魔法少女タイラントシルフ   作:ペンギンフレーム

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episode4-6 眠りの③

 リビングとダイニングとキッチンが一体化している広い部屋の中で、小さな男の子が駄々をこねていた。小学校に通う歳にも満たない小さな子供だ。玩具は望むままに与えられた、食事やお菓子も、駄々をこねるまでもなく好きなように食べることが出来た。お金がかかるだけの我儘ならいくらだって通った。ただ、お父さんと一緒に遊びたい、お母さんと一緒に眠りたい、家族みんなで遊びに行きたい、そんな子供なら誰でも経験があるような我儘は一度として叶えられなかった。

 そうしていつものように子供特有の金切り声にも似た甲高い声をあげて、泣きわめくのだ。

 

 普段なら、優しそうな笑みを浮かべた、母ではない人が相手をしてくれる。少年は幼いながらに、いつも家にいて自分の世話をしてくれるその人が母ではないことを知っていた。

 その人とは別に、家にはいるがあまり構ってくれず、たまに美味しくないご飯を作ったり、強張った笑顔で近づいてくる、そんな女性が自らの母親なのだと気づいていた。それでも少年は、母の愛を、そしてずっと家にはおらず、海外で仕事をしているという父の愛を求めていた。

 

「いい加減にしてよ!」

 

 ある日唐突に、まるでずっと我慢していて限界を迎えたかのように、駄々をこねていた少年は母に頬を打たれた。今まで誰かにそうして暴力を振るわれたことがなかった少年は泣いた。それはもう、大きな声でわんわんと泣き出した。

 しかし少年の母は、泣きわめく少年を慰めるでもなく、恐ろしいものでも見るようにして少年には近づかない。母代わりとして雇われた家政婦が少年を慰め、泣き止ませても、その少年が母性を求めるように自分をじっと見つめてきても、決して近づこうとしなかった。むしろその瞳から逃げるように、部屋を出て行ってしまった。

 

「おかあさん、ぼくのこときらいなの……?」

 

 再び涙ぐみ始めた少年が、家政婦の女性にそうして問いかけると、女性はにっこりと笑顔を浮かべながら答えるのだ。

 

「そうですよ。あなたはいらない子なんです。望まれていないんです。だから良い子にしてましょうね。良い子にしてないと、良一くんはもっと嫌われちゃいますよ」

 

 そんなことを言われてじゃあ良い子にしなければ、などと前向きに目標を掲げられる子供がいるはずもない。最悪の肯定を受けた少年は再び大声で泣き始める。そんな少年の泣き声が聞こえてないわけがないが、やはり母が戻って来ることはない。

 

「いいですか良一くん。君は誰にも愛されてません。これからも誰にも愛されません。精々真面目に普通にして、不幸にならないことを願いなさい。そのくらいがあなたの限界ですから。間違っても人並みに幸せになりたいなんて、そんな思い上がりはしないことです。あなたなんかが、誰かに愛されたい、幸せになりたいだなんて、そんなことを考えるのは烏滸がましいことなんですよ。わかりましたか、一人ぼっちの良一くん」

 

 それは良一と呼ばれた少年が、常日頃からこの家政婦に言われ続けている言葉であり、そしてこれから先も言われ続ける言葉だ。まだ幼い少年にはその言葉の意味するところをほとんど理解できていないが、唯一真面に自分の相手をしてくれる相手から与えられる、刷り込みにも似たその言葉は、少年の人格形成に大きな影響を与えることになったのは言うまでもない。

 

「あの子は、大丈夫だった? また泣いてたみたいだけど……」

「ええ、何も問題ありませんよ奥様。ただ、少し奥様に苦手意識をもってしまっているみたいですね」

「――っ、そう、よね。当たり前だわ……母親らしいことなん何一つしてあげられてないのに、結局あんな、子供に手をあげるなんて……! 私は、最低よ……」

 

 泣き疲れた少年が眠りにつき、世話から解放された家政婦の女性が少年の母と話をしていた。

 母は精神的な疲れからかげっそりとやせ細っており、さらに今日、とうとう愛する息子に手をあげてしまったことが決定的だったのか、その表情はいつも以上に暗く沈んでいた。

 

「私は、あの人には、あの人みたいにだけはならないようにって、ずっとそう思ってたのに、そのはずなのに……。結局は私もあの人の娘だったのね……」

「そのようなことは――」

 

 自嘲するように呟く母の言葉を否定しようと家政婦の女性が口を開くが、それを遮って少年の母はヒステリックに叫び始める。

 

「あの子の目に映る私は、あの人と同じ顔をしてたのよ! もう子供の相手なんてうんざりだって、疲れたような怒ったようなっ。そうじゃないのに、あの子のことを、愛してるのに……。あの人も、お母さんもこんな気持ちだったの……? 私も、お母さんみたいにっ、子供に暴力を振るうのが当たり前の人間になってしまうの……?」

 

 最後は嘆くように、家政婦の女性へすがりつくように言葉を絞り出す。

 自分が最もなりたくなかったものに、いつの間にかなってしまっていたのではないかと、そんな恐れに身体を震わせながら。

 

「お言葉ですが、奥様は少しお疲れになっているだけではないのでしょうか。一度、旦那様の元でお休みになられるのがよろしいかと。私が良一くんを責任もってお世話いたしますのでご安心ください。その間は手紙などでやり取りしては如何でしょう。ゆっくり時間をかけて、落ち着いて書く手紙であれば、感情的になってしまうこともないでしょう」

「だけど、それはあなたの負担が」

「ご心配なさらず。こう見えて頑丈ですので。それに、私も良一くんのことを家族のように思っています。一日も早く、奥様と良一くんとの関係を改善できることを、私も願っています」

「……ありがとう」

 

 そうして、少年の母親は少年の父が働く海外へと身を移すこととなる。少年の父は家族に金銭的な苦労をかけないよう単身赴任で海外におり、少年のことは母に任せっきりとなっていた。

 貧乏な母子家庭で生まれ育ち、お金がないことの苦労を知る彼は、自分の子供には何不自由のない生活をさせてやろうと心に決めて、長い間一緒に居られなくなることを承知で高額な手当てを受けられる海外勤務を受け入れたのだ。

 その時に家族全員で海外へ移住しなかったのは、少なくとも少年が小学生になるくらいまでの間には日本へ帰って来れる予定であり、短いスパンで生活環境を大きく変えさせるのは良くないだろうと、妻と、そして信の置ける友人である家政婦を交えて相談した結果の判断だった。

 

 本来は日本に残った母が、父の分まで子供たち愛情を注ぐはずだった。しかし、父は当然母の過去のことを知り、その上で家族になっているため、少年を一人置き去りにして自分の元へとやって来た母のことを責めることが出来なかった。また、少年の面倒を見てくれる家政婦の人柄は父もよく知るところであり、彼女ならば問題ないだろうと考えた。そうして、幼い少年は家族と離れ離れになったのだ。

 その後第二子が生まれるまでの数年間、母は家に戻ることなく、少年に対して家政婦を経由して何度も手紙を出していたがその返事が来ることは一度としてなかった。家政婦は何度も説得を行っているというが、その結果は芳しくないと言う報告を受け取るのみだ。

 

 そうして二人目の子供が、女の子であり、双葉と名付けられた子供がある程度大きくなるまでは家に戻って来ていた母だったが、この数年間で拗れ切った母子の関係は簡単に治ることはなく、それに耐えかねたのか、再び子供を残して家を出て行った。

 残された子供たちは、十代前半にまで成長した少年は、この子は自分が守らなければならないと、惜しみない愛情を自らの妹に与え、その妹に懐かれていた。

 

 誰かと仲良くなることなど出来ない、誰かに愛されることなんて出来ない、理由も忘れたままにそう思い込んで、友達を作ることも出来なかった少年にとって、その子だけが唯一だった。

 

 だが、そんな二人の家族愛もある時を境に歪んでいく。

 

「大丈夫か双葉? 何があったのかわからないけど、お兄ちゃんでよければ相談に乗るから」

「うるさい! どうせお兄ちゃんには何言ったってわかんないじゃん!! 魔法少女のことなんて何にも知らないじゃん!! もう放っておいてよ!! 一々構わないでよ! キモイんだよ! こんな、こんなことになるなんて思ってなかったのに……! 死んじゃうなんて、そんなの……!」

「……ごめんな。ご飯、ここに置いとくから」

 

 少年とは言えないほどに成長した、成年を迎えた良一は、その少女の言葉通り、なんの話をしているのか理解できなかった。

 小学校に入学してからはギクシャクしているとはいえ、大切な妹であることには変わりない。そんな双葉が突然部屋に引きこもって、学校にも行かなくなってしまったのが心配で、それなのに何も出来ない自分が歯がゆくて、無力だった。

 

「双葉ちゃんも年頃の女の子ですから、良一くんにはわからない悩みもありますよ。少しの間距離を置いて見守ってあげるのはどうでしょう? 私からも、学校には行くよう説得しますから」

「そう、ですね……。双葉のこと、頼めますか?」

「もちろん、私に任せて下さい」

 

 良一は、昔からこの家で働き自分を育ててくれた家政婦に申し訳なさそうにお願いする。幼いころにひどい言葉を言われ続けて来たことなど忘れてしまったかのように、信頼できる保護者に対するように。

 

「あの、我儘言っちゃってごめんなさい。私、明日からは学校に行きます」

「良かった、双葉ちゃんが立ち直ってくれて。でも、良一くんはちょっと怒ってたから、謝るならもう少し時間をおいてからの方が良いかもしれないですね」

「やっぱり、怒ってますよね。私、たくさんひどいこと、言っちゃったし」

「そうですね、今は逆効果かもしれませんから、ちょっと冷却期間を作りましょう」

 

 家政婦の働きとは一切関係なく、仲間たちと共に支え合って立ち直った双葉に対して、人の良い笑顔を浮かべながらそんなことを告げる。双葉もその言葉を信じて最初はちゃんと謝ろうと思っていたのに、タイミングを逃して、そうしてすれ違う生活が続いていき、いつしか取り返しがつかないほどに関係は壊れて、そしてかつて少年だった青年は、あるいは今もまだ少年のままかもしれない青年は、就職するのと同時に家を出て行った。


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