「エレファントさんは一つ勘違いをしてます」
話を一通り聞いたシルフは、そう言った。
「私は優しくなんてないです。自分勝手で傲慢な人間です。誰かのために戦おうなんて、そんな立派なことは考えてないです」
「だったらなんで」
「エレファントさん、私はあなたのために戦います」
「……え?」
一瞬、エレファントはシルフが何を言っているのか理解できなかった。
「誰かのために戦うなんてありえないって、今でもそう思います。でも、エレファントさんだけは違います。あなたのためなら、私は恐怖を乗り越えられるんです。あなたに死んでほしくないって、生きていて欲しいって、心からそう思えるんです」
「なんで……?」
「あなたが私の知る誰よりも優しい人で、信頼できるからです」
「えっと、じゃあ、シルフちゃんは私と友達になってくれるってこと?」
「いいえ、それは出来ません」
「……? ごめんね、よくわからないよ……?」
エレファント自身、家族や友人を守りたくて魔法少女になったため、シルフが自分のことを友達だと思ってくれて、そんな自分を守りたいから戦うのだと言うなら理解できた。
しかし、友達になれるのかと聞けば返事はいいえ。
(心を開いてくれて仲良くなれたからシルフちゃんは私を守りたいってことじゃないの……?)
「私には魔法少女と友達になる資格がありません。だから、私はエレファントさんのことを尊敬してますし信頼してますけど、仲良くは出来ないです。でも、エレファントさんのピンチには必ず駆けつけるので心配しないでください」
「友達になるのに資格なんて必要ないよ。私はシルフちゃんと仲良くなりたいって思ってて、シルフちゃんも私のことを好きなんだったらもう私たちは友達なんじゃないかな?」
言いながらエレファントは僅かに顔を赤らめる。はぐらかされないように直球で言葉を投げかけているが、自分の口からシルフちゃんは私が好きというのは流石に自信過剰じみたセリフで恥ずかしかった。
「本当は、エレファントさんを尊敬したり好意的に思うことだって私にはしちゃいけないことだったんです。魔法少女と関われば関わるほど、私は自分を許せなくなります。だから、私のためだと思って諦めて下さい。これ以上私の中に踏み込んで来ないでください」
「そんなの、そんなのおかしいよ! シルフちゃんはもっと自分に優しくしなきゃ駄目だよ!」
「私はとびきり自分に優しいですよ。でもそれはきっと、言葉だけでは伝わらないですね。……わかりました、隠し事はなしにしましょう。それであなたに嫌われるのなら、私も諦めがつきます」
シルフは観念したように小さくため息を吐いた。
「私はシルフちゃんを嫌いになったりしないよ」
「そうかもしれませんね」
エレファントはシルフがいじめにあっているのだと思っていた。
ただ、今日の話を聞いていると果たして本当にそうなのかという疑問も生まれていた。
シルフの態度は頑なだった。なぜそれほどまでに魔法少女と距離を置こうとするのかエレファントにはわからなかった。
学校でいじめられていて、自分が悪いと思いこまされているとしても、魔法少女と仲良くなることで自分を許せないという考えには至らないはずだ。
シルフの秘密を暴くつもりなんてなかった。
ただ、これから少しずつ仲良くなって、その傷を癒していければ良いと考えていた。
如何に信頼しているとは言っても、隠そうとしていた秘密を打ち明けるのはとても勇気がいるはずだ。嫌われても諦めがつくとまで言わせるほどのことなのだから、その重圧を想像することすら出来ない。
だからエレファントも覚悟を決めた。たとえシルフがどんな悩みを抱えていたとしても、必ずそれを受けとめると。
「少し脇道にそれますが、この部屋ってなんだと思いますか」
「え? シルフちゃんの部屋、だよね?」
「そうですね。ただ、少しだけ語弊がありますね。ここは私の家です」
「うん?」
エレファントにはその言い回しの違いがわからなかった。何かの言葉遊びだろうかと考えてみても、答えは出ない。自分の部屋が自分の家にあるのは当たり前だ。
「少し、部屋の外を見てみましょうか」
シルフに連れられて部屋を出たエレファントは、廊下の先にあるキッチンやバスルーム、お手洗いを見て、別になにもおかしいとこはないと思いかけて、気が付いた。
「部屋が一つしかない?」
「そうですね。お風呂とかトイレ以外だと、部屋はこの一つだけです」
部屋に戻ってきたシルフが正解ですと控えめに手を叩く。
「お父さんとかお母さんはいないの?」
「一人暮らしなんですよ。両親にはもうしばらく会ってませんね」
「そんな……!」
中学二年生であるエレファントの周りには、親元を離れて一人暮らしをしている者なんて一人もいない。高校生や大学生になればそういうこともあるというのはフィクションで得た情報などから知っているが、小学生を一人暮らしさせているなどエレファントは聞いたこともなかった。
両親が忙しくて、実家で実質一人暮らしのようなものならまだわかるが、単身者向けの部屋を借りて、わざわざそこに子供を住まわせる。しかもシルフはしばらく会っていないと言った。エレファントの脳裏に、虐待の可能性が浮かび上がるのも当然だった。
「勘違いしないでくださいね。これはそんなに重要な話じゃありません。一つの要素です」
「これが重大な話じゃないって、そんなわけ……!」
「まずは私の話を聞いて、それから判断してください」
シルフのために怒りを滲ませたエレファントをたしなめ、話を続ける。
「私はここで一人暮らしをしているわけですが、この部屋、結構殺風景だと思いませんか? 年頃の女の子の部屋とは思えないですよね?」
「え、いや、それは、まあ……」
奇しくも自身が抱いた感想と同じことをシルフが口にしたため、エレファントは若干驚きながらも肯定を返す。自覚があったのかと。
「そうですねー。あとは、」
親指と人差し指をあごにあて、首を傾げながらウロウロと歩き回るシルフ。
ふと、何かに気づいたように箪笥の前で立ち止まり、中から衣類を取り出した。
「ここには女の子の衣服がほとんどありません。というか、先日エレファントさんにいただいたものくらいですね。それ以外は全部成人男性の衣服です」
「えっ!?」
いくつかシルフが手に取った衣類を見てみると、たしかにそれは女児が着るには大きい男性ものだった。
「ちょっと、中見てもいいかな?」
「どうぞ、気のすむまで」
シルフの許可をとって箪笥の中身を確認していくエレファント。
Tシャツやポロシャツ、コートにパーカー、セーターなど、夏物と冬物がある程度分けて収納されている。他にもチノパンやGパン、さらには男性物の下着が見つかり、シルフの言うとおり女の子向けの衣類がほとんど入っていない。
「ど、どういうこと?」
「ここに本来住んでいたのは、水上良一という三十路男性なんです」
その言葉を聞いてエレファントが咄嗟に思い浮かべた可能性は三つ。
一つはここが親類の家という可能性。年の離れた兄だとか、あるいは叔父とか、とにかくそうした男性の家に住まわせて貰っているということ。
それにしては衣類が少なすぎるが、その理由まではわからない。
二つは誘拐されたという可能性。しかしそれならば魔法少女の力ですぐに逃げ出せるはずだ。考えたくないが、口に出せないようなことをされて脅されているのかもしれない。
可能性の話でしかないが、エレファントは腸が煮えくり返るような思いだった。
三つは恋人の家に押し掛けたという可能性。これはこれで犯罪だが、当人たちが愛し合っているのなら問題ないのだろうか。衣類が少ないことも急に押し掛けたのならわからなくはない。
だが、そのどの可能性にしてもタイラントシルフが一人暮らしをしている理由とは当てはまらない。
「たぶん、エレファントさんが考えてるようなことじゃないですよ」
難しい顔で悩み始めたエレファントを見て、シルフが小さく笑う。
「答え合わせをしましょうか」
少しだけ声のトーンが落ちる。
それだけ言いにくい、言いたくないことなのだ。
「簡単な話です。すべての辻褄があう、簡単な答えです」
その時が来るのを引き延ばす様に、言葉を紡ぐタイラントシルフ。
ただ、後に回せば回すほど嫌なことはもっと嫌になるものだ。
シルフもそれを理解しており、観念したように、自嘲するような笑みを浮かべ、言った。
「つまり水上良一とは私だったということです」
・
「つまり水上良一とは私だったということです」
ああ、言った。言ってしまった。
誰にも言うつもりなんてなかった秘密。
これまでも、これからも、たとえ魔法少女を辞めて元の姿に戻れたって戻れなくたって、一生誰にも言うつもりのなかった秘密。
それを、言ってしまった。
「……えぇ?」
無意識のうちに拳を握りしめ、俯いていた。
彼女はどんな顔をしているだろうか。
知りたくない。顔をあげたくない。
言わないわけにはいかなかった。
彼女は、今までの人生で一度として出会ったことのない、高潔で優しさに満ち溢れた、素晴らしい人間だった。
人は誰しもが自分のことだけを考えて生きているのだと思っていた。誰かのためになんてそんなのは上っ面で、心からそう考えている人間なんてこの世にいないのだと思っていた。
視野が狭かったのはわかってる。自分の人生を振り返って、自分がどうしようもない人間だったから、周りにもそんな人間しかいなかったんだろう。
だから、彼女に出会い、その優しさを、その信念を知って、この世の何よりも大切で価値のある存在だと思った。
この人のためなら俺は命をかけて戦えると思った。
だからこそ、俺は彼女を裏切りたくなかった。
この秘密を黙って彼女と仲良くなることは裏切りだ。
三十路のおっさんがあどけない少女の振りをして友達面するなんて気持ちが悪い。
だったら彼女の危険を振り払うだけの存在でいた方がマシだ。
彼女だけじゃない。
どんな魔法少女だって同じだ。
こんなこと受け入れられるわけがない。
この秘密を抱えている限り、俺は常に彼女たちを裏切り続けることになる。本当の意味で魔法少女と仲良くなることなんて、最初から不可能だったんだ。
……それに、俺はこれ以上自分を嫌いになりたくない。
くたびれた三十代のおっさんが、煌びやかな少女たちの輪に混ざっているなんて、どう考えたって異常だ。異常者だ。
それがわかってるくせに俺は、それでも手を伸ばしたくなって、そんな自分が嫌で、許せなくて、普通でいたくて……。
だから俺は、魔法少女とは友達になれない。
魔法少女とは仲良くなれない。
最初から一人でいれば良い。
誰からも好かれず、嫌われず、興味を持たれなければそれでいい。
風の吹かない孤独な空は、退屈かもしれないが平穏だ。
俺はそこで、ただ一人静かに生きていく。
そのつもりだった。
そうしようと、そうあろうと行動してきた。
それなのに、彼女は強引だった。
穏やかだったはずの空は、彼女という嵐に巻き込まれた。
彼女は俺に、友達になりたいと言ってくれた。
たった一日だけの、人生で初めての友達になってくれた。
俺は、彼女の友達になりたかった。
誰にも言うつもりなんてなかったのに。
誰にも受け入れられないとわかっていたはずなのに。
それでも受け入れて欲しいと、そう思ってしまった。
だから言うつもりのなかった秘密を話した。
なんて傲慢で愚かなんだろうか。
けど、これで良かったのかもしれない。
下手に希望を残しておく方が、これからずっと苦しみ続けることになる。
それならいっそ、ここで終わらせてしまった方が良い。
ずっと騙していたのかと、気持ち悪いと罵って、縁を切ってくれれば諦められる。
「ん? え? うーん……? えっと……? つまり、シルフちゃんはその水上良一さんて人で、水上良一さんがシルフちゃんてこと?」
「……はい」
「でもシルフちゃんて、今変身解除してるよね?」
「寝ている間にジャックに妙な薬を使われました。性転換薬と若返り薬だそうです。この口調も、なにか細工をされて強制されてます」
感情を殺して淡々と疑問に答える。
余計なことを考えたら泣きそうだ。
「そ、そうなんだ。ああ、あの時ジャックが言ってたのはそういう……」
なにか心当たりがあったのだろうか。
何かに納得したような言葉だった。
「うーっ! しょーじきすっごい混乱してる! 頭では理解できるけど、目の前にはこんなに可愛いシルフちゃんがいるんだもん! 実感湧かないなぁ」
全身に視線を感じる。
「あれ、ほんとは年上なら敬語の方がいいのかな?」
「どちらでも私は気にしません」
「じゃあ今までどおりね! それで、シルフちゃんの秘密はわかったけど、なんで友達になれないの?」
「…………は?」
全く予想していなかった言葉に、思わず顔を上げてしまった。
そこには、本気で、心底不思議そうにしているエレファントさんがいて、凄い至近距離で俺の顔をのぞきこもうとしていた。
「だ、だって気持ち悪いじゃないですか。私、本当は男なんですよ? 30歳なんですよ? エレファントさんたちとは一回り以上も年が違うんです。そんな私が友達になんてなれるわけないじゃないですかっ」
「あー、年が違うと話が合わないとは言うよね。ジェネレーションギャップって言うんだっけ? たしかに大変かもねー。でも気持ち悪いっていうのはよくわかんないな。シルフちゃん、可愛いよ?」
「だから、この姿は私の本当の姿じゃなくて……! そうだ、元の姿の写真があります! これを見ればわかるはずです」
あまりの混乱に自分でも何をしているかわからず、ただ勢いのままに自分の免許証を取り出して見せつける。
「へー、これが元のシルフちゃんなんだ。優しそうだね。目元とか、面影あるなぁ」
「こ、これでもまだ私に可愛いなんて言えますか! これが! この男が私なんですよ!?」
「だって目の前にいるのはシルフちゃんだし、可愛いものは可愛いよ。それに、大人の人がこんなに可愛くなって必死になってるのもちょっと可愛いかも」
「んなぁっ!?」
なんだそれ?
どういうことだ?
わからない。わからなすぎる。
もしかして、これがジェネレーションギャップってやつなのか?
俺の思考と若者の思考はここまで乖離してるものなのか?
それとも、俺のために嘘をついている?
「シルフちゃん、私の気持ちは変わらないよ。もしもシルフちゃんが、自分は男だってことに負い目を感じてるなら、そんなの気にしなくていい」
力強く断言するその瞳は真っ直ぐで
「たしかに最初はシルフちゃんの可愛さに目を惹かれてたけど、今はそれだけじゃないから。シルフちゃんが傷つきやすくて、それなのに優しくて、見てて辛くなるくらい頑張れちゃう人だって知ってるから」
一瞬でも疑ってしまったことを恥ずかしいと思うくらい純粋で
「私はシルフちゃんが好きだよ。この気持ちに、年齢とか性別なんて関係ない。だから、改めてお願いするね。私と友達になってほしいな、シルフちゃん」
ぐいぐいと近づいてきながら手を握られる。顔が赤くなっているだろうことが自分でもわかるくらい、暑かった。
距離が縮まるほどに余裕がなくなって、何も考えられなくなって。
「あ、あう、あ、か、帰って下さい! 今日はもう帰ってくださいっ!!」
「あはは、今日はちょっと色々ありすぎたね。そうだね、帰るよ。
意味深に今日はを強調されて、エレファントさんは楽しそうに笑った。
内心を全て見透かされているようで、余計に恥ずかしい。
転移魔法を発動したエレファントさんの体が光に包まれ始める。
「また遊ぼうね、シルフちゃん」
「……考えておきます」
投げかけられたその言葉が嬉しくて、今までの悩みをあっさりと吹き飛ばしてしまうような力を持っていて、けれどもまだ少しだけ気恥ずかしくて、俺に出来たのはそっぽを向いて無愛想に答えることだけだった。
一章本編完結です
明日は閑話を更新します