夜中の運動場に、吠えるような声と肉と鉄がぶつかり合う高い音が響く。
獅子と猿――それぞれ異なる獣の特徴を宿した人型の怪物の攻防は、ここに来て拮抗どころか逆転していた。
学生服を羽織った獅子の獣人は、金属の体を持った猿人間と真っ向から殴り合う。
攻防の中で互いに殴り殴られ、その度に苦悶の声が漏れている。
体力の面から見ても肉体の頑丈さから見ても、金属の体を持った猿人間の方が優勢であるはずなのだが、その猿人間の方こそが獅子の獣人に防勢に立たされつつあった。
恐るべきは手負いの獣の底力か。
猿人間の拳を受けて尚、獅子の獣人は決して退こうともせずに前進して次々と拳を放っている。
この程度の痛みや衝撃など、どうとでも無いと言うように。
その勢いに圧される形で、攻防の中で少しずつ猿人間の体が後退していく。
そして、やがて。
ゴガァン!! という轟音と共に、猿人間の体が宙に浮いた。
獅子の獣人の放った拳を捌き切れず、その腹部に一撃を見舞われた故の事だった。
ドジャア!! という音と共に猿人間の金属の体が乾いた地面に落ち、大きな砂煙を辺りに撒き散らす。
「どうした。一方的に殴り蹴る事は得意でも、殴り合う事には慣れてないのか」
「チィッ、偶然強くなったからって調子に乗るんじゃねぇ……!!」
獅子の獣人の言葉に、仰向けの状態から起き上がり苛立った声で返す猿人間。
攻防の面でも精神の面でも、とっくに獅子の獣人は猿人間よりも優位に立っていた。
劣勢を薄々感じているのであろう猿人間は、以前指先にだけ溜めていた黒い力を両手に溜め始める。
すると、猿人間の周囲の空間から黒い球体のようなものが次々と出現し、数を増やしていく。
(あれはやべぇ……!!)
今は介入するべきではないと判断し、離れた位置から戦いを見ていた鬼人の直感が危険を訴える。
恐らく、あの数多に出現している黒い球体は『発射口』だ。
猿人間の意志一つで、一斉に以前放って来た黒い力が押し寄せてくるに違い無い。
今の猿人間の注意が獅子の獣人にのみ向けられている以上、鬼人の方に『技』の狙いを割く可能性は少ないと考えられるが、それはつまり全ての『発射口』の狙いが獅子の獣人に向けられている事実を指し示している。
先程は態度からも多少の遊び心を含んでいたのか『落雷』という形で『技』を放っていたが、今回は遊び心を取り入れるほどの余裕も無い――回避など容易く出来ぬよう、範囲を伴った攻撃を放ってくるはずだ。
既に彼等の戦場は、運動場内でありながらも猿人間の手下達が倒れ伏している位置からは離れた位置に移行している――範囲を制限するものは特に無いのだから。
「食らえ……そして死ね!! ダーク・スピリッツ・デラックス!!」
猿人間が黒い力を溜めた両手の平を獅子の獣人に向かって突き出すと同時、出現した球体から以前にも『技』として扱っていた未知の攻撃力を秘めた黒いエネルギーの奔流が、星空を想わせる弾幕を成して襲い掛かってくる。
獅子の獣人には、それを回避する事が出来ない。
上に跳んでも左右に避けても後ろに逃げても、確実に命中してしまうと言えるほどの射線があり、体の何処にも命中しないような『余白』は見当たらないのだから。
そして避けられなければ、未知の攻撃力を秘めた数多の黒い力に体を射抜かれるのが道理だ。
どれほどの攻撃力を秘めているのかは解らないが、とても物理で測れるような真っ当なエネルギーでは無いだろう――射抜かれた部位からポッカリと穴を開けられてしまっていても納得が出来る。
そんな攻撃を前にして。
そんな絶望的な状況を押し付けられて。
獅子の獣人は――それでも尚一切の躊躇いも見せずに前進した。
(嘘だろ……!?)
その両手に、変化の際にも生じていた黄金の光を灯して。
真正面から次々と襲い掛かる暗黒の猛威を、輝ける拳で打ち砕く――!!
「はあああああああああああああああああああっ!!」
「何、だと……!?」
自らの『技』の象徴たる黒い力を真っ向から殴り、砕き散らしていく獅子の獣人の姿を見た猿人間の表情は、まさしく信じられないものを見た時のその驚きを浮かべていた。
猿人間は意図して自らの『技』の範囲を狭め、真正面から闇を打ち砕き突破を試みる獅子の獣人の勢いを殺そうとするが、迫る闇の勢いが増す度に、応じるように獅子の獣人の拳が力を増す。
勢いが衰えても、前進は止まらない。
自らが力負けしている理由を、猿人間には理解する事が出来ない。
獅子の獣人も、闇に向かって拳を放つ度に少なからず力を消耗しているはずなのに。
自分自身もまた力を振り絞り、闇を放つ『発射口』を増やして攻撃を増量させているはずなのに、その拳に宿る黄金の光が全く衰えを見せない――!!
そうして、やがて。
獅子の獣人の輝く拳が、猿人間の胴部を捉えた。
ガキャァ!! という肉が鉄を打つ音が炸裂すると同時に黒い力の奔流が途切れ、猿人間の周囲に存在していた黒い球体も全てが消失する。
猿人間の体が拳の威力に圧され、10メートル程の距離を後退する。
だが、まだ倒れない。
猿人間の戦意は、まだ砕けていない。
「ち、くしょう……この、野良猫風情がぁ……っ!!」
悪態をつく猿人間に対して、獅子の獣人の返事は無い。
最早言葉で応じるつもりは無いと言わんばかりに一歩を踏み出し、そこから一気に猿人間の懐に向かって駆け出し始める。
対する猿人間は、先程自らが弾幕として放っていた黒い力を右手に溜め、その状態のまま拳を構えた。
自らの『技』が通用しない事を知った猿人間にはもう打つ手が無いように見えたが、どうやら今度は獅子の獣人の体に拳の一撃と共に直接黒い力を叩き込むつもりらしい。
確かに、獅子の獣人が弾幕を突破出来たのは拳の威力だけではなく、それを覆っていた黄金の光によるもの――それが存在しない部位に直接叩き込んでしまえば、無事では済まないだろう。
更に、猿人間は空いた左手から咄嗟に何かを目の前の地面に投げる。
それは、バナナの皮のように見えた。
あの男が元々そんなものを持っているようには見えなかったし、そんなものが偶然落ちていたとは考えにくい――あるいはこれもまた猿人間の行使出来る『技』の一つなのか。
だとすればこれは、攻撃ではなく妨害のための『技』なのだろう。
進路の上に咄嗟に置かれたそれを踏ん付けてしまえば、まるで漫才のような馬鹿馬鹿しい話ではあるが、獅子の獣人はバランスを崩して最悪転倒する――そして、直後に待ち受けるのは猿人間による笑えない拳の一撃だ。
真っ直ぐ躊躇いも無く走る獅子の獣人には、咄嗟に走る勢いを弱めてバナナの皮を踏まない足取りに変えるだけの余裕など無い――そもそも咄嗟に投げたバナナの皮を瞬時に認識出来ているのかどうかも解らない。
故に、猿人間の一手に対して一手を返す者は決まっていた。
「覇王拳ッ!!」
その叫びと共に、二人の戦闘を横側から眺めていた鬼人が、獅子の獣人の進路に投げ込まれたバナナの皮を狙って、拳から鬼の顔の形をした『気』を放った。
その大きさはこれまで放って来たものと比べると小さく、とても怪物相手に通用する攻撃力を秘めているようには見えない――だが、その分速度は増しており、獅子の獣人の足が届く前にバナナの皮程度を吹き飛ばすには十分なものだった。
「っ!! 糞がっ!!」
獅子の獣人の道を遮るものは何も無い。
鬼人の横槍によって一手を潰された猿人間には、最早拳で応じる以外の道は無い。
互いの距離が詰まると同時――輝ける黄金の光を纏った拳と、夜闇よりも暗き黒を纏った拳が衝突した。
少女の味方として人間の側に立った者と、怪物の王として君臨しようとした者。
互いの右手に宿るものが目に見えて真逆なものであった事に、はたしてどのような意味があったのか。
「おおおおおおおおおおおおおおっ!!」
「はあああああああああああああっ!!」
大地を踏み締めた互いの意思が互いを圧し合う。
拳に宿る力の規模が増し、その度に辺りに衝撃の波が生じる。
恐るべきは勝利への執着か――あるいは敗北への恐怖か。
猿人間の黒い力は、ここに来て獅子の獣人の放つ黄金の光を圧し負かし始めた。
「負けるはずがねぇんだ……テメェ如きに!!」
ゴスッ!! という鈍い音が響く。
猿人間が右拳で獅子の獣人の右拳を圧しながら、駄目押しと言わんばかりに使っていなかった左の拳で獅子の獣人の腹を打った音だった。
姿が変わり力が強くなったとはいえ、それで失った体力が戻るわけではなかったのだろう――その一撃に、獅子の獣人の力が緩みそうになるが、
「もういい加減に楽になれ!! 諦めろ!! その無意味な生き様を直々に終わらせてやるからよぉ!!」
「ぐっ……!!」
「お前が死んだ後で、あのガキも死体に変えて墓に同伴させてやる。精々天国とやらで慰めあうんだなぁ!!」
「……!!」
その言葉に、青年の目付きが明確に変わった。
同時に、拳に宿っていた黄金の輝きが爆発的に広がっていく。
それは、拳どころか獅子の獣人の全身を覆っていき、やがて獅子の形を成す。
それは紛れも無く、過去にも使われた彼の『技』の象徴。
誰かを助ける――その意思にて形作られた獣が今、目の前の闇を喰らい尽くす。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
「まだ……まだ、力が増すのか……っ!?」
獅子の獣人が吠えると同時、その右拳が猿人間の右拳を跳ね返す。
拮抗は崩れた――獅子の獣人は続けて左の輝く拳で猿人間の腹を殴り上げる。
猿人間の金属の体が拳の威力に浮き上がり、くの字に曲がった腹部には減り込んだ拳の痕が残る。
「ぐ、は……っ!?」
これまで以上の苦悶の表情を浮かべる猿人間に対し、獅子の獣人は即座に一度振るった右の拳を構え直す。
それこそが、今の自分が持つ最高の武器だと信じるが故に。
「獣!!」
だんっ!! と響かせるほどの力で大地を踏み締め、
「王!!」
心が叫ぶ言魂を手の中に込め、限界以上の力で拳を握り締めて、
「拳ッッッ!!!!!」
猿人間の顔面目掛けて、放つ。
轟音が炸裂した。
恐らく、これまで何物の攻撃も受け付け無かったのであろう金属の体を持った猿人間の顔面に拳を減り込ませ、獅子の獣人は拳に伝わる反動や痛みの全てを無視してそのままの勢いで振り切っていく。
声を上げる事も無く、猿人間の金属の体が顔面に加わった力のみで縦に回転しながら十数メートル以上も吹き飛んでいき、落ちても尚ある程度の距離の地面を抉っていった。
勢いが止まった後になっても、猿人間に起き上がってくる様子は無く。
そうして、勝敗は決した。
獅子の獣人は、気を失ったと思わしき猿人間に向けて、聞こえはしないだろうと理解しながらも言葉を発する。
「……戦ってやるさ」
きっとそれは、あるいは猿人間だけに向けられた言葉ではなかった。
自分自身に対する決意であり、先の未来に対する宣戦布告だった。
「王様だろうが神様だろうが知った事か。俺が俺である限り、必要の無い涙を流させるお前達のような奴等には何度だって歯向かってやる!!」
◆ ◆ ◆ ◆
戦いは終わった。
気を失った猿人間――と化しているサングラスの男を放置し、獅子の獣人は少女を匿っていた倉庫の方へと足を進める。
その途中、共に戦っていた鬼人が近寄って来た。
「……やったな。やったんだよな」
「ああ」
鬼人の言葉に、獅子の獣人は簡潔に返答した。
運動場にいる敵対者は猿人間はもちろんの事、手下も含めて戦えない状態になっている。
まだ校舎内に手下が残っている可能性は否定出来ないが、群れの頂点であるサングラスの男を倒された事実を知れば、好き好んで襲い掛かりには来ないだろう。
トドメを刺したわけではないため、意識を取り戻したサングラスの猿人間が復讐のために再び獅子の獣人を襲う可能性も考えられるが、その時はその時――何度でも相手をして、何度でも打ち倒すと既に覚悟は決めている。
鬼人もまた、それを理解しているか否かは定かではないが、トドメを刺さなかった点について獅子の獣人に問い質そうとはしなかった。
敵対者を殺すも生かすも、決めて良いのは勝利者である獅子の獣人のみだと考えたのかもしれない。
「随分とかっけぇ姿になったな……服まで付いてくるもんなのか」
「特に望んだ覚えは無かったんだがな。服のように見えて、実は皮か何かという可能性もある」
「どう見ても学ランだよなそれ……何というか、番長って感じだ」
「それ不良のリーダーという意味だった気がするのだが……そう見えてしまうか?」
「そう見える。んー、俺もそんな風に『変わった』らカッコよく成れるんかね。翼を生やしたドラゴンとか、全身甲冑で剣や盾とか持った騎士とかそういうイケメン路線」
「……うん、絶対に違うとだけは何故か断言出来てしまうな」
イケメン化済みの余裕かこのライオン丸ー!! とか何とか訳のわからない事を言って嘆く鬼人を放っておいて、獅子の獣人は倉庫の扉の前まで歩いていく。
……実際問題、こうして怪物の力を手にした者は何らかの切っ掛けで『変わって』いくのだろう、と彼は思う。
今回戦った猿人間も、過去にはまた異なる姿で在った可能性が考えられる。
あるいは、あの体も最初は金属質のそれではなかったとか、そういう可能性だ。
仮説だけならいくらでも立てられる。
これまで遭遇して来た野性の怪物にしろ、今回戦った『同類』達にしろ、皆過去には何か別の姿をしていて、心だって今とは異なる性質を宿していたのかもしれない。
故に、獅子の獣人たる青年自身、今の姿のままこれから先も戦っていけるのかどうか、自身は無い。
今でこそ纏っている学生服や学生帽、そしてズボンなど、おおよそ人間が身に着ける衣類が体についた姿をしているが、また何らかの切っ掛けで姿が変わってしまう可能性は否定出来ないのだ。
だけど、一つだけ今回の事で確信はあった。
どんなに姿が変わっても、変わらないものは確かにある。
それを信じて行動していれば、まだ見ぬ未来でも自分を失う事は無い。
そう、信じられる。
「……しかし、どうするかな。今になってあの子の面倒を見られるかどうか不安になってきた。とりあえずあの女性を頼ってみるか? 食料の備蓄とかあればいいが」
「無いならあの連中の備蓄から拝借しとこうぜ。どうせ見下し精神で人間達から奪ってたもんだろ」
鬼人とこれからの事を口にしながら、獅子の獣人が倉庫の扉を開く。
――きっと、これから先も苦難は続くだろう。
人間から共に生きる事を否定されて、居場所を失ったり。
そうしてまた知らない道を歩き続ける日々に逆戻りする可能性もある。
思い出したかった記憶から温度が消え、望みが知らぬ間に失われてしまう事だって。
そんな、誰かが保障してくれるわけでもない未来を頭に浮かべながら、それでも尚――彼は内心でこう呟いた。
――それでも、歩き続けよう。
――生きて、戦っていこう。
――俺が、俺である限り。