掴まれていた左手をさする。別に、痛くはなかった。ただ、変身を解除した今でも少しだけ熱を帯びている気がして。
友達になりたいなんて、そんな風に言われたのは初めてだった。
「エレファントのこと、嫌いにならないであげて欲しいラン。あの娘に悪気はないラン」
「嫌いでも好きでもないですよ。興味ないですから」
言われるまでもなく、お人好しなんだろうということはわかった。あんなに真っ直ぐな目で見つめられたのはいつぶりだろうか。
前の時みたいに何も言わずに立ち去るのはいたずらに警戒させるだけだと反省して少しだけ話をしたが……、やっぱり関わるべきじゃない。
「そんなどうでもいいことより、そろそろ私も魔法界に行ってみようかと思います」
魔法少女たちを統括する魔法局を中心とし、東京都くらいの大きさがあるという異世界。それが魔法界。欺瞞世界はディストの目を欺くために現実の世界とほとんど同一の座標に位置しているらしいが、この魔法界はそもそも距離という概念とは切り離された場所に存在するらしく、日本中のどこからでも一瞬で転移することができる。
逆に魔法界から現実の世界に戻るのは原則元の場所にしか戻れないのだが、その辺の細かい理屈は聞いたところで理解出来ないため、そもそもそういうものなのだと納得している。
魔法界には魔法局以外にも様々な施設が存在し、それは現実世界のショッピングモールやレジャーによく似た施設だったり、魔法界にしか存在しない魔法由来の施設だったりと様々だ。当然、魔法少女エレファントが言っていたように、食事処も存在する。
「食べ物の話に釣られたラン」
「宅配は飽きてきました」
現実世界の宅配に比べればその種類は多彩で、提供時間までにかかる時間もそれほど長くはなくとても便利だが、やはり限界はある。何より、この宅配サービスは結構なポイントを消費する。
先ほど魔法界の転移事情に少し触れたが、魔法少女が魔法界から現実世界に戻る際、元の場所にしか戻れないというのは原則であり、例外も存在する。
その例外というのが、長距離転移装置と呼ばれる特別な魔法道具を用いた転移だ。この魔法道具の使用条件は2つあり、一つは使用者がフェーズ3魔法少女、すなわち魔女であること。そしてもう一つが、マーキスクラス以上のディスト発生時。
マーキスクラスのディストはフェーズ2魔法少女が複数で挑んでやっと勝てるレベルだが、出現した地域にフェーズ2の魔法少女が何人もいないということは普通にあり得る。そんな時のための救援として、この魔法道具を使って魔女を送り込むのだ。
なぜこの魔法道具にこんな使用制限がかかっているのかと言えば、それは稼働するのに莫大なエネルギーを消費するから。ポンポンと使えるようなものではなく、どうしても現場の魔法少女だけではどうにもならないという段階でようやく使用が認められる、いわば虎の子だ。
話を宅配に戻すと、好きな場所への転移というのはそれだけハードルが高いのだが、これが魔法少女とそれ以外の物とでは話が変わってくる。
大きさが関係しているのか、生き物であることが関係しているのかは知らないが、小物を好きな場所に転移するだけならばそれほど莫大なエネルギーは必要ないらしく、さりとて無償で解放するほど軽い消費でもないがために、魔法界の宅配サービスは誰でも使用できるが結構なポイントを持って行かれるということだ。
「それに、色々と興味もありますから」
元々魔法界に興味はあったが、出かけるのが面倒で後回しにしていた。
魔法界の食事を食べてみたいと思ったことはきっかけの一つに過ぎない。
俺が魔法界に行こうと思っていた本当の理由は、元の姿に戻る方法を探すことだ。
ジャックはディストを倒し、ポイントを貯めることで老化の薬と性転換の薬を手に入れられると言っていた。そして逆らいようのなかった俺は魔法少女として戦うことを承諾して、これまで戦ってきた。
だが、あの時の俺と今の俺とでは状況が違う。かつては魔法界に対して何の繋がりもなかったが、今の俺は魔法少女だ。ジャックの言っていることを鵜呑みにすることなく、自分でそれが真実であるか探るチャンスがある。
さらに言えば、然るべき機関にジャックの所行を申告することだって出来るかもしれない。そんな警察のような機関があるのかはわからないが、ジャックは以前言っていた。バレなきゃ何の問題もない、と。逆に言えば、バレたら問題があるのだ。罪を裁くシステムがあるのだ。
「魔法界に探検は一人で行きたいのでついてこないで下さいね」
「良一にそんな少年のような心が残ってたなんて驚きラン。とっくに枯れてるのかと思ってたラン。別にいいけど、いつ行くラン?」
俺が一人で行きたいと言ったことに対して、ジャックが俺を疑っている様子はない。うまいこと誤魔化せたみたいだ。
「今日はもう遅いですし、明日ですかね」
「わかったラン。ディストが出たら早く戻るラン。僕は久しぶりに仕事を進めるラン。良一は手がかかり過ぎて手続きが全然進んでないラン」
「手続きってなんのですか?」
「こっちの話ラン。気にしなくて良いラン」
はぐらかされたような気もしたが、ジャックも俺にくっついているだけが仕事じゃないんだろう。
当日他の仕事をしているというのはこっちにとっても都合が良いし、あまりしつこく追求はせず、この話はそれで打ち切った。
翌日、ぐっすり眠って気持ちの良い昼前を迎えるとすでにジャックの姿はなかった。
俺も準備を整えて魔法界に転移する。
「天地悉く、吹き散らせ」
魔法界は基本的に魔法少女の姿で過ごす者が多いらしいので、浮かないように当然変身してから行きます。
「転移座標:魔法界食楽通り」
空は青く、太陽が輝き、心地の良い風が吹き抜けます。異世界だなんて聞いてましたけど、正直日本との違いがわからないです。
そもそも魔法で作られた世界らしいので、地球の環境に似ているのはあたりまえなのかもしれないですね。
食楽通りというのは事前にジャックから聞いていた、飲食店の建ち並ぶ通りです。屋台や喫茶店、高級そうなレストランからファミレスのようなお店まで、様々な飲食店がごちゃまぜに配置されてます。ここの出店方法を考えた人はセンスがないですね。
とはいえ、配置のセンスは食事の美味しさとは関係ないですからね。折角なので普段はあまり縁のない屋台で食べ歩きでもしてみようかなと見て回ります。
地元のお祭りは独りぼっちで参加しているところを同級生に見られるのが嫌でしたから、基本的に行ってなかったです。なので屋台というのはアニメやマンガでしか知らない文化でしたけど意外と悪くないです。
人通りがさほど多くないっていうのも良いですね。魔法少女の数なんて全国的にみてもたかがしれてますし、今日は平日の日中。普通の魔法少女なら学校がある時間帯です。人が少ないのも当然です。
逆に言うと今ここにチラホラと居る魔法少女は、訳ありだったり学生じゃなかったりするってことなのでしょうね。
キョロキョロと屋台を見て回ってると、美味しそうな匂いが漂ってきました。光に誘われる虫のようにその匂いをたどっていくと、いつの間にか目の前で串焼きが焼かれてます。
美味しそうです。じゅるり。
「よぅ嬢ちゃん! 買うのかい?」
「あ、ひぇっ」
いかに私が社会不適合者一歩手前のコミュニケーション下手くそ人間だったと言っても、無理して一般的な社会人を演じることが出来る程度の常識や能力はありました。
店員に話しかけられたくらいで萎縮するなんて本来はありえない話(おしゃれな服屋を除く)ですが、ふと見上げた光景の恐ろしさにたまらず小さな悲鳴をあげてしまいました。
獰猛な顔つき、筋骨隆々の肉体にふさふさの毛皮、剥き出しにされた鋭い牙。
虎です。人型の虎がタレを塗るためのハケを持って威嚇していたんです。
「なんだ、嬢ちゃん新人か? 取って食いやしねえから安心しろよ。そんなに怖がられると傷つくぜ」
虎の表情など判別できないですが、そう言った虎人間は困ったような顔をしている気がしました。
よくよく思い返すと、さっきも威嚇していたわけじゃなく、笑いかけてきたから牙が剥き出しになっていたのかも……。
「べ、別に怖がってないですし。タレと塩で一本ずつ下さい!」
「あいよまいどあり! 嬢ちゃん妖精を見るのは初めてなのか? サポートフェアリーはいないのか?」
虎人間は器用に爪を使いながら二本の串焼きをプラスチックの容器に入れつつ訊ねます。
とても妖精と名乗って良い風貌じゃないです……。
「サポートフェアリー……、カボチャのお化けのことですか? 今日は別行動です」
「それだそれ。魔法界で商売やってんのはみーんなそのカボチャのお化けのお仲間さ。もちろん俺もな。怖い見た目してるからって魔法をぶっ放すなよ?」
「怖くないですし! しませんから!」
「ハハハ、なら良いけどな。支払いはここにマギホンをタッチしてくれ」
電子マネーですか、と内心で突っ込みつつマギホンをかざすと、ピロリン! と軽快な音がなりました。
支払いが完了したみたいです。
「冷める前に食ってくれよ!」
「ありがとうございました」
見た目に反して、あるいは見た目通りなのでしょうか? とにかく快活で親切な虎さんでした。
串焼きも美味しいですし、魔法界は想像していたよりも良いところかもしれないですね。