魔法少女タイラントシルフの第二章開始です。
二章本編は書き終わってるので毎日更新です。
prologue 吸血鬼
分厚い雲に覆われ月の光すらも届かない暗闇の中、それでもなお目に見えるほどに不気味で禍々しい闇の集合体が蠢いた。
それが何なのか知らずに見れば、気を病んでしまうほどに冒涜的な存在。世界の歪みより這いずり出でる怪物、ディスト。
その正体も生態もほとんどのことがわかっていない謎多き怪物だが、その行動から、人類にあだなす敵であることはわかっている。
蠢く闇は次第に明確な姿を形作り、巨大な蜘蛛となった。左右の足を広げて大地を踏みしめるその巨体は、直径にして4メートル程度。ディストという怪物の中では小柄であり、ナイトクラスと呼ばれる二番目に弱い個体だが、それでも只人の手に余ることはたしかだ。
「ひれ伏せ」
破壊衝動のままにとある高等学校の校舎に攻撃をくわえようとしたディストだが、ふと聞こえた凛とした声に反応し動きを止めた。
ディストの視線の先には、すらりとした真っ赤なドレスの上から黒いマントを羽織った銀髪の少女が一人、嗜虐的な笑みを浮かべて立っていた。
「くくっ、聞こえなかったのかな? ひれ伏せと、言ってるんだ」
「何度も言ってるピョン。ディストに言葉は通じないピョン」
少女の隣には、真っ白な兎のぬいぐるみが浮かんでおり、呆れたような表情で肩を竦めている。
その少女が魔法少女であると理解したからか、あるいは単に人間がそこに居たからか、理由は定かではないが、ディストは攻撃対象を校舎からその少女に変えて動き出した。
大きな八本足をわさわさと忙しなく動かし高速で走る蜘蛛型ディスト。あっという間に少女との距離は限りなく0と言えるほどに近づき、その突進とも言える速さのままに食らいついた。
「
ディストの鋭い牙が少女を貫く寸前、少女の姿が一瞬にして消え去り代わりに小さな蝙蝠の群れが現れた。蝙蝠は四方八方に散らばりながらすれ違いざまに蜘蛛型ディストの身体に牙を突き立て、ほんの小さな傷をいくつもつけた。
些細な抵抗を終えて飛び去っていった蝙蝠たちは、蜘蛛型ディストから少し離れた場所に集結していき、身体がぶつかりそうなほどに……、否、身体をぶつけ合いながらまるで人のような形になっていき、次の瞬間、そこにあの少女がいた。
「気が早いな。こちらはまだ自己紹介もしていないと言うのに」
「残量は大丈夫ピョン?」
「さて、ね」
不愉快そうに表情を歪め吐き捨てるように呟いた少女に対し、兎が心配そうに尋ねる。
しかし、二人の会話をディストが待つはずもなく、少女たちにはお構いなしで再度突撃するようなスピードで一直線に動き出す。
「
青白い少女の細腕にビキビキと血管が浮かび上がり、時速数百キロという速度で突っ込んできたディストを真っ向から受け止めようと身構える。
衝撃波によって地が揺れるほどの衝突。兎のぬいぐるみが悲鳴をあげながら余波を受けて吹っ飛んでいく。
弾き飛ばされたのは、少女の方だった。
校舎に叩きつけられ、壁をぶち抜いて備品を巻き込みながら室内を転がる。
周囲には机や椅子がいくつも散乱しており、割れた窓ガラスの破片が僅かな光を反射していた。
「クソ……、速すぎる……」
余裕そうな態度で振舞っていた少女だが、その実彼女にとって単独でのナイトクラス討伐はいささか荷が重いミッションだった。
初撃は完全に油断していたと言える。変身魔法によってかろうじて回避には成功したが、魔力だけではなく彼女特有のもう一つの力を大きく消耗した。もう一度変身魔法を使うほどの余裕はなかった。だからこそ、身体強化魔法での防御を選んだ。
いかに素早いとは言っても、捕まえてしまえばそれまでだ。下手に突進を回避しようとしても、避け切れるかはわからなかった。加えて、一度回避に成功しても体勢を崩した状態で追撃を受ける可能性もあった。そうしたいくつかの要素を加味しての判断だったが、結果的にそれも失敗だった。
「ちぃっ!」
ダメージを堪えて立ち上がった少女の視線の先に、動き出そうとしている蜘蛛型ディストの姿が見えた。少女は咄嗟に強化された脚力で跳び上がる。直後、さきほどまで少女が立っていた場所に蜘蛛型ディストが高速で突っ込み、急停止した。
少女は思わずもう一度舌を打つ。この蜘蛛型ディストが完全に自らの速度を制御していることがわかったからだ。
ここしかない。少女は意を決して、残るすべての「力」を使うことを決めた。
蜘蛛型ディストが動きを止め、ほんの一瞬ではあるが少女を見失っている状況。攻撃を叩きこむ絶好の機会。
本来であれば少女にナイトクラスのディストを一撃で屠るほどの火力はない。しかし、彼女特有の力を十分以上に使えばその前提は覆る。
「
少女の存在に気が付いたディストが動き出そうとするが、それよりも少女が早かった。
赤黒い輝きと共に、鋭く伸びた少女の爪が蜘蛛型ディストを切り裂き、その衝撃で吹き飛ばした。
少女の小さな爪による一撃など本来ならばひっかき傷を作る程度のものだが、魔法の力によってもたらされた輝きがその威力を何倍、何十倍にも引き上げる。
切り裂かれたディストの肉体は大半が消滅しており、ナイトクラスの再生力では完全に復活することができなかったのか、いくつも足が欠損し、身体にも歪な凹凸が出来ていた。もはや這いつくばらなければ動けないようで、薄く靄を散らしながらもじりじりとディストは少女へ近づいていく。
「改めて自己紹介だ。私はヴァンパイア。魔法少女ヴァンパイア、以後お見知りおきを」
まるでこれまでの苦戦がなかったことのように、当初と同様に余裕のある振る舞いで歩み寄った少女、魔法少女ヴァンパイアは、全力でディストを蹴り飛ばして消滅させた。
「放っておいてもいずれは消えていただろうが……」
「用心するに越したことはないピョン」
やってしまったと顔を顰めるヴァンパイアに、いつの間にか戻ってきた兎のぬいぐるみが声をかける。妖精の言うことも一理あり、万が一にもここから再生されれば面倒だ。それもそうかと、ヴァンパイアは自分を納得させた。
彼女が師と仰ぐ魔法少女は私怨や私欲による戦いをあまり好まない。ヴァンパイア自身は師ほど苛烈でも高潔でもないが、師の考え方については尊敬の出来るものであるし、自分もそう思えるようになりたいという憧れもある。
だから、内心痛めつけられたことの怒りに身を任せて足を振りぬいたと自覚していながらも、尤もらしい理由を求め、自らに言い聞かせた。
「強く、ならなければ……」
「だいじょぶピョン! ヴァンパイアはまだ魔法少女になったばかりピョン! これからもっともっと強くなれるピョン!」
「悠長なことは言ってられないだろう」
それが自分を励ますための言葉だとヴァンパイアもわかってはいたが、それでもこの惨状を目の当たりにしては楽観的に考えることなど出来なかった。
ディストによって無理矢理押し込まれた校舎を出て、外から壁に穴の開いた室内を見てみると、その破壊跡はひどいありさまだった。
魔法少女の戦いはディストを現実に出現させないためにあるが、何事も絶対はない。事実、過去に何度かディストが欺瞞世界を抜けて現実に現れたことはある。
幸いにもさほどランクは高くなく、大きな被害が出ずに済んだが、これからもそうなるとは限らない。
万が一今回のディストが現実に現れた時、そこに居合わせたのがヴァンパイアだけだった場合、これほどの被害が出るという実例が目の前にあった。
(世界を守る。たとえこの命尽きることになろうとも)
それはヴァンパイアの師の教えだった。
口先だけではなく自らもその理念を体現し、ヴァンパイアの知る限りでも何度も生きるか死ぬかの戦いを繰り広げている。
かつては別の町で活動していたらしく、その時も同じように活躍していたのだろうとヴァンパイアは予想している。
師の誇り高さと強さにヴァンパイアは改めて憧憬を抱く。
そんなヴァンパイアの視界の端に、黒く蠢く何かが映りこんだ。
「ヴァンパイア! ディストが出るピョン!」
同時に兎のぬいぐるみが声をあげた。
ヴァンパイアがぬいぐるみの視線の先、自身の視界が捉えた場所を注視すると、そこには今にも動き出そうとすると馬型のディストの姿があった。
「っ!?」
「狩場になりかけてるって言っても連続出現なんて運がないピョン!」
サイズはそれほど大きくはない。通常のサラブレッドに比べれば一回りほどは大きいが、セオリー通りなら悪くてもナイトクラス。コモンクラスは明確な姿を持つことはなく、バロンクラス以上ならば更なる巨躯であるはずだからだ。
「キャロル!」
「ナイトクラスだピョン! 新型でもないピョン!」
ディストとの距離は視界の端に移る程度であり、ヴァンパイアには悠長にマギホンを操作している余裕はなかった。
だが、幸運にもヴァンパイアにはサポートフェアリーである兎のぬいぐるみ、キャロルが居る。ヴァンパイアがディストから視線を外さずに警戒を続ける一方で、キャロルは分析されたデータを声に出した。
「やれると思うか?」
「血の力が残ってないピョン! いくら夜でも無理ピョン!」
「そうか……」
「救援要請は出したピョン! 逃げるピョン!」
ヴァンパイアは名前の通り吸血鬼の魔法少女だ。昼には力が弱まり夜には強まる魔法が常時発動しており、加えてヴァンパイア特有の力である「血の力」を消費することで更に強力な魔法を扱うことができる。
血の力は実際に人間から吸血することで補充され、魔法を強化することや、強力な魔法を使うために消費される。普段は魔法少女仲間や師の血を貰ったり、魔法界で購入したりすることでその力を補充しているが、現在は蜘蛛型ディストとの一戦で使い果たしてしまっている。
血の力がなくても身体強化の魔法は使えるが、先ほど蜘蛛型ディストに力負けしたように、素の強化魔法ではナイトクラスには押し負ける。
暗き夜の群れと紅き代償の報いはそもそも血の力がなければ発動することすらできない。現状、ヴァンパイアが勝つ確率は0に近いと言っても過言ではない。
ヴァンパイアはキャロルの判断を受け、胸を張って一歩前へと踏み出した。
「ひれ伏せ。私こそはヴァンパイア。魔法少女ヴァンパイア。何人たりとも、私の後ろに通しはしない」
「ヴァンパイア!?」
危機的な、命を失いかねない状況でも、ヴァンパイアの中に逃げるという選択肢はなかった。
さきほどまでナイトクラスと戦っており消耗していることなど、ヴァンパイアが背を向けることの理由にはならない。
「何、心配することはない。吸血鬼というのはしぶといと相場が決まっている」
キャロルを安心させるように、ヴァンパイアは不敵な笑みを浮かべる。
「このヴァンパイアが!」
いついかなる時であろうとも、己に誇れる己であれ。
そして、誇りを胸に世界を守れ。命をかけて。
それは自身の矜持と師の教えが混ざり合って生まれた信念だった。
ヴァンパイアという一人の少女を形作る、太く大きな柱だった。
胸に宿る二つの柱がある限り、
「逃げ出すことなどありえないっ!!」
力の枯渇した肉体に鞭を打ち、少女は吼える。
長い夜が始まった。