醜態だ。醜態を晒してしまった。
一回り以上も年の離れた女の子に縋り付いて泣きわめくなんて、俺は何をやってるんだ。恥ずかしいし情けない。
あれから三日が経った今でも羞恥心で悶え苦しむほどだ。
だが、何かの間違いだったと否定することもできない。
俺が戦うことや精神に干渉されることを恐怖していたのはたしかだし、感情の行き場を見失っていたのもたしかだ。
認めたくはないが、認めるしかない。あの時、温かさに包まれて涙を流すのは必要なことだった。そうでなければきっと、羞恥心を感じるほど冷静になることも出来なかっただろうから。
この三日間、俺は一度も戦ってない。魔法少女に変身すらしていない。
ディスト発生の通知が来なくなったわけではない。あの不快な爆音はこの三日間で何度か鳴り響いたが、そのたびにイヤホンを付けて無視し続けた。
結局、俺が戦わなくたって他の魔法少女がなんとかしてくれる。元々俺はなりたての魔法少女で、今までだって俺がいなくても何とかなってたんだ。
エレファントさんの言う通りだった。嫌なことからは逃げてしまえばよかったんだ。
もう元の姿には戻れないかもしれない。水上良一という人間には戻れないかもしれない。
未練がないと言ったら嘘になる。魔法少女になったのはこんな身体で生きていくための仕方ない選択だったが、生活のためだけではない、元の姿に戻りたいという気持ちはたしかにあった。
家族の関係なんて壊滅的だし、友人なんて一人もいない。お世辞にも幸せな人生だったなんて言えるような人間じゃなかった。それでも、積み上げてきた何かがあった。俺はそれを失いたくないと思っていた。
ただ、そのために命をかけられると言ったらそれは嘘だ。
あの日、魔法少女になった時の俺はわかっていなかった。
戦うこと、命をかけることの恐ろしさを。
今まで通りの、普通で平凡な生活を送ることはできないかもしれない。
苦難に満ち溢れた旅路になるかもしれない。
それでも、命を失うこととは比べられない。
俺はこの身体で尊厳を失って生きていくとしても、死にたくない。
死にたくないんだ。
「っ……、また……」
マギホンがけたたましい音と共に発光する。
表示された画面を見なくてもわかる。ディスト発生の通知だ。
こんなもの、もう自分には必要ないものだ。捨ててしまえば良い。そうすれば、こうしてディストが発生するたびに嫌な気持ちにならなくて済む。
それがわかっていて、それでも捨てられないのは、きっとあの日のことを忘れられないからだ。
たった一日だけの友達。
俺を助けてくれた魔法少女。
笑顔が眩しくて、優しさが温かい女の子。
もう二度と戦わないと決めてから、俺は何度もマギホンを破棄しようと思った。
だけどそのたびに、彼女の顔が思い浮かぶ。魔法少女であることは彼女との唯一の繋がりだ。連絡先は教えてもらっているが、そんな表面的な繋がりのことじゃない。マギホンを手放して、本当にただの女の子になった時、目には見えない、運命のような繋がりが完全に失われてしまうような気がして、どうしても捨てられなかった。
それがどうしたと必死に自分を言い聞かせようとしても、どうしても踏み切れない自分がいる。
今更彼女と仲良くしたいわけじゃない。魔法少女と馴れ合わないという戒めを破るつもりもない。
ただ、自分が震えてうずくまっている間に、彼女が死んでしまうんじゃないかと、この世界からいなくなってしまうんじゃないかと考えると、どうしてもマギホンを手放せない。
あの優しい少女が消えてなくなってしまうことが恐ろしくてしょうがない。
馬鹿な話だ。連絡を取り合っているわけでもなければ、自分が戦うつもりもないくせに、お守りみたいにマギホンを捨てられずにいる。
本当にどうしようもない。俺は大馬鹿野郎だ。
忘れてしまえばいいんだ。
あの日、彼女と行った場所も、遊んだことも、涙を流したことも。
全部、全部なかったことにしてしまえばもう悩まなくて済む。
『――――!』
イヤホンを付けてから10分ほど経った頃だろうか。僅かな隙間からふと、誰かの声が聞こえた。
なぜだかそれを聞かなければ後悔するような気がして、俺はイヤホンを取り外す。
耳が痛くなるほどの通知はもう鳴っていなかった。
『タイラントシルフ! 何やってるラン! 君が僕に怒ってることはわかるラン! でもそれどころじゃないラン!』
ジャックだ。ジャックの声がマギホン越しに聞こえてくる。
病室で目が覚めた時、二度と顔を見たくないと怒鳴りつけてから、ジャックは一度も現れなかったし連絡もしてこなかった。
理由はわかってなくても、俺が怒っているということはわかっていたのだろう。
ほとばりが冷めるのを待っていたのか、それとももう俺に関わるつもりがなかったのはわからない。
そんなジャックの、焦ったような声だ。
『マーキスクラスラン! 急がないと間に合わなくなるラン!』
心臓を握られたかのように、キュッと胸が締め付けられ呼吸が乱れる。
大丈夫、大丈夫だ。
マーキスクラスはフェーズ2魔法少女が何人か、もしくは魔女が必要になるレベルのディストだ。
たしかにこの辺の魔法少女だけじゃ荷が重いだろう。だけど俺は知っている。マーキス以上のディストが現れた時、倒せる魔法少女が近くにいなければ長距離転移装置を使って魔女が派遣されてくる。俺が戦わなくたって、いずれはその魔女が倒してくれる。俺は戦わなくて良い。
ジャックの言葉を無視するためにもう一度イヤホンを付けなおそうとして、次に聞こえてきた言葉に思わず手が止まった。
『時間稼ぎにエレファントたちが戦ってるラン!! ここままじゃマズイラン! 急がないと手遅れになるラン! タイラントシルフ!』
血の気が引くのが自分でもわかった。
そうだ。以前に俺が蜂型のマーキスクラスと戦った時も、現地の魔法少女がサポートで入っていた。前線には出てこなかったからほとんど忘れていたが、あの魔法少女たちは時間稼ぎも兼ねていたんだ。
ジャックの話は多分本当だ。
エレファントさんたちじゃマーキスクラスのディストに敵うはずない。本人たちも時間稼ぎのつもりで戦ってるはず。だけど、その時間稼ぎはいつまでもつ? ディストが欺瞞世界に気づいてしまえば、時間稼ぎなんて言ってられなくなるんじゃないのか? 魔女はいつ来る? それまでに、間に合うか?
「う……うぅ……」
怖い、怖いっ、怖い!
さっきより胸の痛みも、呼吸の激しさも増している。
もう戦いたくなんてない。ずっと逃げていたい。
なにも聞かなかったことにして、このままうずくまっていたい。
「むり……むりです……」
目尻に涙が浮かび、声が震える。
漏れ出た言葉はあまりにも弱弱しく小さくて、きっとジャックには聞こえてないだろう。
わかってる。俺がいかなければ間に合わない可能性が高い。だからジャックは俺に連絡してきた。
それがわかってるから怖いんだ。マーキスクラスなんて、きっと俺なら簡単に倒せるはずだ。杖を一振りして魔法を使えばそれでお終い。そのはずだ。ジャックだって、いいや、他の魔法少女たちだってきっとそう思ってる。タイラントシルフさえくればって……!
でも絶対じゃないんだ!
この戦いで、簡単に勝てるはずの戦いで、俺は死ぬかもしれないんだ!
何があるかなんてわからないじゃないか!
この前だって予想もしてなかった方法で負けたんだ!
どうして今回は負けないなんて言いきれる!?
絶対なんてない!
戦う以上は命をかけることに変わりはない!
助けたくないわけじゃない。俺だって出来るなら助けたいと思ってる。
でも足が竦んで、身体の震えが止まらなくて……! 動き出せないんだ!
戦うことも怖いし死ぬことだって怖い! 心を奪われることだって怖い!
でも! でも、このままじゃ……!
『来なくていい!!』
その声はジャック以上に切羽詰まっていて、それでも優しさに溢れていた。
俺はその声を知っている。俺に逃げることを教えてくれたその人を知っている。
『シルフちゃんは、来なくていいから。私たちに任せて』
安心させるような、まるで赤子をあやす様なその言葉を聞いた瞬間、俺は何も考えられなくなった。
なにも言えず、なにも聞こえず、ただ何かから逃げるように視線を彷徨わせ、机の上に飾ってある象のぬいぐるみが目に入った。
【私たちもう友達だよね!】
【凄いよシルフちゃん! シルフちゃんは天才だよ!】
【ね! 楽しかったでしょ!】
【この象さん、私だと思って大切にしてね!】
【シルフちゃんを助けたかったから。その気持ちは本物だから、恐怖なんてあってもなくても関係ない】
忘れられれば楽かもしれない。
だけど、忘れられるわけがない。
あんなに楽しかったのは人生で初めてだった。
あの日のことを思い出すだけで、胸の痛みも、息苦しさも、身体の震えも、全部全部気にならなくなる。
怖くなくなったわけじゃない。
戦うのも死ぬのも、この恐怖が消え去ることだって、全部が怖い。
「てんちことごとくっ……」
だけど……、それでも!
そんなことどうだって良いって思えるくらいに!
エレファントさんが死んでしまうことの方が怖い!
ずっとずっと、怖いんだっ!!
「ふきちらせええぇぇぇっ!!」