間に合った。
ジャックがその光景を目にして最初に感じたのは大きな安堵だった。
タイラントシルフにとって催眠魔術との相性が最悪であるとわかった瞬間、ジャックは他の魔法少女たちに連絡を取っていた。それは通常のディスト発生警報とは違い、言ってしまえば個人的な連絡だ。だから気づいて貰えるかどうかは賭けだった。
他にも周辺地域の魔法少女に救援要請は飛ばしていたが、転移は距離が離れるほど時間がかかる。
さらに言えば、強力なディストは様々なものを歪めてしまう。その最たる例は時間だ。マーキスクラス以上にもなれば、戦っている魔法少女たちと現実の世界で流れる時間は大きく変わってくる。ただのバロンクラスであれば気にする必要もないが、新型ディストなら油断は出来ない。
タイラントシルフが殺される前に誰かが助けに来てくれる可能性は、そう高くない。賭けは賭けでも分の悪い賭け。それでもジャックは、その賭けに勝った。
「シルフちゃんをこんなにボロボロにするなんて、許せない……」
魔法を維持できなくなったタイラントシルフが墜落する寸前、その身体を優しく受け止めた少女。
意識を失ったことでぐったりとしているタイラントシルフはどこにでもいるただの女の子そのもので、だけどその身体にはいくつも傷が付いていて、少女は痛ましいその姿に表情を歪めて唇を噛む。
口惜しかった。こんなに小さな子供に、全てを背負わせようとしていた自分が情けなかった。
少女はタイラントシルフを優しく地面におろし、歌い続ける双頭羊に向き直る。
「絶対に許さない!!」
ビビッドカラーの青髪に、空色のヒラヒラとした衣装。ゴテゴテとした金属製のブーツを履いたその姿は、まごうことなく魔法少女。
魔法少女エレファント。
心優しい象の魔法少女が、その瞳に怒りの炎を灯して吠えた。
・
「はああああ!」
エレファントが気合いを込めた雄叫びと共にハイキックを繰り出し、未だ歌い続ける双頭羊の顔面を蹴り飛ばす。蹴りつけられた片方の頭はその衝撃でもう片方の頭にぶつかり、たたらを踏む。
タイラントシルフが負けるほどのディストであるため、どれほど強いのか警戒していたエレファントは違和感を覚える。
そのディストがバロンクラスであるということはジャックから聞いていたが、ただのバロンクラスにタイラントシルフが負けるはずもない。何か恐ろしい攻撃手段を隠し持っていると判断したエレファントは、それを使われる前に押しきるためラッシュをかける。
「そのディストは催眠魔法を使うラン! タイラントシルフとは相性が最悪だったけど、君には効いてないラン! ただのバロンクラスとそう変わらないはずラン!」
エレファントの戦闘を観察していたジャックが声を張り上げた。
ディストは学習する。しかしそれは、何も正しい学習ばかりではない。双頭羊のディストはタイラントシルフを催眠で完封出来たことを学習し、それが非常に有効な手段であると学習した。
それは間違いではない。ただし、それはあくまでもタイラントシルフが相手であればの話。
魔法少女は直接的に作用する類の攻撃への耐性が非常に高い。よほど相性が悪くない限りはほとんどレジストして無効化出来るほどに。
タイラントシルフはたまたま、眠りに対する渇望を抱いていたからこそ通用したのであって、毎日気持ち良く眠っているエレファントに効くはずもない。
ゆえに、エレファントにとって双頭羊のディストはただのバロンクラスを相手にするのと同じことだ。
とはいえ、ただのバロンクラスであれば勝てるのかと言えば、それはまた別の話。
(簡単に言ってくれるよね。バロンクラスを一人で倒したことなんてないんだけどな)
今はまだ、双頭羊のディストが催眠を有効なものであると誤認しているから一方的にエレファントが攻撃できているが、効果がないと気づかれればむしろエレファントが不利になる。
元々エレファントの戦闘能力はナイトクラスを問題なく一人で倒せる程度であり、バロンクラスと一人で戦ったことはない。
「はっ!」
ダメージの蓄積によってディストの片方の頭部が破壊される。当然バロンクラスのディストがそれだけで消滅することはなく、徐々になくなった頭部が再生していくが、それを待つ理由はない。エレファントは再生する頭部を無視してもう片方の頭部に攻撃しようと地面を蹴る。
「ぐっ!?」
しかし、頭を蹴りつける前に再生中の首が鞭のように振るわれエレファントを強く打った。一方的に攻撃できる状況で警戒が甘くなっていたエレファントはそれをもろに受けて吹き飛ばされる。
「ボーナスタイムは終わりかな?」
ガリガリと地面とブーツが擦れる音を響かせて着地したエレファントが軽口を叩く。余裕そうに振る舞ってはいるが、内心では冷や汗を流してここからどうするかを考えている。
逃げることは出来ない。他の魔法少女がいつ来るかわからない以上、現実世界に行かせないためにはエレファントが足止めをするしかない。だが、あまり消極的に戦って時間を引き延ばした場合、タイラントシルフが狙われる可能性がある。絶対に守ってみせるつもりではあるが、万が一は何にでもある。狙われないならそれに越したことはない。
タイラントシルフを守るためには、ディストが自分を無視できないほどに攻め立て、素早く決着をつけなければならない。
(結局、やるしかないってことだよね!!)
元々エレファントは大切な者を守るために魔法少女になった。タイラントシルフという少女を守るために身体を張るのはむしろ望むところで、覚悟を決めたエレファントの闘志はそれまでよりも大きく燃え上がる。
(それに……)
エレファントが一人で戦うにあたって、適正と呼べる相手はナイトクラスだった。
しかしそれは、過去の話。新型ディストが発生して以降、エレファントはナイトクラスよりも強いディストとは戦っていないが、その間に停滞していたわけではない。生活とディスト討伐の合間の時間をぬって、少しでもタイラントシルフに追いつけるよう努力していた。
過去のエレファントならば、バロンクラス相手に出来ることなど時間稼ぎが精々だっただろう。
だが今、今ここにいるエレファントならば。互角とは言わない。バロンクラスディストの方が有利であることもまた事実だろう。それでも、絶対に勝てない相手ではないことも確かだった。
「ふふっ」
かつて、鶴来に言われたことを思い出し、思わずと言った様子で笑う。
(命もかけられないんなら魔法少女なんてやめなさい。そうだね。きっとそれも正しいんだと思う。でもね鶴ちゃん。私は何度でも、あの時と同じように答えるよ)
命はかける。けれどそれはいつ死んでもいい覚悟じゃない。命を懸けて、必ず全員で生き残る。
それが、それこそがエレファントの誓い。
まだブレイドと出会ったばかりの頃、自分でも気が付いていなかった、胸の奥の祈り。
「私が守る!」
駆けだしたエレファントと双頭羊のディストが激突する。
「友達も、家族も!」
黒い靄で形作られたディストの身体がえぐられるように欠け、鋭い角に切り裂かれたエレファントの肌から血が流れ落ちる。
「世界も!」
感情を感じさせないディストと感情のままに雄叫びをあげるエレファント。
「私自身も!!」
その決着までにかかった時間は、それほど長くはなかった。
・
これは夢だ。
それはすぐに気が付いた。
どうしてこんな夢を見てるのか、それまで俺がどうしていたのか、細かいことは何もわからなかったが、それが夢だということだけはすぐにわかった。
まだ幼い少年が、大きなケーキに立てられた蝋燭にむけて息を吹いている。
火が消えると拍手の音と共に、おめでとう、という優しげな声が聞こえた。
男性と女性の声だった。消されていた部屋の電気がつけられ、三人の人物が楽しそうに笑顔を浮かべている。
父と母だった。記憶の中にある、若い頃の父と母だ。だからつまり、あの少年は俺なんだろう。
今の俺はそんな様子を、どこか遠いところから見ている。
場面が変わって、今度は遊園地。
俺は父に肩車をしてもらっていて、母はまだ幼い妹が乗っているベビーカーを押している。
次はあれに乗ろうとか、あれを食べようとか、楽しそうに話している。
次は小学校だった。
授業と授業の合間の休憩時間には友達と楽しく談笑して、昼休みにはドッジボール。
放課後には友達の家に集まってテレビゲームではしゃいでる。
夏休みには友達とプールにいったり、家族で旅行したり、楽しそうに過ごしている。
中学校では部活動で友達と汗を流し、大会で負けて悔し涙を流す。
テストの前はファミレスに集まって勉強会。
誰と誰が付き合ってるとか、誰は誰が好きとか、そんな話で盛り上がる。
高校に入ってからアルバイトを初めて、欲しかったスマホを買って満足げに頷く。
バイト先で知り合った女の子と少しずつ良い感じになって、自分から告白して恋人になって、いろんなところにデートに行った。
映画館、ショッピング、水族館、お祭り、遊園地、ゲーセン、海、どこに行っても楽しくて、二人はいつまでも一緒なんて恥ずかしいことを言い合って……。
それからも、大学に行って趣味に没頭したり、社会人になって先輩や上司に面倒を見て貰ったり後輩を可愛がったり、本当に、本当に楽しそうなことばかりで……。
やっぱりこれは夢だ。
俺の人生には存在しなかった、だけど喉から手がでるほど求めていたもの。
夢見ていたもの。
だからこれは夢だ。
掴もうとすると消えてしまう。
幸せな夢のはずなのに、夢だとわかってしまうから、もう絶対に手に入らないものだとわかってしまうから、悲しい。
そうして、少しずつ幸せな夢が消えていく。
朧気に、泡のように、そこにはなにも残らなくて……。何でも良い、どれか一つ、たった一つでもいいからそれを手に入れたくて、無駄だとわかってるのに、また手を伸ばして……
誰かが、その手を掴んだ。
混濁する意識の中で、導かれるように薄く瞼を開ける。
「目が覚めたんだねシルフちゃん。痛いところ、ない?」
「はい……」
優しく語りかけてくる血塗れの可愛らしい少女。
一見猟奇的な姿であるその少女に、不思議と安心感を抱いた。
きっとまだ、夢を見ているんだろう。
その姿はぼやけていてすぐに見えなくなってしまったし、なにより、俺の人生で手が届いたことなんて、一度だってないんだから……。