魔法少女タイラントシルフ   作:ペンギンフレーム

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episode1-1 変身①

 熱気のこもった静かな部屋の中に、カタカタとキーボードを叩く音だけが響く。エアコンはいつものように定時で止められていた。暑さで作業効率が落ち、余計に残業が増えると直訴している奴も居るらしいが、今のところ改善される兆しはない。予算がないらしいと噂程度には聞いているが、実際はどうなのか。わざわざ確認する気にはならなかった。

 

 パソコンの右下に表示された時計を見てみると、22時を少し過ぎたところだった。2~3時間前までは会話しながら残業していた同僚たちも、今は無言で指を動かしている。これもいつもの光景だ。

 

「お先です」

「おつかれさまです」

 

 キリの良いところで仕事を切り上げ、職場を出る準備をする。一人暮らしの自宅までは片道2時間程度。そろそろ帰らないと朝が辛い。明日は休みだが、休みでも早起きすることに変わりはない。残った仕事は来週やれば良い。

 外を見てみると、怪しい雲行きだが雨は降っていなかった。予報は外れたらしい。傘は置いていって良さそうだ。

 

「水上さん、帰るところすみません。ここだけ教えてくれませんか」

「ああ、これは……」

 

 切羽詰まった様子の後輩の質問に答えて職場を出る。一本逃したな。せめてもう少し早く聞いてくれと思わなくもないが、仕事は助け合いだ。仕方ないと考えて電車を待つ。

 

 さすがにこの時間帯だと電車も大分空いていた。端っこの席に座り、適当にニュースサイトやまとめサイトを眺めて時間を潰す。

 なるべく、気分が悪くなるようなニュースや記事は見ない。ただでさえ仕事のストレスで精神的にも疲れているというのに、暇つぶしでまで嫌な気分になりたくはない。明るいニュースを、和むような動画を探す。

 

 小動物の動画で癒されながらも、考えるのは仕事のことだ。人間関係は仕事に支障が出ない程度には問題ないし、いつもここまで残業があるわけでもない。総合してみればさほど悪くない職であるということはわかっている。そもそもが安定していることだけを目的に入ったのだ。今更給料が安いことに文句を付ける気もないが、想像とのギャップも大きい。

 宝くじでも当たれば間違いなく辞めている。それは今の仕事が特別に嫌だからと言うわけではなく、単純に働くこと自体が嫌なんだ。どうしようもない社会不適合者だという自覚はあるが、同時にレールのない未来を恐ろしいとも思う。

 辞めたいなんて考えながら、結局は生きていくために働いている。どうしようもない。不安とストレスで雁字搦めで、この人生に意味は、未来はあるのかとも時々思う。

 

 やめよう。また、悪い癖が出た。

 

 気分を切り替えるために新しいニュースを眺めていると、ふと、人気急上昇中の魔法少女アイドル、という見出しが目に付いた。あまり現実のアイドルには詳しくないが、魔法少女という単語に興味を引かれた。

 記事を開いてみると、魔法少女アイドルとやらの画像が表示される。フリフリの可愛らしい衣装に、太陽のような眩しい笑顔。そんな美少女の周りを、揺らめく炎が彩っている。魔法少女サニーと言う名前で売り出しているらしい。動画のリンクがあり開いてみると、少女が綺麗な炎を操りながら歌って踊っていた。CGや合成のようには見えない。たしかにこれは、魔法少女アイドルというのも頷ける。

 

 魔法少女という存在がこの世界に現れたのいつ頃からだったか。それほど昔ではない。自分が物心つく頃には、まだなかったような気がするが、細かい時期は思い出せない。

 気がついたら社会に根ざしていて、そこに居るのが当たり前になっていた。

 魔法少女には謎が多い。何かと戦っているらしいことは知られているが、それが一体なんなのかは知られていない。ごく一般的な人間の少女が魔法少女に変身しているらしいとか、魔法の世界から来た異世界人だとか、色々な説が唱えられている。要するに魔法少女がなんなのかということは全然知られていないということだ。

 

 まあ、どうでもいいか。

 

 考えれば考えるほど不思議な存在だったが、ふと興味がなくなる。いつものことだった。魔法少女のことはたしかに不思議だが、それを解明してやろうというほどの熱意はない。きっとみんなそうなんだろう。

 

 俺は魔法少女アイドルの記事を閉じて、ソシャゲを起動した。

 ゲームの名前は魔法少女ウォーズ。実在する魔法少女たちをモデルにしたキャラが活躍するゲームで、意外と面白い。暇つぶしにもってこいだ。

 

 ああ、そういえばこれも魔法少女関係だった。

 やっぱり、魔法少女という存在はそれなりに社会に受け入れられているらしい。

 

 

 

 

 

 

 駅と自宅はそれなりに離れている。引っ越した当時は家賃の低さに目が眩んで、毎日運動になるし何の問題もないと思っていたが、数年もこうして歩いていると流石に辟易する。もっと駅に近い家にすれば良かったと思うが、当時の自分にそんな金銭的余裕がなかったのも確かで、結局は考えてもどうにもならないことだ。今更引っ越す気にもなれない。

 

 こうして歩いている間はスマホで時間を潰すことも出来ず、つい考え込んでしまう。普段であれば休みに何をするかとか、仕事のことを考えるが、今日はどうしても自分の年齢のことが頭から離れなかった。

 

 何を隠そう、今日は誕生日だ。ギリギリ20代だった自分も、とうとう三十路。加えて性的な経験もないため、魔法使いになってしまった。魔法少女の仲間入りだな、なんて考えて、自分で笑ってしまう。幸い周囲に人が居なくて助かった。深夜の往来でいきなり笑い出す三十路男性なんて、人に見られていたら間違いなく事案だった。

 

 漫画やドラマなんかでは、自分の誕生日を覚えていないキャラが良くいる。イベントとして、サプライズ感を出すためには仕方ないのかもしれないが、実際のところ自分の誕生日を忘れることなんて、俺には出来そうもない。その日が近づいてくるにつれて、今年もまた歳を取るのかという気持ちは必ずわいてくる。

 

 後ろ向きな考えというか、ネガティブなのは昔からだった。どうしても物事を悪い方へ、悪い方へ考えてしまう。それが原因で不眠症まで発症しているのだから笑えない。

 こんなんじゃ駄目だと思考を切り替えようとしても、悪い想像は泥のようにこびりついて中々離れてくれない。楽しいこと、楽しいことを考えよう。なにか、楽しいことを。

 

 例えばゲームの、そう、魔法少女ウォーズのこととか。

 

「……?」

 

 ふと、周囲を見渡すと急に暗くなったような気がした。気のせいかと思ったが、やっぱり気のせいじゃないことに気がつく。電気が消えている。

 すでに住宅街の奥の方に入っており、店や信号がないから気づくのが遅れたが、全ての住宅に明かりが付いてない。それに、街灯もだ。停電でもしたのかもしれない。

 

 それにしても、月が明るい。電気が消えているというのにこんなにハッキリと周囲が見えるなんて。

 見上げると、雲一つない空に満月が浮かび星々が輝いている。とても、とても綺麗で、目を疑った。月に照らされて浮かび上がったシルエット。

 

「……魔法少女」

 

 まるで一枚の絵画のようだった。大きな月を背景に、空を飛ぶ異形の存在と、それを蹴りつける少女の姿。その光景は一瞬で、蹴り飛ばされた異形は空気に溶けるように消えていき、少女は重力に引かれて落ちていく。

 咄嗟に駆けだしていた。何か考えがあったわけじゃない。間に合うような距離じゃない。そもそも魔法少女なのであれば、落ちたところで死ぬわけではないのかもしれない。後から考えれば意味のない行動だった。ただ、その時は身体が勝手に動き出していて、気が付いたらいつもの景色に戻っていた。

 空から落ちてきていた魔法少女も、大きな満月も消え失せて、目の前には曇天と、文明的な明かりに照らされた住宅街が広がっていた。

 ふと、頬が濡れているのに気が付いた。

 

 ああ、そうだ。

 そういえば今日は、雨の予報だった。


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