魔法少女タイラントシルフ   作:ペンギンフレーム

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episode4-7 解放①

 真っ暗な闇の中を、エレファントはひたすら走る。

 手遅れになる前に、シルフの心が壊れてしまう前に、シルフが誰かを傷付けてしまう前に、早く、一秒でも早くと、夢の中で効果があるのかもわからない身体強化の魔法さえ用いて、エレファントは黒に覆われた世界を駆けていく。

 

 いきなりエレファントの前に現れて、訳知り顔で様々なことを語ってみせたレイジィレイジを完全に信用しているわけではないが、彼女の言葉が全て事実だとするのならエレファントには迷っている時間も、その言葉の真偽を判断する余裕もなかった。仮に彼女の言葉が全て嘘で、自分を罠にハメようとしているのだとしても、シルフが無事ならばむしろ望むところだった。どんな罠だろうと打ち破って返り討ちにしてやるつもりだった。

 もっとも、あの少女の、レイジィの言葉が嘘である可能性は低いとエレファントは考えている。いや、真実であると信じたがっているというのが正しいだろうか。

 

 シルフは両親からの愛を得られなかったと、自分はいらない子供だったのだと、ずっと昔からそう思っていて、今なおその考えは変わっていないが、それは勘違いだったのだ。シルフは愛されていた。誰かの悪意で邪魔をされていただけで、本当は幸せに生きられるはずだった。それが嘘なんかじゃないと、あなたは愛されているのだと、エレファントはシルフに伝えたかった。

 

 双葉と疎遠になってしまったことは、シルフが不甲斐ないからなんかじゃなかった。双葉に嫌われていたからなんかじゃなかった。彼女はかつて魔法少女で、だからこそ二人の間には溝が出来てしまっていた。それでも本当なら、二人はもっとずっと早く仲直り出来ているはずだった。それを教えてあげたかった。

 

 シルフは魔法少女サキュバスに恋なんてしていなかった。魔法の力でそう思い込まされているだけだった。むしろ、レイジィの言葉をよく思い返せばエレファントとサキュバスに二股をかけてしまっていることで苦悩していると言っていた。つまり、シルフはエレファントに恋をしているのだ。そしてそれは魔法とは関係のない、シルフの本心であるはずで、ならば自分とシルフが結ばれることに障害なんて何一つないと、悩むことも苦しむこともないのだと、教えてあげたかった。

 

 だからエレファントはレイジィの言葉を信じて足を動かし続け、そして辿り着いた。

 深い闇の中で唯一淡い光に照らされ、漆黒の暴風に包み込まれたタイラントシルフの元へ。

 

「シルフちゃん!」

 

 瞳や髪の毛の色は一般的な日本人と同じ黒色で、子供っぽい柄物のTシャツに半ズボンを身に着けた整った顔立ちの少年に対して、エレファントは迷いもせずにそう呼びかけた。

 ここがシルフの心の中だと言うのなら、その先で待っているのがシルフの姿をしていなくても何も不思議ではなかった。その少年こそがタイラントシルフの、水上良一の偽らざる姿なのだ。それに少年は性差による多少の差異はあれど、その顔立ちはシルフによく似ていた。エレファントがそれを見間違えるはずがなかった。

 

 この様子ならばレイジィの語っていたことはやはり嘘ではないのだろうとエレファントは確信し、現実で戦う自分の仲間たちにもう少しだけ頑張ってと心の中でエールを送る。

 

「ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ッッ!!」

 

 苦しむような、悲しむような、怒ったような、様々な負の感情を混ぜ合わせ一つに固めたような、そんな悍ましい叫びに応じるように、少年に纏わりついていた暴風がエレファントへ襲い掛かる。

 魔法と呼ぶにはあまりにも拙い、竜巻というには乱雑で、けれど強風というには研ぎ澄まされた、そんな鋭い嵐を、エレファントは避けようともせずに魔法で強化された身体に任せて強引に突破しようと踏み出した。

 

 心が壊れると言うのがどういう意味なのか、なんとなく想像は出来ても具体的に何が起きるのかは理解しきれなかったエレファントでも、今のシルフを見れば良くないことが起きているのだということはわかる。なにせ少年の姿をしたシルフは、まるで糸がほつれるようにところどころ崩れかけているのだ。完全に崩れ切ってその姿を失ってしまえば、それはシルフの人格が破壊されることを意味するのだとレイジィの説明を思い出して理解した。

 また、現実で戦っている仲間たちがいつまでもつかもわからない。シルフは魔女のお茶会でも高い序列に位置する魔法少女だ。正面から戦えば勝負にならないことはわかり切っている。それに、仲間たちは今こうしてエレファントが事態の解決に動いていることを知らないはずで、であればシルフをどうにかして殺さないように無力化しようとするのは容易に想像できる。それが如何に難しいかわからないほど、エレファントも馬鹿ではない。

 

 だから自分の身も顧みず、すぐにでもシルフを正気に戻すため、愚直に前進することを選んだ。

 しかしシルフの黒風は他者を拒む心の壁のように、向かい風となってエレファントの歩みを阻害する。

 

「ずっと、ずっとこんな風にみんなを突き放して、一人だったんだね」

 

 レイジィが開いた黒いゲートを潜って、崩壊した夢の世界を進み、そしてこの心の奥底に辿り着くまで、エレファントにはずっとこの悲痛な叫びが聞こえていた。誰かに助けを求めるように、けれど自分は誰かに助けられて良い人間なんかじゃないと自分を卑下して、そして自分を愛してくれる人なんていないと嘆き悲しみ、心の痛みに苦しむ叫びが、ずっとずっと聞こえていた。

 そして今、少年から溢れ出す黒い風は、エレファントを押し返し身体にいくつもの切り傷を刻むのと同時に、その傷口から染み込む様にシルフの声を届けていた。

 

 暗い、恐い、痛い、苦しい、寂しい、悲しい、憎い、愛されたい、一人は嫌だ、愛されない、愛せない、自分は必要のない、望まれない、愛されようとしてはいけない、せめて普通に、少しだけでも良い、幸せになりたい、なれない、自分なんて、本当の自分なんて誰も見向きもしてくれない、友達とお別れしたくない、戻りたくない、だけど家族が欲しい、戻りたい、つらい

 

 誰か、助けて

 

強きこと怪象の如く(パワーオブエレファント・フォォ)ォォォォ!」

 

 絶対に助ける、つらい思いなんてさせない、家族だって取り戻させてみせる、お別れなんてしない、させてあげない、例えあなたがどんな姿でも、特別な人、する、幸せにする、数えきれないくらい、普通なんて言えないくらい、愛されたいって思って良い、あなたが良いの、私にはあなたが必要だよ、愛されてみせる、愛おしい、一人になんてさせない、愛してる、癒すよ、悲しませない、寂しい思いなんてさせない、苦しみも、痛みも、怖いのも、全部一緒に分け合おう、私が絶対あなたを明るい場所につれていくよ、楽しいこと、嬉しいこと、二人でたくさん見つけていこう

 

 守りたいという思いが、助けたいという気持ちが、エレファントの新たな魔法を開花させ、魔法の力で強引に傷や痛みを全て無視して暴風の中を突き進み、叫び声をあげる少年を力強く抱きしめた。

 

「シルフちゃんはちゃんと愛されてたんだよ! 本当は、一人ぼっちなんかじゃなかった! 必要ない子供なんかじゃなかった! あなたを愛してる人がいたんだよ! お父さんもお母さんも、双葉さんだって! あなたを愛してたんだ!!」

 

 エレファントの腕の中から抜け出そうと暴れる少年の身体からは闇を纏ったような黒い風が吹き出しているが、それとは対照的に、少年の華奢で小さな身体を包み込むエレファントはいつの間にか白く輝き始めていた。

 

「私だって同じだよ! シルフちゃんのことが好きなんだ! シルフちゃんの優しいところとかっ、楽しそうに遊んでるところとかっ、子供っぽいところとかっ、純粋なところとかっ、可愛いところとかっ、私を好きになってくれるところとかっ、他にもいっぱいっ、いっぱい良いところがある!!

 でもそれだけじゃなくてっ、私はシルフちゃんの弱い心もっ、ネガティブなところもっ、極端なところもっ、面倒くさがりなところもっ、全部をひっくるめて好きになったの!!

 シルフちゃんが本当は男の人だってこともわかったうえで好きになっちゃったの!!

 だからシルフちゃんが本当の自分に戻っても、私はきっとシルフちゃんを好きになる! ううん、水上良一さんを! あなたを好きになる!! あなたと、ずっと一緒にいたいの!!

 だから、だから目を覚ましてよ。私のことを見て。シルフちゃんの、良一さんの言葉で、本当の答えを聞かせて?」

 

 エレファントが身に纏うその光は、シルフへの言葉に呼応するようにどんどん強く大きくなって、黒い風を中和するように混じり合って消えていく。そうして、暴れていたはずの少年が少しずつ大人しくなっていき、それと合わせるようにその姿がぼやけ始め、いつものタイラントシルフの姿へと変わりつつあった。

 

「……あなたはいつもそうです。そうやってずかずか私の心の中に入り込んできて、うじうじして蹲ってる私を助けてくれるんです」

「シルフちゃ――ん?」

 

 苦し気な叫び声ではなくいつものシルフの言葉が聞こえたことで、目を覚ましたのだと抱きしめていたシルフを離して嬉しそうに顔を合わせようとしたエレファントの唇に、そっと何かが触れた。離れようとしたエレファントにシルフが自ら近づいて、キスをしたのだ。

 完全に予想外のその行動に、エレファントは動揺して固まってしまう。無事で良かったとか、どうして女の子の姿に変わっているのかとか、言いたいこと、聞きたいことがあったはずなのに、全てが頭の中から吹っ飛んでしまった。

 

「そんなの、好きになっちゃうじゃないですか」

 

 口づけを交わしていたのはほんの一瞬で、すぐに離れたシルフが顔を真っ赤にして視線を逸らしながら照れたようにそう告げると、ようやくエレファントは何が起きたのかを理解して自分でも知らず知らずのうちに口角があがり満面の笑みを浮かべて勢いよくシルフに抱き着いた。

 

「それってオッケーってことだよ!? やっぱり嫌ですなんて言われても絶対離さないからね! ありがとうシルフちゃん!!」

「私の方こそ、ありがとうございます。なんだか良く分からないですけど、危ない状態だったんですよね? エレファントさんのこともこんなに傷つけて……」

 

 薄っすらと何があったのかはわかっているようだが、それこそ夢でもみていたかのようなものらしく、どうやらシルフは自分に何が起きていたのかをハッキリと覚えていないらしかった。

 

「ここは夢の中みたいなものだから大丈夫だよ! あ、でもさっきの告白は夢じゃないからやっぱりなしっていうのは駄目だからね!! 修学旅行から戻ったら覚悟しておいてね!」

「か、覚悟って、なにするつもりなんですか……。というか夢の中、ですか? そういえばブレイドさんたちとも戦ってたような気がしますけど、みなさんはいないんですね」

「そっちが現実だよ! みんなにもお礼言わないとね。でも、別にシルフちゃんが悪いことしたわけじゃないからあんまり気にしちゃ駄目だよ。悪いのはジャックと地球儀? とサキちゃんなんだから。それに私たち恋人になったんだから、これからは一人で全部抱えこまないで、何かあったら相談して一緒に背負おうね」

「どういうことですか? 地球儀って、アースのことですか? それにサキって、そういえば……、……っ、なんか急に、眠気が……」

 

 何かを思い出した様子のシルフだったが、それを言葉にするよりも先に急激な睡魔に襲われてエレファントにもたれ掛かるようにして倒れ込みうつらうつらと舟をこぎ始めた。

 

「目が覚めたら、多分欺瞞世界に居ると思う。ひとまずもう大丈夫ってみんなに伝えてあげて」

「わかり……ました……」

 

 それが目覚めの前兆なのだろうと察したエレファントが、眠たそうなシルフの頭を優しく撫でながらそう告げると、シルフは何とか返事だけして眠ってしまった。

 

「あれ? そういえば私はどうすれば良いんだろ?」

 

 眠っているシルフに膝枕をしながら、エレファントはふと感じた疑問を口にする。ここはシルフの精神世界のはずであり、同じように眠りについたとしてもエレファントが現実で目覚めるのかわからなかった。そもそも夢の中で意識があるということ自体が過去に経験のないことであり、何をどうすれば目覚めるのかさっぱりわからない。暗闇の広がる空間は方向感覚を失わせ、来た道もわからなくなってしまい、戻ることも出来そうにない。

 

「……どうしよ」

『心配には及びません。このまま待っていれば通常の眠りに移行します』

 

 シルフを撫でながら途方に暮れていたエレファントの耳元で、シルフによく似た声で誰かが囁いた。

 

「レイジィちゃん?」

『この音声はあなたが成功した場合に備えて事前に録音したものを再生しているだけであり、私はすでに眠っています。よってこれ以上の質問は受け付けません。ただしご褒美に二つだけお伝えしておきましょう。まず一つ、よくやりました。あなたなら出来ると信じていましたよ』

「でも私、シルフちゃんを抱きしめて色々言っただけだったんだけどな……」

 

 確信があったわけではないが、自分の思うようにするべきという助言をレイジィから受けていた為、エレファントはシルフの悲しみを癒したいという自分の気持ちに従って行動した。それがなぜ、シルフの暴走を止めるに至ったのかはエレファント自身もわかっていなかった。

 

『あなたに秘められた力がヤツの力を相殺したのです』

「私の力……」

 

 自分は象をモチーフにした魔法少女であり、基本的に身体強化かそれの延長線上にある系統の魔法しか使うことが出来ない。それがシルフの心にどう作用したのか、エレファントはいまいちピンと来ていない様子だった。

 

『これが二つ目ですが、あなたが自分の力を知らないのも無理はありません。その力は持ち主であるあなた自身ですら気づけないほど幾重にも隠蔽がなされているのですから。だから自覚も出来ず、無意識にですら使うこともかなわなかった。先ほど、少しだけその偽装を剥がして、対外的な隠蔽はそのままに、持ち主であるあなたは力を振るえるように改良しました。どうやらあなたの力を隠していた人物は随分と心配性なようですね。ですがもうその必要もないでしょう。運命の日はもうすぐそこまで迫っているのですから』

「ちょ、ちょっと待ってよ! 力ってなんのこと!? 運命の日って!?」

『期待していますよ、魔法少女エレファント。この世界の運命は、神モドキでも妖精でも魔女でもない、あなたにかかっているのですから』

「待ってよ、もっとちゃんと、教え……、てよ……」

 

 制止の声もむなしく、エレファントの意識は最初にレイジィの音声が伝えたように眠りへと落ちていく。


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