げる。

 続けて鬼人がその右手に持った骨の棍棒を金属質の猿人間の頭頂部に目掛けて振り下ろしたが、ガァン!! と高い音を鳴らすだけで、一発貰った張本人の反応からしても明確なダメージを与えられたようには見受けられなかった。

 お返しと言わんばかりに金属質の猿人間がまだ振るっていない左の拳で獅子の獣人たる青年の腹部を殴ろうとする。

 咄嗟に青年は後ろの方へと飛び退き、拳の一撃を空振らせる事こそ出来なかったが威力を殺す事には成功したらしい――その口から苦悶の声が漏れることは無い。

 同時に鬼人も飛び退き、一旦態勢を整える。

 

「痒いなぁ痒いなぁ!! この程度か? もっと本気を出してみろよ!!」

 

 敵の煽りは無視し、鬼人は思考する。

 恐らくあの金属の体は、硬さだけならつい少し前に戦った骨の竜の体よりも上だろう。

 ただ拳や棍棒を打ち付ける程度で倒せる相手ではない。

 鬼人はすぐさま棍棒を左手に持ち替え、空いた右手を振りかぶる。

 同じ考えを抱いたらしき青年もまた、同じように右手を振りかぶった。

 共に、技の名を叫ぶ。

 

「覇ァ!! 王ッ!! 拳ッ!!」

「獣ッ!! 王ッ!! 拳ッ!!」

 

 獅子の顔の気と鬼のような顔の気が、共に金属質の猿人間の体を食らわんとして向かう。

 片や骨の竜の体の文字通り食い千切った一撃――避けられなければ一たまりも無いはずだ。

 だが、現実は彼等の願う通りの光景を見せてはくれなかった。

 二つの異なる顔の気は猿人間の金属の体に食らい付くと、食らい付いた歯の方から一気に霧散してしまったのだ。

 当然、技を受けたはずの猿人間に効いているような様子は無い。

 

「それがお前らの『技』か? 俺様を前に『王』なんて付いた名の技とはな!!」

 

 そう受けた技に対して上から目線の感想を漏らす猿人間は、突如その右手の人差し指を空へと向けた。

 その指先に、何か黒く禍々しいものが見える。

 不吉な予感がした。

 

「これがこっちのお返しだ――ダーク・スピリッツ!!」

 

 猿人間が響くような声で『技』の名前を告げた直後だった。

 突然、上方から巨大な黒い稲妻にも似た何かが降り注いできた。

 確かに今日の空は曇り空だったような覚えもあるが、天災と言うには異質極まる現象だ。

 次々と自分達を狙って降り注ぐ『それ』こそが猿人間が行使出来る『技』なのだと、左右前後に動きまわって回避に専念する青年と鬼人は理解した。

 そして、真っ先に青年の意識が異なる方向を向いた。

 

(まずい、こんなものがあの子の隠れている倉庫に当たったら……!!)

「おおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 自らに雨の如く降り注ぐ攻撃を無視し、青年は『技』を行使している猿人間に向かって駆け出し、正面から肉薄する。

 毒を宿した爪を生やす右の五指を伸ばし、突き刺すような動作でもって攻撃を仕掛ける。

 狙うは顔面――ではなく、サングラスに覆われて見えないその眼球!!

 

「……チッ!!」

 

 初めて、猿人間たるサングラスの男が青年の回避を選択した。

 行使していた『技』を維持するための集中を削がれたためか、上方から降り注ぐ異常な人災がパッタリと止む。

 その結果に、青年は一つの予想を脳裏に浮かべられた。

 つまり、

 

(……あのサングラスがファッションの一環なのか何なのかは知らないが、いくら金属の体と言っても眼球まで硬くはなってないだろ!!)

 

 故に、攻撃を避けられたとしても焦りの情は無い。

 続けざまに眼球目掛けての攻撃を決行し、猿人間に回避を余儀無くさせる。

 その必死さから見ても、やはりサングラスに覆われた眼球が弱点である事は間違いなさそうだった。

 

「鬱陶しいぞ!!」

 

 途中、突き出した手を右手で弾き、猿人間は切り返すようにその右足で青年の腹を蹴ろうとした。

 だがその瞬間、青年は左手を同じように突き出し――その爪が猿人間のサングラスのレンズを正確に貫いた。

 奇妙な形のクロスカウンターが成立する。

 猿人間の蹴りが青年の腹を捉え、その威力でもって苦悶の声と共に後方へと仰け反らせる。

 一方、獅子の爪に貫かれたサングラスのレンズは爪が抜けると共に破片を散らし、その事実を認識した猿人間の口から怒りの声が響く。

 

「て、めぇ……っ!! よくも俺の自慢のトレードマークを!!」

「……やっぱり、その眼が弱点のようだな」

 

 怒りの声に、今度は青年の方が笑みを返す。

 その攻防を少し離れた位置から見ていた鬼人もまた、青年の言葉に納得したらしい。

 しかし、直後。

 猿人間が再び右の人差し指を上方に向け、その先端に黒いエネルギーを迸らせようとした――その動作から来ると推測される『技』の発動を阻止しようと、青年が今度こそサングラスの奥に見える眼球を狙おうとした時だった。

 黒い力が突如消失し、人差し指を立てていた右手の形が、拳の形に変わる。

 あっさりと自らの『技』を中断したのではない――その動作でもって行動を疑わせ、誘いに乗った相手をその拳で殴り付けるためのブラフだったのだ。

 しかし、気付いてからではもう遅く。

 既に猿人間に向かって接近しようと動いてしまった青年の顔面に、金属の豪腕が振るわれた。

 

 ゴキャァッッッ!! と肉と骨を打つ凄まじい音が響く。

 

 その威力に、青年は一瞬首が飛んだかと錯覚した。

 体を丸ごと吹っ飛ばされ、数メートル以上も乾いた大地を転がる。

 吹っ飛ばした側である猿人間が、容赦すること無く追撃に走ろうとする。

 それを見た鬼人が猿人間の追撃を阻止しようと動いたが、その行動さえ読まれていたのか、猿人間は追撃に向かおうとした足取りを急に止め、振り返ると共に右の足で鬼人の体を蹴り飛ばした。

 青年と同じく飛ばされて、鬼人もまた長い距離を倒れ転がる。

 その吹っ飛ぶ様子を確認する事も無く、猿人間は再び青年の追撃へと足を向かわせた。

 そして、

 

「……っ、ぐっ……!!」

 

 拳の威力の影響か、青年の意識は明滅していた。

 元々、捕まってから何も食べ物を口に入れていない状態だったのだ――その一撃は体の芯から力を奪うに足りるものだった。

 それでも起き上がろうと、仰向けに倒れていた状態から起き上がろうとした時。

 突然、凄まじい力で首を掴まれた。

 強制的に起き上がらせられ、直後に再び顔面に衝撃が奔った。

 殴られたと知覚した時、その視界には残忍な笑みを浮かべる金属質の猿人間の顔があった。

 

「我が侭にしても度が過ぎてるなぁ……よくもまぁこんなひでぇ事をしやがるもんだ」

「……っ、はぁっ……!! お前がしてきた、ことに比べれば……安いものだろ」

「口が減らないヤツだ。どうやら、躾ってやつがとことん必要らしい!!」

 

 首から手を放されたと思ったら、今度は腹に足を落とされた。

 首を直前に掴まれていた事も相まって、腹を足と地面に挟まれた青年の呼吸がおかしくなる。

 だが、意識が遠のこうとした瞬間、顔面に殴られたかのような衝撃が奔り、強制的に現実へと意識を戻される。

 どうやら徹底的に痛め付けるつもりらしい。

 サングラスの男から、暴力と共に嘲りの言葉が発せられる。

 

「大層な口を利いてもこの程度の悪知恵が浮かぶ程度か。これならまだ逃げた方がマシだったろうにな」

「ぐっ、げほっ」

「何を考えてよりにもよって俺を相手にしようとしたかは知らんが、もしかしてあの小娘でも助けようと思ったのか?」

「は……っぐ」

「だとしたら本当に馬鹿なヤツだ。あの野朗も含めてな。あんなのを助けて何の利益に繋がる? お前達が得をするような事が何処にある?」

「げはっ、ぐえっ」

「ハッ!! 馬鹿馬鹿しい。大人しく俺様の意思に従っていれば、痛い目を見ずに済んだものを。人間を守れば人間らしくいられるとでも考えたのか? 人間の暮らしに未練があるようだったしな。そんなに望むなら人間らしく扱ってやるよ。あのガキと同じく奴隷として、だがなぁ!!」

 

 殴られ、蹴られ、吊り上げられて、叩きつけられて。

 体から戦う失われつつある中、青年は意識を朦朧とさせながらも、目の前の殆ど人の形をした悪魔の声を聞いていた。

 言動も内容も、ここまでに至る青年の行動そのものを嘲るものだった。

 以前にも青年は、この男に自らの考えを否定されている。

 人間として生きようと足掻く事が無意味だと言われ、それに反論も一つも出来なかった事に悔しさを覚えた。

 だが、青年はたった今告げられた言葉の内容を否定せず、むしろ噛み締めていた。

 体感としてはゆっくりとした時間の中、首を左手で掴まれたまま、ぼんやりと思う。

 

 逃げた方がマシだった――結果を知っていれば、あるいはそう思ったかもしれない。

 少女を助けて何の得があるのか――確かに得るものは何も無いかもしれない。

 人間を守れば人間らしくいられると考えたのか――そう考えた事は全くなかった。

 

 確かにサングラスの男が語る通り、青年の行動は決して自身の利益に繋がるものではないだろう。

 戦いをする時点で傷と痛みを背負う事は避けられず、成功したとしても自分が何かを得るわけではなく、失敗すればただ厳しい代償だけを背負わされる。

 根本的に、損得の話にすらなってないとさえ言える。

 その事実を、青年は改めて認識した。

 そして、今更なことのように、今までの歩みを思い返した。

 

(……ああ)

 

 思えば、自分自身でも理由など考えた事の無い、疑問だらけの生き方だったのかもしれない。

 記憶すら失い、知人の顔も思い出せず、自分が根本的に人ではなくなった事を理解していながら何故、それでも尚家族に会いたいと――失った過去を求め続けようとしていたのか。

 怪物の姿のまま過ごしていれば、怪物からの奇襲にも日々の食事にも困らない――その事実を認識していながら、出来る限りは人間の姿のまま過ごそうとしていたのか。

 そうして人間としてあろうとする事について、大切な物を守っているのだと、失ってはいけないものを失わないようにしているのだと、きっとそれには意味があると信じ込もうとしていた理由は、何か。

 

 不変のものが欲しかった。

 自分も周りの景色も何もかもが変わり果ててしまった世界で、記憶を失い家族との繋がりさえ断たれた自分の中に、怪物として物の感じ方だって変わってしまった後になっても、それでも人間『だった』過去から変わらず残っていると確信出来るものが。

 自分らしさ、とも呼べる心の柱を立てたかったのだ。

 それさえあれば、どれだけ醜悪な姿の怪物に変貌してしまっても、変化の過程として知らず知らずに何かの記憶を失ってしまうかもしれなくても、不安に押し潰される事は無い――自分を見失う事は無いと思ったから。

 青年はそのための柱を、過去の自分を知る家族に求めようとした。

 だが怪物の蔓延る世界で目覚めた時、周りに自分を教えてくれる家族や友人の姿は無く、青年は過去の姿である人間の姿で出来る限り過ごそうとする事で、自分が別の何かに変わってしまわないよう暗示を繰り返してきた。

 過去を失う事を恐れた。何か別の物に変わってしまう事が怖かった。

 その不安と恐怖が、いつしか不変のものが欲しいという願いの原点さえ覆い隠し、怪物としての自分を『自分ではないもの』として認識させるようになってしまいのかもしれない。

 本当は怪物としての自分も、紛れも無い自分自身であるのだと――そう信じる事が出来ず、怪物としての自分を忌避し否定し続ける思想に歪み捻れてしまった。

 思えば自分らしさなんて、そもそも怪物としての姿を『自分ではないもの』として否定し続けていた時点で、探す事なんて出来るわけがなかったのかもしれない。

 異物とは思わず許容し受け入れていれば、もっと早くから恐れから開放されていたのかもしれない。

 

『多分だが、お前は単純にアレじゃないのか? 危険な目に遭ってる奴を見かけたら、身の危険を承知の上でも助ける事を優先するタイプ。お前、度を越えたお人好しタイプなんだろうよ』

 

 鬼人は青年の性格をそう語っていた。

 実際青年自身、そう語られるだけの選択を損得に関係無く選び取っている。

 その際に最も大きな指針となったのは、間違い無く彼の胸の内にある衝動だった。

 夜中に骨の竜と戦った際には怪物の姿で、少女の言葉を聞いた時には人間の姿で――共に、変わらぬ衝動を胸に抱いていた。

 変わらないものは、在った。

 姿が変わっても記憶を失っていても、人間と変わらぬ確かなものはそこに存在した。

 例え、それが怪物と化した結果『変わった』心によって導き出された、過去に在った自分と異なる間違った答えだったかもしれなくとも――それでもいいと、信じられるものを現在の自分の中に見つけられた。

 

(……そうか、なら……)

 

 不安が払拭される。

 少女を救うために使うと決めた力――許容という形で仕方なく受け入れていたそれに対する疑念が、晴れる。

 怪物に成っている現在の自分を否定する必要はもう無い。

 むしろ受け入れ、信を置き、自分の想いの全てを託してみようと考える。

 どんなに姿が変わってしまっても、変わらないものがあると理解出来たからでこそ。

 人間としての自分と、怪物としての自分が、一つに重なる。

 そして、

 

 ガァン!! という金属同士がぶつかり合うような高い音が響いた。

 眼前より迫る猿人間の右拳を、青年が左手で吊り上げられた状態のまま自らの右腕――厳密には腕に幾重も取り付けられていた鉄の腕輪で遮り、受け止めた音だった。

 防御に使った鉄の腕輪には亀裂が生じ、拳の衝撃を受け取った腕の肉と骨は軋み震えている――だが、それでも『防がれた』という事実は、優勢を確信していた猿人間にとって疑問を抱かせるには十分な出来事だった。

 それだけの力がまだ残っている、という事実についてもそうだが、何より――これだけの劣勢を、これほどの戦闘能力の優劣を叩き込まれていながら、青年がまだ戦う事を諦めていないという事実が何より猿人間を驚かせた。

 

「お前、この期に及んでまだ足掻きやがるのか……?」

「……当たり、前だ……」

 

 猿人間の言葉に、青年は真っ向から応じる。

 今にも消え入りそうな掠れた声で、それでも眼の光だけは絶やさずに。

 

「……お前なんかに、あの子をあれ以上傷付けさせない……」

 

 その時、猿人間は目撃した。

 息も絶え絶えに言葉を漏らす獅子の瞳の色が、赤から青に変わる所を。

 全身がひび割れるような音と共に亀裂が生じ、何か輝くものが体内より漏れ出している所を。

 青年の内側で――何かが明確に切り替わり、未知なるものが産声を上げようとしている――そんな変化の兆しを。

 猿人間はその変化が意味するものを知っているのか、表情が一気に驚愕の色に染まって、

 

「お前、まさか……!?」

「……そのためにも、俺は絶対に負けない……っ!!」

 

 直後の事だった。

 青年の体――獅子の獣人の体が、辺りに黄金色の光を噴き出しながら破裂した。

 その首を左手で掴んでいたはずの猿人間の体が、さながら爆発に圧されたかのように吹き飛ばされる。

 まるで夜空に輝く星ののような輝き――その奥にあるものを、一度殴り飛ばされながらも状況に復帰しようと走ってきた鬼人は真っ先に目撃した。

 そこに在ったのは、獅子の獣人の立ち尽くす姿だった。

 ただし、その体の色が元在ったものから明らかに変わっている。

 全体的に毒々しくも見えた薄い紫の体色は橙色に変じ、元は黒かった覚えのある髪の毛のような獅子の鬣は銀色になっていて、穿いている黒いズボンの色合いは以前より明るいものに見える。

 ふと見れば、両腕に拘束具のように幾重も取り付けられていた腕輪や手の甲を覆う鉄板、そして肩から突き出ていた白い骨のようなものは消失していた。

 筋肉は引き締まっていて、体格は少し前に在った姿より縮んだようにも見える。

 その変化に疑問を抱いていると、眼前の獅子の獣人に更なる変化が訪れる。

 辺りに散らばった――恐らくは元在った体の残骸と思わしき――破片が、一斉に光の粒子となって獅子の獣人の方へと集い、何かを形作り始めたのだ。

 それ等は全て、実体を伴って獅子の獣人の装備と化す。

 

 頭上に集っていた粒子は、何処かの学校が支給していたかもしれない帽子のような形を成し。

 肩の上から背中までを覆った粒子は、あるいは誰かが着ていたのかもしれない黒い色の学生服を成した。

 

 その変化が示す意味を、鬼人には詳しく理解する事が出来なかった。

 強くなったのか、弱くなったのか、そもそもアレは『あの男』のままなのか――それすらも察する事が出来ない。

 だが、それでも――理屈も過程も知らずとも、夜風に学生服を棚引かせるその獅子の姿を見て、思う事はあった。

 

 まるで、死んでいた状態から生き返ったかのようだと。

 本来在るべき姿に――『らしい』と言える姿に、戻ったかのようだと。

 

 全ての変化が終わったのか、黄金の光は空気に溶けるように消えていた。

 突如として吹き飛ばされながらも、上手く着地は出来たらしき金属質の猿人間が少し離れた位置で口を開く。

 

「……お前、その姿……まさか『進化』したっていうのか……!?」

「…………」

「馬鹿な……人間としての過去に未練たらたらで、一向にその力を受け入れやがらなかった奴が、何でそれに至れる!! 何であの状態からこうなる……!! いったい何をしやがった……!?」

「お前には、絶対に解らない」

 

 猿人間の疑問に狼狽する声を、獅子の獣人は一言で両断する。

 その声と言葉に、鬼人は確認を得た。

 一人の虐げられた少女を救うため、目の前の悪魔と戦う事を選択した、他の誰でもないあの男の意思を感じられる。

 

「チィッ……だが『進化』が出来たからって何だ。俺様と同じ領域に立てたとでも――」

 

 猿人間の言葉は最後まで続かなかった。

 問答無用と言わんばかりに猿人間との距離を一気に詰めた獅子の獣人が、その顔面を力強く殴り付けたからだ。

 ガァン!! という音が夜の空気を伝わり響く。

 金属質のその顔を殴り付けた獅子の獣人に、痛みを感じているような様子は無い。

 殴られた猿人間の方こそが、硬く柔らかい金属の体を持っているはずなのに、痛みを感じているかのように苦悶の声を漏らしている。

 

「……つ、強え……!!」

 

 その光景を眺めていた鬼人は、思わず呟き、そして明確に理解していた。

 通用しなかったはずの獅子の獣人の拳が、効いている。

 明らかに、彼は強くなっている。

 

「何だ、この力……!! この俺様の金属の体が、痛みを訴えているだと……!?」

 

 理解が出来ない様子で、猿人間が言葉を漏らしていた。

 対する獅子の獣人は、ただ告げる。

 くだらない目的のために一人の少女を餌とした、弁護のしようも無い正真正銘の悪党へ告げるに相応しき、粗暴な言葉を。

 

「覚悟しろ、クソ野郎。あの子の涙の代償を払ってもらうぞ」

 

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